無能だと捨てられた第七王女、前世の『カウンセラー』知識で人の心を読み解き、言葉だけで最強の騎士団を作り上げる

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私の腕の中で、アシュトン様の体温が急速に失われていく。
勝利に沸いていた広場の歓声が、まるで遠い世界の出来事のように聞こえた。
私の世界には、彼の苦しそうな呼吸と流れ続ける血の温かさしかなかった。

「アシュトン様、しっかりしてください。」
私の必死の呼びかけに、彼はもう答えてはくれない。
その灰色の瞳は固く閉じられ、意識が完全に途切れているのが分かった。
ダリウスさんたちが駆け寄り、すぐに城の中へと彼を運ぶ。
私は、ふらつく足でその後を必死に追いかけた。

城の医務室は、もはや野戦病院のようになっていた。
負傷した兵士たちのうめき声と、薬草の匂いが入り混じっている。
私達は、騒がしい医務室を通り過ぎて彼の私室へと急いだ。
大きな寝台に横たえられた彼の顔は、蝋のように白かった。

すぐに駆けつけた老医師が診察を始めたが、その表情はすぐに絶望の色に変わる。
彼は、力なく首を横に振った。

「傷は、深すぎます。」
「それに体の内側が、敵の邪悪な魔力によってひどく傷つけられている。」
「私にできることは、もう何も。」

医師の言葉は、その場にいた全員に重くのしかかった。
ダリウスさんが、壁を殴りつけて悔しそうに唸る。
レオさんは、ただ唇を噛み締め涙をこらえていた。
ギデオンさんも、失われた片腕を握りしめ無力感に襲われているようだった。
部屋の中は、息苦しいほどの絶望に満ちていた。

だが、私の心は不思議と落ち着いていた。
悲しみに暮れている時間はない。
諦めるのは、まだ早いのだ。
私は、震える声で皆に指示を出した。

「エマ、お湯と清潔な布をたくさん持ってきてください。」
「ギデオンさん、ダリウスさん、レオさん。」
「皆に、お願いがあります。」
私の落ち着いた声に、三人ははっとしたように顔を上げた。

「アシュトン様を、救う方法が一つだけあります。」
「ですが、そのためには皆さんの力が必要です。」

「本当ですか、リリアーナ様。」
レオさんが、すがるような目で私を見る。

「はい。ですが、保証はありません。」
「それでも、信じてくれますか。」
私の問いに、三人は一斉に力強く頷いた。
彼らの瞳には、私への絶対的な信頼が宿っている。

「分かりました、俺たちはリリアーナ様の言葉を信じます。」
「何でも、言ってください。」
「俺たちに、できることなら。」

「ありがとうございます。」
私は、深く頭を下げた。
そして、私の考えを彼らに伝える。

「敵の呪いが、人の心の弱さにつけ込むのなら私達の希望の力はそれを打ち破れるはずです。」
「アシュトン様は今、体だけでなく心も深い闇の中にいます。」
「私達の想いを、彼の心に届けるのです。」
「彼が一人ではないと、伝えるのです。」

私は、具体的な指示を出した。
ギデオンさんには、城の広場にまだ残っている領民たちを集めてもらう。
そしてこの状況を正直に話し、アシュトン様のために祈ってほしいと頼んでもらうのだ。
ダリウスさんとレオさんには、動ける騎士たち全員を集めてもらう。
彼らにも、同じように祈りを捧げてもらう。
それは、魔力を使わないただ純粋な祈りの力だった。

「祈り、ですか。」
ダリウスさんが、不思議そうな顔をした。

「はい。声に出して、祈ってください。」
「アシュトン様への感謝の言葉、彼と共に戦った思い出、彼に生きてほしいという強い願い。」
「その一つ一つの想いが、必ず力になります。」

三人は、私の言葉の本当の意味を完全には理解できなかったかもしれない。
だが、彼らは迷わなかった。

「承知いたしました。すぐに、皆を集めます。」
彼らは、それぞれの役目を果たすために力強い足取りで部屋を出ていった。

部屋には、私とエマと眠り続けるアシュトン様だけが残された。
エマが、手際の良い動きで布を絞り彼の体を拭いていく。
私は、彼の寝台の横に椅子を置きそっと彼の冷たい手を握った。

「アシュトン様、聞こえますか。」
私は、語りかけ始めた。

「私は、ここにいます。」
「あなたは、決して一人ではありません。」

「思い出してください、私達が初めて会った日のことを。」
「あなたは、凍てついた心を固く閉ざしていましたね。」
「でも、私は知っていました。」
「その氷の下には、誰よりも温かい心が隠されていることを。」

私は、彼と過ごした日々の出来事を一つ一つ丁寧に語り聞かせた。
騎士団の兵士たちと、初めて心を通わせた日のこと。
ハンスさんと出会い、新しい農業を始めた日のこと。
そして、二人で丘の上からこの愛おしい領地を眺めた日のこと。

その全てが、私にとってはかけがえのない宝物だった。
私の言葉が、彼の心の奥深くに届くように祈りを込めて語り続ける。
窓の外から、人々の声が聞こえ始めた。
最初は、小さなささやき声だった。
だが、その声は次第に大きくなりやがて一つの大きな祈りのうねりとなっていく。

「アシュトン様、どうかご無事で。」
「あなたが、私達を救ってくれたのです。」
「今度は、私達があなたを救う番です。」
「戻ってきてください、私達の領主様。」
それは、領民たちの魂の叫びだった。
騎士たちの、太い声もそれに重なる。

「あんたがいなきゃ、始まらねえんだよ。」
「俺たちは、あんたの背中を追いかけてここまで来たんだ。」
「だから、死ぬなんて絶対に許さねえぞ。」
その温かい祈りの力が、城全体を包み込んでいくようだった。
私は、握りしめた彼の手がほんの少しだけ温かくなったような気がした。

私は、彼の手に自分の額を寄せた。
そして、歌を歌い始める。
あの、希望の歌を。
私の歌声は、外にいる人々の祈りの声と響き合い不思議な力を生み出していく。
その力は、純粋な生命の力となってアシュトン様の体へと注ぎ込まれていった。
彼の浅かった呼吸が、少しずつ深くなっていく。
死人のように白かった顔に、わずかに血の気が戻ってきた。

その時、部屋の扉がゆっくりと開かれた。
立っていたのは、包帯を巻いたアルフォンスだった。
彼の顔は疲れきっていて、その目には深い後悔の色が浮かんでいる。
彼を護衛していた近衛騎士の姿は、もうどこにもなかった。

「リリアーナ。」
彼は、か細い声で私を呼んだ。
私は歌うのをやめ、彼を見つめる。

「俺は、取り返しのつかないことをした。」
「俺のせいで、多くの者が傷つき辺境伯殿も。」
彼の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
それは、彼が生まれて初めて流す心からの悔い改めの涙だった。

「俺は、どうすればいい。」
「どうすれば、償えるんだ。」
その問いに、私は答えた。

「まず、生きることですわ、お兄様。」
「そして、ご自身の罪と弱さと正面から向き合うことです。」
「逃げずに、それらを全て受け入れた時あなたはきっと本当の強さを見つけられるはずです。」
私の言葉に、彼は子供のように声を上げて泣いた。
長い間、彼を縛り付けてきた傲慢さと嫉妬の鎧が音を立てて崩れ落ちていく瞬間だった。

私は、彼を無理に慰めようとはしなかった。
彼が、自分の力で立ち上がるのをただ見守る。
しばらくして、彼は涙を拭うと決意を秘めた目で私を見た。

「話さなければならないことがある。」
「俺が知っている、奴らのことの全てを。」
彼は、自分が魔術師たちとどのように会ったのかを語り始めた。
王都の地下で、秘密裏に行われていた古い儀式のこと。
彼らが、『古き蛇の教団』と名乗っていたこと。
そして彼らの真の目的が、王国の転覆だけでなく何か恐ろしい神をこの世に呼び覚ますことにあるらしい、ということ。
彼の話は、途切れ途切れではあったが敵の正体を探る上で非常に重要な手がかりとなった。

「奴らの本拠地は、おそらく王都の地下深くにあるはずだ。」
「だが、そこへ至る道は俺にも分からない。」
「ただ一つだけ、手がかりがある。」
彼は、懐から一つの鍵を取り出した。
それは、蛇の形をした不気味な黒い鍵だった。

「奴らから、渡されたものだ。」
「王家の、秘密の宝物庫を開けるための鍵だと。」
「その奥に、何かがあるらしい。」
彼は、その鍵を私に差し出した。

「これを、君に託す。」
「俺には、もうこれを持つ資格はない。」
私は、その鍵を静かに受け取った。
ずしりと重い、運命の鍵だった。

その時だった。
「うぅん。」
寝台の上で、アシュトン様が小さくうめいた。
私とアルフォンスは、はっとしたように彼に視線を向ける。
彼のまぶたが、ゆっくりと持ち上がっていく。
その灰色の瞳が、ぼんやりと私達の姿を捉えた。

「リリアーナ。」
かすれた声が、私の名を呼ぶ。

「気がつかれましたか。」
私は、彼のそばに駆け寄りその手を再び握りしめた。
彼の瞳に、だんだんと焦点が合っていく。
そして、彼は穏やかに微笑んだ。

「ああ、君の歌声が聞こえた。」
「とても、温かい歌だった。」
「おかげで、戻ってこれたようだ。」
彼の言葉に、私の目から安堵の涙があふれ出した。
窓の外で、私達の奇跡を見守っていた人々から割れんばかりの歓声が上がる。
長い、長い夜が明け辺境の地に再び朝の光が差し込もうとしていた。
アシュトン様は、ゆっくりと体を起こすと私の隣にいるアルフォンスに目を向けた。
その視線に、もはや敵意はなかった。
ただ、問いかけだけがそこにあった。

「あなたも、ようやく目を覚ましたようだな。」
その言葉に、アルフォンスは深く、深く頭を下げ続けた。
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