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グレゴール隊長の切迫した報告に、私は冷静さを保ったまま、すぐさま問い返した。
「落ち着いてください、グレゴール隊長。まずは状況を詳しく。一団の規模は? 掲げている旗は? 商人ですか、それとも軍隊です?」
私の落ち着いた声に、少しだけ冷静さを取り戻したのか、グレゴール隊長はぜえぜえと息を整えながら答えた。
「はっ、失礼いたしました。斥候の報告によりますと、規模はおよそ五十名。馬車が十数台。掲げている旗は、見たことのない紋章です。王国のものでも、近隣諸侯のものでもありません」
彼は一度言葉を切り、必死に記憶をたどりながら続けた。
「武装した護衛が多数いますが、隊列の様子から軍隊というよりは、大規模な商隊のように見えた、とのことです」
「商隊……。こんな時期に、この辺境へ?」
私の疑問はもっともなものだろう。ヴァイスランドは「捨てられた土地」だ。わざわざ交易のために訪れる商人など、いるはずがない。それに、五十名という規模は単なる商隊にしては大きすぎる。何か特別な目的があると考えた方が自然だった。
『主よ、敵意は感じるか?』
私の隣に控えるシラスが、テレパシーで問いかけてくる。その黄金の瞳は、静かに南の地平線を見据えていた。私は目を閉じ、意識を研ぎ澄ませて魔力の流れに集中させた。
遠く、南の街道の方角から、確かに多くの人々の気配が近づいてきている。しかし、その気配に、明確な敵意や殺意は感じられなかった。むしろ、焼け付くような喉の渇き、鉛のような足の重さ、そして心の奥底で燃え尽きようとしている疲労感。それらが混じり合った、複雑な感情の波が伝わってくる。その中に、ほんの僅かだが、藁にもすがるような希望の光も感じ取れた。
「いいえ、シラス。不思議と、敵意は感じないわ。でも、警戒するに越したことはない」
私は目を開け、決然とした表情でグレゴール隊長に指示を飛ばした。
「グレゴール隊長、村人たちに動揺が広がらないよう、クラウスに伝えてください。女子供は家の中に。男たちには、いざという時のために、農具など手に取れるものを準備するように、と」
「はっ! かしこまりました!」
グレゴール隊長がすぐさま駆け出していく。彼の背中を見送りながら、私はシラスの首筋をそっと撫でた。
「シラス、私たちも行きましょう。村から少し離れた場所で、彼らを迎え撃つ……いえ、まずは対話の機会を持ちましょう」
『承知した。我が牙と爪は、常に主と共にある』
シラスは力強く頷くと、私の隣にぴったりと寄り添った。その頼もしい存在に、私は心の内で感謝した。彼の温かい体温が、私の覚悟を静かに支えてくれているようだった。
私とシラス、そしてグレゴール隊長率いる騎士団十名は、村の南にある街道を見下ろせる丘の上に陣取った。ここなら、相手の様子を窺うことができるし、万が一のことがあっても、村に被害が及ぶまでには時間稼ぎができる。騎士たちは皆、ボリンが打ち上げたばかりのヴァイスランド鋼の鎧を身に着け、その銀色の輝きは北の太陽を反射して眩しかった。
しばらくして、地平線の向こうから、土煙を上げながら進んでくる一団の姿が見えてきた。グレゴール隊長の報告通り、十数台の馬車と、その周りを固めるように歩く人々の集団だ。先頭に掲げられた旗には、天秤と麦の穂を組み合わせたような紋章が描かれている。
彼らの姿がはっきりと見える距離まで近づいてきた時、私たちはその異様な様子に気づいた。馬車は所々が破損し、幌は破れて矢が突き刺さったままになっているものもある。人々は皆、泥と埃にまみれ、その足取りは重い。武装した護衛たちも、その顔には深い疲労の色が浮かんでいた。まるで、長い戦いの末に敗走してきた軍隊のようだった。
「……どうやら、ただの商隊ではなさそうですね」
グレゴール隊長が、眉間に皺を寄せながら呟く。
「ええ。何らかのトラブルに巻き込まれたのかもしれないわ。私が話を聞いてきます」
「エリアーナ様!?危険です!まずは我々が!」
慌てて制止しようとするグレゴール隊長を手で制し、私は静かに言った。
「大丈夫です。シラスがついていますから。それに、彼らからは、助けを求めるような弱い気配こそ感じれど、戦意は感じられません。力で威圧するよりも、対話で解決する方が、ずっと良い結果を生むはずです」
私の決意の固い瞳を見て、グレゴール隊長はそれ以上何も言えず、ただ「……御身の安全を、何よりも優先してください」と深く頭を下げた。
私はシラスの背に乗り、ゆっくりと丘を下って街道へと出た。私の前には、グレゴール隊長と二人の騎士が護衛として付き従う。
私たちの突然の出現に、商隊の一団は明らかに動揺し、警戒した様子で足を止めた。特に、私の隣に立つシラスの巨体を見た瞬間、彼らの顔からは血の気が引き、悲鳴に近いどよめきが上がった。その体躯は大型の馬よりも遥かに大きく、月光を編み込んだかのような銀色の毛皮は、伝説の獣の威厳を放っていた。
「ひっ……!ま、魔物か!?」
「銀色の……狼……!なんという大きさだ……!」
護衛の男たちが、震える手で剣の柄に手をかける。しかし、その剣を抜く力さえ残っていないように見えた。私はシラスの首筋を優しく撫でて落ち着かせると、馬上から、できるだけ穏やかな声で彼らに語りかけた。
「恐れることはありません。私たちは、あなた方に危害を加えるつもりはありません。私はエリアーナ・フォン・ヴァイスランド。この土地の領主です。あなた方は、一体どこから来て、何を目的としてこの地を訪れたのですか?」
私の名乗りと、威厳のあるその声に、一団はざわめいた。彼らの中から、一人の年配の男性が、おずおずと前に進み出てきた。年の頃は六十代だろうか。日に焼け、深く刻まれた皺が、彼の商人としての長い経験を物語っている。その目には深い疲労の色が浮かんでいたが、それでもなお、理知的な光が失われずに宿っていた。
「ヴァイスランドの……領主様……?失礼いたしました。私は、ガンツと申します。南方のバルトリ伯爵領で、商会長を務めておりました者でございます」
ガンツと名乗った男は、深々と頭を下げた。彼の言葉遣いは丁寧だったが、その声には隠しきれない疲労が滲んでいた。
「バルトリ伯爵領から……。随分と遠くから来られたものですね。一体、何があったのですか?あなたの隊は、ひどく疲弊しているように見えますが」
私の問いに、ガンツは顔を歪め、悔しそうに唇を噛んだ。彼の脳裏に、つい先日の悪夢が蘇っているのが見て取れた。
「お恥ずかしい限りです……。我々は、北のドワーフの国との交易路を開拓すべく、大規模な商隊を組んで旅をしておりました。しかし、その道中、ゴブリンとオークの、これまでにないほどの大規模な群れに襲われまして……」
彼の話によると、商隊は数日間にわたる攻防の末、多くの護衛と商品を失い、命からがら逃げ出してきたのだという。故郷に戻る道は魔物に塞がれ、進退窮まった彼らは、ある噂を頼りに、ひたすら北を目指してきたのだという。
「噂……ですか?」
「はい。このような辺境の地で、銀髪の女神様が、新たな国を築いておられる、と……。飢えた者には食料を、凍える者には暖かい住処を与えてくださる、慈悲深い女神様がいらっしゃると……。正直、我々も半信半疑でした。しかし、もはや我々には、その噂にすがるしか道はなかったのです」
ガンツは、懇願するような目で私を見つめた。その瞳は、最後の希望に賭ける者の光を宿していた。銀髪の女神、というのは私のことだろう。噂とは、かくも速く、そして尾ひれがついて広まるものなのか。
「……あなた方の事情は分かりました。ですが、私にはあなた方を助ける義理はありません。このヴァイスランドも、まだ豊かな土地とは言えない。多くの人間を、やすやすと受け入れられるほどの余裕はないのです」
私は敢えて、冷たく突き放すような言葉を口にした。彼らの覚悟と、彼らがこの地に何をもたらしてくれるのかを、見極める必要があったからだ。私の言葉に、ガンツたちの顔に絶望の色が浮かぶ。彼らの間に、力ないどよめきが広がった。
「そ、そこを何とか……!我々を見捨てないでください!我々は、決してただ助けてほしいと願っているわけではございません!」
ガンツは必死に声を張り上げた。彼の後ろから、熊のように屈強な体つきの男や、寡黙だが鋭い目つきをした男たちが、次々と前に出てきた。
「我々の中には、腕利きの鍛冶職人や、大工、石工、織物職人もおります!我々の技術と知識は、必ずや、この地の発展の助けとなるはずです!どうか、我々に、この地で生きるチャンスをください!」
ガンツは地面に膝をつき、額を地面にこすりつけんばかりにして懇願した。彼のその必死の姿に、他の者たちも次々と後に続く。彼らは、ただの商人ではなかった。生きるために、自らの技を武器に、新たな道を切り開こうとする、誇り高き人々だった。
「……顔を上げなさい、ガンツ」
私は静かに告げた。彼らが顔を上げると、私は穏やかな笑みを浮かべていた。
「あなた方の覚悟、確かに受け取りました。ようこそ、ヴァイスランドへ。食料と、暖かい寝床、そしてあなた方がその腕を振るうための仕事を用意しましょう」
私の言葉に、一瞬の静寂が訪れた後、堰を切ったような歓声と、嗚咽が彼らの中から沸き起こった。彼らは抱き合い、涙を流して、救われたことの喜びを分ち合っていた。長かった絶望の旅が、ついに終わったのだ。
私は彼らを連れて、村へと向かった。街道を進み、丘を越え、眼下に私たちの村が見えてきた時、ガンツたちは再び言葉を失った。
「こ、これは……なんということだ……」
彼らの目に映っていたのは、荒れ果てた辺境の集落などではなかった。整然と並ぶ美しい赤レンガの家々。もうもうと湯気を上げる温泉。村中に張り巡らされた水路。そして、ガラスの温室で青々と育つ作物。その全てが、彼らの常識を遥かに超える光景だった。
「噂は……本当だったのだ……。いや、噂以上だ……。こんな場所に、これほどの都が……」
ガンツが、呆然と呟く。村人たちは、私の指示通り、広場で彼らを待っていた。クラウスが代表して、温かいスープと焼きたてのヴァイス麦のパンを振る舞う。飢えと疲労の極にあったガンツたちは、その滋味深い味わいに、再び涙を流していた。
その日の夜、私は集会所で、ガンツと、彼が紹介してくれた職人たちの代表と会っていた。
鍛冶職人のリーダーである、熊のように屈強な男、ボリン。
寡黙だが、その目には確かな知性を宿す石工のヒューゴ。
人の良さそうな笑みを浮かべる大工のラルス。
そして、しっかり者で、女性たちのまとめ役でもある織物職人のマーサ。
彼らは皆、それぞれの分野で、高い技術を持つ者たちだった。
「皆さんの話は聞きました。あなた方の技術は、このヴァイスランドにとって、まさに宝です。どうか、その力を貸してください」
私がそう言うと、ボリンが代表して口を開いた。その声は、彼の体躯に似合わず、思慮深い響きを持っていた。
「お任せください、エリアーナ様。我々はこの御恩に報いるため、持てる力の全てを捧げる覚悟でおります。それに……こんなに胸が躍るのは、久しぶりですぜ」
彼は、にかりと白い歯を見せて笑った。
「この村の建物、水路、そしてこの美味いパン……。どれもこれも、俺たちの常識を覆すものばかりだ。こんな場所でなら、俺たちの腕も、もっともっと磨けるに違いねえ!」
彼の言葉に、他の職人たちも力強く頷いた。彼らの目には、もはや絶望の色はない。新たな場所で、自らの技術を存分に発揮できるという、希望と興奮に満ち溢れていた。
こうして、ヴァイスランドは、一夜にして五十人もの新しい住民と、貴重な技術者を迎え入れることになった。それは、私の国造りにおいて、計り知れないほど大きな飛躍を意味していた。
食料、住居、インフラ。そして、産業を興すための技術。
必要なものは、全て揃った。
私の頭の中では、すでに次の計画が、明確な形となって動き出していた。
この土地の豊富な資源と、彼らの技術を組み合わせれば、とてつもないものが生み出せるはずだ。
私は、目の前にいる頼もしい仲間たちの顔を見渡し、静かに、しかし力強く宣言した。
「皆さん、ありがとう。では、早速明日から、新しい仕事に取り掛かってもらいます。私たちは、このヴァイスランドに、世界一の製鉄所を創ります」
「落ち着いてください、グレゴール隊長。まずは状況を詳しく。一団の規模は? 掲げている旗は? 商人ですか、それとも軍隊です?」
私の落ち着いた声に、少しだけ冷静さを取り戻したのか、グレゴール隊長はぜえぜえと息を整えながら答えた。
「はっ、失礼いたしました。斥候の報告によりますと、規模はおよそ五十名。馬車が十数台。掲げている旗は、見たことのない紋章です。王国のものでも、近隣諸侯のものでもありません」
彼は一度言葉を切り、必死に記憶をたどりながら続けた。
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「商隊……。こんな時期に、この辺境へ?」
私の疑問はもっともなものだろう。ヴァイスランドは「捨てられた土地」だ。わざわざ交易のために訪れる商人など、いるはずがない。それに、五十名という規模は単なる商隊にしては大きすぎる。何か特別な目的があると考えた方が自然だった。
『主よ、敵意は感じるか?』
私の隣に控えるシラスが、テレパシーで問いかけてくる。その黄金の瞳は、静かに南の地平線を見据えていた。私は目を閉じ、意識を研ぎ澄ませて魔力の流れに集中させた。
遠く、南の街道の方角から、確かに多くの人々の気配が近づいてきている。しかし、その気配に、明確な敵意や殺意は感じられなかった。むしろ、焼け付くような喉の渇き、鉛のような足の重さ、そして心の奥底で燃え尽きようとしている疲労感。それらが混じり合った、複雑な感情の波が伝わってくる。その中に、ほんの僅かだが、藁にもすがるような希望の光も感じ取れた。
「いいえ、シラス。不思議と、敵意は感じないわ。でも、警戒するに越したことはない」
私は目を開け、決然とした表情でグレゴール隊長に指示を飛ばした。
「グレゴール隊長、村人たちに動揺が広がらないよう、クラウスに伝えてください。女子供は家の中に。男たちには、いざという時のために、農具など手に取れるものを準備するように、と」
「はっ! かしこまりました!」
グレゴール隊長がすぐさま駆け出していく。彼の背中を見送りながら、私はシラスの首筋をそっと撫でた。
「シラス、私たちも行きましょう。村から少し離れた場所で、彼らを迎え撃つ……いえ、まずは対話の機会を持ちましょう」
『承知した。我が牙と爪は、常に主と共にある』
シラスは力強く頷くと、私の隣にぴったりと寄り添った。その頼もしい存在に、私は心の内で感謝した。彼の温かい体温が、私の覚悟を静かに支えてくれているようだった。
私とシラス、そしてグレゴール隊長率いる騎士団十名は、村の南にある街道を見下ろせる丘の上に陣取った。ここなら、相手の様子を窺うことができるし、万が一のことがあっても、村に被害が及ぶまでには時間稼ぎができる。騎士たちは皆、ボリンが打ち上げたばかりのヴァイスランド鋼の鎧を身に着け、その銀色の輝きは北の太陽を反射して眩しかった。
しばらくして、地平線の向こうから、土煙を上げながら進んでくる一団の姿が見えてきた。グレゴール隊長の報告通り、十数台の馬車と、その周りを固めるように歩く人々の集団だ。先頭に掲げられた旗には、天秤と麦の穂を組み合わせたような紋章が描かれている。
彼らの姿がはっきりと見える距離まで近づいてきた時、私たちはその異様な様子に気づいた。馬車は所々が破損し、幌は破れて矢が突き刺さったままになっているものもある。人々は皆、泥と埃にまみれ、その足取りは重い。武装した護衛たちも、その顔には深い疲労の色が浮かんでいた。まるで、長い戦いの末に敗走してきた軍隊のようだった。
「……どうやら、ただの商隊ではなさそうですね」
グレゴール隊長が、眉間に皺を寄せながら呟く。
「ええ。何らかのトラブルに巻き込まれたのかもしれないわ。私が話を聞いてきます」
「エリアーナ様!?危険です!まずは我々が!」
慌てて制止しようとするグレゴール隊長を手で制し、私は静かに言った。
「大丈夫です。シラスがついていますから。それに、彼らからは、助けを求めるような弱い気配こそ感じれど、戦意は感じられません。力で威圧するよりも、対話で解決する方が、ずっと良い結果を生むはずです」
私の決意の固い瞳を見て、グレゴール隊長はそれ以上何も言えず、ただ「……御身の安全を、何よりも優先してください」と深く頭を下げた。
私はシラスの背に乗り、ゆっくりと丘を下って街道へと出た。私の前には、グレゴール隊長と二人の騎士が護衛として付き従う。
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「ひっ……!ま、魔物か!?」
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護衛の男たちが、震える手で剣の柄に手をかける。しかし、その剣を抜く力さえ残っていないように見えた。私はシラスの首筋を優しく撫でて落ち着かせると、馬上から、できるだけ穏やかな声で彼らに語りかけた。
「恐れることはありません。私たちは、あなた方に危害を加えるつもりはありません。私はエリアーナ・フォン・ヴァイスランド。この土地の領主です。あなた方は、一体どこから来て、何を目的としてこの地を訪れたのですか?」
私の名乗りと、威厳のあるその声に、一団はざわめいた。彼らの中から、一人の年配の男性が、おずおずと前に進み出てきた。年の頃は六十代だろうか。日に焼け、深く刻まれた皺が、彼の商人としての長い経験を物語っている。その目には深い疲労の色が浮かんでいたが、それでもなお、理知的な光が失われずに宿っていた。
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ガンツと名乗った男は、深々と頭を下げた。彼の言葉遣いは丁寧だったが、その声には隠しきれない疲労が滲んでいた。
「バルトリ伯爵領から……。随分と遠くから来られたものですね。一体、何があったのですか?あなたの隊は、ひどく疲弊しているように見えますが」
私の問いに、ガンツは顔を歪め、悔しそうに唇を噛んだ。彼の脳裏に、つい先日の悪夢が蘇っているのが見て取れた。
「お恥ずかしい限りです……。我々は、北のドワーフの国との交易路を開拓すべく、大規模な商隊を組んで旅をしておりました。しかし、その道中、ゴブリンとオークの、これまでにないほどの大規模な群れに襲われまして……」
彼の話によると、商隊は数日間にわたる攻防の末、多くの護衛と商品を失い、命からがら逃げ出してきたのだという。故郷に戻る道は魔物に塞がれ、進退窮まった彼らは、ある噂を頼りに、ひたすら北を目指してきたのだという。
「噂……ですか?」
「はい。このような辺境の地で、銀髪の女神様が、新たな国を築いておられる、と……。飢えた者には食料を、凍える者には暖かい住処を与えてくださる、慈悲深い女神様がいらっしゃると……。正直、我々も半信半疑でした。しかし、もはや我々には、その噂にすがるしか道はなかったのです」
ガンツは、懇願するような目で私を見つめた。その瞳は、最後の希望に賭ける者の光を宿していた。銀髪の女神、というのは私のことだろう。噂とは、かくも速く、そして尾ひれがついて広まるものなのか。
「……あなた方の事情は分かりました。ですが、私にはあなた方を助ける義理はありません。このヴァイスランドも、まだ豊かな土地とは言えない。多くの人間を、やすやすと受け入れられるほどの余裕はないのです」
私は敢えて、冷たく突き放すような言葉を口にした。彼らの覚悟と、彼らがこの地に何をもたらしてくれるのかを、見極める必要があったからだ。私の言葉に、ガンツたちの顔に絶望の色が浮かぶ。彼らの間に、力ないどよめきが広がった。
「そ、そこを何とか……!我々を見捨てないでください!我々は、決してただ助けてほしいと願っているわけではございません!」
ガンツは必死に声を張り上げた。彼の後ろから、熊のように屈強な体つきの男や、寡黙だが鋭い目つきをした男たちが、次々と前に出てきた。
「我々の中には、腕利きの鍛冶職人や、大工、石工、織物職人もおります!我々の技術と知識は、必ずや、この地の発展の助けとなるはずです!どうか、我々に、この地で生きるチャンスをください!」
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「……顔を上げなさい、ガンツ」
私は静かに告げた。彼らが顔を上げると、私は穏やかな笑みを浮かべていた。
「あなた方の覚悟、確かに受け取りました。ようこそ、ヴァイスランドへ。食料と、暖かい寝床、そしてあなた方がその腕を振るうための仕事を用意しましょう」
私の言葉に、一瞬の静寂が訪れた後、堰を切ったような歓声と、嗚咽が彼らの中から沸き起こった。彼らは抱き合い、涙を流して、救われたことの喜びを分ち合っていた。長かった絶望の旅が、ついに終わったのだ。
私は彼らを連れて、村へと向かった。街道を進み、丘を越え、眼下に私たちの村が見えてきた時、ガンツたちは再び言葉を失った。
「こ、これは……なんということだ……」
彼らの目に映っていたのは、荒れ果てた辺境の集落などではなかった。整然と並ぶ美しい赤レンガの家々。もうもうと湯気を上げる温泉。村中に張り巡らされた水路。そして、ガラスの温室で青々と育つ作物。その全てが、彼らの常識を遥かに超える光景だった。
「噂は……本当だったのだ……。いや、噂以上だ……。こんな場所に、これほどの都が……」
ガンツが、呆然と呟く。村人たちは、私の指示通り、広場で彼らを待っていた。クラウスが代表して、温かいスープと焼きたてのヴァイス麦のパンを振る舞う。飢えと疲労の極にあったガンツたちは、その滋味深い味わいに、再び涙を流していた。
その日の夜、私は集会所で、ガンツと、彼が紹介してくれた職人たちの代表と会っていた。
鍛冶職人のリーダーである、熊のように屈強な男、ボリン。
寡黙だが、その目には確かな知性を宿す石工のヒューゴ。
人の良さそうな笑みを浮かべる大工のラルス。
そして、しっかり者で、女性たちのまとめ役でもある織物職人のマーサ。
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私がそう言うと、ボリンが代表して口を開いた。その声は、彼の体躯に似合わず、思慮深い響きを持っていた。
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彼は、にかりと白い歯を見せて笑った。
「この村の建物、水路、そしてこの美味いパン……。どれもこれも、俺たちの常識を覆すものばかりだ。こんな場所でなら、俺たちの腕も、もっともっと磨けるに違いねえ!」
彼の言葉に、他の職人たちも力強く頷いた。彼らの目には、もはや絶望の色はない。新たな場所で、自らの技術を存分に発揮できるという、希望と興奮に満ち溢れていた。
こうして、ヴァイスランドは、一夜にして五十人もの新しい住民と、貴重な技術者を迎え入れることになった。それは、私の国造りにおいて、計り知れないほど大きな飛躍を意味していた。
食料、住居、インフラ。そして、産業を興すための技術。
必要なものは、全て揃った。
私の頭の中では、すでに次の計画が、明確な形となって動き出していた。
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私は、目の前にいる頼もしい仲間たちの顔を見渡し、静かに、しかし力強く宣言した。
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以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
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