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第13章 おじさんとレストア
第169話
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朝の仕込みを終えたあと、ふと気配に気づき、俺は視線を窓へ向けた。
店の東側にあるその窓は、もともと元薬師が使っていた作業室の名残で、当時のままの木製枠がはめ込まれていた。古びた蝶番に、きしむ音がやかましくて、普段はあまり開けることがなかったが──今は開けたくても開かない。
いや、正確には、「開けようとしたら、窓枠そのものが取れかかっていた」という方が正しいか。
「……抜けてるな、これは」
窓枠の下部、木材が腐食していた。雨と湿気が時間をかけて染み込み、釘がゆるみ、構造そのものが歪んでいた。下手に力をかければ、窓ごと落ちる。まあ、それでも店を支える構造部分ではない。急ぎではない。けれど──風の通りを考えると、放っておくのも惜しい。
珈琲の焙煎が進むにつれて、香りの抜けが気になるようになっていた。
俺は窓を外し、外気の入り方と内部の流れを確認した。ちょうどこの角度から風が抜ければ、焙煎時に立ち上るあの芳醇な香りが、通りにまで広がるかもしれない。……そう思えば、これはただの修繕ではなく、店全体の香りの演出を一段階引き上げる“設計変更”だ。
◇
まずは、腐食部分の切り出しから始めた。
窓枠の枠組みを丁寧に分解し、傷んだ材を取り除く。腐食に負けなかった一部のパーツはそのまま活かし、足りない部分は万能生成スキルを用いて同質の木材を補った。
ただ「木」であれば何でも良いわけじゃない。元の材質に近く、耐湿性があり、香りに干渉しない。さらに虫も寄りつかないという条件を満たす木──生成の際に、そうイメージするだけで、手の中に最適な材が形作られる。
俺は金属の補強を少し加え、蝶番を作り直し、透明度の高いガラスを新たに嵌め込んだ。古い建具の意匠を壊さない程度に、全体の構造を見直し、風が自然に流れ込むよう、わずかに角度を傾けて設計した。
──風が入る。香りが出る。店が呼吸する。
ただそれだけのことだが、俺にとっては重要な意味を持っていた。
完成した窓を嵌め込み、ぴたりと閉じたあと、俺は焙煎釜に向かった。今日は新しい豆を試すつもりだった。東大陸の山岳地帯で採れたという「ラナフィア種」。土の香りと柑橘のような酸味が特徴らしい。
焙煎を始めると、豆がぱちぱちと弾け、芳ばしさの中にほのかな果実の香りが立ち上る。窓を少し開け、通気の変化を試す。
風が入る。香りが抜ける。そして──通りへと流れていく。
それから数分も経たないうちに、窓の外で誰かが足を止めた気配がした。小さな子供の声がする。
「なんか……いいにおいする!」
間違いない。狙い通りだった。
◇
昼頃には、店の前を通る人の足が、少しずつ遅くなった。誰もが一瞬立ち止まり、鼻をくんくんと動かす。そして、ふらりと扉を開けて入ってくる。
「なんだか、吸い寄せられちまってなあ」
「通りすがりだったんですが、香りに誘われて……」
そう言って入ってきた男に、俺は一杯の珈琲を差し出す。焙煎したてのラナフィア種。抽出はネルドリップで、少し粗めに挽いた豆をゆっくりと注いだ。
「──どうぞ」
「はあ……こりゃあ……香りがもう、幸せですね」
香りが人を連れてくる。それはこの世界でも同じだった。
◇
店の裏手、焙煎場に通じる小窓のところに腰を下ろし、俺は新しい風の通り道を感じていた。
小屋の中に流れ込む空気が、壁の裂け目ひとつすら無視せず、計画した通りに抜けていく。店内の温度も保たれ、焙煎中にこもっていた微妙な熱と煙が軽減された。
ただ香りを外に出したかったわけじゃない。自分が淹れる珈琲の中で最も重要視する“余韻”──それを最大限に演出するために、環境そのものを整える必要があった。俺にとって、香りは演出じゃない。武器だ。
「風が味方につくのは悪くないな」
◇
その日の最後の客を送り出したあと、俺は窓を開け放ち、淹れたばかりの一杯を手に席へ戻った。
カップを口に運び、香りを鼻で受け止める。外から入り込んだ新鮮な空気が、ちょうどよく店内を包み、珈琲の芳醇な気配と混ざり合う。
「……ああ、いい風だ」
店の東側にあるその窓は、もともと元薬師が使っていた作業室の名残で、当時のままの木製枠がはめ込まれていた。古びた蝶番に、きしむ音がやかましくて、普段はあまり開けることがなかったが──今は開けたくても開かない。
いや、正確には、「開けようとしたら、窓枠そのものが取れかかっていた」という方が正しいか。
「……抜けてるな、これは」
窓枠の下部、木材が腐食していた。雨と湿気が時間をかけて染み込み、釘がゆるみ、構造そのものが歪んでいた。下手に力をかければ、窓ごと落ちる。まあ、それでも店を支える構造部分ではない。急ぎではない。けれど──風の通りを考えると、放っておくのも惜しい。
珈琲の焙煎が進むにつれて、香りの抜けが気になるようになっていた。
俺は窓を外し、外気の入り方と内部の流れを確認した。ちょうどこの角度から風が抜ければ、焙煎時に立ち上るあの芳醇な香りが、通りにまで広がるかもしれない。……そう思えば、これはただの修繕ではなく、店全体の香りの演出を一段階引き上げる“設計変更”だ。
◇
まずは、腐食部分の切り出しから始めた。
窓枠の枠組みを丁寧に分解し、傷んだ材を取り除く。腐食に負けなかった一部のパーツはそのまま活かし、足りない部分は万能生成スキルを用いて同質の木材を補った。
ただ「木」であれば何でも良いわけじゃない。元の材質に近く、耐湿性があり、香りに干渉しない。さらに虫も寄りつかないという条件を満たす木──生成の際に、そうイメージするだけで、手の中に最適な材が形作られる。
俺は金属の補強を少し加え、蝶番を作り直し、透明度の高いガラスを新たに嵌め込んだ。古い建具の意匠を壊さない程度に、全体の構造を見直し、風が自然に流れ込むよう、わずかに角度を傾けて設計した。
──風が入る。香りが出る。店が呼吸する。
ただそれだけのことだが、俺にとっては重要な意味を持っていた。
完成した窓を嵌め込み、ぴたりと閉じたあと、俺は焙煎釜に向かった。今日は新しい豆を試すつもりだった。東大陸の山岳地帯で採れたという「ラナフィア種」。土の香りと柑橘のような酸味が特徴らしい。
焙煎を始めると、豆がぱちぱちと弾け、芳ばしさの中にほのかな果実の香りが立ち上る。窓を少し開け、通気の変化を試す。
風が入る。香りが抜ける。そして──通りへと流れていく。
それから数分も経たないうちに、窓の外で誰かが足を止めた気配がした。小さな子供の声がする。
「なんか……いいにおいする!」
間違いない。狙い通りだった。
◇
昼頃には、店の前を通る人の足が、少しずつ遅くなった。誰もが一瞬立ち止まり、鼻をくんくんと動かす。そして、ふらりと扉を開けて入ってくる。
「なんだか、吸い寄せられちまってなあ」
「通りすがりだったんですが、香りに誘われて……」
そう言って入ってきた男に、俺は一杯の珈琲を差し出す。焙煎したてのラナフィア種。抽出はネルドリップで、少し粗めに挽いた豆をゆっくりと注いだ。
「──どうぞ」
「はあ……こりゃあ……香りがもう、幸せですね」
香りが人を連れてくる。それはこの世界でも同じだった。
◇
店の裏手、焙煎場に通じる小窓のところに腰を下ろし、俺は新しい風の通り道を感じていた。
小屋の中に流れ込む空気が、壁の裂け目ひとつすら無視せず、計画した通りに抜けていく。店内の温度も保たれ、焙煎中にこもっていた微妙な熱と煙が軽減された。
ただ香りを外に出したかったわけじゃない。自分が淹れる珈琲の中で最も重要視する“余韻”──それを最大限に演出するために、環境そのものを整える必要があった。俺にとって、香りは演出じゃない。武器だ。
「風が味方につくのは悪くないな」
◇
その日の最後の客を送り出したあと、俺は窓を開け放ち、淹れたばかりの一杯を手に席へ戻った。
カップを口に運び、香りを鼻で受け止める。外から入り込んだ新鮮な空気が、ちょうどよく店内を包み、珈琲の芳醇な気配と混ざり合う。
「……ああ、いい風だ」
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【作者より、感謝を込めて】
この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。
そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。
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