【完結】没落令嬢、異世界で紅茶店を開くことにいたしました〜香りと静寂と癒しの一杯をあなたに〜

旅する書斎(☆ほしい)

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第25話

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ライナスさまが「静寂の雫」に涙されてから、数日が過ぎましたわ。
あの日の出来事は、わたくしの心に深く静かな波紋を残し、日々の調合に対する向き合い方にも、新たな視点を与えてくれたように感じておりますの。

香りを重ね、豊かさを追求するだけが調合ではございません。
時には大胆に引き、素材そのものが持つ微かな囁きに耳を澄ますこと。
あるいは、香りという概念すら超えた、ただそこに在る清浄な気配をこそ大切にすること。
そのような奥深さが、この道には広がっているのだと、改めて教えられた気がいたしますわ。

今朝も、わたくしは香草園で、ひとつひとつのハーブと対話するように、その葉に触れ、香りを確かめておりました。
雨上がりの土はまだ柔らかく、朝日を浴びたカモミールが、白い花弁を誇らしげに開いております。
ふと、その傍らに、朝露を弾いてきらめく蜘蛛の巣が目に入りましたの。
繊細な糸が織りなす、儚くも美しい造形。それはまるで、ライナスさまのために調合した“静寂の雫”のように、見えないほどの細やかさで、けれど確かにそこに存在し、世界と調和しておりました。

「……美しゅうございますわね」

思わず、そう呟いておりました。
蜘蛛の巣そのものに香りはないかもしれませんけれど、それが朝露に濡れ、光を反射し、風にそよぐ様は、わたくしの心に清らかなインスピレーションを与えてくださいますの。
これもまた、ひとつの“香りなき香り”なのかもしれませんわね。

そんなことを考えておりましたら、いつものように元気な声が、わたくしの静寂を心地よく破ってくれましたの。

「アナスタシアーさま! おはようございますー!」

「今日はね、アナスタシアさまに見てほしいものがあるの!」

「すっごいの、作ったんだよ!」

子どもたちは、まるで小さな旋風のように駆け寄ってまいりますと、わたくしの目の前に、それぞれが手に持ったものを得意げに広げて見せました。
それは、大きな木の葉や平たい石の上に、色とりどりの花びらや草の葉、木の実などが、思い思いの形に並べられたものでございました。

「まあ、これは……何かしら?」

「えっとね、“香りの絵”だよ!」

ニコラくんが胸を張って言いました。

「この赤い花びらはね、りんごの甘い香り! こっちの黄色いのは、レモンのすっぱい香り!」

「わたしのは、“森の物語”なの!」

ミレーヌちゃんは、苔や小枝、木の実を巧みに配置し、小さな動物たちが遊んでいるような風景を作り上げておりました。

「このドングリのところからは、土の香りがして、こっちの松葉のところからは、すーっとする空の香りがするの!」

「ぼくのはね、“アナスタシアさまのお茶の香り”!」

トーマくんは、様々な種類のハーブの葉を細かくちぎり、それらを混ぜ合わせて不思議な模様を描いておりましたわ。
ミントの葉、ラベンダーの葉、ローズマリーの葉……それらが混ざり合い、確かにどこか、わたくしが淹れるお茶の複雑な余韻に似た、不思議な芳香を放っておりました。

「まあ……皆さま、なんて素敵なんでしょう。香りで絵を描き、物語を紡ぐなんて、わたくしも思いつきませんでしたわ」

その自由な発想と、純粋な感性に、わたくしは心からの感嘆を覚えましたの。
大人はすぐに、香草の名前や効能といった知識で香りを捉えようとしてしまいますけれど、子どもたちはもっと素直に、香りが心に描くイメージそのものを楽しんでいるのですわね。

「ふふ、トーマくんの“アナスタシアさまのお茶の香り”、とてもよく表現できておりますわ。複雑で、飲むたびに新しい発見がある……そんなわたくしの理想が、この葉っぱのモザイクに込められているようですわね」

「ほんと!?」

「ええ。ニコラくんの“香りの絵”も、それぞれの花びらの個性が生きていて、まるで本当に味がしてきそうですわ。ミレーヌちゃんの“森の物語”は、目を閉じるとその風景が目に浮かぶようで、素晴らしいですわよ」

わたくしがそう申しますと、子どもたちは照れくさそうに、でもとても嬉しそうに顔を見合わせました。

「アナスタシアさまは、どんな“香りの絵”を描く?」

「そうですわね……わたくしでしたら、やはり“静けさ”を描くかもしれませんわ。使うのは、ほんの少しの白檀のかけらと、夜明け前の霧のような、淡い色の瑠璃苔。そして、その周りには何も置かずに、余白をたっぷりと取るでしょうね。その余白からこそ、本当の静けさの香りが立ち上ってくるように……」

「わあ……なんだか、難しそうだけど、綺麗そう!」

「ふふ、香りというものは、目に見えぬものだからこそ、かえって心の目にはっきりと映るのかもしれませんわね」

子どもたちとそんな会話を交わしながら、香草園の手入れを続けておりました。
彼らの無邪気な発想に触れるたび、わたくし自身も、香りの本質とは何か、改めて考えさせられますの。
それはきっと、知識や技術だけではなく、感じる心、楽しむ心、そして、分かち合いたいと願う心の中にこそ、宿るものなのでしょう。

昼下がりになり、子どもたちが名残惜しそうに帰っていった後。
わたくしは一人、小屋の中で新しい調合を試みておりました。
テーマは、子どもたちが教えてくれた「香りの物語」。
飲む人の心の中に、ある情景や感情が自然と浮かび上がるような、そんな一杯を目指しておりましたの。

その時、不意に小屋の扉が、今度は少しばかり勢いよく叩かれました。
先日のライナスさまとは対照的な、実直で力強い音でございました。

「ごめんください!」

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