【完結】没落令嬢、異世界で紅茶店を開くことにいたしました〜香りと静寂と癒しの一杯をあなたに〜

旅する書斎(☆ほしい)

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第30話

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やがて、一人、また一人と、村の方々がやってまいりました。
以前お祭りでわたくしのお茶を召し上がった方はもちろん、その噂を聞きつけて初めていらした方もおられます。
中には、少し緊張した面持ちの方や、何か具体的な悩みを抱えていそうなお顔の方も……。

「さあ、皆さま、ようこそ“香りの間”へ。本日はどのような香りがお好みかしら」

わたくしはにこやかにお一人おひとりに声をかけ、その方の雰囲気や言葉の端々から、今必要とされている香りを読み解いてまいります。

「最近、どうも疲れが取れなくてねぇ……」

と溜息をつかれるご婦人には、レモンバームとオートストロー、そしてほんの少しのパッションフラワーをブレンドした“安らぎの夕べ”を。

「なんだか、やる気が出ないんだよ。畑仕事も億劫で……」

とおっしゃる若い農夫の方には、ペパーミントとローズマリーに、オレンジピールを加えた“目覚めの朝日”を。

子どもたちは、わたくしの隣で、小さな声でお茶の名前を伝えたり、空いたカップを片付けたりと、一生懸命お手伝いをしてくれております。
その健気な姿に、村の方々も自然と顔がほころんでおられましたわ。

「このお茶を飲むと、なんだか肩の力が抜けるようだねぇ」

「まあ、本当に! 飲んだ瞬間から、すーっと頭が軽くなった気がするよ!」

お茶を一口飲むたびに、皆さまの表情が和らぎ、そこかしこで穏やかな会話の花が咲き始めます。
石のベンチだけでなく、近くの木の根元や草の上に腰を下ろし、思い思いにくつろぎながらお茶を楽しまれているご様子。
「香りの間」は、いつしか村の方々にとって、日頃の喧騒を忘れて心を通わせる、大切な憩いの場となりつつあるようでした。

そんな中、少し離れた場所で、一人ぽつんと俯いていらっしゃる老婆の姿が目に入りましたの。
その方は、村でもあまり見かけないお顔立ちで、どことなく旅慣れた風情がございました。
わたくしは、子どもたちに少しの間席を任せ、その方のそばへ静かに近づきました。

「もしよろしければ、一杯いかがですかしら。旅のお疲れを癒す香りもございますのよ」

老婆はゆっくりと顔を上げ、わたくしの顔をじっと見つめました。
その瞳は深く澄んでいて、まるで多くのことを見通しているかのよう。

「……お嬢さんの噂は、風に乗って儂の耳にも届いておったよ。香りで人を癒す、不思議な力を持つ者がいると……」

「わたくしは、不思議な力など持っておりませんわ。ただ、ハーブたちの声を聞き、それを必要とされている方にお届けしているだけですの」

「ふむ……。では、儂のような者にも、一杯淹れてくれるかね? 儂はもう長いこと、故郷の香りを忘れてしまってのう……。思い出したいと思うても、霞がかかったように思い出せんのじゃ」

故郷の香りを忘れてしまった、と。
それは、なんと切ないお悩みでしょう。香りは記憶と深く結びついておりますから、故郷の香りを失うということは、大切な記憶の一部を失うことにも等しいのかもしれません。

わたくしは、その老婆の纏う雰囲気、声の調子、そして瞳の奥に宿る微かな寂しさの色を感じ取りながら、慎重に調合を考えました。
強い香りで無理に記憶を呼び覚まそうとするのではなく、むしろ、心の奥底に眠る、最も純粋な記憶の欠片にそっと寄り添うような……そんな一杯。

わたくしは、先日源流で採取した“水鏡草”をほんの少量と、そして、ごくわずかな白檀、それから彼女の旅路を労う意味で、カモミールを数輪だけ選びました。
お湯は、これも源流の水を使い、丁寧に、静かに注ぎます。
カップから立ち上るのは、ほとんど無に近い、けれどどこまでも清らかで、懐かしいような気配。
わたくしはそれを、“遠い記憶の汀(みぎわ)”と名付けました。

「どうぞ……お口に合うか分かりませんけれど」

老婆は無言でカップを受け取り、その気配を静かに吸い込み……そして、ゆっくりと一口、口に含みました。
その瞬間、老婆の深く刻まれた皺の奥から、一筋の涙が静かに流れ落ちたのでございます。
けれど、それは悲しみの涙ではなく、まるで長い旅路の果てにようやく安らぎを見つけたかのような、穏やかで温かい涙でございました。

「……ああ……思い出した……思い出したぞ……わが故郷の……朝靄の香りじゃ……」

老婆はそう呟くと、何度も何度も頷きながら、大切そうにその一杯を味わっておられました。
そのお姿を拝見し、わたくしの胸にも、温かいものがこみ上げてくるのを感じましたの。
“水鏡草”と源流の水が持つ清浄な力が、老婆の心の奥深くに眠っていた記憶の扉を、そっと開いてくれたのかもしれません。

日が暮れ始め、「香りの間」もそろそろお開きの時間となりました。
村の方々は皆、口々に感謝の言葉を述べ、また次回の開催を心待ちにしているご様子でわたくしたちを見送ってくださいましたわ。
子どもたちも、一日中よく働いてくれたおかげで、心地よい疲労感と共に、大きな達成感を顔に浮かべておりました。

「アナスタシアさま、今日もすっごく楽しかった!」

「みんな、アナスタシアさまのお茶、大好きだって言ってたよ!」

「またお手伝いするからね!」

「ええ、ありがとう存じます、皆さま。あなたたちがいてくださらなければ、今日の“香りの間”はこれほど温かいものにはなりませんでしたわ」

わたくしは心から感謝を述べ、子どもたちの頭をそっと撫でました。

小屋に戻り、一人静かに片付けをしながら、わたくしは今日一日の出来事を反芻しておりました。
多くの笑顔、穏やかな会話、そして、老婆の涙……。
「香りの間」は、わたくしにとっても、かけがえのない経験を与えてくれます。
それは、ただお茶を淹れるということ以上に、人々の心と心とが触れ合い、響き合う、聖なる時間なのだと。

わたくしは、最後に自分自身のためにも一杯、“源泉の息吹”を淹れました。
今日の賑わいと、多くの出会いの余韻を胸に、その清らかな一杯をゆっくりと味わいながら、また次の「香りの間」に思いを馳せるのでございました。
小屋の外では、すっかりと夜の帳が下り、静かな虫の音が響き始めておりましたわ。
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