【完結】没落令嬢、異世界で紅茶店を開くことにいたしました〜香りと静寂と癒しの一杯をあなたに〜

旅する書斎(☆ほしい)

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聖湖の誕生を祝った、あの奇跡のような「湖の祭り」から季節は穏やかに巡り、村は実りの秋を迎えておりました。

聖なる力を宿した湖水は畑に豊かな恵みをもたらし、収穫された野菜や果物は、どれも生命力に満ち溢れ、瑞々しい輝きを放っております。村人たちの顔には常に穏やかで満ち足りた笑みが浮かび、その心は、かつてないほどの平和と調和に満たされておりました。

わたくしの「静寂の香り亭」もまた、その幸福な村の中心で変わることなく、訪れる方々を温かく迎え入れております。

王都からの名誉あるお誘いをお断りし、わたくしがこの地で生きることを選んだという話は、いつの間にか村中に広まっておりました。村人たちは、そのことをまるで自分自身のことのように誇りに思い、わたくしを、この村のかけがえのない家族の一員として、より一層大切にしてくださるのでございます。

その温かい想いが、わたくしには何よりも嬉しく、そして、この上なく幸福なことなのでした。

***

秋風が香草園の葉を優しく揺らす、ある晴れた日の午後のことでございます。

わたくしが子どもたちと一緒に、来年のためにハーブの種を収穫しておりますと、空の彼方から一羽の、それはそれは大きな鷲が、ゆうゆうと円を描きながらこちらへ向かって降下してくるのが見えましたの。

そして、わたくしの小屋の前に、その大きな翼を広げて音もなく舞い降りました。

その鷲の背からは、一人の見慣れぬ少女が、軽やかに地面へと降り立ったのでございます。

年の頃は、十代半ばほどでしょうか。透き通るような白い肌に、空の色を映したかのような青い瞳。そして何より目を引きますのは、その背中に、鳥の羽とは異なる、白くしなやかな大きな翼が生えていることでございました。

彼女が身に纏っているのは、風にそよぐごく薄い布だけで作られた、シンプルな衣。その佇まいは明らかに地上のものではなく、どこか人間離れした、清浄で神聖な気配を漂わせておりました。

「……あなたが、大地の気と語らい、香りを以て調和を紡ぐという、“湖の乙女”ですわね?」

少女の声は、まるで風が奏でる笛の音のように、高く澄み渡っておりました。

わたくしは、そのあまりに唐突な訪問と不思議な呼び名に少しばかり驚きましたけれど、にこやかに微笑んでお答えいたしました。

「わたくしは、アナスタシアと申します。“湖の乙女”などという、大層な名で呼ばれたことはございませんけれど……。遠い空からのご訪問、ようこそお越しくださいました。あなた様は、どちらからいらっしゃいましたの?」

「わたくしは、リア。遥か雲の上の、高峰に住まう『風の民』にございます。わたくしたちの一族は、古来より地上との関わりを断ち、風と共に静かに暮らしてまいりました」

風の民、でございますか。エリアスさまの手記にも、そのような翼を持つ高貴な亜人の一族に関する記述が、断片的にございました。彼らは誇り高く、そして、何よりも自然との調和を重んじる、平和な民であると。

「けれど、近頃、わたくしたちの住まう山で、少しばかり気がかりなことが起きているのです。わたくしたちの命の糧である高山の植物たちが、どういうわけか次第にその元気を失い、花の色は褪せ、香りは薄れてしまっている……。わたくしたちの長老が深く瞑想に入り、その原因を探りましたところ、夢の中に、あなたが現れたのだと」

「わたくしが、でございますか?」

「ええ。長老は、こうおっしゃいました。『南の聖なる湖のほとりに、大地の心と語らう乙女がいる。彼女の知恵を借りれば、きっと、我らが山の植物たちも、再びその生命の輝きを取り戻すであろう』と。わたくしは、そのお告げを信じ、長老の使いとして、こうして参ったのです」

なんと、不思議なことでしょう。わたくしの力が風に乗り、雲を越えて、遥か彼方の山の民にまで知られていたとは。

けれど、彼女たちの住まう山の植物たちが、元気をなくしている……。それは、わたくしにとっても聞き捨てならぬお話でございます。植物たちの苦しみは、わたくし自身の痛みでもあるのですから。

「リアさま。お話は、よく分かりましたわ。わたくしにどれほどのことができるかはお約束できませんけれど、精一杯、お力添えをさせていただきます。さあ、まずは長旅でお疲れでしょう。小屋の中で、ゆっくりとお休みになってくださいまし」

わたくしは、リアさまを小屋の中へと招き入れました。

彼女は、初めて見る地上の家に興味津々といった様子で、目をきらきらと輝かせながら、棚に並ぶハーブの瓶や、壁に飾られた絵画を眺めております。子どもたちも、翼を持つ美しいお姉さんの登場に最初は少し緊張しておりましたけれど、リアさまの持つ裏表のない純粋な魂に触れ、すぐに打ち解けて楽しげに話しかけておりました。

わたくしは、リアさまのために、高山の澄んだ空気を思わせる特別なハーブティーを淹れました。ペパーミントとレモンバーベナを主体に、ほんの少しだけ、彼女が故郷を思い出せるように、高山植物に似たヒソップの清涼な香りを添えて。

彼女は、その一杯をそれはもう美味しそうに飲み干し、そして、故郷の山の様子を詳しく話してくれました。

彼女の話によりますと、山の植物たちが元気をなくした原因は、何か邪悪な呪いや病気の類ではないようでした。ただ、気候の微妙な変化なのか、あるいは、長く続きすぎた平和の中で山の気の流れがほんの少しだけ淀んでしまっている……。

まるで、人間が同じものばかりを食べていると栄養が偏ってしまうように、山の植物たちもまた、高山の清冽な気だけでは足りない、何か新しい刺激を求めているのかもしれません。

「……なるほど。リアさま。もしかしたら、あなた様の故郷の植物たちは、この地上の、温かく多様な香りを、恋しがっておられるのかもしれませんわね」

「地上の香りを……?」

「ええ。例えば、この、ふかふかとした土の香り。太陽の光をたっぷりと浴びた、甘い果実の香り。そして、様々な種類の花々が互いに奏で合う、豊かな花の香り……。そのような、生命力に満ちた大地のエネルギーを、あなた様の故郷の山へ届けて差し上げることができたなら……」

わたくしのその言葉に、リアさまの青い瞳が、ぱっと輝きました。

わたくしは、彼女の故郷の山でも健やかに育つであろう、いくつかのハーブの種子を選び出しました。寒さに強いカモミール、岩場でも力強く根を張るタイム、そして、風に乗って香りを遠くまで運んでくれるラベンダー。

けれど、ただ種子を渡すだけではございません。その種が、新しい土地で健やかに芽吹くための、特別な贈り物も用意せねば。

わたくしは、子どもたちと一緒に「香りの土玉」作りを始めました。

まず、香草園の最も栄養豊富な土を集めます。そこへ、乾燥させて細かく砕いたハーブの葉や、生命力の源である腐葉土、そして、あの奇跡の「喜びの果実」の種を粉末にして、たっぷりと混ぜ込みます。

最後に、聖なる湖の水を少しずつ加えながら、皆で、感謝の気持ちと「元気になあれ」という祈りを込めて、その土を、優しく、優しく、練り上げていくのです。

そうして完成いたしましたのは、手のひらサイズの、黒く艶やかな、そして大地の豊かで力強い香りを放つ、生命の塊とも言うべき「香りの土玉」でございました。

「リアさま。このハーブの種子と、この『香りの土玉』を、あなた様の故郷へお持ち帰りくださいまし。土玉を植物たちの根元に少しずつ砕いて与えてあげれば、きっと、大地の温かな力が彼らを再び元気にしてくれるはずですわ。そして、この種から芽吹いたハーブたちが、あなた様の故郷の山に、新しい彩りと、新しい香りの物語をもたらしてくれることでしょう」

リアさまは、わたくしから種子の入った小袋と「香りの土玉」を、両手で大切そうに受け取りました。その瞳には、深い感謝と故郷への希望が、涙となってきらきらと浮かんでおります。

***

数日間わたくしたちと共に過ごし、すっかりと村の暮らしに馴染んだリアさまが、故郷へと帰る日がやってまいりました。子どもたちは、空飛ぶ新しいお友達との別れを名残惜しそうにしておりましたけれど、「またいつでも会える」という約束を交わし、笑顔で彼女を見送ります。

リアさまは、大きな鷲の背に再び跨ると、わたくしたちに何度も何度も手を振り、そして、秋の澄み切った青空へと高く、高く、舞い上がっていきました。

それから、ひと月ほどが過ぎた頃。

わたくしの元へ、一枚の、それはそれは大きく軽い鳥の羽が、風に乗ってふわりと舞い降りてまいりました。その羽には、花の蜜で描かれたような美しい模様と共に、こう記されておりました。

「湖の乙女、アナスタシアさまへ。
あなたのくださった『香りの土玉』のおかげで、山の植物たちはすっかりと元気を取り戻しました。
そして、地上のハーブたちは今、わたくしたちの山に、これまで知らなかった素晴らしい彩りと、喜びの香りをもたらしてくれています。
心より、感謝を。
風は、いつでも、あなたと共に」

その「風の便り」を胸に、わたくしは、自分の力がまた一つ、種族や場所という境界を越えて、遠い世界の調和の輪を広げるお手伝いができたことを、深い幸福感と共に感じておりました。

空を見上げれば、遥か彼方の山の頂きが、まるで微笑み返してくれているかのように、夕陽を浴びて美しく輝いておりましたわ。
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