ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。

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殿下の声は、低く震えていた。
彼の完璧な計画が、予期せぬ出来事で脅かされている。
その事実に、冷静ではいられないのだろう。
報告を持ってきた騎士は、緊張した面持ちで言葉を続けた。

「はっ。詳細は不明ですが、ゲオルグ皇子の軍はすでに国境を越えシルダへ向かう道中の村々で略奪行為を働いているとの情報も入っております」

「略奪だと。あの男、内乱のどさくさに紛れて、我が国の領土にまで手を出すつもりか」
アーノルド殿下は、ギリッと歯を食いしばった。

その報告は、私の頭にも冷や水を浴びせた。
まずいわね、計画が狂ってしまう。
ゲオルグ皇子が国境近くに来れば、私たちが準備している食料の秘密ルートが見つかってしまうかもしれない。
そうなれば、フランツ皇子を助ける計画も全てが台無しになってしまう。
私の頭は、瞬時に回転を始めていた。

だが、待てよ。
これは、危機であると同時にまたとない好機でもあるのではないか。
私は、即座に思考を切り替えた。
ゲオルグ皇子は、自ら墓穴を掘りに来てくれたのかもしれない。

「殿下、落ち着いてください」

私は、あえて平静な声で言った。
私の落ち着いた声に、アーノルド殿下ははっとしたように私を見つめる。
彼は、自分が四歳の子供の前で冷静さを失っていたことに気づいたのだろう。

「……すまない、リリア。少し、取り乱したようだ」

「いえ。ですが殿下、これはむしろ私たちにとって絶好の機会かもしれません」

「機会だと。どういうことだ」
殿下の目に、鋭い光が戻ってきた。

「ゲオルグ皇子は、自ら最悪の一手を打ってくれましたのよ。彼は、力に任せて他国の領土(中立都市)を脅かし略奪まで働いている。これほど分かりやすい『悪役』は、おりません」

私は、紅茶のカップを静かにテーブルに置いた。

「今すぐ、二つのことを実行すべきです。一つは、ゲオルグ皇子のこの行動を『エルドラシア王国に対する重大な侵略行為である』として、帝国内に大々的に噂を流すことです」

「侵略行為、か。なるほど」
殿下の目が、光った。

「ええ。ゲオルグ皇子が、自国の内乱を収めることよりも他国への侵略を優先する、血に飢えた暴君であると印象付けるのです。帝国の民衆は、そんな皇帝を望むでしょうか。答えは、いいえです」

「素晴らしい。それだけで、ゲオルグの評判は地に落ちるだろうな」

「そして、もう一つ。これが、本命です」
私は、笑みを浮かべた。

「ゲオルグ皇子が、シルダの街で虐殺と略奪の限りを尽くした『後』。私たちは、フランツ皇子の名前で、生き残った民衆に大量の食料と薬を届けるのです」

「なっ……!」

アーノルド殿下は、息をのんだ。
私の計画の、本当の狙いに気づいたのだろう。

「暴力で全てを奪う兄と、絶望の淵から民衆を救う慈悲深き弟。帝国の民が、どちらを真の皇帝として選ぶか。もはや、比べるまでもありませんよね」

私の言葉に、アーノルド殿下はしばらく何も言わなかった。
その青い瞳は、興奮でかすかに揺れている。
やがて彼は、心の底から楽しそうに笑い出した。

「ははは、リリア。君は、本当に恐ろしい子供だな。危機を、一瞬で最大の好機に変えてしまうとは」
「いいだろう、君の計画に乗った。すぐに、実行に移すぞ」

「はい、殿下。では、私は急ぎ屋敷に戻り仲間たちに指示を出します。時間との、勝負になりますので」

「分かった。王宮のネットワークも、君が自由に使えるように手配しよう。必要なものは、何でも言え」

「ありがとうございます。では、失礼いたします」

私は、優雅にお辞儀をすると急いで庭園を後にした。
アーノルド殿下は、まるで新しいおもちゃを見つけた子供のように、興奮した顔で私を見送っていた。

馬車に飛び乗ると、私は御者に最大速度で屋敷へ戻るよう命じた。
貴族街の立派な屋敷に馬車が滑り込むと、私は玄関を駆け上がった。
フェンとノクスが、私のただならぬ気配を察して足元に駆け寄ってくる。

「セバスチャン、今すぐゼロ兄様たち全員を作戦会議室に集めてください。緊急事態です」

「か、かしこまりました!」
執事のセバスチャンは、私の鋭い声に驚きながらもすぐに行動に移ってくれた。

数分後、屋敷の作戦会議室には仲間たちが全員集まっていた。
壁に貼られたガルディナ帝国の地図の前で、私は事の次第を説明する。

「……というわけで、ゲオルグ皇子が馬鹿な真似をしてくれたおかげで、私たちの計画は第二段階へ移行します」

私の説明を聞き終えた仲間たちは、それぞれ異なる反応を見せた。

「へへっ、面白くなってきたじゃねえか。戦争狂いの皇子様を、俺たちの手で引きずり下ろすってわけだ」
ピップが、楽しそうにナイフを磨いている。

「本当に、ボスはすごいぜ。俺なんか、計画が台無しになるって慌てちまったよ」
バルガスは、心底感心したように頭を掻いた。

リラは、冷静に地図を見つめている。
「シルダは、国境の要所ね。あそこを、ゲオルグに押さえられると厄介だわ。私たちの、輸送ルートにも影響が出る」

「フン、分かりやすい馬鹿だ。力しか、信じていない証拠だな」
ゼロ兄様が、冷たく吐き捨てた。

「皆さん、感心している暇はありませんよ。これより、作戦を変更します」
私は、地図を指差しながら新たな指示を出し始めた。

「ゼロ兄様、アーノルド殿下の情報網も使い帝国内にゲオルグ皇子の『侵略』の噂を流してください。ルドヴィーク皇子の陣営にも、『ゲオルグにしてやられた』という焦りを煽る情報を流すのです」

「分かった。すぐに、取り掛かろう」
ゼロ兄様は、短く答えると音もなく部屋から消えた。

「バルガス、あなたは食料の輸送計画を急いで変更してください。シルダの街が、ゲオルグ皇子に襲われた直後に、周辺の村々へ食料を届けられるよう準備を整えるのです。ルートは、ピップが確保した秘密の道を使ってください」

「へい、お任せを。腕が、鳴るぜ」
バルガスも、力強くうなずいて部屋を飛び出していく。

「ピップ、リラ。あなた方二人は、今すぐ帝国領へ潜入してもらいます」

「待ってました」
「何をすればいいの、リリアちゃん」
二人の目が、鋭く光る。

「ゲオルグ皇子の軍隊に、こっそりついていくのです。そして、彼らが行うであろう残虐行為の『証拠』を集めてください。兵士たちが、どんな会話をしているか。村で、何を奪ったのか。どんな、ひどいことをしたのか。できるだけ具体的に、です」

「なるほど、噂の『タネ』を集めてこいってわけか。お安い御用だぜ」
ピップが、楽しそうに笑った。

「分かったわ。私は、兵士たちに紛れ込んでみましょうか。酒場の女にでも化ければ、面白い話が聞けるかもしれないわね」
リラも、妖艶な笑みを浮かべた。
二人は、互いに目配せをするとあっという間に部屋から姿を消した。

作戦会議室には、私一人だけが残された。
フェンが、私の足元にそっと頭を擦り付けてくる。
まるで、私を励ますかのようだった。

「ありがとう、フェン。大丈夫よ」

私は、フェンの頭を優しく撫でた。
ノクスも、私の膝の上に飛び乗ってゴロゴロと喉を鳴らしている。
頼もしい仲間たちが、私の計画通りに動いてくれている。
全ては、順調だ。
私は、この王都の拠点から全てを操る。
ガルディナ帝国という、巨大な舞台で繰り広げられる情報戦を。

私は、再び自分の研究室へと向かった。
帝国の情勢を操る一方で、私自身の仕事も進めなければならない。
『虹色の涙』の、量産化研究だ。
地下の研究室は、ひんやりとした空気に満ちている。
ガラス器具が、棚にずらりと並んでいた。

私は、培養液の入ったフラスコを手に取りその状態を注意深く観察する。
七色に輝く細胞は、ゆっくりとだが確実に分裂を続けていた。
あと数日で、安定した培養方法を確立できそうだ。
この奇跡の薬が、フランツ皇子を皇帝にするための最強の切り札になる。

研究に没頭していると、執事のセバスチャンが慌てた様子で部屋を訪ねてきた。

「リリア様、アークライト領から、セシリアお嬢様が開発された化粧品の試作品が届きました。それと、領地のヘクター様からもお手紙が」

「まあ、ようやく届きましたか」

私は、研究の手を止めてセバスチャンの元へ向かった。
セバスチャンが差し出した木箱の中には、美しいガラスの小瓶が十数本、丁寧に並べられている。
中には、淡いピンク色や緑色の液体が入っていた。
ハーブの良い香りが、ふわりと漂う。
これが、姉様が作った化粧水の試作品か。

「見た目は、合格ですね」
私は、小瓶を一つ手に取ってみた。
デザインも、悪くない。
これなら、王都の貴婦人たちにも受け入れられるだろう。
私は、試しにピンク色の液体を手の甲に数滴垂らしてみた。
それは、薔薇の香りがする化粧水だった。
肌に、すっと馴染んでいく。
そして、驚くほどしっとりとした。

「……すごいわ、これ」
予想以上の、品質の高さだった。
姉様、なかなかやるじゃないか。
彼女の、美へのこだわりがこの一本に詰まっている。

「セバスチャン、この化粧品を王都で売り出すための計画を立てます。すぐに、王都の貴族名簿と、今流行している美容法に関する資料を集めてください」

「か、かしこまりました」

セバスチャンは、私の素早い切り替えに驚きながらもすぐに行動に移ってくれた。
私は、もう一つの手紙も開封する。
それは、兄ヘクターからのものだった。
領地の堤防工事が、順調に進んでいること。
そして、父アルフォンスが、私の指示通りに王都の貴族たちへの手紙を毎日書いていることが綴られていた。
領地も、問題なく動いているようだ。

私は、満足げに頷いた。
帝国での情報戦。
『虹色の涙』の研究。
そして、アークライト領の化粧品ビジネス。
全てが、同時に進行していく。
この忙しさが、私にとっては心地よかった。
前の世界で、ただ時間に追われていた頃とは大違いだ。
今は、私が時間を支配しているのだから。

その頃、ガルディナ帝国の国境付近。
中立都市シルダへと続く街道は、地獄と化していた。
ゲオルグ皇子の軍隊は、まるでイナゴの群れだった。
村々を襲い、食料を奪い、家々に火を放つ。
兵士たちの、下品な笑い声と村人たちの悲鳴が響き渡っていた。

「ひゃっはー、全部持ってけ。逆らう奴は、斬り捨てろ」
兵士の一人が、叫んでいる。

その様子を、物陰から二つの影が静かに見つめていた。
物乞いの少年に変装したピップと、酒売りの女に化けたリラだ。

「……ひでえもんだな。リリアのボスの、言う通りだぜ」
ピップが、吐き捨てるように言った。

「ええ、本当に。でも、これで証拠は集まったわね」
リラは、兵士たちの会話をしっかりと記憶していた。
彼らが、ゲオルグ皇子の命令で略奪をしていること。
そして、シルダの街を占領した後エルドラシア王国へも攻め込む計画があること。

「さあ、この『お土産』を、早くボスに届けなくちゃね」
リラは、夜の闇に紛れてその場を離れた。
彼女の集めた情報は、すぐにゼロのネットワークを通じて王都のリリアの元へと送られることになる。
ゲオルグ皇子の、破滅へのカウントダウンが今、始まった。
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