ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。

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翌朝、私たちはアーノルド殿下から与えられたという屋敷へと向かった。
場所は、王都の中でも特に格式の高い貴族街の一角だ。
王宮からも、ほど近い最高の立地だった。

馬車が、大きな鉄の門の前で止まる。
そこにそびえ立っていたのは、屋敷というよりもむしろ小さな城と呼ぶべき立派な建物だった。
白い石で造られた三階建ての建物は、古いながらも非常に良いデザインをしている。
広い庭園には、手入れの行き届いた芝生と美しい噴水まで備わっていた。

「……ここが、全部俺たちのものになるのかい。」

バルガスが、あんぐりと口を開けて屋敷を見上げている。
その声は、驚きで震えていた。
ピップやリラも、あまりの豪華さに言葉を失っているようだった。

「ええ、ここが今日から私たちアークライト家の王都別邸であり、私たちの新しい活動拠点です。」

私は、満足げに頷いた。
これだけの広さと設備があれば、私の計画を実行するには十分すぎる。
屋敷の管理を任されているという、老執事が私たちを丁寧に出迎えてくれた。
アーノルド殿下から、すでに話が通っていたのだろう。
彼は、私を新しい主人として深々と頭を下げた。

「リリア様、ようこそお越しくださいました。私は、この屋敷の執事を務めますセバスチャンと申します。以後、なんなりとお申し付けください。」

「ありがとう、セバスチャン。さっそくですが、この屋敷の図面と、鍵を全ていただけますか。あと、使用人たちも全員ホールに集めてください。少し、お話がありますので。」

「かしこまりました。すぐに、ご用意いたします。」

セバスチャンは、私の的確な指示に少しだけ驚いたようだった。
しかし、すぐに完璧な動きで準備を整えてくれた。
彼は、非常に優秀な執事のようだった。

ホールに集められた使用人たちは、全部で二十人ほどいた。
メイド、料理人、庭師、馬番。
彼らは、皆不安そうな顔で私を見つめている。
新しい主人が、まだ四歳の少女であることに戸惑っているのだろう。
自分たちが、クビにされるのではないかと恐れているのかもしれない。

私は、彼らの前に立つと落ち着いた声で話し始めた。

「皆さん、今日から私がこの屋敷の新しい主人となるリリア・アークライトです。ご覧の通り、まだ幼いですがどうかよろしくお願いいたします。」

私が丁寧に挨拶をすると、使用人たちの間にわずかな戸惑いが広がった。

「皆さんに、まずお伝えしたいことがあります。私は、皆さんを解雇するつもりは一切ありません。それどころか、皆さんのこれまでの経験と技術を、私は高く評価しています。」

私の言葉に、使用人たちの顔から不安の色が少しだけ和らいだ。

「ただし、私にはこの屋敷でこれから行う、とても大きな仕事があります。そのために、皆さんにはこれまで以上の働きを期待しています。もちろん、その働きには相応の報酬をお支払いすることをお約束します。私についてきてくれる方には、これまでの二倍の給金をお支払いしましょう。」

「に、二倍ですと!?」
使用人たちの中から、驚きの声が上がった。
彼らの目が、一斉に輝き始める。

「ええ、二倍です。その代わり、仕事は厳しくなりますし私への絶対的な忠誠を誓っていただきます。私の仕事は、この国の未来に関わる重要なものです。秘密を、守れない者は必要ありません。私を裏切らないと誓える者だけ、この屋敷に残ってください。辞めたい方は、今申し出てください。これまでの給金に、退職金を上乗せしてお支払いします。」

私は、彼らに選択を迫った。
使用人たちは、一瞬顔を見合わせた。
しかし、誰一人として辞めると言い出す者はいなかった。
彼らは、この王都で最も高い給金と、国の未来に関わるというやりがいのある仕事。
その両方を、天秤にかけたのだろう。

「よろしい。では、皆さん。今日から、私と共に働いてもらいます。期待していますよ。」

「「「はい、リリア様!」」」

使用人たちの声は、先ほどとは比べ物にならないほど力強く、そろっていた。
こうして私は、わずか数分でこの屋敷の使用人たちの心を完全に掌握した。

さっそく、私は屋敷の改造計画に取り掛かった。
まずは、ゼロ兄様たち仲間との作戦会議室だ。
一番日当たりの良い、広い応接室をそれに充てる。
壁には、ガルディナ帝国の巨大な地図を貼り付けさせた。
そこに、フランツ皇子の動きや、兄たちの軍の配置を書き込んでいく。
情報の、見える化だ。

「バルガス、あなたは王都の商人たちと接触し、今すぐ大量の穀物を買い付けてください。アーノルド殿下の名前を使えば、誰も断れないはずです。」

「へい、お任せを。どのくらい、買い集めればよろしいですかい。」

「そうですね、まずはガルディナ帝国の北の地方の村々を、一ヶ月は養えるくらい。銀貨にして、一万枚分は必要かしら。」

「い、一万枚!?」
バルガスが、目を丸くした。

「ピップとリラは、ゼロ兄様の部下たちと合流し第一陣として帝国へ潜入する準備を。噂を流すための、印刷物なども用意させます。リラ、あなたにはゲオルグ皇子の軍隊の兵士に化けてもらうかもしれません。」

「面白そうね、任せてちょうだい。どんなむさ苦しい男にでも、なってあげるわ。」
リラが、妖艶に微笑んだ。

「ゼロ兄様は、フランツ皇子との連絡役をお願いします。それと、ルドヴィーク皇子のお金の流れを、もう少し詳しく洗ってください。彼が、どこの商人と一番深くつながっているのか。そこを叩けば、彼の力は大きく弱まるはずです。」

「分かった。金の流れを追うのは、得意分野だ。」
ゼロ兄様が、短く答えた。

仲間たちが、それぞれ慌ただしく動き始める。
新しい拠点は、まるで戦争の司令室のような活気に満ち溢れていた。

私は、彼らに指示を出しながらも自分のための準備も進めていた。
屋敷の地下にあった、広いワインセラー。
そこを、私の秘密の研究室に改造することにしたのだ。
アーノルド殿下の力で、ポルトゥスの港から異国の珍しい薬草や錬金術の道具が次々と運び込まれてくる。
ガラス製のフラスコや、複雑な蒸留装置。
見たこともないような色の鉱石や、乾いた植物の根。
私の知識欲は、最高に刺激されていた。

「さて、と。始めましょうか。」

私は、研究室の鍵をかけると一人で実験を開始した。
目的は、霧の谷で手に入れた『虹色の涙』の安定した培養と、量産化だ。
持ち帰った花びらは、まだ七色の光を失っていない。
私は、その花びらを細かく刻み特性の違ういくつかの液体に浸してみる。
温度や、光の当て方を変えながらその変化を注意深く観察していく。
前の世界で、趣味でかじった生物学の知識が今ここで役立っていた。

実験は、驚くほど順調に進んだ。
『虹色の涙』は、特定の鉱石を溶かした水と月の光によく似た魔力を当てることで、その細胞が分裂し増殖していくことを突き止めたのだ。
これなら、数週間もあればポーションを量産化する体制が整うだろう。
私は、その研究結果をすぐに報告書にまとめた。

研究の合間には、アークライト領への手紙も書いた。
父アルフォンスと兄ヘクターには、王都での成果と屋敷を得たことを報告する。
そして、領地の堤防工事の進み具合と、薬草園の最初の収穫についての報告を求めた。
領地の経営も、決して手を抜くわけにはいかないのだ。

姉のセシリアへは、別の指示を出した。
彼女が工房で開発している、ハーブを使った化粧水と石鹸。
その試作品を、すぐに王都のこの屋敷へ送るように命じた。
ガルディナ帝国への情報操作と同時に、私は王都の貴族社会への『経済戦争』も仕掛けるつもりだったのだ。
アークライト領の産品を、王都で流行らせて莫大な利益を生み出す。
そのための、第一歩だった。

全ての指示を出し終え、研究室で一息ついていた時だった。
執事のセバスチャンが、慌てた様子で部屋を訪ねてきた。

「リリア様、大変でございます。アーノルド殿下が、非公式でお見えになりました。今、庭園でお茶の準備をさせておりますが。」

「まあ、殿下が直々に。」
私は、少しだけ驚いた。
彼が、こんなに早く私の新しい拠点を見に来るとは思わなかった。

私は、白衣を脱いで身なりを整えた。
そして、庭園へと向かう。
美しい薔薇が咲き誇る庭園の真ん中で、アーノルド殿下は一人で紅茶を飲んでいた。
その姿は、まるで絵画のように美しい。

「やあ、リリア。新しい城は、気に入ったかな。」
私の姿に気づくと、彼はいつもの穏やかな笑みで言った。

「はい、殿下。望外のお心遣い、心より感謝いたします。おかげさまで、仕事もはかどりそうです。」

私も、優雅に挨拶を返して彼の向かい側に座った。

「君の報告書は、読ませてもらったよ。『虹色の涙』の培養に、もう成功したとはな。君の才能には、本当に驚かされてばかりだ。」

「いえ、全ては殿下のご支援があってこそです。」

「謙遜は、いらないよ。」
アーノルド殿下は、紅茶のカップを置いた。
そして、ふといつもの王子の仮面を外した。
その青い瞳には、少しだけ素の感情が浮かんでいる。

「リリア、君のような人間と話すのは、生まれて初めてだ。」
「この王宮にいる者たちは、皆私に何かを求めるか、私を恐れるか、そのどちらかだからな。」

「……。」
私は、黙って彼の言葉の続きを待った。

「だが、君だけだ。私と、対等な取引をしようとしたのは。私の力を利用し、そして私に利益をもたらそうとする。こんなに愉快なことは、初めてだよ。」
彼は、心の底から楽しそうに笑った。

「私も、殿下のような賢明な方とお仕事ができて光栄です。私の計画を、いつも理解し支援してくださいますから。」

私たち二人の間には、不思議な信頼関係が生まれつつあった。
それは、上司と部下でもなく、王族と貴族でもない。
ただ、同じ目的を持つ『共犯者』としての、強い絆だったのかもしれない。

私たちが、穏やかなお茶の時間を楽しんでいた、まさにその時だった。
一人の騎士が、血相を変えて庭園に駆け込んできた。
その手には、緊急の知らせを意味する赤い封筒が握られている。

「殿下、緊急のご報告が!」

騎士は、その場で片膝をついて叫んだ。

「ガルディナ帝国の、ゲオルグ皇子が大軍を率いて、我が国の国境付近にある中立都市『シルダ』へ向けて進軍を開始したとの情報が入りました!」

「何だと!?」
アーノルド殿下の顔から、笑顔が消えた。
「あそこは、次男のルドヴィークが狙っていたはずの街。なぜ、今ゲオルグが国境に?」

その報告は、私の頭にも冷や水を浴びせた。
計画が狂ってしまう。
ゲオルグ皇子が国境近くに来れば、私たちが準備している食料の秘密ルートが見つかってしまうかもしれない。
そうなれば、フランツ皇子を助ける計画も全てが台無しになってしまう。
私は、即座に次の手を思考し始めた。
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