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息を飲む私を前に、アランさんは少し申し訳なさそうに眉を下げた。
「すまない、また研究の話ばかりしてしまって。君には退屈だったかもしれないな」
「い、いえ!そんなことありません!すごく、興味深いお話です!」
私は慌てて首を横に振る。興味深いどころの話ではない。これは、もしかしたら、二つの大きな問題を同時に解決する、とんでもないヒントになるかもしれないのだから。
「アランさん、その壁画、もっと詳しく教えていただけますか?描かれていた人々の様子とか、花の絵の特徴とか、どんな些細なことでも構いません」
私のあまりの剣幕に、アランさんは少し驚いたようだったが、すぐに真剣な表情で記憶をたどり始めた。
「そうだな……。壁画に描かれていた人々は、皆、ひどく苦しんでいるように見えた。体に紫色の斑点が浮かび上がり、倒れている者もいた。まるで、強力な毒に侵されているかのようだ。そして、その中央には、月を背負って咲く、大きな白い花が描かれていた。花びらは七枚で、中心がほのかに光を放っているように見えたな」
紫色の斑点……。倒れる人々……。
ギルドの古い医療記録で読んだことがある。数百年前にこの地方で流行し、多くの犠牲者を出したという、原因不明の奇病『紫斑病』。その症状に、酷似している。
そして、月を背負って咲く、七枚の花びらを持つ白い花。それは、まさしく『月光花』の特徴そのものだ。
全てのピースが、私の頭の中で、カチリ、と音を立ててはまっていく。
「アランさん……。その壁画が示しているのは、おそらく、古代にこの地で起きた、月光花の毒による、大規模な中毒事件です」
「なんだって!?月光花の毒……?では、あの花は、やはり薬ではなく……」
「薬でもあり、毒でもあるんです。月光花は、満月の夜に採取し、夜明けの光を浴びる前に適切に処理すれば、万病に効く薬草になります。ですが、処理を誤ったり、夜明けの光を浴びてしまったりすると、強力な神経毒に変化してしまう。おそらく、古代の人々は、そのことを知らずに、夜明け後に花を採取してしまい、悲劇が起こったのではないでしょうか」
私の説明に、アランさんは息を飲んだ。彼の学者の瞳が、驚きと、そして興奮に、きらめいている。
「そうか……!そうだったのか……!壁画に描かれていた、月の満ち欠けと、苦しむ人々の絵……。全てが繋がった……!人々は、月の魔力が最大になる満月の夜に、薬草としての効果を期待して花を摘んだ。しかし、夜明けの光が禁忌であるとは知らず、朝になってからそれを服用し、結果として毒に侵されてしまった……!なんと、いうことだ……!」
アランさんは、長年の謎が解けたことに、打ち震えているようだった。
そして、私の中にも、一つの確信が生まれていた。
今、ゴードンさんたちが向かっている、囁きの森。依頼主の青年が故郷と呼ぶ村。
そこで流行しているという『流行り病』。
それこそが、数百年ぶりに、この地に再び現れた『紫斑病』なのではないだろうか。
そして、村の人々は、その治療法として、先祖代々語り継がれてきた『月光花』の伝説を信じ、青年を採取に向かわせた。
しかし、その伝説は、半分しか真実を伝えていなかったのだ。『薬になる』という部分だけが残り、『毒になる』という、最も重要な警告が、長い年月の間に、失われてしまったのだとしたら……。
ぞくり、と背筋に悪寒が走る。
もし、ゴードンさんたちが、無事に月光花を採取できたとしても、その『毒性』について知らなければ、村は救われるどころか、壊滅してしまう。
(……間に合わないかもしれない……!)
ゴードンさんたちが出発したのは、昨夜。今日は、ちょうど満月の夜。彼らが花を採取し、村へと戻るまで、もう時間がない。
私は、弾かれたように席を立った。
「アランさん、店主さん、ごめんなさい!急用ができました!お会計、お願いします!」
「お、おい、どうしたんだい、急に!」
「レナさん、顔色が……」
驚く二人を後に、私は財布から数枚の銀貨をカウンターに置くと、店の外へと飛び出した。
もう、迷っている暇はない。
「戦わない」なんていう、自分の小さなこだわりを、守っている場合じゃない。
今、私がやらなければならないことは、ただ一つ。
受付嬢としてではなく、ギルドの一職員としてでもなく、かつて、多くの命を救うために戦った、Sランク冒険者『閃光のレナ』として。
私は、ギルドへと続く道を、全力で疾走していた。
まずは、ギルド長に報告し、予備の通信魔道具を借りなければ。それを使って、森にいるゴードンさんたちに、月光花の危険性を伝えなければならない。
息を切らしながら、夜のギルドに駆け込む。幸い、まだ明かりがついていた。
「ギルド長!緊急事態です!」
私が血相を変えて執務室に飛び込むと、ギルド長は、驚いた顔で私を見上げた。
私は、アランさんから聞いた話と、自分の推測を、一気にまくし立てた。
話を聞き終えたギルド長は、その顔から、さっと血の気を失っていた。
「……なんということだ……。もし、君の言う通りなら……。ゴードンたちは、今頃、まさに毒の塊を、村へと運んでいる最中かもしれん……!」
「はい。一刻も早く、彼らに連絡を取る必要があります!通信魔道具を貸してください!」
「う、うむ!すぐに用意しよう!」
ギルド長が、慌てて金庫から、手のひらサイズの通信機を取り出す。
しかし、その時、無情にも、通信機は、ぷつり、と低い音を立てて、その光を失った。
「なっ……!魔力切れだと!?なんてこった、予備の魔力充填が、間に合っていなかったとは……!」
絶望的な状況に、私たちは言葉を失う。
もう、連絡を取る手段はない。
ゴードンさんたちが、村に到着するのは、おそらく、夜明け前。
今から馬を走らせても、到底間に合わないだろう。
(……どうすれば……)
万策尽きたか、と思われた、その時。
私の脳裏に、一つの声が響いた。
《……人の子よ。我が友の、危機と見える……》
その声は、森の賢者のものだった。
彼は、私の焦りと、街の異変を、感じ取ってくれたのだろうか。
私は、心の中で、強く念じた。
(森の賢者様……!お願いです!力を貸してください!)
すると、ギルドの窓の外が、にわかに、強い光に包まれた。
私とギルド長が、驚いて窓の外を見ると、そこには、信じられない光景が広がっていた。
ギルドの屋根の上に、月明かりを受けて、その巨体を白銀に輝かせる、森の賢者が、舞い降りていたのだ。
そして、その背中には……。
「……あれは……!ゴードンさん!?」
ギルド長が、驚愕の声を上げる。
そう、賢者の背中には、ゴードンさんをはじめとする、特別パーティーの三人が、しっかりと掴まっていたのだ。
彼らは、賢者の背から飛び降りると、すぐさま、ギルドの中へと駆け込んできた。
「ギルド長!大変なことになった!月光花の採取には成功したが、どうやら、この花には、何か秘密があるようだ……!」
ゴードンさんは、息を切らしながら、遮光性の箱を、大事そうに抱えていた。
どうやら、賢者が、森の中で彼らに接触し、何かを伝え、ここまで運んできてくれたらしい。
全てが、ギリギリのところで、繋がったのだ。
私は、安堵のあまり、その場に、へなへなと座り込みそうになるのを、必死でこらえた。
これから、この月光花を、本当の『薬』に変えなければならないのだから。
そのための知識も、幸い、私にはあった。
「すまない、また研究の話ばかりしてしまって。君には退屈だったかもしれないな」
「い、いえ!そんなことありません!すごく、興味深いお話です!」
私は慌てて首を横に振る。興味深いどころの話ではない。これは、もしかしたら、二つの大きな問題を同時に解決する、とんでもないヒントになるかもしれないのだから。
「アランさん、その壁画、もっと詳しく教えていただけますか?描かれていた人々の様子とか、花の絵の特徴とか、どんな些細なことでも構いません」
私のあまりの剣幕に、アランさんは少し驚いたようだったが、すぐに真剣な表情で記憶をたどり始めた。
「そうだな……。壁画に描かれていた人々は、皆、ひどく苦しんでいるように見えた。体に紫色の斑点が浮かび上がり、倒れている者もいた。まるで、強力な毒に侵されているかのようだ。そして、その中央には、月を背負って咲く、大きな白い花が描かれていた。花びらは七枚で、中心がほのかに光を放っているように見えたな」
紫色の斑点……。倒れる人々……。
ギルドの古い医療記録で読んだことがある。数百年前にこの地方で流行し、多くの犠牲者を出したという、原因不明の奇病『紫斑病』。その症状に、酷似している。
そして、月を背負って咲く、七枚の花びらを持つ白い花。それは、まさしく『月光花』の特徴そのものだ。
全てのピースが、私の頭の中で、カチリ、と音を立ててはまっていく。
「アランさん……。その壁画が示しているのは、おそらく、古代にこの地で起きた、月光花の毒による、大規模な中毒事件です」
「なんだって!?月光花の毒……?では、あの花は、やはり薬ではなく……」
「薬でもあり、毒でもあるんです。月光花は、満月の夜に採取し、夜明けの光を浴びる前に適切に処理すれば、万病に効く薬草になります。ですが、処理を誤ったり、夜明けの光を浴びてしまったりすると、強力な神経毒に変化してしまう。おそらく、古代の人々は、そのことを知らずに、夜明け後に花を採取してしまい、悲劇が起こったのではないでしょうか」
私の説明に、アランさんは息を飲んだ。彼の学者の瞳が、驚きと、そして興奮に、きらめいている。
「そうか……!そうだったのか……!壁画に描かれていた、月の満ち欠けと、苦しむ人々の絵……。全てが繋がった……!人々は、月の魔力が最大になる満月の夜に、薬草としての効果を期待して花を摘んだ。しかし、夜明けの光が禁忌であるとは知らず、朝になってからそれを服用し、結果として毒に侵されてしまった……!なんと、いうことだ……!」
アランさんは、長年の謎が解けたことに、打ち震えているようだった。
そして、私の中にも、一つの確信が生まれていた。
今、ゴードンさんたちが向かっている、囁きの森。依頼主の青年が故郷と呼ぶ村。
そこで流行しているという『流行り病』。
それこそが、数百年ぶりに、この地に再び現れた『紫斑病』なのではないだろうか。
そして、村の人々は、その治療法として、先祖代々語り継がれてきた『月光花』の伝説を信じ、青年を採取に向かわせた。
しかし、その伝説は、半分しか真実を伝えていなかったのだ。『薬になる』という部分だけが残り、『毒になる』という、最も重要な警告が、長い年月の間に、失われてしまったのだとしたら……。
ぞくり、と背筋に悪寒が走る。
もし、ゴードンさんたちが、無事に月光花を採取できたとしても、その『毒性』について知らなければ、村は救われるどころか、壊滅してしまう。
(……間に合わないかもしれない……!)
ゴードンさんたちが出発したのは、昨夜。今日は、ちょうど満月の夜。彼らが花を採取し、村へと戻るまで、もう時間がない。
私は、弾かれたように席を立った。
「アランさん、店主さん、ごめんなさい!急用ができました!お会計、お願いします!」
「お、おい、どうしたんだい、急に!」
「レナさん、顔色が……」
驚く二人を後に、私は財布から数枚の銀貨をカウンターに置くと、店の外へと飛び出した。
もう、迷っている暇はない。
「戦わない」なんていう、自分の小さなこだわりを、守っている場合じゃない。
今、私がやらなければならないことは、ただ一つ。
受付嬢としてではなく、ギルドの一職員としてでもなく、かつて、多くの命を救うために戦った、Sランク冒険者『閃光のレナ』として。
私は、ギルドへと続く道を、全力で疾走していた。
まずは、ギルド長に報告し、予備の通信魔道具を借りなければ。それを使って、森にいるゴードンさんたちに、月光花の危険性を伝えなければならない。
息を切らしながら、夜のギルドに駆け込む。幸い、まだ明かりがついていた。
「ギルド長!緊急事態です!」
私が血相を変えて執務室に飛び込むと、ギルド長は、驚いた顔で私を見上げた。
私は、アランさんから聞いた話と、自分の推測を、一気にまくし立てた。
話を聞き終えたギルド長は、その顔から、さっと血の気を失っていた。
「……なんということだ……。もし、君の言う通りなら……。ゴードンたちは、今頃、まさに毒の塊を、村へと運んでいる最中かもしれん……!」
「はい。一刻も早く、彼らに連絡を取る必要があります!通信魔道具を貸してください!」
「う、うむ!すぐに用意しよう!」
ギルド長が、慌てて金庫から、手のひらサイズの通信機を取り出す。
しかし、その時、無情にも、通信機は、ぷつり、と低い音を立てて、その光を失った。
「なっ……!魔力切れだと!?なんてこった、予備の魔力充填が、間に合っていなかったとは……!」
絶望的な状況に、私たちは言葉を失う。
もう、連絡を取る手段はない。
ゴードンさんたちが、村に到着するのは、おそらく、夜明け前。
今から馬を走らせても、到底間に合わないだろう。
(……どうすれば……)
万策尽きたか、と思われた、その時。
私の脳裏に、一つの声が響いた。
《……人の子よ。我が友の、危機と見える……》
その声は、森の賢者のものだった。
彼は、私の焦りと、街の異変を、感じ取ってくれたのだろうか。
私は、心の中で、強く念じた。
(森の賢者様……!お願いです!力を貸してください!)
すると、ギルドの窓の外が、にわかに、強い光に包まれた。
私とギルド長が、驚いて窓の外を見ると、そこには、信じられない光景が広がっていた。
ギルドの屋根の上に、月明かりを受けて、その巨体を白銀に輝かせる、森の賢者が、舞い降りていたのだ。
そして、その背中には……。
「……あれは……!ゴードンさん!?」
ギルド長が、驚愕の声を上げる。
そう、賢者の背中には、ゴードンさんをはじめとする、特別パーティーの三人が、しっかりと掴まっていたのだ。
彼らは、賢者の背から飛び降りると、すぐさま、ギルドの中へと駆け込んできた。
「ギルド長!大変なことになった!月光花の採取には成功したが、どうやら、この花には、何か秘密があるようだ……!」
ゴードンさんは、息を切らしながら、遮光性の箱を、大事そうに抱えていた。
どうやら、賢者が、森の中で彼らに接触し、何かを伝え、ここまで運んできてくれたらしい。
全てが、ギリギリのところで、繋がったのだ。
私は、安堵のあまり、その場に、へなへなと座り込みそうになるのを、必死でこらえた。
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