割込み王女に祝福を(婚約解消いただきました。ありがとうございました)

久留美眞理

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第四章

エドワード・アーヴィンの言い分

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第四章 エドワード・アーヴィンの言い分
 
 エドワード・アーヴィンを追い出したいから、男の使用人たちを連れて来て、と命じたはずが、リンダはお茶を持って入ってきた。

 (そうね。落ち着くためには、お茶のほうがよかったかも)
 
 ベアトリックスは一息入れることにした。

 「とりあえず、あなたのお話をうかがうわ」

 リンダは、先に、客であるエドワード・アーヴィンの前にティーカップを置いた。アーヴィン家から贈られた、赤い芥子の花を絵付けしたカップだった。
 高価な食器を扱う緊張のせいか、それとも、エドワード・アーヴィンの前にカップを置く気恥ずかしさのせいか、リンダの手が、カタカタと震えている。

 「ありがとう。お嬢さん。さっきはこちらの申し出で困らせてすまなかったね。レディとお会いできたのはきみのお陰だよ」

 と、エドワード・アーヴィンが、リンダに笑顔を見せると
リンダは、耳たぶまで赤くなった。そんな彼女に「レディ・ベアトリックスと二人だけで話したいことがあるんだ。席をはずしてくれないか?」と彼は言った。
 「いいえ。男性と二人きりにはなれません。リンダ、ここにいて」
 と、ベアトリックスが言うと
 「我々の今後に関するこみいった話の内容を、当事者以外が知るのは、いかがなものかと思います」
 すると、リンダも
 「そうですわ、お嬢様。もし何か噂が広がったとき、わたくしが真っ先に疑われるようなことになるのも困りますし」
 と、エドワアード・アーヴィンにおもねるように言った。
 「じゃあいいわ、リンダ。ばあやを呼んできて。ドアは開けたままにしておくのよ」
もはや婚約者でもなんでもない男性と、閉じられた空間で二人っきりになるのはご免だ、とベアトリックスは思っていた。
 (ばあやが早く来てくれますように)

 ベアトリックスは、ばあやを頼りにしていた。彼女が、この屋敷にいてくれるのは、他の使用人のように、老いて行くところがないからではない。自らもコーディー男爵家出身で、長くミッドフォード伯爵家に仕えた彼女を一家は信頼しきっていた。

 母が子爵と再婚をしたとき、多くの使用人が叔父の住む別邸に移る選択をした。仕える先を、父の弟である新伯爵に乗り換えたのだ。それなのに、ばあやだけは新伯爵から直々に声がかかったにも関わらず、母と幼いベアトリックスを気にかけ、この屋敷に残ってくれた。そして、子爵家の没落後、残ったわずかな使用人たちがこの屋敷を去り、侍女長自らが雑用をしなくてはならなくなっても、ばあやはここにとどまってくれている。彼女の献身を、母と娘は心底有難く思っていた。

(この男は、ばあやのことも、まさかお金で買えると思っているのでは?)

 その屋敷とともに年を重ねたかのような高齢の使用人は、家門の伝統を体現し、来客に安心感を与える。実際、新富裕層が旧家の執事や侍女長に引き抜きを申し出るのはよくあることだ。ベトリックスもそのことを知らないわけではなかった。ばあやは何も言わなかったが、今までに人知れず接触を試みる者がいたとしてもおかしなことではない。

 成り上り者は、骨とう品を買うかのように、長年貴族に仕えた使用人を買う。そして、愛玩動物か人形でも購入するかのように、若く美しい令嬢も買う。先日、自分の身に起きた婚約劇こそがそれだったのだ、とベアトリックスは思った。
 ひょっとしたら、自分の屋敷で男爵家出身のばあやを侍女として使うのが、成金の第二の願いかもしれない。貴族出身の女性が、平民の使用人になる、それが彼らのプライドを満足させるためには必要なのだろう。ベアトリックスを妻にできれば、当然、ばあやも共に彼の屋敷に行くはずだからだ。
 考えただけで、目の前で自分に復縁を申し出ている男が一筋縄ではいかない気がして、ベアトリックスは身構えた。
 「リンダ、聞こえた?ばあやを呼んできてちょうだい。今すぐによ」
 「かしこまりました。コーディー侍女長を呼んでまいります」
 侍女が三人しかいない、今の子爵家でも、侍女長は侍女長だ。リンダがばあやをそう呼ぶのはベアトリックスが、ばあやに尊敬の念をもって接するようにと、屋敷に来た頃のリンダに言い聞かせた結果でもあった。

 (ちょうどいい機会だわ。エドワード・アーヴィンの前で、わたくしもばあやもあなたのところには行きません、って言ってやるのよ。お金では買えない、貴族同士の忠誠の絆を見せてやるわ)

 ベアトリックスは、ソファに深く座り直した。

 「失礼致します」
 リンダが出て行った。
 それと入れ違うように、アレックス小子爵が入ってきた。
 天使のような赤ん坊だった彼も九歳である。 美少年に成長したものだ。
「リンダが困っていました。突然、お客様が来て、姉上が会いたくないって怒ってらっしゃると」
 いくら招かれざる客でも、本人の前で言うのは失礼すぎる。
 ベアトリックスは弟に
 「違うのよ、アレックス。お父さまもお母さまもおられないから困っていただけよ。わたくしがこの方のお話を聞いて、お父さまにお伝えすることにしたから、あなたが心配することないわ。このお菓子を持って、ご自分の部屋にお行きなさいな」
 ベアトリックスは、焼き菓子の乗った自分の皿を少年に手渡した。
 「さっき、この方を見た時、僕と髪の色が同じだから、お父さまかと思ったの。お出かけになったはずなのに、もう戻られたのかとびっくりしちゃった」
 と言って、はにかんだようにアレックスが笑った。
 「初めまして、小子爵。わたしはエドワード・アーヴィンと申します。あなたのお父さまにはなれませんが、義理の兄にはなれるかと」
 「何も知らない子供に、よけいなこと、おっしゃらないで」
 ベアトリックスは制した。
 
 両親に溺愛され、自分を嫌う人間になど会ったこともないアレックスは、自分をうとましく思っている義理の姉にさえ、明るく屈託のない態度で接している。そして、そんなアレックスにほだされかかっているのが、昨今のベアトリックスだった。
 「このお菓子、馬屋番のヘンリーと食べてもいい?」
 没落したこの家では、ここのところずっと、甘い菓子は贅沢だった。エドワード・アーヴィンから受け取った多額の支度金のお陰で、今後は茶菓子に不自由することもないだろうに、アレックスは嬉しそうに皿を抱えている。
 「ええ。ちゃんと手を洗うのよ。それに食べ終わったら歯を磨かないといけないわ。せっかく虫歯のないお口、大事にしないと。よくって?それから、お皿は大事に扱ってね」
ベアトリックスがそう言うと
 「はい。わかりました」
 と言ってから、アレックスはエドワード・アーヴィンに向き直り
 「ねえ、エドワード。あとで僕の馬屋に来てくれる?お姉さまのことを好きになった男の人が、僕に立派な馬を贈ってくれたってヘンリーが言ってたよ。それがあなただったんだね。馬をありがとう。僕のお兄さんになるって約束、守ってね」
 アレックスはそう言い残すと、大事そうに皿を抱えて、部屋を出て行った。

 「二人の時間を作ってくださって、ありがとうございます。それに、レディ・ベアトリックス、あなたは、将来、良き母上になられそうだ」
 エドワード・アーヴィンが言った。

 「馬を贈って、小子爵まで懐柔ずみとは、お手回しのよろしいこと。もっとも王女さまの婿になられるあなたにとっては、わたくしへのご機嫌取りなど不要になりましたわね。駿馬の代金も、とんだ無駄遣いに終わったんじゃなくって?」
 ベアトリックスは言ったあと、さらに続けて
 「婚約解消は決定済みのことだと、わたくしは認識しております。その気持ちが覆ることはありませんわ」
 と、きっぱり言って、目の前のエドワード・アーヴィンを見た。
 エドワードは、彼女の言葉に返事をせず
 「小子爵は、可愛らしくて聡明な方ですね。あと十年も経てば、一緒にお酒が飲めるかな。小子爵との約束、守らせていただけませんか?お兄さんになってほしいと言われていたじゃないですか」
 などと、有り得ないことを口走った。
ベアトリックスは苛立ちを隠すことなく

 「国王陛下が王女さまとあなたの結婚に賛成なさって、爵位を授けようとされているのに、わたくしとの復縁を願い出るなど、おかしな話ではありませんか?ミスター・エドワード・アーヴィン、あなたが、わたくしとの婚約解消を否定なさって、わたくしの夫になるなどとおっしゃった理由は、なんですの?目的をおっしゃってください」
 と、たたみかけた。
 「理由は、ただ一つ。あなたが好きだからです。そしてわたしの目的は、あなたを妻にすることだ。だから、王女には、きちんとこちらの意を伝えてわかっていただくつもりです。わたしがレディ・ベアトリックス以外の女性を愛することはないと」

 「何をおっしゃるかと思ったら」

 ベアトリックスは二の句が継げず、言葉を切ったまま、しばらく呆然としていた。
 いったい、この男は唐突に何を言い出すのだろう。ろくに口もきかなかった、この屋敷での二度の茶席と一度の晩餐、その後、二人で庭を歩いたわずかな時間、そして、王女に招かれた小一時間ほどの茶会・・・どこに愛が芽生える素地があるのだ。

 (とにかく、落ち着かないと)

 「大きな商会を経営されているアーヴィン家ですもの、王室より我が家を選ぶとおっしゃるのなら、商売上の理由があるのではなくて?王室と縁を結んだら、何かと窮屈ですものね。例えば、儲けたお金を寄付するとか、そういうことだって必要になると思いますわ。稼ぎをため込むだけでは、上流社会の一員とは見做されませんの。ミスター・エドワード・アーヴィン、あなたは利益の一部を慈善に回す、なんて生き方をどう思われます?」
とたずねてみた。
 「この茶器を使ってくださって、ありがとうございます。気に入ってくださって何よりです」
エドワード・アーヴィンは彼女の言葉に言い返さず、赤い芥子の絵付けがされたティーカップを見てそんなことを言い出した。
 「お気に入りと言うより・・・客用のティーセットはこれしかありませんの。そちらからいただいて、助かったと思っていますわ。昔から使っていた茶器は売ってしまったものですから。あなた方のような成金、いえ失礼申しました、富豪の方は貴族の家の由緒ある品物がお好きなようですわね。新品よりも古びた品のほうに価値があると思うのかしら」
 ベアトリックスは、敢えてそう言った。自分と結婚しても、家柄の点では王家に遥かに劣るうえに、子爵家が傍目に見るよりずっと貧困のどん底にいることがわかれば、彼が自分をあきらめると思ったからだ。そして、自分は王立学院に通おう。勉強も大事だが、学生生活がきっかけで、ほんとうの恋を見つけることだってきるかもしれない。
(婚約解消しかないわ、あたりまえじゃないの)

 自分に執着されて、エドワード・アーヴィンに粘られるのはまずい。王女を説得する時間がどれくらいかかるかを考えただけでも、ベアトリックスは憂鬱になった。なにより、王家の姫と争ってまで、彼と結婚したいなどとは微塵も思っていないのだ。
 母がいつも言う「若い娘の時期なんてあっという間、花の命は短いわ」という言葉が、脳裏に甦った。王立学院で自分を待っているであろう、未来の誰か、次の恋に踏み出す時間が遅くなりそうで、ベアトリックスは焦っていた。

 こうなれば、自分と結ばれても、彼が得することは一つもないと理解してもらうしかない。そうと知れば、計算高いこの男は帰っていくだろう。

 だが、エドワード・アーヴィンは
 「ティーセットまで売りに出すほど困っておられるのなら、意地を張らずにわたしと結婚されたらどうですか?ずっと贅沢に暮らしていけますよ」
 さらに彼はベアトリックスを見つめて
 「以前売却されたというお気に入りの茶器だって買い戻して差し上げます。それだけじゃない。散逸した伯爵家や子爵家の家宝も、あなたのお手元に取り戻します」
と言うのだった。
 「困っていたのは、支度金をいただくまでの話です。今の子爵家はあなた方のお陰で立ち直りましたわ。あなたのお父さまは、支度金の返却は不要と言われましたし、ありがたいと思っています。ただ、金銭的な不安がなくなった今、わたくしには結婚する必要がなくなりました。手放した家宝など、今さら取り戻したいとも思っていません。今こうして一家が平穏無事に暮らしていくことができているんですもの。もう充分すぎるくらいですわ」
とベアトリックスは言い
 「それに・・・だいいち、わたくし、あなたに何の魅力も感じてはいませんの。お金と愛情・・・あなたと結婚する理由が、二重の意味で、わたくしにはないこと、おわかりですわね?」
と、彼に最後通牒を突きつけ、目の前のエドワード・アーヴィンを見た。
 だが、彼は拒絶されても顔色を変えず、黙り込んだままだった。

 (怒って、席を立つと思ったのに)

 ベアトリックスはさらなる追撃に出た。何としても婚約解消を確定させたいからだ。
 「もし、我が家と縁を結んだほうが得になるとお思いなら、わたくしではなくて、先ほどのリンダはいかがでしょうか?ミスター・エドワード・アーヴィン、もし望まれるなら、リンダをここの子爵の養女にして、わたくしの妹としてお嫁に出すくらいのことはしてさしあげますわ。あの子への支度も充分にしてやれます。身も蓋もない話ですが、我が家は大金をいただきましたもの。あなた方、アーヴィン家から」
 と、ベアトリックスは言ってから、さらに
 「そもそも、あなたの出自でしたら、伯爵の娘であるわたくしより、メイドのリンダのほうがお似合い、釣り合っていますのよ。一般家庭の出身だし互いに気楽で話も合うでしょう。リンダにとっても、あなたのような富豪の夫人になれるなんて玉の輿ですし」
とつけ加えた。

 「性格悪いね、あんた」

 「えっ?」

 (あんた、って言った?誰に?・・・まさか、わたくしに?)

 ベアトリックスは、自分とエドワード・アーヴィンの他に誰もいないはずの室内を、それとなく見回した。

 (それに・・・性格が悪いってどういうこと?わたくしのこと、みんなお優しいお嬢さまって言うわ)

 ベアトリックスは。唖然とした表情のまま固まってしまっていた。

 「何を驚いてる?あんただよ、性格悪いのは」
 「・・・・・・」

 「破産寸前の貧乏貴族んちで、ろくな給料も貰ってないだろうに、あの子、一生懸命働いてきたんだろう?あんた方貴族が軽蔑している、俺のような成金がお似合いだ、って、彼女に悪いと思わないの?自分が、嫌だと思って避けたい男、つまり俺を、使用人におしつけるとか、ほんと人を馬鹿にしてるよな。貴族さま、ってのはそんなんでいいのかよ?」

 そう言って、あきれた様子で両手を広げて見せた。

 「なあ、ベアティ。お高くとまって一生そのままでいる気なの?」

 「なんて無礼な!わたくしのことは、レディ・ベアトリックスとお呼びなさい。わたくしのことをベアティと呼ぶのは両親だけ。今は母だけですわ。あなた、ご自分がわたくしの親と同等だとでもおっしゃるの?」
 「話し合うのに長い名前を呼ぶの、面倒だろ。俺のことも、いちいちミスター・エドワード・アーヴィンなんて言わなくていいよ。エディでいから」

 (何?いったい何なの、この人は?落ち着かないと、とにかく)

 ベアトリックスは紅茶を飲んだ。くせのないセイロンティを口に含んでひとまずホッとしたあと

 「家族でも親しい友人でもないあなたを、エディと呼ぶなんて・・・遠慮しますわ」
 「ああそう。じゃあ、せめてエドワードで。長ったらしいのは無しで頼むよ」

 そう言ったエドワード・アーヴィンは、ジャケットを脱ぎ、それをソファに放り投げた。

 「あなた・・・レディの前で許可なくジャケットを脱ぐなんて、いったいどういうおつもり?」
 「だって、暑いだろ。今日」
 「だったら、『暑いので失礼して上着を脱いでもかまいませんか?』ってちゃんとおっしゃいませ。ハンガーを持って来させますわ」
 「いいって。俺の上着なんて、たいしたもんじゃないから」

 たいしたものではない、というふうにはとても思えない、高級な生地をベアトリックスは見ながら

 「ご自分のことを『俺』だなんて・・・そんな言葉を使う男性を、わたくし見たことがありませんわ。この屋敷で、裏町に住んでいる男たちのような物言いはやめてください。せめて、『僕』とおっしゃれないの?」
 とエドワード・アーヴィンに言った。
 「僕、って、小子爵みたいに?あんたの頭の中じゃ、エドワード・アーヴィンは卑しい商人なんだろ?僕なんて言ったところで似合わないよな。ったく、上流階級ってのは、ろくな女がいない。あんただけは違うと思ってたけど俺の目が曇ってただけか」

 そう言って自嘲気味に笑うエドワード・アーヴィンに、ベアトリックスは

 「どう思われようが、あなたのご自由です。わたくしには、もうお話することがありません。わたくしの性格が悪いとおっしゃるなら、先ほど、好きだと言われていたお気持ちも、今は冷めたことと思います。どうかお帰りください」

 と言った。毅然として言い放ったはずだったが、エドワード・アーヴィンには席を立つつもりがないらしい。

 「俺は、あんたが、人の顔をじろじろ見ないところが好きだったんだ。どこへ行っても、女から、いや、時には男も、じっとりした目で見つめてきて、気持ちが悪くって」
 そう言うと、もう冷めてしまった紅茶を飲んだ。
  ごくり、と、彼の喉仏が動いたのを、ベアトリックスは見るともなしに見ていた。
 「俺のことなんて、資産、つまり、アーヴィン商会が稼ぐ金額以外のことは、ほとんど知らないだろう?」
 「ご縁なく終わった殿方のことを、今さら知りたいとは思いませんわ」
と、ベアトリックスが言ったにもかかわらず、エドワード・アーヴィンは自身の仕事のことを語り始めた。
アーヴィン商会は、もともとは時計の修理屋だったこと、あの赤ら顔の父親は、小さな部品、特にネジを作るのがうまくて、その技術力を買われて人々の信頼を勝ち得、商売を大きくしていったそうだ。
 今では、拳銃や大砲のネジ、大型船の部品なども作っているとのことだ。さらには宝飾品や服飾の分野にまで手を広げて、莫大な資産を得た。あとは名誉を得るだけと、まずは息子を王立学院に送り込み、息子はめでたく首席卒業した。仕上げとして、貴族と縁を結んで社交界に出たいというのが、彼の両親、特に父親の望みだったらしい。
 「働き者で、素朴な男だったオヤジが、『社長』と呼ばれ始めてからおかしくなってしまって・・・食べ過ぎて太るし、おしゃべりにはなるしで、人が変わってしまった。今は上流階級の一員になりたくて必死だよ。王立学院に入学したとき、オヤジからは、卒業までに結婚相手を探せと言われた。貴族の令嬢を見つけてこいとさ」
 彼はため息をつくと
 「学院主催の男女合同のダンスパーティーに出たり、友人の紹介で女性と会ったりしたけど、でも誰もピンとこなかった。もし、王立学院で誰かと出会えていたら、こんなふうに、あんたに迷惑をかけることもなかったのにな」

 彼の話している内容が、強引な求婚でもなく、渡した金を返せといった脅しでもなく、彼自身の話だったことに、ベアトリックスはホッとした。近い将来、王女と結婚し、国王の婿となるであろうこの男に、出て行けと何度も言って恨みを買うのもまずい。ベアトリックスはそう思ってサモワールの中の湯を温め直し、エドワード・アーヴィンのカップに、新しく紅茶を注いだ。

 (このサモワールは、お父さまの北氷国土産だとお母さまが言われていたわ。お母さまがいつでもお好きなお茶を飲めるようにって買って下さった、大事な宝物だって)

 「ありがとう。お湯を沸かされたので、よけい暑くなってしまった・・・タイを、緩めてもいい?」
 「ダメです。無礼は上着を脱ぐところまでになさって。熱いお茶がお嫌なら氷を持ってこさせましょうか?あなたからの支度金のお陰で、今は氷室に氷がたくさんありますの」
 「いや、いい。氷は不要だよ。ハンガーだの、氷だの、あんた、何かにつけて人を呼ぼうとするね」と言ってから「ほんとに俺が嫌なんだな」とエドワード・アーヴィンは小さな声でつぶやいた。

 「さっき弟さんに菓子をあげただろう?こっちの皿のを食べていいよ」
 エドワード・アーヴィンが焼き菓子を乗せた皿をテーブルの真ん中に置いた。
 「お気遣いは不要です。甘いものは体によくありませんから」
 ベアトリックスは皿を押し返した。
 「おやつは心の栄養だの、甘いものは別腹だの、女性はみんな言ってるけど、ベアティは苦手なんだな?」
 「ええ、あまり好きではありませんの」
と、ベアトリックスは言った。
 「そう言うけど、ついこの間、晩餐の席で、いちごのロマノフ風だっけ?いちごに生クリームを乗せたやつ。あれに、ハチミツを大量にぶっかけてなかったか?そのあとにはデミカップのコーヒーに角砂糖を三個も」
 「そんなところ、見ていらっしゃったの?」
 ベアトリックスがうろたえるのを見て、エドワード・アーヴィンが声をあげて笑い出した。
 「いったい、何がおかしいんですか?あのイチゴは酸っぱかったし、生クリームにも甘みが足りなかったんですもの。いいじゃありませんか、それにわたくし、ハチミツを大量にかけてなんかいませんわ。少し垂らした程度です」
 「あの量が、少し、なんだ」
 「何よ!わたくしがどれだけハチミツをかけようが、わたくしの勝手でしょ。あなたこそ変よ。あの苦いコーヒーをお砂糖の助けなしで飲むなんて」
 と気色ばむ彼女に対し、彼は
 「こんなに率直な物言いの女性が王立学院にもいれば、楽しかっただろうなと思ってさ」と、なおも笑い続ける。

 「あなたの、そういうところよ。貴族の令嬢と合わなかったのは。だからせっかく出会っても交際へと続かなかったんだわ」
 とベアトリックスは言って、目の前のエドワード・アーヴィンを睨みつけた。
 「食わないならいいよ。これうまいのに」
と、エドワード・アーヴィンはクッキーを口に放り込んだ。
 「今もそうよ。あなたから滲み出る空気、それが、きっと、貴族の令嬢とは合わなかったのよ。あなたが本音で喋れとおっしゃるから言わせてもらうけど、わたくし、あなたのお皿に乗ってるというだけで、たった今そのお菓子が嫌いになりましたの。絶対にいりませんから。あなたはどうぞ、好きなだけ召し上がってくださいませ。何なら、おかわりもお持ちいたしますわ。アーヴィン家からの支度金で買った小麦と砂糖で作ったものですし、もとからあなたの物も同然ですから」
 ベアトリックスは、目の前の男を傷つけてやりたくて、思いっきり失礼な口をきいた。
とにかく、婚約解消だけは、しっかり確定させてやると、気持ちを立て直したベアトリックスは考えていたのだった。

 「家族で町工場をやっていた頃、クッキー一枚が大事な御馳走だった。思えば、あの頃のほうがが今よりずっと幸せだったよ。確かに、あんたの言うとおり、貴族のお嬢さまとの間には共通の話題なんてなかったね。仕事のことを離せば無粋って言われるし、技術者としての俺に関心をもってくれた人は皆無。労働は恥だ、っていうのが貴族の価値観だから」
 「それで、こちらにいらしてたときも、ずっと黙ってらしたの?確かに『沈黙は金』って言いますものね」
 ベアトリックスの言葉は、どこか皮肉っぽく響いたようだった。

 「まるでアーヴィン商会が汚い手を使って富を蓄えたと言わんばかりの態度だったよ。さっきのあんたみたいなこと、あちこちでしょっちゅう言われた。貴族ってのは、成金を軽蔑しながら、お金は大好きときてる。落ちぶれた貴族の娘と何度も見合いをさせられたし、中には断っても断ってもつきまとう、タチの悪い女もいたよ。不敬な言い方だけど、今回の王女も、俺にとっちゃ、そんな女と同類だろうとしか言えない」

 とエドワード・アーヴィンはため息をついた。そしてなおも彼は話を続けた。

 王女主催のお茶会のあと、あの場に居合わせた上流階級の子女たちから、アーヴィン商会は宝飾品の大量注文を請け負うこととなったそうだ。商品を届けるのは必ずエドワードにしてほしいとの条件付きで受けた注文だったため、彼は、王城の第三王女宮に出入りすることになり、その王女から紹介された貴族の屋敷へも商品を運ぶため出入りする羽目になったという。
 「王女と、その取り巻きは、なんとかいう王立劇場の俳優に熱を上げてて、俺はその俳優に似ているらしい。そんな底の浅い理由で好かれても、こっちはわけがわからないよ。王立劇場の演目で主役を張れるほどの俳優なら、一流の人だろうから、直接、交際を申し込んでつきあえばいいのにな」
 「王女と俳優がお付き合いするだなんて・・・絶対に無理ですわ。住む世界が違いますもの」
 「じゃあ、家柄にふさわしい男と付き合って、役者のほうは遊び相手にすればいいじゃないか?少なくとも、ただ外見が似てるだけの俺に迷惑かけんな、って言いたいよ」
 エドワード・アーヴィンは言った。
 「まあ、女性が二夫にまみえるなんて・・・そんな不道徳なこと許されるものですか。まして、高貴な身分の王女さまですのよ。あなた、なんてことおっしゃるの?わたくし、父が亡くなって、母が子爵と再婚したことだって、心の中では許していませんのに」

 「子爵ご夫妻は苦労されただろうね。あんたがお子様だから」
 と、エドワード・アーヴィンは苦笑した。

 「俺は俳優じゃない。だから、見た目を褒められても少しも嬉しくない。それに、ベアティ以外の女に興味もない」
 エドワード・アーヴィンはそう言って
 「それなのに、商品を届け終えたあとも、なんだかんだ理由つけて帰してくれなくて、食事だ、酒だ、と引き止められ、しまいには泊まっていけという女までいて、心底驚いたよ。俺はちゃんと、自分には婚約者がいるって言ってるのにだ。あんたの言うように、住む世界の違う人たちには、こっちの常識は通じないのかもしれないな」
 と、うんざりしたように顔をしかめた。
 「泊まっていくように言ったのは、話が長引いて日が暮れたからでしょう?貴族の屋敷は広いのよ。寝室なんていくらもあるわ」
 「だだっ広い貴族さまのお屋敷で、寝室がいくつもあるのに、わざわざ、夫人や令嬢が俺の寝ている部屋の前に来て、中に入りたがったのはどうしてなんだろうね」
と、エドワード・アーヴィンは言った。
 「なんですの?それ」
 ベアトリックスはあきれ果てた。
 「あなたは、令嬢や夫人がご自分のベッドに行きたいと思うほど魅力的だとおっしゃるの?こんな話をしたら、わたくしがあなたのその魅力を惜しいと思って考え直すとでも?」
 彼女は、先ほど、彼が手をあきれて手を広げたしぐさをしたのを、そのまま真似て見せた。
 「その方たち、単に部屋を間違えたのではなくて?それを自分の魅力が呼び寄せたなんて、あなたって幸せな方ね。それともあなたは、秘密の一夜を彼女たちと過ごされたりなさったの?」
 「自分ちの寝室を間違えるんだ。ふうん」
 とエドワード・アーヴィンは言ってから
「据え膳は食ってないよ、腹壊すからな。泊まりになるような仕事はやめた・・・商売だからって、注文を取るためになんでもするってわけじゃないんだ」
 そう言ってため息をついた。

 「しかし、上流階級ってのは乱れてるね。貞淑な奥方様も清楚なご令嬢も、庶民の幻想だったと知ったよ。ベアティみたいに、母上の再婚でさえ、『二夫にまみえるなんて不潔だわー。ぷん』、なんて言う人には理解できないかもしれないけど」
 「ぷん、なんて言ってません」
 「そうだっけ?」
 エドワードが笑うのを見て、ベアトリックスは
 「わたくしを、まるで物の道理がわからない子供のように言われるけど、わたくしは、あなたのおっしゃることのほうがおかしいと思いますわ。あなたを誘っていたという夫人や令嬢の存在自体が、ご自身の願望からくる幻想だったんじゃなくって?」
 と言って、彼を睨みつけた。
 「少なくとも、わたくしの知る令嬢たちの中に、そんな人はいませんわ。それと、寝室がわからなくて迷うのも普通のことなんです。言っておきますけど、自宅で迷うのが、貴族なの」
 とつけ加えると、ベアトリックスは
 「わたくしも子供の頃、庭で遊んだあと、自分の部屋に帰れなくて、よく迷子になったもの」
と、彼を睨んだまま言った。
 「ベアティが言うんなら、そういうことにするよ。子供だけじゃなく、大人も、寝室がわからなくて迷子になるよな、うん」
 彼は苦笑している。
 「大富豪のあなたのおうちは、貴族の邸宅以上に広くて遥かに豪華で、部屋数も多いんじゃなくって?客用の寝室の数なんて、この屋敷どころじゃないと思いますけれど。あなたは、おうちの中で迷子になったことはないの?」

 「父が興した会社が軌道に乗るまでは、迷うはずもない小さな家で暮らしたよ。客用の寝室なんて二つしかなかった」
 と彼は言ってから
 「もっとも今の俺の家は、あんたも知ってのとおり元貴族の館だけどね。王都の旧ブライトストーン子爵邸は、ここほど広くないけど、小さな子なら迷うだろうな。あんた、王都の子爵邸に行ったことはある?小さかったから覚えてないか?」
 とたずねた。
 (えっ?)
 ベアトリックスは驚きのあまり声が出なかった。

 「・・・ブライトストーン邸っておっしゃったの?あなたのご自宅が、ってこと?」
 「知らなかったのか?」
 「存じませんでしたわ、義父の元の住まいが、あなたのお住まいだなんて」

 (子爵家は王都に家がないから、アーヴィン商会が家を建ててくれていたのね。伯爵邸を出た時に困らないように)

 エドワード・アーヴィンの話によると、母クローディアと再婚した後、義父の子爵は王都の家を売却したそうだ。家を売ったお金を妻と連れ子のベアトリックスのために、いざと言う時の手元金にしたという。その屋敷を買ったのがエドワードの父、デニス・アーヴィンだったとのことだ。
 「子爵は、自分は王宮に官職も持っていないし、所領も狭くて、妻と娘によい暮らしがさせられないから、屋敷を手放して金に換えるしかないと言われたらしい。小子爵が生まれるよりずっと前のことだ」とエドワード・アーヴィンは言って
 「相場より、高く買ったことを感謝してくださって、それから、子爵とオヤジはずっと付き合いが続いていたんだ」
 と、彼はお茶を飲んで一息ついた。
 「義父と、あなたのお父さまとの間に、そういうご縁があったのね・・・わたくしとの縁組も、その頃から決まっていたの?」
 「まさか。家の売買と関係ない話だし、子供同士を結婚させようなんて、当時はどっちの親も考えてなかったよ」
 「そうね。あなたのお父さまは王立学院で相手を探せとあなたに言われていたくらいですもの。家を高く買ったことで恩を着せて、わたくしを嫁に出せなどとおっしゃるはずがないわね」

 ベアトリックスは
 「お茶を入れ替えましょうか?違う茶葉を持って来させるわ」
と言って、エドワード・アーヴィンを見た。
 彼を、一刻も早く家から追い出さねば、と思っていた気持ちは消えていた。
 「いや、もういいよ。そろそろ帰らないと・・・あんたに俺と一緒になる気がないのはよくわかったよ。未練たらしいのはみっともないからな」
 そう言った彼に、ベアトリックスは問いかけた。

 「今回の縁談も、義父が役にも立たない無人島を購入してお金を失い、あなたのお父さまに泣きついた結果、というわけだったのね?」

 「詐欺まがいの話に乗る前に、相談してほしかったとオヤジは言っていたよ。あそこに暖流が流れ込むなんて、騙す側の人間は、あり得ないことを、さも自分たちだけが知っている特別な情報のように言うからな・・・以前のオヤジだったら、黙ってお金を用立て、子爵を見返りなしに助けたかもしれない。今は、助けるかわりに息子と令嬢を結婚させろ、と交換条件を出すような男になってしまった」
 「わかったわ」
 ベアトリックスはそう言うと
 「あなたに望まれたなら、わたくしに断る自由はない、ってことでしょう?子爵家はずっと昔から、あなた方には恩があるうえに、今回も支度金という形で助けて下さったんですもの。だったら、わたくしも、あなたに恩返しをしなくちゃいけないわ」
 「恩返し、って?」
 「王女さまとご結婚なさるなら、わたくしは愛人になるってことじゃなくって?」

 エドワード・アーヴィンは、一瞬、ぽかんとした表情になったが、やがて我に返ると
 「へー、そうなんだ。愛人になってくれるの。嬉しいねえ。さっそく俺の膝のうえに来なよ」
と、にっこり笑って言った。
 「なんて人なの?いきなり人の弱みにつけこむようなこと言い出したりして、ひどいわ」
 ベアトリックスは、彼の意外な態度の変化に、思わず、大きな声を出した。
 「そっちこそ、自分で言い出したことだろう?何を怒ってるのさ」
 彼は、白い歯を見せて笑うと、立ち上がってドアを閉め、またソファに戻って座ると、「さ、おいで。俺は大歓迎だから」と言って両手を広げた
 (ドアを閉めるなんて・・・わたくしに・・・覚悟を決めろってことかしら)

 ベアトリックスはソファから立ち上がったものの、彼のほうに足を踏み出すことが出来ず、ためらっていた。それでも何とか歩き出すと

「どうしたの?ベアティ。右手と右足が同時に出てるよ」
 彼は愉快そうに笑ったあげく「俺が、恩なんて気にしなくていい、自由に生きなさい、とでも言うと思った?男って、そんなに優しい生き物じゃないよ。まして俺は欲深い成金だし」
 そう言うと、こわばった顔で立ちつくすベアトリックスに向かって片目をつぶり、

 「なーんて、な」

 と言葉を終えて立ち上がり、またドアを開けると、愉快そうに、声をあげて笑っていた。

 真顔に戻ったエドワードは
 「ベアティ、自分の心に嘘をついて、したくもないことをやると言うもんじゃないよ。潔癖で、何も知らない、クソ真面目なあんたのこと、俺がわかってないとでも思ってる?」
と言った。
 そして
 「家のことを言ったりして申し訳なかったよ。あんたはとっくに知ってると思ってたから。子爵が、当時、それだけの覚悟で、ベアティの父親になったことを伝えたかっただけなんだ。あんたが子爵をよく思ってないことを、ミッドフォードの名で呼んでほしいと言われたことで知ったから・・・おせっかいなことしてごめん」
と謝罪をしたのだった。
 「いいえ。教えていただいてよかったと思っています。わたくし、何も知らず、子供の頃のままの目で家族のことを見ていたんだな、ってわかりましたから。だからと言って、今、この場で、義父を父だと慕う気持ちにはなれませんけど」

 「無理に頭を切り替えなくていいと思うよ。人の感情なんて理屈じゃないんだから」
と、エドワード・アーヴィンは言ってから
 「昔の恩を、それもオヤジが子爵邸を買ったことを口にしてまで、俺は、ベアティに妻になって欲しかったわけじゃない。まして愛人だなんて・・・そこまで言わせるほど、追い詰めて悪かった」
と詫びて
 「初めて会ったとき、あんたは俺を不躾に見つめなかった。ただ淡々としてた。そんなあんたを、いい人だなと思ったんだ。無理に話しかけてくることもなく、物静かで落ち着いていて。話題を探して女の機嫌とるのって、俺には難しくて。俺がむっつり黙ってても、あんたは何も言わないし、この人といると落ち着くなあって思ったんだ」
 
 窓から西日が入る時刻になったようだ。ベアトリックスは立ち上がって、少しだけカーテンをしめた。何気なく「雨が降らなくてよかったわ」と言って席に戻った彼女を、エドワードはあらためて見つめて

 「レディ・ベアトリックスは、他の誰とも違うってしみじみ思ったよ。月並みなこと言うけど、初めて会った日から、あんたのことしか考えられなくなってしまった」
 
 「そんな・・・あなたはひとこともおっしゃらなかったわ。わたくしと一緒になれれば、先々、商売を広げるうえで都合がいいと、それがプロポーズの言葉だったじゃないの。今さら、好きだのなんだのって、人の心に波風を立てにいらして、あまりにも悪趣味よ」

 ベアトリックスが言うと
 「一度、聞いたことがあっただろう?『わたしと一緒になるのは、身を売るようにつらいことですか?』って。あの時、あんたに『いいえ』と言って欲しかった。だけど、あんたは黙りこくってた。あれは、『そうです』と言ったのと同じだと思う。違うなら、ちゃんと否定してくれたはずだから。それで、傷ついて、『あなたの家と縁が出来れば商売の役に立つ』なんて言ってしまった。そのことは謝るよ。俺の謝罪なんて、いまさら、どうでもいいことだろうけど」
 
 ベアトリックスは何も言えなかった。
 
 今まで、自分は、彼がどういう人なのか、それを知ろうとすることもなく、爵位を持たない平民だ、というだけで下に見て、「成金」と呼んで、心で馬鹿にしていた。そのうえ、彼の金髪と青い目が、苦手な義父ブライトストーン子爵と同じで、顔立ちは違うのに、金色の髪が目に入るたびに、「この人、いやだ」と思っていたのだ。
 その偏見に満ちた心に、エドワードは辟易して、とうとう「性格が悪い」と言ったのだろう。

 ずっと礼儀正しくふるまっていた彼が態度を豹変させたのは、ベアトリックスに対してあきれ果てたということかもしれない。

 「王女さまとご結婚なさってください。パトリシアさまは、王室の一員として、国のために尽くすことを学んでこられました。お心も優しい方だと思いますわ」
 とベアトリックスは言った。やはり、今後の彼の人生にとっても、これから王立学院で学ぼうとしている自分にとっても、婚約解消が一番の結論だ。

 「人の男にちょっかい出す女が、優しいわけないだろう?ちゃんと、あの場で私たち二人には身分を超えた愛がある、って断言して釘を刺したのに、効果なしか」

  エドワード・アーヴィンは苦々しげに言った。

 「人の男って、そんな下品な言い方・・・それに、いつわたくしがあなたの・・・」
 二の句が継げずにいるベアトリックスに、エドワード・アーヴィンは

 「だって、そうだろう?俺は、レディ・ベアトリックスの婚約者として王宮の茶会に行ったんだ。なのに、そこで出会って好きになったとか、よく言えると思ったよ。王女、完全に、ベアティのこと馬鹿にしてる。あれで、俺と同い年とか、信じられない。あの人は友だちのおもちゃを欲しがる幼児だよ。しかも、友だちの婚約者が自分の好きな俳優に似ていて羨ましいからって・・・王室の一員どうこう言う前に、一人の人間として終わってるね」
 と言った。

 (この人、王女さまと同じ、二十四歳なのね)

 と、ベアトリックスは思ったと同時に、結婚を考えていた相手の年齢さえ、今まで知らなかった自分、知ろうとも思わなかった自分に驚いた。

 (いいのよ。わたくしだって、あなたのことを低く見ていたんですもの。人を見下す者は別の誰かから見下されるのよ。王女さまが悪いのじゃないわ。貴族社会ってそういうところなの)

 ベアトリックスは、かつて婚約者だった青年に心の中で詫びた。彼との短い関わりの中で、人としての誠実さを全く持たずに接してきたことを、今やっと、心から恥ずかしく思ったのだった。

 「まあ、なんにせよ。いい夢を見させてもらったよ。一瞬でもベアトリックス嬢の婚約者になれたんだし」
 急にしんみりとエドワード・アーヴィンは言った。
 「その綺麗な瞳が、いつか俺を見つめてくれれば、とか、結婚したら・・・って想像してたことがいっぱいあったけど、もういい。ついさっき、夢から醒めた」

 そう言うと、エドワード・アーヴィンは
 「これ、直しておいたから」
 と、小さな箱を取り出した。
 開けてみると、王女の茶会で落としたサファイアのイヤリングが入っていた。
 
 「一緒になれないなんて、これを直していた時は思わなかったな。婚約披露パーティーでダンスをしても落ちないように、だからと言って、ベアティの耳が痛くないように、といろいろ考えて直したんだ」
 そして、
 「あなたの一家を借金から救い出せたのなら、俺が成金の息子だったことに意味はあったのかもな」
 と呟くように言ってから
 「あと、これも」
 
 大きな封書を手渡され、ベアトリックスは
 「何ですの?」とたずねた。

 「婚姻届け・・・だったりして」
 と彼は笑ったあとで
 「冗談だってば。そんな嫌そうな顔するな。傷つくじゃないか」
と笑顔のままで
 「王立学院の入学申込書だよ。前に、学院に興味を持っているって言ってただろう。学院の説明書や教員紹介の一覧なんかも入ってる。俺も週に一回だけ物理を教えに行ってるよ。男子部にだけど」
 
 (学院のこと、覚えていてくれたなんて)

 思いがけない彼の親切に、ベアトリックスは言葉が出ない。
 「あ、あの・・・」
 ベアトリックスが言いかける言葉を制するように、エドワード・アーヴィンは   
 
 「お邪魔致しました。レディ・ベアトリックス。どうかお幸せに」

 そう言って、上着に袖を通すと、彼女に背を向けた。

 「お嬢さま、お呼びでしょうか?」
 ばあやが部屋に入ってきたのは、その時だった。
 「奥さまのお出かけにお供をしておりまして、たった今戻ったんでございますの。リンダが、わたくしの執務室の前におりまして・・・ミスター・アーヴィン、まさかアポイントも取らずに当家を訪問されたうえ、お嬢さまにお会いになっていたなんて」
と咎めるような口調で言った。
 (リンダってば・・・ばあやがお母さまについてバートン侯爵家へ行ったことを隠してたのね)
 ベアトリックスは、半分あきれつつも

 「違うの、ばあや。ミスター・アーヴィンは壊れたイヤリングを直して下さって、少しでも早くと、こちらに届けて下さったのよ。応対したリンダに、この箱を手渡してすぐに帰ろうとされたの。ここに上っていただいて、お茶をお出ししたのはわたくしの意思です。お目にかかってお礼を言いたかったから」
そう言って、サファイアのイヤリングをばあやに見せると
 「歴代伯爵夫人に伝わる宝石だから、気を遣って下さったのよ。もう用事は済んだわ。ミスター・アーヴィンが帰られます。ばあや、お客様を門のところまでお送りして」
 と言ってから、彼に向き直り

 「ミスター・エドワード・アーヴィン、わたくしはここで失礼致しますわ。あなたも、どうかお幸せに」
と別れの挨拶をしたあと
「イヤリングと、王立学校の書類、ありがとうございました」
 と言った。
 彼はばあやに
 「コーディー夫人、お見送りは辞退いたします。ご両親のお留守中に、突然、押しかけてきた挙句、令嬢にお会いしたりして、誠に申し訳ありませんでした」
 と言うと、振り返りもせずに部屋を出て行った。

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