王太子妃(仮)でしたが、聞いたこともない予言のせいで追放されました。ですから、今さら呼び戻されても困ります。

實藤圭

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1章:辺境の村、風の道

届かぬ光

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 丘を越え、谷を渡る。
 クラリスたちの乗る荷馬車の行く手に、少しずつ人の住むにおいが感じられるようになってきた。


 陽光は柔らかく、空気は澄んでいたが、これまでに通ってきた集落は、どこも活気がなかった。
 窓辺に干された布はくすみ、歩く人々の顔には疲労と乾きがにじむ。

 通り沿いの小さな小屋の前に、やせた女が座っていた。
 クラリスはふと、その女の足元にあった籠に目を止める。
 布をかぶせた籠の中からは、赤子のものと思われる、かすれた咳がかすかに聞こえた。

「ねえ、バルバラさん……あの人……」

 バルバラは手綱を引かず、横目にちらと見るとため息まじりに答えた。

「加護師なんて来やしないよ。ここらじゃ、赤子が熱を出したら運を天に任せるしかない」
「なぜ……? 教会は、国は……」
「……金も力もない場所には、光も差し込まない。それがこの国さ」

 バルバラの言葉に、クラリスは言葉を詰まらせた。

 自分がいた王宮では、何かあれば加護師がすぐに呼ばれていた。
 聖堂には絶えず香が焚かれ、誰かが祈っていた。
 ──それが当然だと思っていた。



「……止まってもらっても、いいですか」

 クラリスの声に、バルバラはちらりと顔を見る。

「いいけど、あんた、本当にやるのかい?」

 クラリスは小さくうなずいた。

 荷馬車を降りると、クラリスは小屋の女に声をかけた。
 女は顔を上げ、見るからに警戒した表情を浮かべている。

「……すみません。あの……私は……加護師です。もしよかったら、その子を診せてもらってもいいですか」
「はぁ……!? 加護師、だって……? あんた、こんな辺境まで何の用で……」

 女の目には疑いが浮かんでいたが、咳をする子の声を聞き、やがて深くため息をついて籠を指した。
 籠の中の赤子は、顔を真っ赤にし、呼吸も浅く、虚ろな目をしている。

 クラリスは、その場にそっと膝をついた。
 掌をその子の額に当て、深く息を吸う。

「……どうか、届いて……」

 女やバルバラたちの見つめる中、クラリスの指先から、じんわりと淡い光がにじむ。
 光は少女の額から喉、胸へと流れていき、呼吸の乱れが次第に穏やかになっていく。
 やがて、赤子はゆったりとした表情をすると、小さく寝息を立てていた。

「……よかった」

 その瞬間、クラリスの肩がかすかに震えた。

「う……うわ……ああぁ……」  

 女は子供が起きないよう、必死に嗚咽をこらえていた。


「へえ、やるじゃないか」 
 バルバラがクラリスの背中を叩きながら言う。
「やっぱり、聖女様みたいだ」

 その言葉は周囲の喧騒にかき消され聞こえなかったのか、クラリスは振り返ることなく、安らかな赤子の顔に目を細めていた。



 やがて、女が静かに口を開いた。

「……あんた、ありがとう。本当に加護が使えたんだね……けど」

 女は、クラリスの姿をじっと見ると続けた。

「本当に加護師なの? 加護師の証も出さなければ、身なりもそれらしくない。……あんた、何者?」

 クラリスは答えに詰まった。
 自分は、いったい何者なのだろう。
 王太子妃という肩書きは、数日前に失った。
 ──では、今の私は……

「私は……ただ、人を癒したいだけです」

 女はしばらく黙ってから、ぽつりと漏らすように言った。

「……ごめんね。余計な事を聞いちゃった、かな。とにかく、ありがとう」

 その言葉にクラリスが顔を上げると、女はクラリスに頭を下げていた。


 馬車に戻ると、セラヴィアが荷車の脇で腕を組んで立っていた。
 何か言われるかと思ったが、彼女はただ一言、こう言った。

「……加護、ちゃんと使えるじゃない」

 それは、最大限の肯定だった。

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