王太子妃(仮)でしたが、聞いたこともない予言のせいで追放されました。ですから、今さら呼び戻されても困ります。

實藤圭

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1章:辺境の村、風の道

聖女じゃない

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 翌朝、谷間に霧が立ちこめるなか、クラリスはひとり、馬車の脇で腰を下ろしていた。
 指先が冷たく、昨夜の記憶がまだ胸の奥でざわついている。

 ──あれは、確かに“加護”だった。

 セラヴィアの手から漏れ出た光、決して荘厳なものではなく、形式張ったものでもなく、ただ、自然に手を添えただけ。
 王都の聖堂で儀式的に行われるそれとは違い、あまりにも静かで、簡素で、──力強かった。


「おーい、お嬢ちゃん。こっちで湯が湧いたよ」

 バルバラの明るい声に呼ばれて、クラリスははっとして顔を上げた。
 焚き火の上で鍋がぐつぐつと煮立ち、湯気の向こうに笑う顔がある。

「身体、冷えてるんだろ? ちょっと飲んでおきな」

 差し出されたカップには、薬草を煮出しただけの、素朴な香りが漂っていた。
 クラリスは手を添えて受け取ると、そっと口をつけた。

「……あたたかいです。それに、いい香り」

「だろ? 辺境の朝は冷えるからね」

 その隣では、セラヴィアが薪を割っていた。無言のまま、流れるような手つきで。

 クラリスはそっと彼女を見た。
 だが声をかける勇気は、まだ持てなかった。
 その代わりに、ぽつりと口を開いた。

「……私……加護師なんです」

「へえ、そうなのかい? ははっ、聖女様みたいだ」

 バルバラがにやにやと笑う。
 その言葉に、クラリスは静かに目を伏せた。

「私は……ただ、そういった力があっただけで……それだけで、聖女様と呼ばれるのは……」

 クラリスは小さく肩をすくめた。



 ──ミラ。

 ミラと私が、まだ、村の教会の孤児院で、日々を過ごしていたあの日。
 教会の礼拝堂に、一人の村の男が現れた時の事。
 その男には、胸に、野良作業中に誤って刺さったという刃物による深い傷があった。
 治療と祈りの準備は進められてはいたが、誰もが目を伏せていた。
 その沈黙が、この男に残された時間が、そう長くは無いだろうということを、暗黙の裡に語っていた。
 だが奇跡は起こった。

 その場にいた皆が、男の傷から光が溢れるのを目の当たりにした。
 男の傷は癒え、一命をとりとめたのだ。
 
 あれは、ミラが手をかざした瞬間に起きた奇跡だったのか。
 それとも、クラリスが捧げた祈りによって起きた奇跡だったのか。

 
 その時、人々はミラの姿を見て、歓喜の声を上げた。

 「聖女が現れた」
 「神に選ばれた子がいる」

 クラリスは、何も言えなかった。
 それを否定すれば、自分が“選ばれなかった子”だと名乗り出ることになる気がして。

 自分は、ただ側にいただけだった。
 そう、それでいい。


「……私は、“聖女様”じゃありません」

 そう言ったクラリスの声は、風に消え入りそうなほど静かだった。

「違う、ねぇ。だってさ、セラヴィア」

 声をかけられたセラヴィアは、薪を割っていた手を止め、背を向けたまま言った。

「当たり前。そんな大それた看板がないと癒せないような人は、ただの飾り物ね」

 その言葉に、クラリスの目が大きく見開かれた。

「……でも、私は、人を癒すだなんて、そんな……」

「──だったらなぜ明かしたの?」

 短く言って、セラヴィアは次の薪を拾い上げる。
 その背中に、力強さだけではない、かすかな“諦観”がにじんでいた。

「それは……」

「そう言っておけば、居場所ができるとでも思った?」

 クラリスは、はっとした。

「加護師かそうでないかなんて、どうだっていいのよ。私の前に立つ者にとってはね。彼らにとっては『治せるのか、治せないのか』ただそれだけ」

 クラリスは、自分の胸に手を当てた。
 燃えるような熱さはない。けれど、そこに確かに宿っているものがある──自分だけの何かが。

 言葉は最後まで声に出なかったが、クラリスの中には、確かな芽生えがあった。


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