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1章:辺境の村、風の道
風の道をゆく
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東の空がかすかに光を帯び始める頃、バルバラの荷馬車は森を抜けて広い丘陵地へと入った。
風が草をなで、朝露をキラキラと光らせながら通りすぎる。
クラリスはその風に顔を上げた。
冷たい空気が、心の中まで澄ませていくようだった。
「いい風だろう? この辺りじゃ“風の道”って呼んでるよ」
前方で手綱を握るバルバラが声をかけてくる。
クラリスは黙ってうなずいた。
──この馬車には、王宮のような決まり事もなければ、冷ややかな視線もない。
ただ、朝が来れば進み、夜が来れば火を焚く。
そんな生活の中に、自分の居場所が少しだけ芽吹き始めていた。
それでも──
あの石造りの宮殿。
絹と香油の香り。
そして、リュシアの笑顔。
(……もう戻ることは無いのだろうな)
ほんの数日前の事なのに、遠い昔の事だったように感じられる。
クラリスは小さく息を吐いた。
「おーい、お嬢ちゃん。のどは乾いてないかい?」
来た道を振り返るように眺めていたクラリスに、バルバラが手渡してきたのは、果実酒を薄めた水だった。
果実酒をこうして飲んだことは無かったが、口に含むと、冷たさと、爽やかな酸味の中から感じられる少しの甘みが、喉を潤す。
「……ありがとうございます」
「ったく、なんだって"お姫様"ってのは礼儀正しくて、無愛想なんだろうねぇ。もっとこう、感情を素直に出しなよ。あんた、よく燃えるタイプに見えるけどなぁ?」
「……“燃える”?」
「そう。芯の部分に火を持ってる人間ってのは、案外すぐ分かるもんだよ」
クラリスは返事に困り、曖昧に笑った。
馬車はその後もしばらくすすみ、やがて緩やかに停車した。
「ちょいと待ちな」
バルバラが手綱を引いた方向には、一人の女性が立っていた。
旅装のまま、木陰に寄りかかっている。
年は四十の頃だろうか。風にそよぐ髪の奥の横顔は、どこか荒削りで鋭さを含んでいた。
「セラヴィア!」
バルバラの声に女は静かにうなずいた。
そしてクラリスに視線を向ける。
「……"それ"は?」
その言葉に、クラリスの眉がかすかに動いた。
「大事な"荷物"だよ。うちの村まで運んでいくところさ。」
「ふぅん……」
「詳しい話は、後さ。村まで戻るんだろ?乗ってきな」
セラヴィアと呼ばれた女はため息をつき、バルバラの操る馬車に無言で乗り込む。
それだけで、空気がぴんと張りつめた気がした。
その後の道のりは、妙に静かだった。
彼女が何を考えているのか、その鋭い視線の先には何があるのか──まるで読めなかった。
昼も過ぎ、陽が傾き始めた頃、一行は小さな谷間に馬車を止めた。
風を避けやすく、薪も確保できる場所だ。
その夜。皆、食事も終え、そろそろ眠る者もいようかといった頃だった。
「……うっ……」
クラリスは呻き声を聞いた気がして顔を上げた。
焚き火の明かりがぼんやりと照らす先、セラヴィアが地に座り、誰かの肩を支えていた。
どうやら、バルバラの仲間ではないようだが、闇夜の中転倒でもしたのだろうか、腕から血を流しているようだった。
「無駄に動かないで。すぐ済むわ」
セラヴィアは静かに告げると、指先で自分の胸元に触れ、次いで傷口へと手を当てた。
そのとき、焚き火とは異なる、やわらかな光が彼女の手から溢れた。
それはまぎれもなく──加護だった。
クラリスは息をのんだ。それは、王都で見たどの儀式よりも粗雑なものだったが、どの儀式よりも美しく感じられた。
セラヴィアはやがて立ち上がり、淡々と包帯を巻いてからその場を去った。
「……あの人は、加護師?」
つぶやいたクラリスの声に、焚き火の奥でバルバラが笑っていた。
「さあね。こっちが知ってるのは、ただの旅の女ってことさ。それ以上でも、それ以下でもない。……だけど、信じていいと思うよ。あの人の癒しは、本物だから」
クラリスは、自分の胸の奥にある小さな光の欠片を、そっと確かめるように胸に手を置いた。
風が草をなで、朝露をキラキラと光らせながら通りすぎる。
クラリスはその風に顔を上げた。
冷たい空気が、心の中まで澄ませていくようだった。
「いい風だろう? この辺りじゃ“風の道”って呼んでるよ」
前方で手綱を握るバルバラが声をかけてくる。
クラリスは黙ってうなずいた。
──この馬車には、王宮のような決まり事もなければ、冷ややかな視線もない。
ただ、朝が来れば進み、夜が来れば火を焚く。
そんな生活の中に、自分の居場所が少しだけ芽吹き始めていた。
それでも──
あの石造りの宮殿。
絹と香油の香り。
そして、リュシアの笑顔。
(……もう戻ることは無いのだろうな)
ほんの数日前の事なのに、遠い昔の事だったように感じられる。
クラリスは小さく息を吐いた。
「おーい、お嬢ちゃん。のどは乾いてないかい?」
来た道を振り返るように眺めていたクラリスに、バルバラが手渡してきたのは、果実酒を薄めた水だった。
果実酒をこうして飲んだことは無かったが、口に含むと、冷たさと、爽やかな酸味の中から感じられる少しの甘みが、喉を潤す。
「……ありがとうございます」
「ったく、なんだって"お姫様"ってのは礼儀正しくて、無愛想なんだろうねぇ。もっとこう、感情を素直に出しなよ。あんた、よく燃えるタイプに見えるけどなぁ?」
「……“燃える”?」
「そう。芯の部分に火を持ってる人間ってのは、案外すぐ分かるもんだよ」
クラリスは返事に困り、曖昧に笑った。
馬車はその後もしばらくすすみ、やがて緩やかに停車した。
「ちょいと待ちな」
バルバラが手綱を引いた方向には、一人の女性が立っていた。
旅装のまま、木陰に寄りかかっている。
年は四十の頃だろうか。風にそよぐ髪の奥の横顔は、どこか荒削りで鋭さを含んでいた。
「セラヴィア!」
バルバラの声に女は静かにうなずいた。
そしてクラリスに視線を向ける。
「……"それ"は?」
その言葉に、クラリスの眉がかすかに動いた。
「大事な"荷物"だよ。うちの村まで運んでいくところさ。」
「ふぅん……」
「詳しい話は、後さ。村まで戻るんだろ?乗ってきな」
セラヴィアと呼ばれた女はため息をつき、バルバラの操る馬車に無言で乗り込む。
それだけで、空気がぴんと張りつめた気がした。
その後の道のりは、妙に静かだった。
彼女が何を考えているのか、その鋭い視線の先には何があるのか──まるで読めなかった。
昼も過ぎ、陽が傾き始めた頃、一行は小さな谷間に馬車を止めた。
風を避けやすく、薪も確保できる場所だ。
その夜。皆、食事も終え、そろそろ眠る者もいようかといった頃だった。
「……うっ……」
クラリスは呻き声を聞いた気がして顔を上げた。
焚き火の明かりがぼんやりと照らす先、セラヴィアが地に座り、誰かの肩を支えていた。
どうやら、バルバラの仲間ではないようだが、闇夜の中転倒でもしたのだろうか、腕から血を流しているようだった。
「無駄に動かないで。すぐ済むわ」
セラヴィアは静かに告げると、指先で自分の胸元に触れ、次いで傷口へと手を当てた。
そのとき、焚き火とは異なる、やわらかな光が彼女の手から溢れた。
それはまぎれもなく──加護だった。
クラリスは息をのんだ。それは、王都で見たどの儀式よりも粗雑なものだったが、どの儀式よりも美しく感じられた。
セラヴィアはやがて立ち上がり、淡々と包帯を巻いてからその場を去った。
「……あの人は、加護師?」
つぶやいたクラリスの声に、焚き火の奥でバルバラが笑っていた。
「さあね。こっちが知ってるのは、ただの旅の女ってことさ。それ以上でも、それ以下でもない。……だけど、信じていいと思うよ。あの人の癒しは、本物だから」
クラリスは、自分の胸の奥にある小さな光の欠片を、そっと確かめるように胸に手を置いた。
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