上司が猫を脱いだなら。

yuzu

文字の大きさ
2 / 8
メロい上司の秘密を知ってしまった瞬間

2

しおりを挟む
 デスクに戻り、起動したままのPC画面にパワーポイントを呼び戻す。
 画面に映し出されたのは当然、さっきまで睨みつけていた企画書。
 言われた箇所を直そうと、何も考えずにカーソルを動かす。

 けれど、次の瞬間――指が止まった。

 誉の言葉が、遅れて胸に落ちてきたからだ。

 ――あー……だよね、部分修正じゃない。
 ――全体なんだ。

 今さらその事実に気づき、頭の中が真っ白になる。

 やる気スイッチは、音もなく切断された。

 背もたれに身を預け、ゆっくりと息を吐く。
 ため息というより、もはや空気の排出に近かった。

 その背後で、カラカラと床を鳴らす音がした。
 椅子を滑らせる気配とともに、後輩の澤部ミチルが距離を詰めてくる。

 肩越しに、ひそひそと耳打ちされた内容は――予想どおり。

(先輩、先輩。今日の王子、犯罪級にメロくないですか?フェロモンダダ漏れで、普通に心臓持ちません)
(わかる……。尊すぎて寿命縮んだ)

 王子。
 もちろん、黒木係長のことだ。

 いつの間にか、係長を推している女子社員の間で、そう呼ばれるようになっていた。

(推しの上司が職場にいるって、普通に罪だと思う)

 小声で返した、その瞬間。
 ふと視線を上げると、黒木係長と目が合った。
 
 1、2秒程凍りついたように見つめ合い、彼は何事もなかったように微笑みながら視線をPCに戻した。

 それだけの仕草なのに、胸の奥がざわつく。

(……もう、本当にメロくて困る)
(同感です)

 二人同時に悶えたのは、言うまでもない。
 結局。
 推敲してと突き返された企画書は、頭の中で何度組み立て直しても、形にならなかった。

「俺のこと、頼ってくれてもいいけど?」

 軽い調子でそう言ってきた誉を、「はいはい」と受け流し、資料室に足を運んだ。

 棚から引き抜いた資料をいくつも抱え、席に戻ったころには、終業を告げるチャイムが鳴っていた。

「澤部と飯行くけど、多部はどうする?」
「ごめん。もう少し企画練りたくて。今日は二人で行ってきて」
「じゃあ、俺も――」
「いいって。大丈夫。二人に迷惑かけたくないし」
「先輩。私たち、いつものBARにいますから。終わったら来てくださいね」
「うん、ありがとう」

 二人を見送り、再びデスクへ戻る。
 そこからは、ほとんど無心だった。
 推敲に推敲を重ね、ようやく形になった企画書をプリンターで刷り終えたとき、他課の電気がすでにすべて落とされていることに気づいた。

 急に、静まり返ったオフィスは不気味で、心細くなる。

「……おばけ、出たりして」

 半分冗談で呟きながら、誉たちに電話をかけようとスマホを手にした、その瞬間。

 ――かたん。

 小さな物音がした。
 思わずスマホを机に置き、顔を上げる。

 そこに立っていたのは、用務員さんだった。

「もう表の扉、鍵かけちゃうけどいいかな。もう一人も、今帰るみたいだし」
「私以外に、もう一人いるんですか?」
「ええ。もうすぐ帰るみたいだよ」

 その言葉に、胸の奥でほっと息をつく。

「じゃあ、片付けて帰りますね」

 急いでデスクを片付け、残るは資料室に資料を戻すだけ。
 バッグを肩にかけ、私は小走りで資料室へ向かった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

Melty romance 〜甘S彼氏の執着愛〜

yuzu
恋愛
 人数合わせで強引に参加させられた合コンに現れたのは、高校生の頃に少しだけ付き合って別れた元カレの佐野充希。適当にその場をやり過ごして帰るつもりだった堀沢真乃は充希に捕まりキスされて…… 「オレを好きになるまで離してやんない。」

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end**

黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました

ドSな彼からの溺愛は蜜の味

鳴宮鶉子
恋愛
ドSな彼からの溺愛は蜜の味

最後の女

蒲公英
恋愛
若すぎる妻を娶ったおっさんと、おっさんに嫁いだ若すぎる妻。夫婦らしくなるまでを、あれこれと。

親愛なる後輩くん

さとう涼
恋愛
「神崎部長は、僕と結城さんがつき合っているのを知りながら彼女に手を出したんですよ」 雨宮一紗(33歳)。離婚して3年。 同じ会社に勤める元夫・神崎敦朗と復縁したくて、ある日食事に誘ったら、神崎から恋人がいると知らされる。相手は20代の部下・結城史奈だという。 さらに神崎のもうひとりの部下である蓮見閑《しずか》から、彼女(結城)を神崎に略奪されたと聞かされてしまい、大きなショックを受ける……。

密室に二人閉じ込められたら?

水瀬かずか
恋愛
気がつけば会社の倉庫に閉じ込められていました。明日会社に人 が来るまで凍える倉庫で一晩過ごすしかない。一緒にいるのは営業 のエースといわれている強面の先輩。怯える私に「こっちへ来い」 と先輩が声をかけてきて……?

メイウッド家の双子の姉妹

柴咲もも
恋愛
シャノンは双子の姉ヴァイオレットと共にこの春社交界にデビューした。美しい姉と違って地味で目立たないシャノンは結婚するつもりなどなかった。それなのに、ある夜、訪れた夜会で見知らぬ男にキスされてしまって…? ※19世紀英国風の世界が舞台のヒストリカル風ロマンス小説(のつもり)です。

処理中です...