恋が温まるまで

yuzu

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#1 失恋から数年後

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 ーー数年後。


 「これ、計算ミス。あとこっちはグラフ記入漏れ。書類の作り直しを今日中に頼めるかな?明日、朝イチの会議で使う資料だからさ。」

 渡された資料に目を通せば、計算ミスとグラフの記入漏れだけではなく、参考資料も数年前のデータを使っている事に気がついて、深い溜息をこぼした。

 (最初から作り直す方が早そうだな…)

 課長はその事に気づいているはずなのに、終業時間まで残り5分しかないタイミングで渡してくるなんて、余程都合良く使えるモブだと思われているに違いない。

 こんな適当な仕事をする人間が誰かなんて、作成者を確認しなくても予測がつく。

 念の為、担当者を確認した私は課長に漏らした。

 「課長、この書類作成は磯崎さんが…」

"磯崎さんが担当している資料ですよ?"

 そう言おうとした私の声に被せるように、課長は話を遮った。

「花田、頼むよ。時間あるだろ?」

 そう言って顔前で掌を合わせ、「ごめん。」のジェスチャーをした課長は、すでに帰り支度を済ませている。

 当の本人である後輩の磯崎美優いそざきみゆうを見ると、彼女も帰り支度は済ませてあり、悠々とコンパクトミラーを片手にリップを塗り直している。

 すぐにでもオフィスから出ていきそうな気配しかない。

 眉間に皺を寄せたせいで少しズレた黒縁眼鏡を直した私は、表情を殺して席についた。

 "自分で訂正して下さい。"

 本人にそう言えば済むかもしれない。

 けれどそうしなかったのは、彼女と会話するぐらいなら、残業する方がマシだと思ったからだ。

 一度電源を落としたPCを起動した瞬間、磯崎美優はわざとらしく私の肩にカバンをぶつけた。

 視線がぶつかると、彼女はぱっちりとした目を細めて口角を上げ、ゆっくりとした口調で言った。

 「ごめんなさい、花田さん。」

 
 
 そう言われた私の心はギシッと軋む様な音を立てた。

 磯崎美優は磯崎貴史モトカレの妻で、彼女には4歳の娘がいる。

 27歳で失恋したあの日、彼女のお腹には既に赤ちゃんが宿っていたらしい。 

 失恋に傷つきながら出社した私に、

「妊娠したから、彼と入籍しました。」

 多幸感あふれるような表情で報告をする磯崎美優に、間抜けにも祝福の言葉を彼女に送った。

 「おめでとう、伊東さん……じゃなくて、えっと?」

 彼女のそのぽってりとした色気のある唇から発せられた結婚後の苗字は“磯崎"。

 浮気されていた上、妊娠、結婚。

 なにより、私じゃなく彼女を選んだ事に気付かされ、絶望した。

 いつどこで2人が知り合ったかなんて、聞く気も無いしどうでもいい。

 だけど……最愛だと信じていた彼と、可愛いがっていたつもりの後輩。

 2人へのあらゆる感情全てが氷点下まで下がった事は、言うまでもない。

 二度と恋なんかしたく無いと思った。

 無言で視線をパソコンへ逸らし、カタカタとキーボードを打ち始めると、後方で扉が閉まる音が響いて、磯崎美優が愛嬌を振りまきながら出ていくのがわかった。




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