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12月24日。世間が浮足立つクリスマスイブ。 優太は凍えるような寒さの中、小学校のグラウンド脇にポツンと立ち尽くしていた。
本来なら、合コンで知り合った女子とイルミネーションを眺めているのが、大学生としての「正しい」過ごし方なのかもしれない。けれど、優太の選択はいつだって一つだった。
(……寒い。でも、冬の澄んだ空気の中で、真っ白な息を吐きながらピッチを駆ける蒼くん……今日もカッコいいなあ……!)
マフラーに顎まで埋まり、怪しさ全開の挙動で練習を見守る優太。もはや寒さすら、蒼の美しさを引き立てる演出の一部にしか感じていなかった。
練習終了のホイッスルが鳴り、蒼はチームメイトたちと別れ、一人で優太の元へと歩いてきた。
「お待たせ。……優太さん、鼻水出てるよ。バカなの?」
「バカじゃないよ! 蒼くんの勇姿を網膜に焼き付けてたら、寒さを忘れてただけだよ!」
「……やっぱりバカだ」
蒼が呆れたように鼻で笑う。優太はかじかむ手で、鞄から丁寧にラッピングされた小さな袋を取り出した。
「あの、これ……クリスマスプレゼント。受け取ってくれるかな」
「え? ……何これ」
「スポーツタオル。蒼くんの好きなブランドの。あ、嫌だったら雑巾にしてもいいから、使って!」
「雑巾になんてしねーよ。……サンキュ」
蒼はぶっきらぼうにそれを受け取ると、少しだけ視線を泳がせた。
「……ねえ。この後、駅前行かない? イルミネーション、今日までだって母さんが言ってた」
蒼からの予期せぬ誘いに、優太の心臓はドラムの乱れ打ちのように跳ね上がった。
「えっ!? い、いいの!? 俺とイブにデートしていいの!?」
「デートって言うな。ただの寄り道」
そう言い捨てて歩き出した蒼の耳が、寒さのせいか、あるいは別の理由か、微かに赤くなっていた。
並んで駅前へと向かう道すがら、不意に、優太がコートのポケットに入れていた右手に、異質な感触が飛び込んできた。
蒼が、自分の冷えた手を無造作に、優太のポケットの中に突っ込んできたのだ。狭いポケットの中で、優太の手の甲に、蒼の少し硬くて冷たい手が重なる。
「……っ、蒼くん!?」
「……こうしてれば、温まるでしょ。あんたの手、無駄に温かいし」
前を向いたまま、繋いでいるわけでもない、けれど確かに触れ合っている手のひら。 蒼の体温が、指先から心臓へと直結して流れ込んでくる。
(蒼くん……! 俺、もう今死んでも悔いはないかもしれない……!)
イルミネーションの光が瞬く街へと消えていく二人の影。 優太は、ポケットの中の小さな温もりを壊さないように、そっと指先に力を込めた。
駅前は、眩いばかりの光の濁流に包まれていた。 青や白のLEDが街路樹を飾り、巨大なクリスマスツリーが夜空を突くようにそびえ立っている。その幻想的な光景を見上げながら、優太の胸には、ずっと澱のように溜まっていた不安がせり上がってきていた。
先日、家庭教師に訪れた際、すみれさんからそれとなく聞いてしまったのだ。蒼に、隣県のサッカー強豪私立から特待生枠でのスカウトが来ていることを。そこは数々のプロ選手を輩出している名門で、もし進学すれば、蒼は中学、高校と全寮制の生活を送ることになる。
「……ねえ、蒼くん。中学のことなんだけど」
並んで歩きながら、優太は震える声を押し殺して慎重に切り出した。
「県外の……私立から誘われてるって、お母さんに聞いたよ。本当にすごいね」
不意に、優太のコートのポケットに手を入れていた蒼の足が止まった。 ツリーの光を背負った蒼の表情が、一瞬で影に沈む。
「……ああ。そこなら、今よりもっと上のレベルでサッカーができる。でも、遠いんだよね。ここからだと片道三時間。だから、行くなら寮に入ることになる」
「そっか……。じゃあ、もう、こうして練習帰りに会うことも……家庭教師をすることも、できなくなるんだね」
優太の声は、自分でも情けないほどに弱々しく震えていた。 ポケットの中、重なっていたはずの蒼の手が、するりと離れていくような錯覚に陥る。
「寂しい?」
蒼が、低い声で問いかけてきた。
「……っ」
寂しいに決まっている。行かないでほしい。わがままを言えるなら、ずっと地元の公立中学に通って、週に一度の勉強に四苦八苦して、時々こうして一緒に帰り道を歩いていたい。成長していく姿を、誰よりも近くでずっと、一秒も見逃さずに見守っていたい。
けれど、自分はただの「家庭教師」なのだ。蒼の輝かしい未来を奪う権利なんて、一ミリも持っていない。そんなことは、誰に言われずとも分かっていた。 いつか必ず来るお別れが、少しだけ早く、形を変えてやってきた。ただそれだけのことなのだ。
その時だった。 駅前の広場でちょうどイベントのフィナーレが始まったらしく、光の演出を間近で見ようとする群衆が一気に押し寄せてきた。
「あ、ちょっと、蒼くん!」
揉みくちゃにされ、ポケットの中で触れ合っていただけの熱が、物理的な波にさらわれるようにして離れていく。どんくさい優太はあっけなく人波に流され、数秒のうちに蒼の姿を見失ってしまった。
「蒼くん!? どこ!? ……うわっ、すみません!」
迷子のようにキョロキョロと辺りを見回していると、背後からポンと肩を叩かれた。
「あれ、やっぱり優太くん?」
振り返ると、そこには華やかなファーのついたコートを着たミサトが、女友達と一緒に立っていた。
「ミサトさん……。どうしてここに」
「あはは、そんなに驚かなくても。今日は友達とイルミネーション。……優太くんこそ何してるの? もしかして、あの『大切な約束』の相手とデート中?」
ミサトは意地悪く笑いながらも、どこか興味津々な様子で優太の周囲を伺っている。一度は振られた相手だが、逆にどんな相手と一緒のか、女の勘が働いたらしい。
「えっ!? あ、いや、その、デートじゃなくて……!」
「ええ~?そんなこと言って、絶対彼女でしょ? ねぇ、どんな人? 案外、年上の落ち着いた人だったりして」
ミサトがクスクスと笑いながら距離を詰めてきた、その時だった。
――ガシィッ!!
という強い衝撃とともに、優太の右腕が反対側から猛烈な力で引き戻された。
「……何してんの?」
低い、地を這うような、聞いたこともないほど冷え切った声。 いつの間にか戻ってきた蒼が、般若のような凄まじい形相でミサトたちを射抜いていた。
「えっ……何、この子。弟くん?」
ミサトたちが驚いて目を丸くする。優太は焦って口を濁した。
「え、あ、いや……」
(『俺の好きな人』なんて、口が裂けても言えるわけがない……)
「弟じゃない」
けれど、優太の言葉を遮った蒼の口から出たのは、それ以上に強烈な宣言だった。
「優太さんは、俺のだから。勝手に触るな」
蒼はミサトたちが近づこうとしていた優太の手を乱暴に振り払うと、優太の腰をグイッと自分の方へ引き寄せた。そして、あろうことか優太の腕を自分の胸元に抱え込むようにして固定する。
146センチの蒼が、170センチの優太を、自分の「所有物」として周囲に誇示したのだ。 体格差など一切関係ない。その場を支配するような気迫と、他者を寄せ付けない独占欲に、ミサトたちは言葉を失って一歩後退りした。
「……行こう。優太さん」
蒼はミサトたちに視線を送ることをやめ、優太の腕を掴んだまま、人混みを割って歩き出した。優太は心臓が口から飛び出しそうなほどバックバクになりながら、ただひたすらに彼に引きずられていくことしかできなかった。
静まり返った広場の片隅。 イルミネーションの喧騒が遠くへ退き、二人の周囲には凍てつくような、けれどどこか優しい夜の静寂が降りていた。優太の心臓は、いまだに耳元で警鐘を鳴らすように激しく打ち付けている。
「……蒼くん。今のは、その……言いすぎっていうか、相手もびっくりしてたし……」
「……優太さんが無防備すぎるんだよ」
蒼は前を向いたまま、吐き捨てるように言った。
「簡単に女に触らせようとしてんじゃねえよ。隙だらけなんだよ、あんたは」
その時、夜空から音もなく白い欠片が舞い落ちてきた。 街灯の光に透かされた、宝石のような雪。奇跡のようなホワイトクリスマスだった。
「……俺、さ」
蒼が雪を見上げながら、凛とした声で言った。
「強豪校に、行くよ。そこで一番になって、誰よりも早くプロになってやる」
優太の胸が、万力で締め付けられるように痛んだ。 やっぱり、離れるんだ。この温もりが、もうすぐ手の届かない場所へ行ってしまう。
「……そっか。うん、応援してる。絶対、蒼くんならプロになれるよ」
精一杯、震える声でそう答えたはずだった。なのに、視界が急にぐにゃりと歪み、頬を熱いものが伝っていった。
「あ、あれ……? おかしいな、ゴミが入ったかな……」
零れた涙を手の甲で拭おうとするが、蛇口が壊れたように止まらない。情けない、二十歳にもなって、年下の少年の前でボロボロと泣くなんて。
すると、蒼は近くにあったベンチにひょいと飛び乗った。 優太より少しだけ高くなった位置から、蒼は優太の頭をその両手で引き寄せ、自分の胸元へと抱きしめた。
「え? え、蒼くん……!?」
(俺、幸せすぎて今日死んじゃうの!?)
パニックになる優太の頭を、蒼はポンポンと、まるで小さな子どもをあやすように優しく撫でる。蒼の着ているベンチコートから、冬の冷気と、それ以上に熱い、彼の体温が伝わってくる。
「泣くなよ。……俺だってちょっと、寂しいけどさ」
「……っ!」
「ねえ、優太さん。本当に俺のこと、好きなの?」
頭上で響く、少しだけ真剣さを帯びた低い声。 優太は蒼の胸に顔を埋めたまま、唇を噛んで、小さく頷いた。
「……そっか。じゃあ、悪いけど、しばらく待ってて」
優太が驚いて顔を上げると、至近距離に蒼の瞳があった。
「俺はまだガキだし、正直、好きとか、そういうのはまだよく分かんねえけど……」
蒼はそう言うと、少しだけ照れくさそうに視線を外したが、すぐにまた覚悟を決めたような強い瞳で優太を見据えた。
「でも、ちゃんと考えるから。……離れてても連絡するし、あんたも連絡しろよ。無視したら許さないからな」
その言葉に、優太の呼吸が止まる。
「背も、すぐに追い抜く。年齢以外は全部、すぐに俺が追い越すから……だから、それまで。他の奴を見ないで、待ってて。他の誰かにあんたを触らせるなよ」
命令するような、独占欲の滲んだ低い声。
「え……待ってて、いいの? 無理、しなくていいんだよ……? 蒼くんはこれから、もっと色んな人に出会うよ。きっと、中学には可愛い子だっているし……その、その時は、連絡とか、無理にしなくていいから……」
優太は、精一杯の「大人のふり」をして、逃げ道を用意してやるような言葉を口にする。けれど、声は情けないほど震えていて、全然心にないことを言っているのは明白だった。
そんな優太を、蒼は冷たい夜風の中で、ただ静かに見つめていた。 そして、呆れたように、けれど慈しむようにふっと口角を上げる。
「……ふーん、あんたは、本当にそれでいいのかよ?」
「よ、よくない、けど……、本当は、俺以外の誰にも、笑いかけてほしくないけど……!」
本音が決壊し、優太は顔を覆った。「自分だけを見ていてほしい」と泣きつく。そんな醜い独占欲をさらけ出した自分に、再び絶望しかけた、その時だ。
「じゃあ、最初からそう言えよ。めんどくさいな、優太さんは」
蒼がベンチから身を乗り出し、優太の耳元で囁いた。
「約束しろよ。……ほら、指切り」
蒼はそう言って右手の小指を、無造作に優太の目の前に突き出した。
「嘘ついたら、一生俺のパシリだからな」
涙で滲んだ視界の中で、蒼の小指が街灯に照らされて白く光っている。 優太は鼻をすすりながら、震える手で自分の小指を、その小さな、けれど頼もしい指に絡ませた。
「……指切りげんまん。嘘ついたら、算数の問題、百問ね」
「……は? なにそれ、最悪。……まあ、嘘つかねーからいいけど」
重ねた小指から、確かな熱が伝わってくる。 二人の間には、甘い約束が交わされた。
本来なら、合コンで知り合った女子とイルミネーションを眺めているのが、大学生としての「正しい」過ごし方なのかもしれない。けれど、優太の選択はいつだって一つだった。
(……寒い。でも、冬の澄んだ空気の中で、真っ白な息を吐きながらピッチを駆ける蒼くん……今日もカッコいいなあ……!)
マフラーに顎まで埋まり、怪しさ全開の挙動で練習を見守る優太。もはや寒さすら、蒼の美しさを引き立てる演出の一部にしか感じていなかった。
練習終了のホイッスルが鳴り、蒼はチームメイトたちと別れ、一人で優太の元へと歩いてきた。
「お待たせ。……優太さん、鼻水出てるよ。バカなの?」
「バカじゃないよ! 蒼くんの勇姿を網膜に焼き付けてたら、寒さを忘れてただけだよ!」
「……やっぱりバカだ」
蒼が呆れたように鼻で笑う。優太はかじかむ手で、鞄から丁寧にラッピングされた小さな袋を取り出した。
「あの、これ……クリスマスプレゼント。受け取ってくれるかな」
「え? ……何これ」
「スポーツタオル。蒼くんの好きなブランドの。あ、嫌だったら雑巾にしてもいいから、使って!」
「雑巾になんてしねーよ。……サンキュ」
蒼はぶっきらぼうにそれを受け取ると、少しだけ視線を泳がせた。
「……ねえ。この後、駅前行かない? イルミネーション、今日までだって母さんが言ってた」
蒼からの予期せぬ誘いに、優太の心臓はドラムの乱れ打ちのように跳ね上がった。
「えっ!? い、いいの!? 俺とイブにデートしていいの!?」
「デートって言うな。ただの寄り道」
そう言い捨てて歩き出した蒼の耳が、寒さのせいか、あるいは別の理由か、微かに赤くなっていた。
並んで駅前へと向かう道すがら、不意に、優太がコートのポケットに入れていた右手に、異質な感触が飛び込んできた。
蒼が、自分の冷えた手を無造作に、優太のポケットの中に突っ込んできたのだ。狭いポケットの中で、優太の手の甲に、蒼の少し硬くて冷たい手が重なる。
「……っ、蒼くん!?」
「……こうしてれば、温まるでしょ。あんたの手、無駄に温かいし」
前を向いたまま、繋いでいるわけでもない、けれど確かに触れ合っている手のひら。 蒼の体温が、指先から心臓へと直結して流れ込んでくる。
(蒼くん……! 俺、もう今死んでも悔いはないかもしれない……!)
イルミネーションの光が瞬く街へと消えていく二人の影。 優太は、ポケットの中の小さな温もりを壊さないように、そっと指先に力を込めた。
駅前は、眩いばかりの光の濁流に包まれていた。 青や白のLEDが街路樹を飾り、巨大なクリスマスツリーが夜空を突くようにそびえ立っている。その幻想的な光景を見上げながら、優太の胸には、ずっと澱のように溜まっていた不安がせり上がってきていた。
先日、家庭教師に訪れた際、すみれさんからそれとなく聞いてしまったのだ。蒼に、隣県のサッカー強豪私立から特待生枠でのスカウトが来ていることを。そこは数々のプロ選手を輩出している名門で、もし進学すれば、蒼は中学、高校と全寮制の生活を送ることになる。
「……ねえ、蒼くん。中学のことなんだけど」
並んで歩きながら、優太は震える声を押し殺して慎重に切り出した。
「県外の……私立から誘われてるって、お母さんに聞いたよ。本当にすごいね」
不意に、優太のコートのポケットに手を入れていた蒼の足が止まった。 ツリーの光を背負った蒼の表情が、一瞬で影に沈む。
「……ああ。そこなら、今よりもっと上のレベルでサッカーができる。でも、遠いんだよね。ここからだと片道三時間。だから、行くなら寮に入ることになる」
「そっか……。じゃあ、もう、こうして練習帰りに会うことも……家庭教師をすることも、できなくなるんだね」
優太の声は、自分でも情けないほどに弱々しく震えていた。 ポケットの中、重なっていたはずの蒼の手が、するりと離れていくような錯覚に陥る。
「寂しい?」
蒼が、低い声で問いかけてきた。
「……っ」
寂しいに決まっている。行かないでほしい。わがままを言えるなら、ずっと地元の公立中学に通って、週に一度の勉強に四苦八苦して、時々こうして一緒に帰り道を歩いていたい。成長していく姿を、誰よりも近くでずっと、一秒も見逃さずに見守っていたい。
けれど、自分はただの「家庭教師」なのだ。蒼の輝かしい未来を奪う権利なんて、一ミリも持っていない。そんなことは、誰に言われずとも分かっていた。 いつか必ず来るお別れが、少しだけ早く、形を変えてやってきた。ただそれだけのことなのだ。
その時だった。 駅前の広場でちょうどイベントのフィナーレが始まったらしく、光の演出を間近で見ようとする群衆が一気に押し寄せてきた。
「あ、ちょっと、蒼くん!」
揉みくちゃにされ、ポケットの中で触れ合っていただけの熱が、物理的な波にさらわれるようにして離れていく。どんくさい優太はあっけなく人波に流され、数秒のうちに蒼の姿を見失ってしまった。
「蒼くん!? どこ!? ……うわっ、すみません!」
迷子のようにキョロキョロと辺りを見回していると、背後からポンと肩を叩かれた。
「あれ、やっぱり優太くん?」
振り返ると、そこには華やかなファーのついたコートを着たミサトが、女友達と一緒に立っていた。
「ミサトさん……。どうしてここに」
「あはは、そんなに驚かなくても。今日は友達とイルミネーション。……優太くんこそ何してるの? もしかして、あの『大切な約束』の相手とデート中?」
ミサトは意地悪く笑いながらも、どこか興味津々な様子で優太の周囲を伺っている。一度は振られた相手だが、逆にどんな相手と一緒のか、女の勘が働いたらしい。
「えっ!? あ、いや、その、デートじゃなくて……!」
「ええ~?そんなこと言って、絶対彼女でしょ? ねぇ、どんな人? 案外、年上の落ち着いた人だったりして」
ミサトがクスクスと笑いながら距離を詰めてきた、その時だった。
――ガシィッ!!
という強い衝撃とともに、優太の右腕が反対側から猛烈な力で引き戻された。
「……何してんの?」
低い、地を這うような、聞いたこともないほど冷え切った声。 いつの間にか戻ってきた蒼が、般若のような凄まじい形相でミサトたちを射抜いていた。
「えっ……何、この子。弟くん?」
ミサトたちが驚いて目を丸くする。優太は焦って口を濁した。
「え、あ、いや……」
(『俺の好きな人』なんて、口が裂けても言えるわけがない……)
「弟じゃない」
けれど、優太の言葉を遮った蒼の口から出たのは、それ以上に強烈な宣言だった。
「優太さんは、俺のだから。勝手に触るな」
蒼はミサトたちが近づこうとしていた優太の手を乱暴に振り払うと、優太の腰をグイッと自分の方へ引き寄せた。そして、あろうことか優太の腕を自分の胸元に抱え込むようにして固定する。
146センチの蒼が、170センチの優太を、自分の「所有物」として周囲に誇示したのだ。 体格差など一切関係ない。その場を支配するような気迫と、他者を寄せ付けない独占欲に、ミサトたちは言葉を失って一歩後退りした。
「……行こう。優太さん」
蒼はミサトたちに視線を送ることをやめ、優太の腕を掴んだまま、人混みを割って歩き出した。優太は心臓が口から飛び出しそうなほどバックバクになりながら、ただひたすらに彼に引きずられていくことしかできなかった。
静まり返った広場の片隅。 イルミネーションの喧騒が遠くへ退き、二人の周囲には凍てつくような、けれどどこか優しい夜の静寂が降りていた。優太の心臓は、いまだに耳元で警鐘を鳴らすように激しく打ち付けている。
「……蒼くん。今のは、その……言いすぎっていうか、相手もびっくりしてたし……」
「……優太さんが無防備すぎるんだよ」
蒼は前を向いたまま、吐き捨てるように言った。
「簡単に女に触らせようとしてんじゃねえよ。隙だらけなんだよ、あんたは」
その時、夜空から音もなく白い欠片が舞い落ちてきた。 街灯の光に透かされた、宝石のような雪。奇跡のようなホワイトクリスマスだった。
「……俺、さ」
蒼が雪を見上げながら、凛とした声で言った。
「強豪校に、行くよ。そこで一番になって、誰よりも早くプロになってやる」
優太の胸が、万力で締め付けられるように痛んだ。 やっぱり、離れるんだ。この温もりが、もうすぐ手の届かない場所へ行ってしまう。
「……そっか。うん、応援してる。絶対、蒼くんならプロになれるよ」
精一杯、震える声でそう答えたはずだった。なのに、視界が急にぐにゃりと歪み、頬を熱いものが伝っていった。
「あ、あれ……? おかしいな、ゴミが入ったかな……」
零れた涙を手の甲で拭おうとするが、蛇口が壊れたように止まらない。情けない、二十歳にもなって、年下の少年の前でボロボロと泣くなんて。
すると、蒼は近くにあったベンチにひょいと飛び乗った。 優太より少しだけ高くなった位置から、蒼は優太の頭をその両手で引き寄せ、自分の胸元へと抱きしめた。
「え? え、蒼くん……!?」
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「泣くなよ。……俺だってちょっと、寂しいけどさ」
「……っ!」
「ねえ、優太さん。本当に俺のこと、好きなの?」
頭上で響く、少しだけ真剣さを帯びた低い声。 優太は蒼の胸に顔を埋めたまま、唇を噛んで、小さく頷いた。
「……そっか。じゃあ、悪いけど、しばらく待ってて」
優太が驚いて顔を上げると、至近距離に蒼の瞳があった。
「俺はまだガキだし、正直、好きとか、そういうのはまだよく分かんねえけど……」
蒼はそう言うと、少しだけ照れくさそうに視線を外したが、すぐにまた覚悟を決めたような強い瞳で優太を見据えた。
「でも、ちゃんと考えるから。……離れてても連絡するし、あんたも連絡しろよ。無視したら許さないからな」
その言葉に、優太の呼吸が止まる。
「背も、すぐに追い抜く。年齢以外は全部、すぐに俺が追い越すから……だから、それまで。他の奴を見ないで、待ってて。他の誰かにあんたを触らせるなよ」
命令するような、独占欲の滲んだ低い声。
「え……待ってて、いいの? 無理、しなくていいんだよ……? 蒼くんはこれから、もっと色んな人に出会うよ。きっと、中学には可愛い子だっているし……その、その時は、連絡とか、無理にしなくていいから……」
優太は、精一杯の「大人のふり」をして、逃げ道を用意してやるような言葉を口にする。けれど、声は情けないほど震えていて、全然心にないことを言っているのは明白だった。
そんな優太を、蒼は冷たい夜風の中で、ただ静かに見つめていた。 そして、呆れたように、けれど慈しむようにふっと口角を上げる。
「……ふーん、あんたは、本当にそれでいいのかよ?」
「よ、よくない、けど……、本当は、俺以外の誰にも、笑いかけてほしくないけど……!」
本音が決壊し、優太は顔を覆った。「自分だけを見ていてほしい」と泣きつく。そんな醜い独占欲をさらけ出した自分に、再び絶望しかけた、その時だ。
「じゃあ、最初からそう言えよ。めんどくさいな、優太さんは」
蒼がベンチから身を乗り出し、優太の耳元で囁いた。
「約束しろよ。……ほら、指切り」
蒼はそう言って右手の小指を、無造作に優太の目の前に突き出した。
「嘘ついたら、一生俺のパシリだからな」
涙で滲んだ視界の中で、蒼の小指が街灯に照らされて白く光っている。 優太は鼻をすすりながら、震える手で自分の小指を、その小さな、けれど頼もしい指に絡ませた。
「……指切りげんまん。嘘ついたら、算数の問題、百問ね」
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