ランドセルの王子様(仮)

万里

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 あれから、6年。 3月下旬の少し暖かな風が吹く午後。優太は駅前の待ち合わせ場所で、何度もスマートフォンの画面を鏡代わりにしては、少しだけ奮発して新調したジャケットの襟を直していた。

 大学を卒業し、一般企業に就職して4年。日々の業務に追われ、「普通の社会人」になった優太だったが、胸の奥にある熱源だけは、あの夜から一度も絶えることはなかった。


 この6年間、二人の距離は物理的には遠く離れていた。 隣県の強豪校で寮生活を送る蒼とは、毎週土曜日の夜、決まって電話をするのが欠かせない習慣だった。LIMEでは、相変わらず無愛想な短文が並び、時折、夕暮れのグラウンドの風景や、使い古されたボロボロのスパイクの写真が送られてきた。

 長期休みに蒼が帰省した際は会いに行った。けれど、中学生から高校生へと脱皮していく過程で、蒼の背はぐんぐんと伸び、声は低く深く響くようになり、幼かった面影は、鋭く洗練された「男」のそれへと加速度的に変貌していった。

「お待たせ、優太さん」

 不意に、頭上から聞き覚えのある声が降ってきた。かつての少年の面影を残しながらも、以前よりずっと深みを増したその声に、優太の肩がびくりと跳ねる。

 顔を上げると、そこには春の柔らかな光を背負った一人の青年が立っていた。 高校を卒業したばかりの蒼。制服を脱ぎ捨て、シンプルな黒のシャツに身を包んだその体には、しなやかな筋肉が宿り、背はいつの間にか180センチを超えていた。170センチの優太が、今は少しだけ顎を上げ、視線を上に向けて見上げる形になる。

「……蒼くん? また、大きくなった……?」

 優太が呆然と呟くと、蒼はわずかに目を細めて、昔と変わらない不敵な笑みを浮かべた。

「まあね?……飯、行こう。予約してあるんだろ?」

「うん……! 今日はお祝いだから。俺、奮発して良いとこ予約したんだよ」

「ありがと」

 蒼が短く、けれど優しく微笑む。その大人びた表情に、優太の心臓は20歳の頃と同じ――いや、あの頃よりもずっと制御不能な速度で跳ね始めた。


 案内したのは、落ち着いた雰囲気のフレンチレストランだった。窓際の席へとエスコートされる間も、優太は隣を歩く蒼の存在感に圧倒されていた。 かつて自分よりも頭二つ分ほど小さかった少年が、今や自分を追い越し、肩を並べて歩いている。すれ違う女性客が思わず蒼を振り返るのを見て、優太の胸には、誇らしさと、それ以上に焦燥がこみ上げてきた。

「……高校卒業と、プロ入りも、本当におめでとう。一条くんも元気?」

 籍に座ると、優太は堪えきれずに切り出した。一条とは結局、中学・高校とライバル関係を続けていた。

「ああ。あいつは相変わらずうぜぇけど。……でも、ようやくスタートラインだ」

 蒼はそう言って、少しだけ誇らしげに、けれど自信に満ちた笑みを浮かべた。 

「……はぁ。何ていうか、本当にカッコよすぎて……さっきから直視できないよ」

 優太が思わず漏らした本音に、蒼は呆れたように片眉を上げた。

「またバカなこと言ってる。中身はあんたの知ってる通りのままだよ。数学は苦手だし、飯はよく食うし」

「そうかな……。なんだか、どんどん遠いところに行っちゃう気がして」

 優太が伏し目がちに呟くと、店内の喧騒がふっと遠のいたような気がした。

「……ねえ、蒼くん。高校、モテたでしょ? 実際、どうだった? ラブレターとか、呼び出されたりとか、絶対あったよね?」

 恐る恐る尋ねる優太に対し、蒼は手元のドリンクメニューに視線を落としたまま、淡々と答えた。

「まあ、告白とかは、それなりにされたけど。卒業式の後とかも、体育館の裏に来てくれとか、メッセージがいくつか届いてたし」

「……やっぱり!」

 優太は絶望に近い溜息をつき、肩を落とした。 やっぱりそうだ。これほどスポーツ万能で、未来のスター選手。女子たちが放っておくはずがない。

 対する自分はどうだ。あの日、「蒼くんが好きだ」と自覚してから今日まで、本当に、ただの一度も誰とも付き合わなかった。高橋に誘われた合コンはすべて断り、会社の同僚からの「今度飲みに行きませんか」という分かりやすいアプローチにも、気づかないふりをして逃げ続けてきた。

 この6年間、自分はただひたすらに、あのクリスマスの夜に交わした、幼い「約束」を守り続けてきたのだ。

(蒼くんは、もっとキラキラした世界にいるのに……俺一人だけが、あの日の約束に縛られてる……)

 優太の心が、卑屈な不安に支配されそうになった、その時だった。

「――でも、全部断った」

 蒼がメニューを置き、真っ直ぐに優太の瞳を射抜いた。

「……え?」

「全部断ったって言ったんだよ。……約束しただろ……?」

 蒼が不敵に笑って、優太の目を真っ直ぐに見据えた。

「優太さん。まさかとは思うけど……、この6年間、浮気とかしてないよな?」

「う、浮気って!? そもそも俺たち、付き合ってもいないのに……!」

「……ふーん。でも俺、待っててって言ったよな? あんた、あの約束……ちゃんと守ったんだろ?」

 蒼のその、すべてを見透かしているような、確信に満ちた瞳。 優太は心臓が口から飛び出しそうになるのを感じながら、逃げ場を失って顔を真っ赤にし、俯くしかなかった。

「……守ったよ。当たり前だろ。ずっと……蒼くんのことだけ、待ってたんだから」

 消え入るような声で白状すると、蒼の表情がふっと和らいだ。

「そっか。……よかった。俺さ、早くあんたを養えるくらい稼げるように頑張るよ」

「な……お、俺はもう立派な社会人なんだよ! 蒼くんのことくらい、俺の給料で養えるよ!」

 ムキになって言い返す優太。それは年上としての意地だったが、蒼は少しだけ真面目な顔をして、テーブル越しに優太の手をぎゅっと握りしめた。 

「そんなの、俺が嫌なんだよ……大切な人のことは、自分の力で守りたいだろ」

 その真っ直ぐすぎる言葉に、優太の思考は完全に停止した。 

「そ、それって……どういう、意味……?」

 震える声で問いかける優太に、蒼は逃げ場を塞ぐように、その指先を深く深く絡ませた。 

「言葉にしなきゃ分かんないの? ……好きだよ、優太さん。ちゃんと考えたよ。……俺がもっと活躍して、ちゃんと養えるようになったら、俺と結婚してくれる?」

 蒼の瞳に宿る、隠しようのない独占欲と、一生背負う覚悟。かつてのあどけない少年は、世界で一番かっこいい「男」になって、優太のこれからの人生を丸ごと奪いにきたのだ。

 優太は、視界がぶわっと熱いもので歪むのを感じた。 ずっと、不安だった。自分は大人で、蒼はこれから広い世界へ羽ばたいていく子どもだった。いつか忘れられる。いつか、良い女性と出会う。そんな恐怖をずっと感じていた。きっとこれからもそうだろう。でも、今だけ、今だけは。

「……っ、う……」

 堪えきれず、大粒の涙が頬を伝ってテーブルに落ちる。優太は自由な方の手で目元を覆った。

「……俺、もうすぐアラサーだよ?おじさんになっちゃうよ? それでも、いいの……?」

 聞き返した優太に、蒼は満足そうに目を細め、絡めた指にさらに力を込めた。

「最高。おじさんになった優太さんも、俺が全部独り占めするから。……返事は?」

 強引で、でも最高に愛おしいその瞳を真っ直ぐに見つめ返し、優太は深く頷いた。

「……はい。よろしくお願いします」

 窓の外では、新しい季節の訪れを祝うように、桜の蕾が今にも弾けそうに膨らんでいた。 




 おまけ

 レストランを出た後、どちらからともなく優太のマンションへと向かった。 三月の夜風はまだ少し冷たいはずなのに、繋いだ手から伝わる蒼の体温が驚くほど熱くて、優太はまるで熱に浮かされたように頭がぼーっとしていた。

 部屋のドアを閉め、鍵をかける音がカチリと響く。その瞬間、背後から大きな体に包み込まれるように抱きしめられた。

「……蒼くん?」

「……長い間、待たせたな。もう、誰にも邪魔されない」

 耳元で直接響く声は、レストランの時よりもさらに低く、抗いがたい熱を帯びている。 驚いて振り返り、見上げた視界を、鍛え上げられた蒼のガッシリとした体躯が遮る。小学生の面影はもうどこにもない。そこにあるのは、鋭くも情熱的な男の瞳だった。

「ちょ、待っ……蒼くん……?!」

「……何? もう俺、18歳だぜ。法律的にも何の問題もねぇ、合法だろ?」

「ど、どこでそんな言葉、覚えてきたの……っ」

「ネットとか、まあ色々。……それとも何? 優太さんは子どもの頃の俺のほうがよかった? あんた、本当にショタコンだったの?」

 蒼がわざと意地悪く、少しだけ拗ねたような表情で顔を近づける。優太は必死に首を振った。

「ううん、違う……! 子どもだからじゃない。……蒼くんだから、蒼くんが蒼くんだから、好きになったんだよ!」

「……そう言うと思った」

 蒼がニヤリと、年相応の邪気のない笑顔を見せたかと思うと、次の瞬間にはその整った顔立ちが至近距離まで迫り、有無を言わさず優太の唇を塞いだ。

 深く、熱く、肺の中の空気をすべて吸い込むようなキス。 唇が触れ合うたびに、心臓の鼓動が二人分重なり合い、頭の中が真っ白に溶けていく。

 優太のシャツのボタンを外していく蒼の手指は、サッカーで鍛えられた足腰と同様に、驚くほど力強くて迷いがない。繊細だった子どもの指先は、今や固いマメと厚みのある「男の手」に変わっており、それが肌に触れるたびに、優太の全身に甘い痺れが走った。

「……ん……っ」

 優太が細い喉を鳴らすと、蒼は首筋に深く顔を埋め、自らの独占欲を誇示するように何度も何度も熱い肌を吸い上げた。

「っ……あ、蒼くん、……っ」

 優太の膝がガクガクと震え、情けなく崩れ落ちそうになる。それを、蒼の逞しい腕が腰を強引に抱き寄せて支えた。もはや支えるというより、完全に捕獲されている。

「……優太さん、あんた……もしかして、初めて?」

 蒼が耳元で低く、けれどどこか弾んだ声で問いかけた。優太は耳まで真っ赤に染め、逃げるように蒼の肩口に顔を伏せて、小さく、消え入りそうな動作で頷いた。

「……最高。……俺も、あんたが初めてだから」

 蒼はそう満足げに、そして独占欲を剥き出しにして囁くと、軽々と優太を抱き上げた。 
 優太は浮遊感に驚き、思わず蒼の首に必死にしがみつく。

「わっ……!? ちょ、蒼くん、危ないよ!」

「大丈夫だって。絶対落とさねぇから」

 蒼はそのまま力強い足取りで優太をベッドへと優しく、けれど逃げ場を塞ぐように押し倒した。

「覚悟しろよ。……6年分、あんたに受け止めてもらうから」

(……っ! うわあああああ!! ひ、ひえええええええ!! どうしよう、かっこよすぎる……!! 死ぬ、俺、今この瞬間に心臓止まって死ぬ……!!)

 至近距離で見つめられるその瞳の威力に、優太の脳内はパニック状態で完全にパンク寸前だった。
 あまりの尊さと、プロアスリートのフェロモンが放つ色気の暴力。 「俺、今から愛されるんだ」という現実が、優太の許容量を一瞬で突破した。

 その時、優太は鼻の奥がツンとするような、熱い感覚に襲われる。

「……え? 優太さん?」

 覆い被さっていた蒼が、不自然なほど静止した。 優太が「え?」と呟いた瞬間、白いシーツにポタリと赤い雫が落ちる。

「……あ」 

「あ……じゃねぇよ! 優太さん、鼻血! 鼻血出てるって!!」

 蒼は慌てて飛び起きると、ベッドの上でパニックになりながら左右を見渡した。

「え、マジで!? ちょっと待て、ティッシュどこ!? どこにあるんだよ!?」

「そこの……っ」

「どこ?! クソッ、なんでこんな時に……!」

 さっきまで自分を軽々と抱き上げた逞しい腕が、今はティッシュ箱を探して慌てている。 優太は鼻を押さえながら、あまりのギャップに、可笑しくて、愛おしくて、ついに吹き出した。

「ふふ、あははは!」

「笑い事じゃねぇだろ! ……くそ、もう……!」

 ようやくティッシュを確保して戻ってきた蒼は、顔を真っ赤にして優太の鼻を抑えながら、照れ隠しに盛大なため息をついた。ムードは完全にぶち壊し。けれど、そこには6年前と変わらない、少し短気で、真っ直ぐで優しい、大好きな「蒼くん」がいた。

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