夜が明けなければいいのに(洋風)

万里

文字の大きさ
6 / 7

6

しおりを挟む
 カイルは、ルシアンの繊細な指先を一本ずつ丁寧に絡め取り、逃げ道を塞ぐように彼を深いシーツの中へと押し沈めた。

「……ルシアン様」

 初めて、強固な身分という鎧を脱ぎ捨てて呼ばれた名。その甘く、どこか湿り気を帯びた響きだけで、ルシアンの胸は張り裂けそうなほどの歓喜と、甘美な絶望に満たされる。

 カイルの指がルシアンの細い首筋から鎖骨の窪みへ、そして衣服の合わせ目へと、熱を帯びたまま滑り込んだ。代々武家として剣を振るい、鍛え上げられた彼の指先は硬く、節くれ立っていたが、ルシアンの肌に触れるときは、まるで一度触れれば壊れてしまう薄氷を扱うかのように、もどかしいほどに優しかった。

 やがて、二人の間にあった薄い絹の壁も、無慈悲に剥ぎ取られた。 窓からの月明かりに照らされたルシアンの白い肌は、闇の中で真珠のような光沢を放ち、露わになった肢体は震えるたびに青白い火花を散らすようだった。対照的に、覆い被さるカイルの肌は野性的な褐色を帯び、逞しい肩には昨夜の惨劇を物語る生々しい包帯が、痛々しくも鮮烈な純白となってルシアンの視神経を焼く。

「カイル、その傷……」

「構わないでください。……今は、貴方以外何も……」

 カイルは、ルシアンの項に深く顔を埋めた。うなじの産毛を逆立たせるほど濃密な呼気が吐き出され、カイルの低い呻きがルシアンの骨身にまで響き渡る。その吐息は、これまで彼が押し殺してきた独占欲と、主君を汚したいという背徳的な渇望を孕んでいた。

 カイルの愛撫は、最初は神聖な儀式を執り行う祈りのように静かだった。だが、ルシアンがその逞しい背に爪を立て、喉の奥から切羽詰まった喘ぎを漏らすたびに、それは荒々しく、貪欲な獣の咆哮へと変貌していった。

 ルシアンは、己を貫き、内側から作り替えられていくような痛みに似た快楽の中で、カイルの瞳を見つめ続けた。

 そこにあるのは、自分を仰ぎ見る騎士の目ではない。獲物を組み敷き、その奥の奥まで暴き立て、誰の手も届かない場所へ連れ去ろうとする男の、昏く粘りつくような情愛の沼だった。

(これでいい。これが……ずっと、死ぬほど欲しかったものだ……)

「好きだ」とも「愛している」とも、二人は決して口にしなかった。もしそんな言葉を一度でも吐き出せば、明日、ルシアンをヴォルキスの地へ送り出す正気が、カイルの中から消え失せてしまう。そしてルシアンも、国を捨てて逃げ出したいという、王族として許されぬ本能に呑み込まれてしまうから。

「ああ……っ、カイル……!」

 ルシアンの目から、一筋の涙が零れ落ち、枕を濡らした。

 重なり合う激しい心音、肺を焼くような混じり合う吐息。カイルはルシアンの濡れた髪を指で掬い上げ、何度も、何度も、食い入るようにその首筋や耳朶へ唇を落とした。

 肌が擦れ合い、汗が混ざり合う音さえもが、二人だけの世界を閉ざす音楽となった。カイルがルシアンの腰を強く引き寄せ、さらに深く、容赦なくその身を埋める。ルシアンはその衝撃に身を震わせ、目の前が白く弾けるような絶頂の中で、カイルの首に回した腕を、骨が折れるほど強く、強く締め直した。


 激しい情事の余韻が、冷え始めた部屋の空気に溶けていく。先ほどまでの、荒い呼吸も、互いの名を呼び合う切実な声も今はなく、ただ二人の汗が乾いていく匂いだけが、逃れようのない現実を突きつけていた。

 二人はもつれ合うようにして、一枚の毛布に包まっていた。カイルの逞しい腕の中で、ルシアンはその規則正しい鼓動を耳にしながら、浅い微睡みの縁を漂っていた。カイルの大きな手が、逃がさないという執着を込めてルシアンの細い腰を引き寄せ、迷うように指先を絡めてくる。どちらからともなく、指と指を深く、強く絡め合わせた。

(言葉にしてはいけない。……口にした瞬間に、すべてが壊れてしまう)

 言葉にすれば、それは「愛」という名の美しくも脆い形をなして、空気に触れた瞬間に霧散してしまうような気がした。けれど、語らずとも、密着した肌から伝わる体温と脈動が、互いの魂の絶叫を露骨に伝えてくる。

(行きたくない。……俺を、連れ去ってくれ)

 絡められた指先の震えから、そんな悲鳴のような願いが逆流してくる。 けれど、夜明けは残酷なまでに平等で、そして無慈悲に訪れる。重いカーテンの隙間から、夜の藍色が少しずつ薄れ始め、不吉なほど美しい白銀の光が、この蜜月を切り裂く刃のように差し込もうとしていた。

(このまま、夜が明けなければいいのに……)

 その祈りは、虚しくも白んでいく空に溶けていく。 カイルは、ルシアンの汗に濡れた額にそっと唇を寄せ、長い時間、祈りを捧げる騎士のようにそのまま動かなかった。そこには、先ほどまでの激しい独占欲とは別の、身を裂かれるような思慕が溢れていた。

 ルシアンは、再び熱く込み上げてくる涙が零れ落ちるのを堪えるように、ぐっと奥歯を噛み締め、彼の胸の筋肉に顔を押し付けた。 

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

隣国のΩに婚約破棄をされたので、お望み通り侵略して差し上げよう。

下井理佐
BL
救いなし。序盤で受けが死にます。 文章がおかしな所があったので修正しました。 大国の第一王子・αのジスランは、小国の王子・Ωのルシエルと幼い頃から許嫁の関係だった。 ただの政略結婚の相手であるとルシエルに興味を持たないジスランであったが、婚約発表の社交界前夜、ルシエルから婚約破棄をするから受け入れてほしいと言われる。 理由を聞くジスランであったが、ルシエルはただ、 「必ず僕の国を滅ぼして」 それだけ言い、去っていった。 社交界当日、ルシエルは約束通り婚約破棄を皆の前で宣言する。

出戻り王子が幸せになるまで

あきたいぬ大好き(深凪雪花)
BL
初恋の相手と政略結婚した主人公セフィラだが、相手には愛人ながら本命がいたことを知る。追及した結果、離縁されることになり、母国に出戻ることに。けれど、バツイチになったせいか父王に厄介払いされ、後宮から追い出されてしまう。王都の下町で暮らし始めるが、ふと訪れた先の母校で幼馴染であるフレンシスと再会。事情を話すと、突然求婚される。 一途な幼馴染×強がり出戻り王子のお話です。 ※他サイトにも掲載しております。

人生はままならない

野埜乃のの
BL
「おまえとは番にならない」 結婚して迎えた初夜。彼はそう僕にそう告げた。 異世界オメガバース ツイノベです

契約満了につき

makase
BL
仮初めの恋人として契約を結んだ二人の、最後の夜。

貴方に復讐しようと、思っていたのに。

黒狐
BL
 前世、馬車の事故で亡くなった令嬢(今世は男)の『私』は、幽霊のような存在になってこの世に残っていた。  婚約者である『彼』が私と婚約破棄をする為に細工をしたのだと考え、彼が無惨な末路を迎える様を見てやろうと考えていた。  しかし、真実はほんの少し違っていて…?  前世の罪や罰に翻弄される、私と彼のやり直しの物語。 ⭐︎一部残酷な描写があります、ご注意下さい。

僕の幸せは

春夏
BL
【完結しました】 【エールいただきました。ありがとうございます】 【たくさんの“いいね”ありがとうございます】 【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】 恋人に捨てられた悠の心情。 話は別れから始まります。全編が悠の視点です。

オメガはオメガらしく生きろなんて耐えられない

子犬一 はぁて
BL
「オメガはオメガらしく生きろ」 家を追われオメガ寮で育ったΩは、見合いの席で名家の年上αに身請けされる。 無骨だが優しく、Ωとしてではなく一人の人間として扱ってくれる彼に初めて恋をした。 しかし幸せな日々は突然終わり、二人は別れることになる。 5年後、雪の夜。彼と再会する。 「もう離さない」 再び抱きしめられたら、僕はもうこの人の傍にいることが自分の幸せなんだと気づいた。 彼は温かい手のひらを持つ人だった。 身分差×年上アルファ×溺愛再会BL短編。

【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー AI比較企画作品

処理中です...