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熊本落城
島津家、北上
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激しい銃声が鳴り響き、悲鳴と雄叫びがこだまする。
肥後国中部・宇土城跡地近辺で切支丹の一揆軍と加藤家の軍勢が交戦を始めていた。
5月末に天草で一揆を起こした切支丹軍は瞬く間に全島を制圧し、肥後への上陸を開始していた。
この時、島原に渡り、同地の盟友と合流すべきであるという方針も主張されたが一揆軍の指導者である益田好次が反対した。
「現在、島原近辺には鍋島の軍勢がいる。鍋島勢には数が増えたとして太刀打ちできぬであろう。島原勢は機動力をもって鍋島勢を翻弄すべきであり、そこに我々が数を連れていくとかえって邪魔になる」
こう主張し、肥後への上陸を主張したのであった。
6月10日には九州側とは目と鼻の先の位置にあたる大矢野島に一揆軍が集結し、九州側への渡航が始まった。
こうした情報は当然すぐに熊本城にもたらされる。
「このままでは二日もしないうちに宇土までやってくるぞ」
加藤美作守が悲痛な声を漏らす。
宇土まで上陸されたら、いつ熊本城が攻撃されてもおかしくないうえに、南肥後との連絡も分断される。
宇土を守り切るという方針の下、熊本城内の兵士を集めてすぐに出発した。城跡の土塁を短期間で修繕して防御陣を築き上げた。
「……ということでございます」
大矢野にいる益田好次の下に、熊本城の動向も伝えられる。
一揆軍の主戦力は切支丹であるが、とはいえ、切支丹のみが一揆軍というわけでもない。もちろん、禁教令に端を発する宗教政策が一揆の火種となったが、天草地域をはじめ過酷な税徴収に対する不満も大きかったのである。
肥後本土についても、加藤忠廣が家督を継ぐに際して、幕府から藤堂高虎が派遣されて国内の情勢をつぶさに観察していたが、民衆が困窮していることを幕府に伝え、加藤家の肥後統治に問題があったことを伝えている。そうした状況は改善されていなかった。
こうして加藤家の統治に不満をもつ地元の住民達が連絡を取り合い、天草にいる一揆衆に対しても情報がすぐに伝達されていたのであった。
とはいえ、情報はあっただけでは意味がない、これを適切に処理し、活かすことができてこそ初めて有用なものとなる。仮に一揆軍が単なる農民の集団であればその情報を適切に扱うことはできなかったかもしれないが、益田好次をはじめ天草の一揆軍も島原の一揆軍も小西行長の旧臣達が多くいる。情報を生かす術も心得ていた。
(殿……)
有明海を眺めながら、好次は15年前のことを振り返っていた。
関ケ原の時、益田好次は19歳であった。一軍を率いるには若すぎるということで連絡役のみを務めていた。その中途半端な位置が幸いして、戦後小西行長らが処刑された際にもお咎めはなかったし、帰農するだけで済んだ。しかし、それは若い好次には屈辱でもあった。お家のために尽くすこともできず、憎き敵からも相手にされなかったのであるから。
(今度こそ、肥後を切支丹の国にしてみせますぞ……)
海の向こう側の本土、九州の山々を眺めながら、天国にいるであろう行長に誓うのであった。
一方、九州東部、日向方面では島津軍が北上を続けていた。
島津軍が最初に攻略目標にしたのは、怨敵ともいえる伊東家の飫肥城であった。しかし、家同士の仲の悪さは日本中に知られているが、実際の戦力差はあまりにも大きい。70万石はあろうかという島津家に対して、飫肥はわずか5万石あまりである。
戦闘経験の差も大きい。島津家は大坂の陣にこそ参戦していないが、数年前には琉球に攻め込んでおり、その時の指揮官であった樺山久高が今回も指揮をとっている。
伊東軍は当初こそ威勢よく迎え撃とうとしていたが、実際に島津の15000もの軍が押し寄せてくると戦意を喪失し、城主伊東祐慶は三日もしないうちに豊後方面へと落ち延びていった。城主のいないまま戦うこともできず、飫肥城は6月6日には開城することとなったのである。
「はっはっは」
鹿児島城で報告を受けた島津家久は上機嫌であった。ほぼ予想していた通りの時間で飫肥城を陥落させ、更に犬猿の仲である伊東家を追い出したのである。愉快なことこのうえなかった。
「よし、6月中に日向を平定してしまおうではないか」
前線に向けて、そう指示を出した。
日向国内にある主要な勢力としては、肥前島原より移ってきた有馬家が北の延岡に。
中部の高鍋には秋月家があった。
秋月家は平安時代より筑前国に定着していた豪族の一族であった。戦国時代においては大友氏や毛利氏の影響を受け、一時は滅亡寸前にまで追い込まれたが、島津氏の援助を受けるなどして豊臣秀吉の九州侵攻直前には大きな勢力を築いた。
しかし、秀吉には敵わずに降伏し、日向へと移転させられることとなった。その後、関ケ原でも本領安堵を勝ち取り、今に至っている。
戦国九州を生き延びてきた秋月家ではあったが、前年に当主の秋月種長が病没しており、僅か5歳の種春が新しい当主となっていた。
しかし、種春はまだ5歳であるうえに江戸に滞在していた。
このため、家老であった白井種盛が領内の政治を独占しようと乗り出していた。反対派の政敵を陰謀で失脚させたり、暗殺したりするなどして、高鍋城は混乱の極みに達していたのである。
そんな混乱状態のところに島津家が押し寄せてきたのであるから、当然、何することもかなわない。抵抗するどころか、反白井側の勢力が城門を開城して島津家を迎え入れるという始末であった。秋月家にとって島津家は戦国末期に共同体制をとっていたこともあり、印象は悪くなかったのである。
白井種盛は鹿児島へ連れられていき、島津家久と面会した。
白井は、自分が秋月家でどれだけの力をもっているか、今後秋月家を管理するうえでいた方がよい人物であることを主張し、最後にこう言う。
「私をお使いいただければ、高鍋から島津家に1000両の資金を拠出することをお約束いたしましょう」
家久は「フン」と鼻を鳴らす。
「お主を見ていると、伊集院忠棟を思い出すのう」
「…は?」
伊集院忠棟とは、島津家の家老として働いていたが、晩年その権限が大きくなり過ぎたことを家久に疎まれ、暗殺された男である。
「家のことなら何でもござれ、か。わしはのう、お主みたいな何でもできるかのように装う奴が一番嫌いなのじゃ。そういう奴は放置しておくと、自分の上の人間のことまでできるかのように装うからのう……」
家久は無言で配下に目配せした。二人の兵士が白井種盛をつかむ。
「ついてこい」
「し、島津様! お待ちください! どうかお考え直しを」
家久は連れさられていく白井種盛に一切視線を向けることはしない。
彼の中では白井種盛は既に故人となっている人物である。
死人と話などする必要など、全くない。直ちに忘れるべき人物であった。
「さて、当家と秋月家はかつて同盟も結び、共に豊臣とも戦った朋友家であるからして、島津は秋月の面倒を見てやらねばならん。特に秋月種春はまだ若いゆえ、わしと種貞とで後見することにしよう。江戸にその旨申し伝えて、種貞に種春を日向に連れてくるよう頼んで参れ」
秋月種貞とは、種春の父親である。種貞は種長の子であったが病弱であったため廃嫡されることとなり、かわってその息子である種春が後継者となったのである。その直後に種長自身の寿命が尽きたのは、結果として幼年の当主を残すこととなり、秋月家の痛恨となっていたのであるが。
命令を受けた喜入忠続が青くなる。
「そ、そのようなことを徳川家が認めてくれるとは到底思えないのですが」
島津は堂々と徳川家の秩序に異を唱えているのである。そんな相手の言うことを聞くとは常識的には考えられない。
家久はニヤリと笑う。
「分かっておるわ。それで、もし徳川家が怒って種春と種貞を始末してくれれば、島津が悠々と高鍋を占領できるであろう。断った場合、徳川家が当主を送らぬということでやはり高鍋を好き勝手していいということになる」
「……」
「ということだ。早よう伝えて参れ」
「承知いたしました」
忠続が頷いた。その表情には「よくもまあ、そういう辛辣なことを思いつくものだ」という考えが現れていたが、家久は特に何も言うことはなかった。
肥後国中部・宇土城跡地近辺で切支丹の一揆軍と加藤家の軍勢が交戦を始めていた。
5月末に天草で一揆を起こした切支丹軍は瞬く間に全島を制圧し、肥後への上陸を開始していた。
この時、島原に渡り、同地の盟友と合流すべきであるという方針も主張されたが一揆軍の指導者である益田好次が反対した。
「現在、島原近辺には鍋島の軍勢がいる。鍋島勢には数が増えたとして太刀打ちできぬであろう。島原勢は機動力をもって鍋島勢を翻弄すべきであり、そこに我々が数を連れていくとかえって邪魔になる」
こう主張し、肥後への上陸を主張したのであった。
6月10日には九州側とは目と鼻の先の位置にあたる大矢野島に一揆軍が集結し、九州側への渡航が始まった。
こうした情報は当然すぐに熊本城にもたらされる。
「このままでは二日もしないうちに宇土までやってくるぞ」
加藤美作守が悲痛な声を漏らす。
宇土まで上陸されたら、いつ熊本城が攻撃されてもおかしくないうえに、南肥後との連絡も分断される。
宇土を守り切るという方針の下、熊本城内の兵士を集めてすぐに出発した。城跡の土塁を短期間で修繕して防御陣を築き上げた。
「……ということでございます」
大矢野にいる益田好次の下に、熊本城の動向も伝えられる。
一揆軍の主戦力は切支丹であるが、とはいえ、切支丹のみが一揆軍というわけでもない。もちろん、禁教令に端を発する宗教政策が一揆の火種となったが、天草地域をはじめ過酷な税徴収に対する不満も大きかったのである。
肥後本土についても、加藤忠廣が家督を継ぐに際して、幕府から藤堂高虎が派遣されて国内の情勢をつぶさに観察していたが、民衆が困窮していることを幕府に伝え、加藤家の肥後統治に問題があったことを伝えている。そうした状況は改善されていなかった。
こうして加藤家の統治に不満をもつ地元の住民達が連絡を取り合い、天草にいる一揆衆に対しても情報がすぐに伝達されていたのであった。
とはいえ、情報はあっただけでは意味がない、これを適切に処理し、活かすことができてこそ初めて有用なものとなる。仮に一揆軍が単なる農民の集団であればその情報を適切に扱うことはできなかったかもしれないが、益田好次をはじめ天草の一揆軍も島原の一揆軍も小西行長の旧臣達が多くいる。情報を生かす術も心得ていた。
(殿……)
有明海を眺めながら、好次は15年前のことを振り返っていた。
関ケ原の時、益田好次は19歳であった。一軍を率いるには若すぎるということで連絡役のみを務めていた。その中途半端な位置が幸いして、戦後小西行長らが処刑された際にもお咎めはなかったし、帰農するだけで済んだ。しかし、それは若い好次には屈辱でもあった。お家のために尽くすこともできず、憎き敵からも相手にされなかったのであるから。
(今度こそ、肥後を切支丹の国にしてみせますぞ……)
海の向こう側の本土、九州の山々を眺めながら、天国にいるであろう行長に誓うのであった。
一方、九州東部、日向方面では島津軍が北上を続けていた。
島津軍が最初に攻略目標にしたのは、怨敵ともいえる伊東家の飫肥城であった。しかし、家同士の仲の悪さは日本中に知られているが、実際の戦力差はあまりにも大きい。70万石はあろうかという島津家に対して、飫肥はわずか5万石あまりである。
戦闘経験の差も大きい。島津家は大坂の陣にこそ参戦していないが、数年前には琉球に攻め込んでおり、その時の指揮官であった樺山久高が今回も指揮をとっている。
伊東軍は当初こそ威勢よく迎え撃とうとしていたが、実際に島津の15000もの軍が押し寄せてくると戦意を喪失し、城主伊東祐慶は三日もしないうちに豊後方面へと落ち延びていった。城主のいないまま戦うこともできず、飫肥城は6月6日には開城することとなったのである。
「はっはっは」
鹿児島城で報告を受けた島津家久は上機嫌であった。ほぼ予想していた通りの時間で飫肥城を陥落させ、更に犬猿の仲である伊東家を追い出したのである。愉快なことこのうえなかった。
「よし、6月中に日向を平定してしまおうではないか」
前線に向けて、そう指示を出した。
日向国内にある主要な勢力としては、肥前島原より移ってきた有馬家が北の延岡に。
中部の高鍋には秋月家があった。
秋月家は平安時代より筑前国に定着していた豪族の一族であった。戦国時代においては大友氏や毛利氏の影響を受け、一時は滅亡寸前にまで追い込まれたが、島津氏の援助を受けるなどして豊臣秀吉の九州侵攻直前には大きな勢力を築いた。
しかし、秀吉には敵わずに降伏し、日向へと移転させられることとなった。その後、関ケ原でも本領安堵を勝ち取り、今に至っている。
戦国九州を生き延びてきた秋月家ではあったが、前年に当主の秋月種長が病没しており、僅か5歳の種春が新しい当主となっていた。
しかし、種春はまだ5歳であるうえに江戸に滞在していた。
このため、家老であった白井種盛が領内の政治を独占しようと乗り出していた。反対派の政敵を陰謀で失脚させたり、暗殺したりするなどして、高鍋城は混乱の極みに達していたのである。
そんな混乱状態のところに島津家が押し寄せてきたのであるから、当然、何することもかなわない。抵抗するどころか、反白井側の勢力が城門を開城して島津家を迎え入れるという始末であった。秋月家にとって島津家は戦国末期に共同体制をとっていたこともあり、印象は悪くなかったのである。
白井種盛は鹿児島へ連れられていき、島津家久と面会した。
白井は、自分が秋月家でどれだけの力をもっているか、今後秋月家を管理するうえでいた方がよい人物であることを主張し、最後にこう言う。
「私をお使いいただければ、高鍋から島津家に1000両の資金を拠出することをお約束いたしましょう」
家久は「フン」と鼻を鳴らす。
「お主を見ていると、伊集院忠棟を思い出すのう」
「…は?」
伊集院忠棟とは、島津家の家老として働いていたが、晩年その権限が大きくなり過ぎたことを家久に疎まれ、暗殺された男である。
「家のことなら何でもござれ、か。わしはのう、お主みたいな何でもできるかのように装う奴が一番嫌いなのじゃ。そういう奴は放置しておくと、自分の上の人間のことまでできるかのように装うからのう……」
家久は無言で配下に目配せした。二人の兵士が白井種盛をつかむ。
「ついてこい」
「し、島津様! お待ちください! どうかお考え直しを」
家久は連れさられていく白井種盛に一切視線を向けることはしない。
彼の中では白井種盛は既に故人となっている人物である。
死人と話などする必要など、全くない。直ちに忘れるべき人物であった。
「さて、当家と秋月家はかつて同盟も結び、共に豊臣とも戦った朋友家であるからして、島津は秋月の面倒を見てやらねばならん。特に秋月種春はまだ若いゆえ、わしと種貞とで後見することにしよう。江戸にその旨申し伝えて、種貞に種春を日向に連れてくるよう頼んで参れ」
秋月種貞とは、種春の父親である。種貞は種長の子であったが病弱であったため廃嫡されることとなり、かわってその息子である種春が後継者となったのである。その直後に種長自身の寿命が尽きたのは、結果として幼年の当主を残すこととなり、秋月家の痛恨となっていたのであるが。
命令を受けた喜入忠続が青くなる。
「そ、そのようなことを徳川家が認めてくれるとは到底思えないのですが」
島津は堂々と徳川家の秩序に異を唱えているのである。そんな相手の言うことを聞くとは常識的には考えられない。
家久はニヤリと笑う。
「分かっておるわ。それで、もし徳川家が怒って種春と種貞を始末してくれれば、島津が悠々と高鍋を占領できるであろう。断った場合、徳川家が当主を送らぬということでやはり高鍋を好き勝手していいということになる」
「……」
「ということだ。早よう伝えて参れ」
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