月が出ない空の下で ~異世界移住準備施設・寮暮らし~

於田縫紀

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第18章 あくまで勉強のため

100 劇場の様子

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 白い塗り壁と赤い絨毯、木製のカウンターテーブルと、茶色い革製の椅子がある、ロビーのような場所。
 来るのは初めてだけれど、いかにもという感じだ。

 ただカウンターの後ろ側が酒棚になっているのが、ちょっと違和感がある。
 そして、そのカウンターに10人ほどの列。

『C席はドリンクがセルフサービスなので、ここで注文して自分で持って行きます。あと3分でドリンク受け取りが始まります』

 なら先に、トイレに行っておこう。
 劇場とか映画館のお約束というやつだ。
 実はある程度魔法を自由に使えると、魔法収納を使ってトイレに行く時間を引き伸ばせる。
 でもそれは応急用の手段ということで。

「じゃあトイレに行ってくるから、戻って来たら並ぼうか」

「そうだね」

 誰かに列に並んでもらっていたとしても、後入りは厳禁。
 概ね店主や主催者等の魔法で、そういった事が出来ないようにしているようだ。
 ペルリアでは、割とどこでもそうらしい。

 魔法によってマナーが守られていることを喜ぶべきか、魔法の強制力がないとマナーが守れないことを悲しむべきか。
 きっと『面倒がなくていい』と軽く考えるのが正解なのだろう。
 地球や日本の基準で考えても、もう意味はないのだから。

 トイレに行った後、アキトと列の最後に並ぶ。
 前に10人ほど並んでいるけれど、受付が始まったのでそう待たずに済みそうだ。

「チアキさんは何にする? 僕はパインサイダーにするけれど」

 飲み物は下調べをして、決めておいた。

「冷たい紅茶で」

 好みとしてはタクサルドリンクなのだけれど、飲んだ後にしばらく甘さが口に残ってしまう。
 それが気になって舞台に集中出来ないとまずいから、さっぱりした無糖のものがいい。

 なおアキトのパインサイダーは、知識魔法によると微糖で少し青臭い香りの炭酸飲料。
 そしてここでの一番人気は、ライトジーンだのブルージーンだのといった酒類。

 ジーンというのは蒸留酒をサイダーで割った飲料一般で、日本の焼酎割りみたいな存在。
 ただペルリアでも20歳未満は飲酒禁止だ。
 ペルリアの20歳は地球年齢13歳4ヶ月だったりするけれど。

 紙コップ入りのドリンクを受け取って、開いた扉から劇場内へ。
 内部は長方形で、一段高い舞台、後ろに行くほど高くなっている座席などは日本の劇場と同じ。

 ただ私の知っている劇場と比べると、かなり小さい気がする。
 多分地球のバスケットコートよりも狭いだろう。
 そしてテーブル席であるA,B席とドリンクのみのC席の差が結構ある。
 テーブル席は前後にかなりの余裕があるけれど、C席は割とぎっしりという感じだ。 

『結構席に格差があるね、これって』

 周囲が静かなので、伝達魔法で感想を言ってみる。

『テーブル席は椅子に座った後、食事を運んでくるから、係員が動き回れる様にしているんだろう。それにC席でも日本の映画館くらいのスペースはあると思う。椅子も良さそうだし』

 なるほど。
 言われてみればその通りだ。

『確かにそうかも。椅子も座り心地よさそうだし』

『日本の小劇団の公演だと、酷い場所だとパイプ椅子もどきだったりしたからさ。もちろんしっかりした小ホールもあるけれど』

 日本時代はそういった劇や劇団というのは、あまりメジャーな趣味ではなかったと思う。
 少なくとも私には縁が無かった。
 ただアキトはどうやら、そういったところへ行った経験があるようだ。

『日本時代はよく見に行ったの?』
  
『大学時代の友達に小劇団系の演劇が好きな奴がいてさ。付き合いで5回見に行ったな。案外面白いんだけれど、しょっちゅう見に行くには小遣いが辛い。1回で3日分の食費が飛んでいくから』

 アキトは少なくとも大学生以上だったということか。
 しかし3日分の食費というと……
 1日2,000円だとしても6,000円になる。

『そんなに高いの』

『あ、言い方が悪かった。当時の食費は1日600円から1,000円くらいだったんだ。親に無理言って東京で下宿したから、あまり金がなくてさ』

 それはそれで疑問がある。

『1日600円って、まさか一食しか食べないとか?』

『朝は100円以下で売っている食パン8枚切りを冷凍したものを2枚解凍。昼は学食でごはんと味噌汁と納豆で250円。夜は安い野菜や肉を入れて適当に味付けしたスパゲティってところ。だいたいこれで600円。あと演劇のチケットは一番安い席で大体1,800円だったな』

 うーん、なかなか極限な生活だと思う。

『バイトとかしなかったの?』

『授業や研究が忙しくてそんな余裕無い。バイトで稼げるって、よっぽど授業が少ないかサボっているんだと思うな。それでも2年頃までは何とか出来たけれど、3年でゼミが始まるともう無理。学校からアパートに帰るのも夜になるくらいだしさ』

 私の見聞きしていた大学生活とは随分と違う様だ。
 なんて思いながらあれこれ話をしていると、段々人が増えてきた。
 前のB席や私の隣にも、人が座り始める。

『そろそろ前座が始まると思う』

 また知らない言葉が出てきた。
 知識魔法で確認。

『ペルリアの場合、演劇でも公演でも本来の演者が出る前に、新人や前座専門の演者が前座を演じることが一般的です。舞台の幕が下りている前で、セットなしの照明と音楽だけで、おおよそ5分程度の演目を実施します』

 そういうものなのか。

『日本でも前座ってあった?』

『落語とかではあるらしいけれどさ。演劇では聞いたことがない』

 なるほど、ペルリアか、あるいは惑星オーフの様式というところか。
 周囲の照明が一気に明るさを落とし、辛うじて歩けるかなという程度の暗さになる。
 舞台右袖からそこそこ若い男性が1人出てきた。

 何がはじまるのだろう。
 知識魔法の発動を意識して抑えつつ、舞台に集中する。
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