私の優しいお父さん

有箱

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世界の形は

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 決行は、お父さんが買い物に行った日だ。
 こっそり抜け出して、玄関で風を浴びてみる。それから危険を測りつつ、少し周囲を歩いてみる。
 そのくらいなら大丈夫だろう。きっと、知られる前に帰ることが出来る。
 根拠のない自信が、心の中で膨れた。
 
「じゃあユマ、買い物に行ってくるね。良い子でお留守番してるんだよ」
「分かったわ。行ってらっしゃい」
 
 普段通りを装い、笑顔で見送った。お父さんが外に出て、鍵の音を響かせる。いつもの寂しさも片隅に、小さな不安と好奇心が踊り出した。
 大冒険はしなくていい。ただ少しだけ、外の世界に足を置いてみたいだけだ。

 小さな罪悪感も胸に、扉に手をかける。ドアを抜ける前、お父さんは決まって一つ手順を踏んでいた。
 音を手掛かりにドアを手繰ると、突起に似た物体に触れる。回すと、記憶通りの音がした。

 扉を開く。隙間から入り込んで来た風が、肌を心地よく掠めた。そのまま全開にすると、爽やかな空気が私を包んだ。
 その瞬間、お父さんが言うほど世界は怖くはないのでは、と考えてしまった。

 耳を済ませ、音を感じる。木々の擦れ会う音や、川のせせらぎが普段より鮮明に聞こえる。
 聞き慣れない物と言ったら、遠くにある人の声くらいだろうか。楽しげにお喋りしているのが分かる。
 危険とはほど遠い声音に、外のイメージが狂いだした。

 一歩、また一歩、気配と音を感じながら進む。それを幾度と繰り返したが、身に災いは降りかからなかった。
 それどころか、段々歩く早さが増してゆく。顔には、自然と笑みが浮かんでいた。

 不意に、遠くから忙しい足音が聞こえてきた。それは急に迫り、対処を導きだす前に止まった。
 後ろから、ぐいと肩を引かれる。息を潜めていた恐怖が、一気に全身を包み込んだ。

「君! もしかしてナナミちゃんじゃないか!?」
「じゃないです、私はユマです……」
「もっとちゃんと顔を見せて。ほら、やっぱりナナミちゃんじゃないか」

 翻された上、両肩をがっしり掴まれ身動きが取れない。正体不明の人間を前に、足が竦んだ。

 優しいお父さんの笑顔が浮かぶ。何かあったら大変だ、と言った静かな声が恋しくなる。
 やっぱり、お父さんの言うことを聞いておけば良かった。そう後悔した。
 何度だって謝る。それに、もう一生外に出ないと約束もする。だから。

「怖いよ! 助けて、お父さん!」

 叫んだ声は、空に大きく広がった。

 何度も叫ぶ。『お父さん』と声を張り上げる。こんな大声を出すのは人生で初めてだ。
 それほどに恐ろしかった。何気ない生活の安らぎを、改めて思い知るほどには。

「ユマ!」

 数秒して、お父さんの声が聞こえた。いつもより大きな声が、焦りや緊迫感を教える。対照的に、私は安堵してしまった。

 お父さんが息をハッと吸い上げる。空気からも動揺が伝わってきた。何が起こっているのか、全く理解できない。

 私を掴んでいた、男の右手が離れた。と思いきや一人で話し出す。他者の気配はなかったが、確実に誰かに話かけていた。

「男を絶対に逃がすな! 確保しろ!」
「お父さん! どうしたの、お父さん!」

 空気が凍っている。緊張した空間に、恐怖が隠せない。男を振り払って逃げようとした矢先、衝撃的な言葉が飛び込んできた。

「ナナミちゃん、あいつは君のお父さんじゃない!」

 体が硬直する。何の冗談だと逃避しつつ、空気感がそれを認めなかった。
 男の両手が再び私の肩を抱く。そのまま引き寄せられ、耳元ではっきり告げられた。

「あいつは君を誘拐した悪者なんだ! ここは危ないからこっちに来なさい」

 もう、何がなんだか分からなかった。お父さんの声を求めたが、一言も聞こえてこなかった。
 それどころか別の声が増えて、周囲は騒がしさに包まれた。

 ――危険がいっぱいある。その言葉を信じれば良かった。大好きなお父さんを、信じれば良かった。

「や、やだ……お父さん! ねぇ、お父さん!」
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