真実の愛がどうなろうと関係ありません。

希猫 ゆうみ

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「あなたと?」
「他に誰が?」

元婚約者から婚約解消を告げられた時より遥かに大きな衝撃が私に言葉を失わせる。
目に映る煌びやかな大広間の風景も意味を成さない景色となり、賑やかな大広間の歓談や楽の音さえも耳を通り抜けていく。

「無論、ふざけていない」
「……」

冗談を言う顔でも、声音でもない。
バラクロフ侯爵に冗談を言えるだけのユーモアがあるかどうかという疑問はさて置き、在り得ない申し出だった。

正確に表すならそれは、在り得ないと確信するだけの理由があると言えるかもしれない。

「あら」

衝撃が大きすぎたためか、私の口からやや高圧的な笑いが洩れる。
これが虚勢を張るという状態なのかと、僅かに残された理性が驚いている。

「あなたも真実の愛を実らせようって仰いますの?」

バラクロフ侯爵が怪訝そうな表情でこちらを向いた。
私たちがこの人生で初めて視線を絡めた瞬間だった。

「真実の愛?」
「ええ、はい」
「我々の先祖が証明し得なかった概念についての議論が必要か?」
「いいえ、違います。口癖だったのです。例の、私の、つい先日まで婚約関係にあった伯爵令息の」
「元伯爵令息だ」
「そうでしたわね。その男の」

ふむ、といった様子でバラクロフ侯爵が頷く。

「羽のように軽い真実だったな。我々の先祖が胸を痛めた一時の激情の方がまだ真実と嘯くだけの価値がありそうなものだ」
「それは同感です」

私の曾祖母で当時の第六王女であったシャーリンは、当時も今と変わらず有力貴族であったバラクロフ侯爵アルフォンス卿、現在のバラクロフ侯爵の祖父に当たる男と熱愛関係にあった。
しかし、当時の国王の行った政略結婚によって、曾祖母は私の曽祖父の元へと泣く泣く嫁いだのだ。

二人は政治に引き裂かれ、悲恋に終わった。
二人の激情は駆け落ちや心中という理性を欠いた結末は迎えず、互いの家を繁栄させ、延いては国を繁栄させる生涯に粛々と身を投じるに至った。

悲恋という結末でなければ、互いに生まれてはこなかった命。
そう思うとバラクロフ侯爵と見つめ合うこの瞬間が非常に感慨深く感じられる。

驚愕は過ぎ去り、私はしみじみと歴史の重みや奥深さに想いを馳せた。

「では、先祖に因んで私に記念的求婚を?」
「まさか。子孫の我々が結婚しようとかつての二人には何ら関係ない。私は聡明な妻が欲しいだけだ」

聡明な妻。
私の内面を褒め称える短い一言が素直に嬉しい。

「どうだろう。悪い話ではないはずだ」

さっぱりとした取引めいた意思確認が更に好ましい。
真実の愛だの永遠の誓いだの、高揚感によって理性を手放したに過ぎない夢見がちな口約束など、もう聞きたくなかった。
正に理想的な求婚だったのだ。

愛など霧散する空想。
信頼と実績に基づく協力関係こそが結婚。

私は微笑んでバラクロフ侯爵を見上げた。

「喜んでお受けいたしますわ」
「では、周知の意味も込めて一度踊るか」
「はい」

バラクロフ侯爵の手が差し伸べられ、私は優雅に応じる。
その瞬間に微かなどよめきを感じたものの、私が求めているのは喝采ではなかった。然るべき場所に収まったのだと納得してもらえること。それが重要。

そしてその願いは程なくして叶うことになる。

ダンスの相性はバラクロフ侯爵のリードの上手さとレッスンを重ねてきた私の実力が相乗効果を生み出し、正に完璧だった。
曲の変わり目で、私たちは微かに息の弾む互いを見つめ、今だと悟る。

「……」

無言でバラクロフ侯爵が跪き、今度は私が手を差し伸べる。
予め定められていたかのように、天鵞絨の小箱からやや仰々しくも美しい指輪が顔を出す。

眩いガーネットの輝き。
それを縁取る小粒のエメラルドとトパーズ、そしてダイヤモンド。
バラクロフ侯爵家に代々伝わっていると言われても納得の婚約指輪。

周囲の溜息が耳に届く程の徹底した沈黙の中、バラクロフ侯爵は私の指にその指輪をはめた。

後に〈黙する愛〉などと報じられることとなったこの求婚によって、私はバラクロフ侯爵の正式な婚約者となった。
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