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私の乳母であったアニスの姪アイヴィとその夫が私の出産に合わせ移り住んでいた。アイヴィが私の子どもの乳母になるからである。
出産で命を落とすことを恐れていたレジナルドは医者と産婆も厳選し、徹底した健康管理を強いて来たが、生命に直結する新たな規律に従っての暮らしは快適で興味深いものだった。
医者と産婆とジェマとアイヴィと他入れ代わり立ち代わりするメイドたちの協力の下、私は娘を産み、ミスティと名付けた。
産後、疲れ果てた私は眠り続けたが、その間に義父が塔から走り出て泣いて喜んでくれたと聞き、朦朧とした意識の中で非常に印象深かった記憶がある。
一度だけミスティを抱き、安静第一という方針の下で十日以上は顔も見ず別々の部屋で養生していたように思われる。
静かな寝室で手厚い看護を受けながら過ごすのは窮屈であり、同時に心地よいものだった。
そしてある時、夫レジナルドが枕元に跪き私の手を握りしめ頭を垂れた。
「君なら遣り遂げると信じていた。君は私に親となる資格を与え、美しい娘を与えてくれた。君によって齎されたこの幸福を当たり前と思わず、生涯を通じて守り抜くとともに、善き父、善き夫であると約束する」
「死人に祈るように言わないで」
「娘が産まれた」
「知ってるわ。私が産んだ」
「ありがとう」
「くしゃみが出ないといいけど」
このミスティという娘は驚く程すくすくと成長し、言葉を覚えるのも歩くのも早く、周囲の大人を喜ばせる才能に長けていた。
成長するにつれてミスティが客観的に見ても美しい娘であることを母である私自身認めずにはいられなかった。
利発な子である。
父親譲りの艶めく黒髪と、私と同じ琥珀色の瞳。目の形そのものはレジナルドに似ている。
「ミスティは君にそっくりだ」
「いいえ、あなたに似てるのよ」
「何を言う。似ているのは髪の色だけでつまり単なる遺伝だ」
「それを似てると言うのでしょう?性格はほぼあなたよ」
「まさか」
こういう会話を聞きつけ、ジェマやアイヴィが揶揄ってくるのだ。
「お父様とお母様は仲良しですね」
同意を求められたミスティは常に真顔だった。
その顔は『何を今更?』と言う時のレジナルドの生き写しと言っても過言ではない。
さて、このミスティの喜ばせた大人の中に義父がいる。
義父は頻繁に塔から出てくるようになり、その目尻を下げた温厚な顔で孫娘であるミスティを会話や散歩に誘った。実に和やかな光景だった。
ミスティ5才の秋。
「おじいさま?おひげがおじゃまなのではなくて?むすんであげる」
暖炉の間でお茶を飲んでいた時に、ミスティが義父の髭をリボンで結び始めた。義父は大喜びでされるがままになっていたので、思わず尋ねてしまった。
「ミスティは奥様に似ていますか?」
「……」
義父の目は忽ち過去への旅を始めたが、もう嘆き悲しむだけの日々は終わりを迎えて久しい。
「いいや。この子は母親似だろう」
「そうですか」
「息子は、本来はやんちゃだった」
この些細な会話がきっかけだったのか、冬を目前にした晩秋の朝、義父は私を散歩に誘った。既に粉雪が舞い、景色を白く翳ませていた。
義父はゆっくりと歩みを進めながら言った。
「あなたを長い間、無視してしまった」
「いいえ」
互いに白い息を吐いているが、相手の顔を観察しているのは私だけだった。
義父は遥か彼方の過去を見ていたのだ。
「父から聞いたシャーリン王女という人は、あなたと全く似ていない」
「……そうですか」
義父の髭に粉雪が付着する。
ミスティの影響か、払って差し上げた方がいいような気がしてしまったが留まった。
「あなたが一つの村を救い始めた時、初めて、あなたの為人に気づいた。息子が何を考えてあなたに求婚したか理解に苦しんだが、単純だった。あなたに惹かれたんだ」
「そうかもしれませんね」
「息子は幸せそうだ。私は不幸ばかり教えた。だがあなたが……」
そこで義父は言葉を区切り、歩みを止めた。
「意識がはっきりしているうちに、私があなたを義理の娘として敬愛していると伝えておきたかった。今日はありがとう」
義父が笑顔を向ける。
私は粉雪と義父を同時に眺め尋ねた。
「御病気ですか?」
「否。そろそろ、父の年齢を越える。その内、呆けて老衰する」
「ミスティが刺激になります」
「ああ、あの子は可愛い」
私の娘にいつも優しい微笑みを浮かべ接する義父の心に何があるか、私は理解しているだろう。
私は義父に触れず、ただ皴に囲まれた目を見つめ、告げた。
「愛というものが存在するのだとしたら、私はレジナルドを愛していると思います。ミスティを、あなたと同じように愛していると思います」
「知っているよ」
義父が嬉しそうに目を細めた。
今だ、と。私は悟った。
「お義父様」
「なんだい?」
「夫の、弟の名前を教えて頂けませんか?」
「──」
義父が瞠目する。
その瞳は忽ち潤み、義父は再び笑顔を浮かべたが、同時に滂沱の涙を流していた。
そしてその長く秘められていた名を呟いた。
「セドリック……」
私が同じ名を口にしようとした瞬間に、義父は薄い雪化粧を施した小径に膝から崩れ落ちた。そして肩を震わせて泣き始める。
私は義父の肩に手を振れ、その時、わかった。私はミスティのような気持ちだろうと考えながら義父を抱きしめた。
義父さえも家族として愛しているのだと、この時、気づかされた。
数日後。
私とレジナルドは義父と共にその定められた悲しき日の朝、小さな墓石の前に集った。雪の中で跪き、義父がその名を墓石に刻む。セドリック。
「……」
レジナルドは震えもせず、泣きもせず、全く義父とは似ても似つかない様子で静かに佇み続けていたが、私は夫の指先を強く握った。夫は即座に握り返し、私の手に思いの丈をぶつけてくる。
だから私も握り続けた。
レジナルドと手を繋ぎ、深い愛に生きた一人の男の老いた背中を見つめていた。
出産で命を落とすことを恐れていたレジナルドは医者と産婆も厳選し、徹底した健康管理を強いて来たが、生命に直結する新たな規律に従っての暮らしは快適で興味深いものだった。
医者と産婆とジェマとアイヴィと他入れ代わり立ち代わりするメイドたちの協力の下、私は娘を産み、ミスティと名付けた。
産後、疲れ果てた私は眠り続けたが、その間に義父が塔から走り出て泣いて喜んでくれたと聞き、朦朧とした意識の中で非常に印象深かった記憶がある。
一度だけミスティを抱き、安静第一という方針の下で十日以上は顔も見ず別々の部屋で養生していたように思われる。
静かな寝室で手厚い看護を受けながら過ごすのは窮屈であり、同時に心地よいものだった。
そしてある時、夫レジナルドが枕元に跪き私の手を握りしめ頭を垂れた。
「君なら遣り遂げると信じていた。君は私に親となる資格を与え、美しい娘を与えてくれた。君によって齎されたこの幸福を当たり前と思わず、生涯を通じて守り抜くとともに、善き父、善き夫であると約束する」
「死人に祈るように言わないで」
「娘が産まれた」
「知ってるわ。私が産んだ」
「ありがとう」
「くしゃみが出ないといいけど」
このミスティという娘は驚く程すくすくと成長し、言葉を覚えるのも歩くのも早く、周囲の大人を喜ばせる才能に長けていた。
成長するにつれてミスティが客観的に見ても美しい娘であることを母である私自身認めずにはいられなかった。
利発な子である。
父親譲りの艶めく黒髪と、私と同じ琥珀色の瞳。目の形そのものはレジナルドに似ている。
「ミスティは君にそっくりだ」
「いいえ、あなたに似てるのよ」
「何を言う。似ているのは髪の色だけでつまり単なる遺伝だ」
「それを似てると言うのでしょう?性格はほぼあなたよ」
「まさか」
こういう会話を聞きつけ、ジェマやアイヴィが揶揄ってくるのだ。
「お父様とお母様は仲良しですね」
同意を求められたミスティは常に真顔だった。
その顔は『何を今更?』と言う時のレジナルドの生き写しと言っても過言ではない。
さて、このミスティの喜ばせた大人の中に義父がいる。
義父は頻繁に塔から出てくるようになり、その目尻を下げた温厚な顔で孫娘であるミスティを会話や散歩に誘った。実に和やかな光景だった。
ミスティ5才の秋。
「おじいさま?おひげがおじゃまなのではなくて?むすんであげる」
暖炉の間でお茶を飲んでいた時に、ミスティが義父の髭をリボンで結び始めた。義父は大喜びでされるがままになっていたので、思わず尋ねてしまった。
「ミスティは奥様に似ていますか?」
「……」
義父の目は忽ち過去への旅を始めたが、もう嘆き悲しむだけの日々は終わりを迎えて久しい。
「いいや。この子は母親似だろう」
「そうですか」
「息子は、本来はやんちゃだった」
この些細な会話がきっかけだったのか、冬を目前にした晩秋の朝、義父は私を散歩に誘った。既に粉雪が舞い、景色を白く翳ませていた。
義父はゆっくりと歩みを進めながら言った。
「あなたを長い間、無視してしまった」
「いいえ」
互いに白い息を吐いているが、相手の顔を観察しているのは私だけだった。
義父は遥か彼方の過去を見ていたのだ。
「父から聞いたシャーリン王女という人は、あなたと全く似ていない」
「……そうですか」
義父の髭に粉雪が付着する。
ミスティの影響か、払って差し上げた方がいいような気がしてしまったが留まった。
「あなたが一つの村を救い始めた時、初めて、あなたの為人に気づいた。息子が何を考えてあなたに求婚したか理解に苦しんだが、単純だった。あなたに惹かれたんだ」
「そうかもしれませんね」
「息子は幸せそうだ。私は不幸ばかり教えた。だがあなたが……」
そこで義父は言葉を区切り、歩みを止めた。
「意識がはっきりしているうちに、私があなたを義理の娘として敬愛していると伝えておきたかった。今日はありがとう」
義父が笑顔を向ける。
私は粉雪と義父を同時に眺め尋ねた。
「御病気ですか?」
「否。そろそろ、父の年齢を越える。その内、呆けて老衰する」
「ミスティが刺激になります」
「ああ、あの子は可愛い」
私の娘にいつも優しい微笑みを浮かべ接する義父の心に何があるか、私は理解しているだろう。
私は義父に触れず、ただ皴に囲まれた目を見つめ、告げた。
「愛というものが存在するのだとしたら、私はレジナルドを愛していると思います。ミスティを、あなたと同じように愛していると思います」
「知っているよ」
義父が嬉しそうに目を細めた。
今だ、と。私は悟った。
「お義父様」
「なんだい?」
「夫の、弟の名前を教えて頂けませんか?」
「──」
義父が瞠目する。
その瞳は忽ち潤み、義父は再び笑顔を浮かべたが、同時に滂沱の涙を流していた。
そしてその長く秘められていた名を呟いた。
「セドリック……」
私が同じ名を口にしようとした瞬間に、義父は薄い雪化粧を施した小径に膝から崩れ落ちた。そして肩を震わせて泣き始める。
私は義父の肩に手を振れ、その時、わかった。私はミスティのような気持ちだろうと考えながら義父を抱きしめた。
義父さえも家族として愛しているのだと、この時、気づかされた。
数日後。
私とレジナルドは義父と共にその定められた悲しき日の朝、小さな墓石の前に集った。雪の中で跪き、義父がその名を墓石に刻む。セドリック。
「……」
レジナルドは震えもせず、泣きもせず、全く義父とは似ても似つかない様子で静かに佇み続けていたが、私は夫の指先を強く握った。夫は即座に握り返し、私の手に思いの丈をぶつけてくる。
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