1 / 26
1 没落した転生令嬢
しおりを挟む
両親や乳母が呼ぶ『アーデルハイト』という私の名前。
赤ん坊だったときの記憶はないけれど、自分の名前を自覚できたときに、私は思わず「これ、昔のドイツ系貴族の女性に多かった名前だ」と思ってしまった。
私は、現代の地球で生きていた前世の記憶をもつ転生者であり、自我がめばえたと同時に、前世の記憶も思い出せた。
私がいる場所はおそらく、現在のドイツ南部・オーストリア・ボヘミア・北イタリアあたり。
ようするに、神聖ローマ帝国の領域だ。
使われる言葉も、現代ドイツ語とは少し違う中高ドイツ語に近い音で、街には石造りの城や修道院、騎士の館が立っている。
たぶん今の時代は十二世紀。
ホーエンシュタウフェン朝の皇帝フリードリヒ1世が統治しているあたりだから、1150年以降の世界だと思う。
私の家は、帝国の従属王国であるボヘミア王国の領地内にある。
現代でいえば、チェコのあたりに近い場所。
ちなみに、なぜかこの世界には魔法が存在する。
だから私は、「ここは異世界みたいなものなんじゃないか」と思いはじめている。
私は、いわゆる“令嬢”という立場であり、簡単な魔法が使えた。
いまの私は、十四歳。
教会法(カノン法)では十二歳以上の女性は婚姻が可能とされる年齢で、成人としてあつかわれることもある。
早い家では、十二歳で婚約し、知らない貴族の屋敷に嫁いでいく。
私は、神聖ローマ帝国の領地──今でいうドイツ地方の、とある小領主の娘として暮らしていた。
屋敷では、礼儀作法や刺繍、聖書の読み書き、祈りの言葉など、貴族の娘にふさわしい教育を受けている。
けれども、前世で歴史をかじった私にはわかっていた。
この平穏が、長く続くはずがないことを。
だって今は十二世紀、中世の真ん中。
ポーランドではピャスト家の相続争いが始まっているし、東や南ではハンガリー諸侯との小競り合いも絶えない。
帝国内でも諸侯たちが皇帝に反旗をひるがえす。
つまり──世界は戦乱のただ中にある。
中世の人々にとって、戦争は『避けられない災厄』だ。
疫病、凶作、洪水と同じく、個人の力では止められないものだった。
それは私もおなじで、戦乱の時代であることを理解しつつも、どうしようもなさを抱えながら今日を生きるしかなかったのだ。
そして、『平和は長くつづかない』という私の予感は当たった。
私の父、ハンス・フォン・グログフが、戦で命を落としたのだ。
父は、公爵につかえる辺境の騎士領主だったが、皇帝派と教皇派の争いに巻き込まれ、戦死した。
領地は公爵の命令によって没収され、母はそのすぐ後に病で亡くなった。
こうして我が家は『没落』した。
12世紀の貴族女性が一気に転落する王道ルートをたどってしまったわけだ。
婚約の話も消え、修道院に入る費用も後ろ盾もない。
だから私は、かつて父に仕えていた旧臣が住んでいた村をたずねて、シレジア山地の小さな集落にやってきた。
「この村が、今日から私の住む場所になるのね……」
私はオーデル川の支流にかかる木橋を渡り、村の入り口に立った。
12世紀のシレジア地方。
神聖ローマ帝国の北東端に位置するこの地は、この時代、まだ“辺境”と呼ばれていた。
西のボヘミアやサクソニーに比べれば開拓は遅れ、深い針葉樹の森が、丘陵の影とともにどこまでも続いている。
村を囲む木柵の前に立つ私の姿は、貴族の令嬢だった面影はない。
柔らかな金髪は旅のホコリでくすみ、頭巾(フード付きのケープ)をしっかりかぶっている。
着ている農民服は粗い織りで、肩には革紐のかばんを下げていた。
村人の多くが着ているのと同じ、ごく質素な身なりだ。
柵の内側では、朝の焚き火の煙がゆるく上がっていた。
丸太を組んで作った小屋が十数軒、風にさらされた茅葺き屋根をかすかに揺らしている。
12世紀のシレジアの村では、石造りの家はまず見られない。
森を切り拓き、手に入る丸太と粘土で建てた“木と土の家”が主流だった。
赤ん坊だったときの記憶はないけれど、自分の名前を自覚できたときに、私は思わず「これ、昔のドイツ系貴族の女性に多かった名前だ」と思ってしまった。
私は、現代の地球で生きていた前世の記憶をもつ転生者であり、自我がめばえたと同時に、前世の記憶も思い出せた。
私がいる場所はおそらく、現在のドイツ南部・オーストリア・ボヘミア・北イタリアあたり。
ようするに、神聖ローマ帝国の領域だ。
使われる言葉も、現代ドイツ語とは少し違う中高ドイツ語に近い音で、街には石造りの城や修道院、騎士の館が立っている。
たぶん今の時代は十二世紀。
ホーエンシュタウフェン朝の皇帝フリードリヒ1世が統治しているあたりだから、1150年以降の世界だと思う。
私の家は、帝国の従属王国であるボヘミア王国の領地内にある。
現代でいえば、チェコのあたりに近い場所。
ちなみに、なぜかこの世界には魔法が存在する。
だから私は、「ここは異世界みたいなものなんじゃないか」と思いはじめている。
私は、いわゆる“令嬢”という立場であり、簡単な魔法が使えた。
いまの私は、十四歳。
教会法(カノン法)では十二歳以上の女性は婚姻が可能とされる年齢で、成人としてあつかわれることもある。
早い家では、十二歳で婚約し、知らない貴族の屋敷に嫁いでいく。
私は、神聖ローマ帝国の領地──今でいうドイツ地方の、とある小領主の娘として暮らしていた。
屋敷では、礼儀作法や刺繍、聖書の読み書き、祈りの言葉など、貴族の娘にふさわしい教育を受けている。
けれども、前世で歴史をかじった私にはわかっていた。
この平穏が、長く続くはずがないことを。
だって今は十二世紀、中世の真ん中。
ポーランドではピャスト家の相続争いが始まっているし、東や南ではハンガリー諸侯との小競り合いも絶えない。
帝国内でも諸侯たちが皇帝に反旗をひるがえす。
つまり──世界は戦乱のただ中にある。
中世の人々にとって、戦争は『避けられない災厄』だ。
疫病、凶作、洪水と同じく、個人の力では止められないものだった。
それは私もおなじで、戦乱の時代であることを理解しつつも、どうしようもなさを抱えながら今日を生きるしかなかったのだ。
そして、『平和は長くつづかない』という私の予感は当たった。
私の父、ハンス・フォン・グログフが、戦で命を落としたのだ。
父は、公爵につかえる辺境の騎士領主だったが、皇帝派と教皇派の争いに巻き込まれ、戦死した。
領地は公爵の命令によって没収され、母はそのすぐ後に病で亡くなった。
こうして我が家は『没落』した。
12世紀の貴族女性が一気に転落する王道ルートをたどってしまったわけだ。
婚約の話も消え、修道院に入る費用も後ろ盾もない。
だから私は、かつて父に仕えていた旧臣が住んでいた村をたずねて、シレジア山地の小さな集落にやってきた。
「この村が、今日から私の住む場所になるのね……」
私はオーデル川の支流にかかる木橋を渡り、村の入り口に立った。
12世紀のシレジア地方。
神聖ローマ帝国の北東端に位置するこの地は、この時代、まだ“辺境”と呼ばれていた。
西のボヘミアやサクソニーに比べれば開拓は遅れ、深い針葉樹の森が、丘陵の影とともにどこまでも続いている。
村を囲む木柵の前に立つ私の姿は、貴族の令嬢だった面影はない。
柔らかな金髪は旅のホコリでくすみ、頭巾(フード付きのケープ)をしっかりかぶっている。
着ている農民服は粗い織りで、肩には革紐のかばんを下げていた。
村人の多くが着ているのと同じ、ごく質素な身なりだ。
柵の内側では、朝の焚き火の煙がゆるく上がっていた。
丸太を組んで作った小屋が十数軒、風にさらされた茅葺き屋根をかすかに揺らしている。
12世紀のシレジアの村では、石造りの家はまず見られない。
森を切り拓き、手に入る丸太と粘土で建てた“木と土の家”が主流だった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】異世界転移したら騎士団長と相思相愛になりました〜私の恋を父と兄が邪魔してくる〜
伽羅
恋愛
愛莉鈴(アリス)は幼馴染の健斗に片想いをしている。
ある朝、通学中の事故で道が塞がれた。
健斗はサボる口実が出来たと言って愛莉鈴を先に行かせる。
事故車で塞がれた道を電柱と塀の隙間から抜けようとすると妙な違和感が…。
気付いたら、まったく別の世界に佇んでいた。
そんな愛莉鈴を救ってくれた騎士団長を徐々に好きになっていくが、彼には想い人がいた。
やがて愛莉鈴には重大な秘密が判明して…。
神様の手違いで、おまけの転生?!お詫びにチートと無口な騎士団長もらっちゃいました?!
カヨワイさつき
恋愛
最初は、日本人で受験の日に何かにぶつかり死亡。次は、何かの討伐中に、死亡。次に目覚めたら、見知らぬ聖女のそばに、ポツンとおまけの召喚?あまりにも、不細工な為にその場から追い出されてしまった。
前世の記憶はあるものの、どれをとっても短命、不幸な出来事ばかりだった。
全てはドジで少し変なナルシストの神様の手違いだっ。おまけの転生?お詫びにチートと無口で不器用な騎士団長もらっちゃいました。今度こそ、幸せになるかもしれません?!
【完結】ここって天国?いいえBLの世界に転生しました
三園 七詩
恋愛
麻衣子はBL大好きの腐りかけのオタク、ある日道路を渡っていた綺麗な猫が車に引かれそうになっているのを助けるために命を落とした。
助けたその猫はなんと神様で麻衣子を望む異世界へと転生してくれると言う…チートでも溺愛でも悪役令嬢でも望むままに…しかし麻衣子にはどれもピンと来ない…どうせならBLの世界でじっくりと生でそれを拝みたい…
神様はそんな麻衣子の願いを叶えてBLの世界へと転生させてくれた!
しかもその世界は生前、麻衣子が買ったばかりのゲームの世界にそっくりだった!
攻略対象の兄と弟を持ち、王子の婚約者のマリーとして生まれ変わった。
ゲームの世界なら王子と兄、弟やヒロイン(男)がイチャイチャするはずなのになんかおかしい…
知らず知らずのうちに攻略対象達を虜にしていくマリーだがこの世界はBLと疑わないマリーはそんな思いは露知らず…
注)BLとありますが、BL展開はほぼありません。
悪役令嬢だけど、私としては推しが見れたら十分なんですが?
榎夜
恋愛
私は『花の王子様』という乙女ゲームに転生した
しかも、悪役令嬢に。
いや、私の推しってさ、隠しキャラなのよね。
だから勝手にイチャついてて欲しいんだけど......
※題名変えました。なんか話と合ってないよねってずっと思ってて
せっかく転生したのにモブにすらなれない……はずが溺愛ルートなんて信じられません
嘉月
恋愛
隣国の貴族令嬢である主人公は交換留学生としてやってきた学園でイケメン達と恋に落ちていく。
人気の乙女ゲーム「秘密のエルドラド」のメイン攻略キャラは王立学園の生徒会長にして王弟、氷の殿下こと、クライブ・フォン・ガウンデール。
転生したのはそのゲームの世界なのに……私はモブですらないらしい。
せめて学園の生徒1くらいにはなりたかったけど、どうしようもないので地に足つけてしっかり生きていくつもりです。
少しだけ改題しました。ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします。
脅迫して意中の相手と一夜を共にしたところ、逆にとっ捕まった挙げ句に逃げられなくなりました。
石河 翠
恋愛
失恋した女騎士のミリセントは、不眠症に陥っていた。
ある日彼女は、お気に入りの毛布によく似た大型犬を見かけ、偶然隠れ家的酒場を発見する。お目当てのわんこには出会えないものの、話の合う店長との時間は、彼女の心を少しずつ癒していく。
そんなある日、ミリセントは酒場からの帰り道、元カレから復縁を求められる。きっぱりと断るものの、引き下がらない元カレ。大好きな店長さんを巻き込むわけにはいかないと、ミリセントは覚悟を決める。実は店長さんにはとある秘密があって……。
真っ直ぐでちょっと思い込みの激しいヒロインと、わんこ系と見せかけて実は用意周到で腹黒なヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真のID:4274932)をお借りしております。
強すぎる力を隠し苦悩していた令嬢に転生したので、その力を使ってやり返します
天宮有
恋愛
私は魔法が使える世界に転生して、伯爵令嬢のシンディ・リーイスになっていた。
その際にシンディの記憶が全て入ってきて、彼女が苦悩していたことを知る。
シンディは強すぎる魔力を持っていて、危険過ぎるからとその力を隠して生きてきた。
その結果、婚約者のオリドスに婚約破棄を言い渡されて、友人のヨハンに迷惑がかかると考えたようだ。
それなら――この強すぎる力で、全て解決すればいいだけだ。
私は今まで酷い扱いをシンディにしてきた元婚約者オリドスにやり返し、ヨハンを守ろうと決意していた。
ヒロイン気質がゼロなので攻略はお断りします! ~塩対応しているのに何で好感度が上がるんですか?!~
浅海 景
恋愛
幼い頃に誘拐されたことがきっかけで、サーシャは自分の前世を思い出す。その知識によりこの世界が乙女ゲームの舞台で、自分がヒロイン役である可能性に思い至ってしまう。貴族のしきたりなんて面倒くさいし、侍女として働くほうがよっぽど楽しいと思うサーシャは平穏な未来を手にいれるため、攻略対象たちと距離を取ろうとするのだが、彼らは何故かサーシャに興味を持ち関わろうとしてくるのだ。
「これってゲームの強制力?!」
周囲の人間関係をハッピーエンドに収めつつ、普通の生活を手に入れようとするヒロイン気質ゼロのサーシャが奮闘する物語。
※2024.8.4 おまけ②とおまけ③を追加しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる