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第七章
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その夜、工房に一人の訪問者があった。
「......父上」
ドアの前に立っていたのは、かつてのヴェルディ侯爵だった。
今は爵位を剥奪され、ただの平民。
「入っても、いいか」
迷ったが、頷いた。
父は工房に入り、周囲を見回した。
「立派な工房だな」
「......何の用ですか」
「謝罪に来た」
父は深く頭を下げた。
「リリアーナ、すまなかった」
「今更......」
「分かっている。許してもらおうとは思っていない」
父は顔を上げた。その目は、かつてない程疲れていた。
「だが、お前に伝えたかった。お前の母――エレナは、素晴らしい女性だった」
「母さんが......」
「彼女は、お前を身籠った時、こう言ったんだ。『この子は必ず、素晴らしい調香師になる』と」
父は震える手で、懐から古い写真を取り出した。
そこには、若い頃の父と、笑顔の母が写っていた。
「私は、エレナを愛していた。でも、貴族の体面と借金に縛られて......」
父は項垂れた。
「気づけば、大切なものを全て失っていた」
私は何も言えなかった。
「セシリアは、労役場で反省しているそうだ」
父は立ち上がった。
「いつか、あの子も自分の過ちに気づくだろう。その時は......」
「許しません」
私ははっきりと言った。
セシリアにとって許されることは嬉しいだろう。
でも私にとって、あの日々を許しておしまいにすることはもうできない。
だからーー
「でも、憎みもしません。もう、私の人生に、あなたたちは関係ありませんから」
父は寂しそうに微笑んだ。
「......そうか。それでいい」
彼はドアに向かった。
「リリアーナ、幸せになれ。それだけが、私の願いだ」
父は去っていった。
私は母の写真を見つめた。
「母さん、私、やっと自由になれたよ」
エピローグ「新しい朝」
それから三ヶ月が経った。
私の工房『月光の雫』は、王都で評判の調香店になっていた。
「リリアーナ様、今日の予約は満杯です!」
ルビーが嬉しそうに報告してきた。赤毛の快活な少女は、私の最初の弟子だ。
「ノワール、香料の在庫は?」
「十分にあります」
黒髪の物静かな少女――もう一人の弟子が答える。
二人は、すっかり頼りになる助手になった。
「よし、じゃあ開店だ」
ジャックが扉の鍵を開ける。
途端に、お客が押し寄せてきた。
貴族も平民も関係ない。良い香りを求めて、皆がやってくる。
「リリアーナ嬢、今日も美しいですな」
常連客のお爺さんが、嬉しそうに笑った。
「今日は、亡き妻の好きだった香りを再現してほしいのですが」
「承知しました。お話を聞かせてください」
私は【魂香創成】を使って、お爺さんの記憶から香りを抽出した。
それは、春の野原に咲く、スミレの香り。
「これは......!」
お爺さんの目に、涙が浮かんだ。
「妻が、帰ってきたようだ......」
こうして人を幸せにできることが、何より嬉しかった。
夕方、店を閉めた後、レオンが迎えに来た。
「お疲れ様。今日も繁盛だったな」
「ええ。嬉しい悲鳴です」
私たちは並んで、王都の街を歩いた。
「なあ、リリアーナ」
「はい?」
「俺の呪い、完全に消えたんだ」
レオンは立ち止まった。
「お前のおかげで」
「良かったです」
「だから――」
レオンは私の手を取った。
「改めて聞きたい。お前は、薬としてじゃなく、俺自身を見てくれるか?」
その深紅の瞳は、真っ直ぐに私を見つめていた。
「レオン......」
私は微笑んだ。
「あなたは、私が初めて自分で一緒にいたいと選んだ人です」
「それは......」
「好きです。あなたにとっての薬だからじゃなく、レオン・ヴォン・シルヴァニアという一人の人間が」
レオンの顔が、ぱあっと明るくなった。
「なら、結婚しよう」
「え?」
「俺と一緒に、シルヴァニアで調香店を開かないか?」
レオンは真剣な表情で言った。
「いや、引っ越すのは大変だよな。なら、ここでもいい。お前の好きな場所で、好きなように生きてほしい。俺は、お前の隣にいられればそれでいいんだ」
矢継ぎ早に出てくる提案に圧倒されて、私は息つく暇もなかった。
「で、どうだ?」
神妙に待つレオンの姿はまるで飼い主の返事を待つ大型犬のようで、つい笑ってしまった。
「リリアーナ。俺は真剣だぞ」
「はい、喜んで」
一拍遅れて出てきた返事に、レオンが目をみはる。
そうして私はきつく抱きしめられた。
王都の夕日が、二人を優しく照らしていた。
「......父上」
ドアの前に立っていたのは、かつてのヴェルディ侯爵だった。
今は爵位を剥奪され、ただの平民。
「入っても、いいか」
迷ったが、頷いた。
父は工房に入り、周囲を見回した。
「立派な工房だな」
「......何の用ですか」
「謝罪に来た」
父は深く頭を下げた。
「リリアーナ、すまなかった」
「今更......」
「分かっている。許してもらおうとは思っていない」
父は顔を上げた。その目は、かつてない程疲れていた。
「だが、お前に伝えたかった。お前の母――エレナは、素晴らしい女性だった」
「母さんが......」
「彼女は、お前を身籠った時、こう言ったんだ。『この子は必ず、素晴らしい調香師になる』と」
父は震える手で、懐から古い写真を取り出した。
そこには、若い頃の父と、笑顔の母が写っていた。
「私は、エレナを愛していた。でも、貴族の体面と借金に縛られて......」
父は項垂れた。
「気づけば、大切なものを全て失っていた」
私は何も言えなかった。
「セシリアは、労役場で反省しているそうだ」
父は立ち上がった。
「いつか、あの子も自分の過ちに気づくだろう。その時は......」
「許しません」
私ははっきりと言った。
セシリアにとって許されることは嬉しいだろう。
でも私にとって、あの日々を許しておしまいにすることはもうできない。
だからーー
「でも、憎みもしません。もう、私の人生に、あなたたちは関係ありませんから」
父は寂しそうに微笑んだ。
「......そうか。それでいい」
彼はドアに向かった。
「リリアーナ、幸せになれ。それだけが、私の願いだ」
父は去っていった。
私は母の写真を見つめた。
「母さん、私、やっと自由になれたよ」
エピローグ「新しい朝」
それから三ヶ月が経った。
私の工房『月光の雫』は、王都で評判の調香店になっていた。
「リリアーナ様、今日の予約は満杯です!」
ルビーが嬉しそうに報告してきた。赤毛の快活な少女は、私の最初の弟子だ。
「ノワール、香料の在庫は?」
「十分にあります」
黒髪の物静かな少女――もう一人の弟子が答える。
二人は、すっかり頼りになる助手になった。
「よし、じゃあ開店だ」
ジャックが扉の鍵を開ける。
途端に、お客が押し寄せてきた。
貴族も平民も関係ない。良い香りを求めて、皆がやってくる。
「リリアーナ嬢、今日も美しいですな」
常連客のお爺さんが、嬉しそうに笑った。
「今日は、亡き妻の好きだった香りを再現してほしいのですが」
「承知しました。お話を聞かせてください」
私は【魂香創成】を使って、お爺さんの記憶から香りを抽出した。
それは、春の野原に咲く、スミレの香り。
「これは......!」
お爺さんの目に、涙が浮かんだ。
「妻が、帰ってきたようだ......」
こうして人を幸せにできることが、何より嬉しかった。
夕方、店を閉めた後、レオンが迎えに来た。
「お疲れ様。今日も繁盛だったな」
「ええ。嬉しい悲鳴です」
私たちは並んで、王都の街を歩いた。
「なあ、リリアーナ」
「はい?」
「俺の呪い、完全に消えたんだ」
レオンは立ち止まった。
「お前のおかげで」
「良かったです」
「だから――」
レオンは私の手を取った。
「改めて聞きたい。お前は、薬としてじゃなく、俺自身を見てくれるか?」
その深紅の瞳は、真っ直ぐに私を見つめていた。
「レオン......」
私は微笑んだ。
「あなたは、私が初めて自分で一緒にいたいと選んだ人です」
「それは......」
「好きです。あなたにとっての薬だからじゃなく、レオン・ヴォン・シルヴァニアという一人の人間が」
レオンの顔が、ぱあっと明るくなった。
「なら、結婚しよう」
「え?」
「俺と一緒に、シルヴァニアで調香店を開かないか?」
レオンは真剣な表情で言った。
「いや、引っ越すのは大変だよな。なら、ここでもいい。お前の好きな場所で、好きなように生きてほしい。俺は、お前の隣にいられればそれでいいんだ」
矢継ぎ早に出てくる提案に圧倒されて、私は息つく暇もなかった。
「で、どうだ?」
神妙に待つレオンの姿はまるで飼い主の返事を待つ大型犬のようで、つい笑ってしまった。
「リリアーナ。俺は真剣だぞ」
「はい、喜んで」
一拍遅れて出てきた返事に、レオンが目をみはる。
そうして私はきつく抱きしめられた。
王都の夕日が、二人を優しく照らしていた。
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