13 / 13
第十三章
しおりを挟む
それから三ヶ月が過ぎた。
季節は春から初夏へと移り変わり、王宮の庭園には色とりどりの花が咲き誇っていた。薔薇の香りが風に乗って工房まで届き、窓から差し込む陽光は日に日に強くなっている。
私は宮廷筆頭仕立て職人として、充実した日々を送っていた。
王妃様のための華やかなドレス、重要な式典で着用される貴族たちの礼服、外国の使節をもてなすための特別な衣装――依頼は次々と舞い込んできた。そして時には、公爵の――
コン、コン。
軽いノックの音と共に、工房の扉が開いた。
「セレスティーナ」
アレクサンダが入ってきた。最近、彼は私を名前で呼ぶようになっていた。最初は「ローレンス嬢」だったのが、いつの間にか「セレスティーナ」に変わっていた。その変化が、私たちの関係の深まりを物語っている。
今日の彼は、執務服ではなく、少しくつろいだ装いをしていた。黒いシャツに濃紺のベスト。それでも、その存在感は変わらない。
「今日も仕事か?」
彼は、私が作業台に向かっている姿を見て、少し眉をひそめた。
「ええ、王妃様の新しいドレスの最終調整を」
私は手元の青いシルクから視線を上げた。王妃様の誕生日の祝賀会で着用されるドレスだ。すでにほぼ完成しているが、最後の刺繍を施しているところだった。
「根を詰めすぎるな」
アレクサンダは私の側に来ると、優しく私の手を取った。針を持ちすぎて、少し赤くなっている指先を、彼の温かい手が包み込む。そして、とても優しく撫でてくれた。
その仕草に、胸が温かくなる。
「心配してくださるの?」
私は、少し甘えるように尋ねた。
「当然だろう」
素っ気ない口調だが、その灰色の瞳は優しさに満ちている。最初に会った時の冷たさは、もうそこにはない。
彼は私の手をゆっくりと離すと、工房の窓際へと歩いていった。外を眺めながら、話題を変えた。
「ところで、聞いたか?ジェラルドとミレイユの処分が正式に決まったそうだ」
その名前を聞いて、私の手が一瞬止まった。
「......どうなったの?」
私は、針を置いて彼の方を向いた。
「財産没収の上、辺境への追放だ」
アレクサンダは、淡々と告げた。
「二人とも、一生、王都には戻れない。ジェラルドは貴族の爵位も剥奪された。今は、平民として辺境の小さな村で暮らすことになる」
複雑な気持ちだった。
十年間、私を苦しめた二人。憎んでいたはずなのに、今となっては、最後には憐れみさえ感じる。彼らは、自分たちの欲望のために、本当に大切なものを見失っていたのだ。
「後悔しているだろうな」
アレクサンダが、窓から視線を戻して私を見た。
「君という宝を、目の前にしながら見過ごしていたことを。もし彼らが君を大切にしていたら、今頃は名門の一族として繁栄していただろうに」
彼は、ゆっくりと私に近づいてきた。その足音が、静かな工房に響く。
そして、私の頬に、そっと手を添えた。
「俺は、見過ごさない」
その声は低く、それでいて確かな決意に満ちていた。
「アレクサンダ......」
私は、彼の名前を呟いた。もう、「公爵」とは呼ばない。二人きりの時は、いつもこうして名前で呼び合うようになっていた。
「セレスティーナ」
彼は、私の目を真っ直ぐ見つめた。その灰色の瞳には、何か特別な光が宿っている。
「君に、言いたいことがある」
私の心臓が、激しく鼓動を始めた。
「君と出会えて、本当に良かった」
彼の声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
「十年前、幼かった君を見た時、その聡明な瞳が忘れられなかった。そして再会した時、君は驚くほど美しく、そして強く成長していた」
アレクサンダの手が、私の頬から髪へと移動する。
「これからも、ずっと側にいて欲しい。君の才能を見守り、君の笑顔を守り、君と共に歩んでいきたい」
まだ、正式な求婚の言葉ではない。でも、その言葉に込められた想いは、十分に伝わってきた。これは、将来への約束。永遠の誓いへの、第一歩。
「私も......」
私は、涙を堪えながら答えた。
「貴方と出会えて、幸せです。こんなに温かい気持ちになれるなんて、思ってもいませんでした」
あの暗い十年間、私は愛されることも、大切にされることも、忘れかけていた。でも、アレクサンダが――この人が、全てを取り戻してくれた。
アレクサンダが、優しく微笑んだ。
その笑顔を見るたび、私の心は満たされる。最初は氷のように冷たく見えた彼が、今ではこんなにも温かく笑ってくれる。
そして、彼はそっと私を抱き寄せた。
強く、それでいて優しい腕の中で、私は安心感に包まれる。彼の心臓の鼓動が、私の耳に聞こえた。それは、私の鼓動と同じリズムを刻んでいる。
窓の外では、春の花が満開に咲いていた。
白い薔薇、ピンクの芍薬、紫のラベンダー――色とりどりの花々が、初夏の陽光を浴びて輝いている。蝶が舞い、小鳥たちが歌っている。
十年間の冬を超えて、やっと私の春が訪れた。
いや、もう春は過ぎて、夏が来ようとしている。明るく、温かく、希望に満ちた季節が。
その時、『星霜の記憶』が、静かに発動した。
でも今回は、過去の記憶ではなく――未来の記憶。
白いウェディングドレスを着た私の姿が見えた。月光糸で織られた、虹色に輝く美しいドレス。頭には、白い花の冠。そして、その隣で優しく微笑むアレクサンダの姿が――
彼は黒い礼服に身を包み、私の手を取っている。二人の周りには、祝福の花吹雪が舞っている。ライアンの笑顔も、エマの涙も、そして多くの人々の温かい眼差しも見えていた。
季節は春から初夏へと移り変わり、王宮の庭園には色とりどりの花が咲き誇っていた。薔薇の香りが風に乗って工房まで届き、窓から差し込む陽光は日に日に強くなっている。
私は宮廷筆頭仕立て職人として、充実した日々を送っていた。
王妃様のための華やかなドレス、重要な式典で着用される貴族たちの礼服、外国の使節をもてなすための特別な衣装――依頼は次々と舞い込んできた。そして時には、公爵の――
コン、コン。
軽いノックの音と共に、工房の扉が開いた。
「セレスティーナ」
アレクサンダが入ってきた。最近、彼は私を名前で呼ぶようになっていた。最初は「ローレンス嬢」だったのが、いつの間にか「セレスティーナ」に変わっていた。その変化が、私たちの関係の深まりを物語っている。
今日の彼は、執務服ではなく、少しくつろいだ装いをしていた。黒いシャツに濃紺のベスト。それでも、その存在感は変わらない。
「今日も仕事か?」
彼は、私が作業台に向かっている姿を見て、少し眉をひそめた。
「ええ、王妃様の新しいドレスの最終調整を」
私は手元の青いシルクから視線を上げた。王妃様の誕生日の祝賀会で着用されるドレスだ。すでにほぼ完成しているが、最後の刺繍を施しているところだった。
「根を詰めすぎるな」
アレクサンダは私の側に来ると、優しく私の手を取った。針を持ちすぎて、少し赤くなっている指先を、彼の温かい手が包み込む。そして、とても優しく撫でてくれた。
その仕草に、胸が温かくなる。
「心配してくださるの?」
私は、少し甘えるように尋ねた。
「当然だろう」
素っ気ない口調だが、その灰色の瞳は優しさに満ちている。最初に会った時の冷たさは、もうそこにはない。
彼は私の手をゆっくりと離すと、工房の窓際へと歩いていった。外を眺めながら、話題を変えた。
「ところで、聞いたか?ジェラルドとミレイユの処分が正式に決まったそうだ」
その名前を聞いて、私の手が一瞬止まった。
「......どうなったの?」
私は、針を置いて彼の方を向いた。
「財産没収の上、辺境への追放だ」
アレクサンダは、淡々と告げた。
「二人とも、一生、王都には戻れない。ジェラルドは貴族の爵位も剥奪された。今は、平民として辺境の小さな村で暮らすことになる」
複雑な気持ちだった。
十年間、私を苦しめた二人。憎んでいたはずなのに、今となっては、最後には憐れみさえ感じる。彼らは、自分たちの欲望のために、本当に大切なものを見失っていたのだ。
「後悔しているだろうな」
アレクサンダが、窓から視線を戻して私を見た。
「君という宝を、目の前にしながら見過ごしていたことを。もし彼らが君を大切にしていたら、今頃は名門の一族として繁栄していただろうに」
彼は、ゆっくりと私に近づいてきた。その足音が、静かな工房に響く。
そして、私の頬に、そっと手を添えた。
「俺は、見過ごさない」
その声は低く、それでいて確かな決意に満ちていた。
「アレクサンダ......」
私は、彼の名前を呟いた。もう、「公爵」とは呼ばない。二人きりの時は、いつもこうして名前で呼び合うようになっていた。
「セレスティーナ」
彼は、私の目を真っ直ぐ見つめた。その灰色の瞳には、何か特別な光が宿っている。
「君に、言いたいことがある」
私の心臓が、激しく鼓動を始めた。
「君と出会えて、本当に良かった」
彼の声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
「十年前、幼かった君を見た時、その聡明な瞳が忘れられなかった。そして再会した時、君は驚くほど美しく、そして強く成長していた」
アレクサンダの手が、私の頬から髪へと移動する。
「これからも、ずっと側にいて欲しい。君の才能を見守り、君の笑顔を守り、君と共に歩んでいきたい」
まだ、正式な求婚の言葉ではない。でも、その言葉に込められた想いは、十分に伝わってきた。これは、将来への約束。永遠の誓いへの、第一歩。
「私も......」
私は、涙を堪えながら答えた。
「貴方と出会えて、幸せです。こんなに温かい気持ちになれるなんて、思ってもいませんでした」
あの暗い十年間、私は愛されることも、大切にされることも、忘れかけていた。でも、アレクサンダが――この人が、全てを取り戻してくれた。
アレクサンダが、優しく微笑んだ。
その笑顔を見るたび、私の心は満たされる。最初は氷のように冷たく見えた彼が、今ではこんなにも温かく笑ってくれる。
そして、彼はそっと私を抱き寄せた。
強く、それでいて優しい腕の中で、私は安心感に包まれる。彼の心臓の鼓動が、私の耳に聞こえた。それは、私の鼓動と同じリズムを刻んでいる。
窓の外では、春の花が満開に咲いていた。
白い薔薇、ピンクの芍薬、紫のラベンダー――色とりどりの花々が、初夏の陽光を浴びて輝いている。蝶が舞い、小鳥たちが歌っている。
十年間の冬を超えて、やっと私の春が訪れた。
いや、もう春は過ぎて、夏が来ようとしている。明るく、温かく、希望に満ちた季節が。
その時、『星霜の記憶』が、静かに発動した。
でも今回は、過去の記憶ではなく――未来の記憶。
白いウェディングドレスを着た私の姿が見えた。月光糸で織られた、虹色に輝く美しいドレス。頭には、白い花の冠。そして、その隣で優しく微笑むアレクサンダの姿が――
彼は黒い礼服に身を包み、私の手を取っている。二人の周りには、祝福の花吹雪が舞っている。ライアンの笑顔も、エマの涙も、そして多くの人々の温かい眼差しも見えていた。
500
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(3件)
あなたにおすすめの小説
老伯爵へ嫁ぐことが決まりました。白い結婚ですが。
ルーシャオ
恋愛
グリフィン伯爵家令嬢アルビナは実家の困窮のせいで援助金目当ての結婚に同意させられ、ラポール伯爵へ嫁ぐこととなる。しかし祖父の戦友だったというラポール伯爵とは五十歳も歳が離れ、名目だけの『白い結婚』とはいえ初婚で後妻という微妙な立場に置かれることに。
ぎこちなく暮らす中、アルビナはフィーという女騎士と出会い、友人になったつもりだったが——。
婚約破棄されたので、もう誰の役にも立たないことにしました 〜静かな公爵家で、何もしない私の本当の人生が始まります〜
ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として、
完璧であることを求められ続けてきた令嬢エリシア。
だがある日、彼女は一方的に婚約を破棄される。
理由は簡単だった。
「君は役に立ちすぎた」から。
すべてを失ったはずの彼女が身を寄せたのは、
“静かな公爵”と呼ばれるアルトゥール・クロイツの屋敷。
そこで待っていたのは――
期待も、役割も、努力の強要もない日々だった。
前に出なくていい。
誰かのために壊れなくていい。
何もしなくても、ここにいていい。
「第二の人生……いえ、これからが本当の人生です」
婚約破棄ざまぁのその先で描かれる、
何者にもならなくていいヒロインの再生と、
放っておく優しさに満ちた静かな溺愛。
これは、
“役に立たなくなった”令嬢が、
ようやく自分として生き始める物語。
地味令嬢の私ですが、王太子に見初められたので、元婚約者様からの復縁はお断りします
有賀冬馬
恋愛
子爵令嬢の私は、いつだって日陰者。
唯一の光だった公爵子息ヴィルヘルム様の婚約者という立場も、あっけなく捨てられた。「君のようなつまらない娘は、公爵家の妻にふさわしくない」と。
もう二度と恋なんてしない。
そう思っていた私の前に現れたのは、傷を負った一人の青年。
彼を献身的に看病したことから、私の運命は大きく動き出す。
彼は、この国の王太子だったのだ。
「君の優しさに心を奪われた。君を私だけのものにしたい」と、彼は私を強く守ると誓ってくれた。
一方、私を捨てた元婚約者は、新しい婚約者に振り回され、全てを失う。
私に助けを求めてきた彼に、私は……
婚約破棄されるはずでしたが、王太子の目の前で皇帝に攫われました』
鷹 綾
恋愛
舞踏会で王太子から婚約破棄を告げられそうになった瞬間――
目の前に現れたのは、馬に乗った仮面の皇帝だった。
そのまま攫われた公爵令嬢ビアンキーナは、誘拐されたはずなのに超VIP待遇。
一方、助けようともしなかった王太子は「無能」と嘲笑され、静かに失墜していく。
選ばれる側から、選ぶ側へ。
これは、誰も断罪せず、すべてを終わらせた令嬢の物語。
--
醜貌の聖女と呼ばれ、婚約破棄されましたが、実は本物の聖女でした
きまま
恋愛
王国の夜会で、第一王子のレオンハルトから婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リリエル・アルヴァリア。
顔を銀の仮面で隠していることから『醜貌の聖女』と嘲られ、不要と切り捨てられた彼女は、そのまま王城を追われることになる。
しかし、その後に待ち受ける国の運命は滅亡へと向かっていた——
婚約破棄された伯爵令嬢ですが、辺境で有能すぎて若き領主に求婚されました
おりあ
恋愛
アーデルベルト伯爵家の令嬢セリナは、王太子レオニスの婚約者として静かに、慎ましく、その務めを果たそうとしていた。
だが、感情を上手に伝えられない性格は誤解を生み、社交界で人気の令嬢リーナに心を奪われた王太子は、ある日一方的に婚約を破棄する。
失意のなかでも感情をあらわにすることなく、セリナは婚約を受け入れ、王都を離れ故郷へ戻る。そこで彼女は、自身の分析力や実務能力を買われ、辺境の行政視察に加わる機会を得る。
赴任先の北方の地で、若き領主アレイスターと出会ったセリナ。言葉で丁寧に思いを伝え、誠実に接する彼に少しずつ心を開いていく。
そして静かに、しかし確かに才能を発揮するセリナの姿は、やがて辺境を支える柱となっていく。
一方、王太子レオニスとリーナの婚約生活には次第に綻びが生じ、セリナの名は再び王都でも囁かれるようになる。
静かで無表情だと思われた令嬢は、実は誰よりも他者に寄り添う力を持っていた。
これは、「声なき優しさ」が、真に理解され、尊ばれていく物語。
【完結】身代わりに病弱だった令嬢が隣国の冷酷王子と政略結婚したら、薬師の知識が役に立ちました。
朝日みらい
恋愛
リリスは内気な性格の貴族令嬢。幼い頃に患った大病の影響で、薬師顔負けの知識を持ち、自ら薬を調合する日々を送っている。家族の愛情を一身に受ける妹セシリアとは対照的に、彼女は控えめで存在感が薄い。
ある日、リリスは両親から突然「妹の代わりに隣国の王子と政略結婚をするように」と命じられる。結婚相手であるエドアルド王子は、かつて幼馴染でありながら、今では冷たく距離を置かれる存在。リリスは幼い頃から密かにエドアルドに憧れていたが、病弱だった過去もあって自分に自信が持てず、彼の真意がわからないまま結婚の日を迎えてしまい――
地味で役に立たないと言われて捨てられましたが、王弟殿下のお相手としては最適だったようです
有賀冬馬
恋愛
「君は地味で、将来の役に立たない」
そう言われ、幼なじみの婚約者にあっさり捨てられた侯爵令嬢の私。
社交界でも忘れ去られ、同情だけを向けられる日々の中、私は王宮の文官補佐として働き始める。
そこで出会ったのは、権力争いを嫌う変わり者の王弟殿下。
過去も噂も問わず、ただ仕事だけを見て評価してくれる彼の隣で、私は静かに居場所を見つけていく。
そして暴かれる不正。転落していく元婚約者。
「君が隣にいない宮廷は退屈だ」
これは、選ばれなかった私が、必要とされる私になる物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
面白かった
最初から最後までドキドキして読みました
すごい素敵なショールだと思いました
面白かった
最初から最後までドキドキして読みました
素敵なショールですね
完結なのですね!
おめでとうございます…
できれば、続編が読みたいです!
それと気になることが1つ…
題名は侯爵となっていますが…読み進めると公爵の間違いなのでは?と思いました…