この身を滅ぼすほど、狂った執着を君に。─隻眼の幼馴染が、突然別人に成り代わったみたいに、おれを溺愛し始めた─

髙槻 壬黎

文字の大きさ
1 / 30
第一章 違和感の連続

プロローグ

しおりを挟む
 その日――村は大量の魔物に襲われ、壊滅した。

 月明かりを隠す分厚い曇天の下、目の前に広がるのは耳を塞ぎたくなる程の絶叫と、真っ赤な血の匂いにまみれた惨状。いつも果物を分けてくれる隣家のサラおばさんは、瞳を見開いたままピクリとも動かず、村一番の腕っぷしを誇るタイルおじさんも、つい先程鋭利な爪で胸を串刺されて絶命した。
 他の村人達も、悲鳴を上げて逃げ惑っていたはずなのに、気づけば誰一人として、立ってる者はもういない。
 残っているのは、呆然と立ち尽くす9歳の少年――フレデリクと、彼を頭から腕に閉じこめ、気丈に周りを睨み付ける母。そして、そんな二人を守るようにして、斧を握りしめる父だけ。

「い、いや……、もういや、だ……っ」

 恐怖に飲み込まれたフレデリクの前で、父が歯を食いしばり、斧を振り上げる。――が、凶暴化した魔物を斧ごときで殺せるわけもなかった。  

「父さん……ッッ!!」

 フレデリクの伸ばした手もむなしく、父は魔獣に足元を噛みつかれ、斧を地面に落とす。その頭上からは、一回りも二回りも大きな体躯を持ち、頭蓋から角を生やした醜い人型の魔物。
 咄嗟に振り返り、逃げろ、と叫ぶ暇すら与えられなかった。魔物に首を掴まれ、ゆっくりと身体を持ち上げられた父の足が、地面から離れていく。苦しげに歪む彼の顔が、茹で上がった蛸のように赤く染まり、泡を吹き出す。

「あ……ああ……」

 母の声か、フレデリクの声か、はたまたその両方か。瞳から生気を失くした父は、いとも容易く首を押し潰されると、ガクリと頭が落ち、適当に投げ捨てられた。その身体を、格好の餌だと言わんばかりに、複数の魔獣が囲んで貪り始める。

 フレデリクは、あまりにも呆気なさすぎる父の死に、一瞬、ここが夢か現実か分からなくなった。

(う……うそ、だ……)

 今日はなんでもない一日のはずだったのに、どうしてこうなった? 
 父と母におやすみなさいと言って、いつも通り床についただけなのに、どうしてこんなことが起きた?

(ゆめ……これは全部、夢なんだ……)
 
 現実逃避に必死だった。受け入れがたいこの事実を、どうしても認めたくなかった。
 それでも目の前の魔物は、今度はお前らだ――とでも言いたげに歩みを進めてくる。燦然と光る赤い瞳が酷く不気味だ。動きは緩やかだが、言い知れぬ威圧感に、フレデリクの歯がカタカタと鳴る。
 父がいなくなった今、母の温もりだけが、唯一の心の支えだった。

「フレッド……逃げなさい」

 しかし、強い意思を持って告げられた一言と共に、彼の背は勢いよく押された。

「いい? 森に逃げて、とにかく東の方向へ走り続けるの。そうしたらきっと、町が見えてくるはずだから……!」

 鬼気迫る表情で、母は叫ぶ。フレデリクの精神は、まだそれを素直に聞けるほど、成熟した大人ではないというのに。

「いっ、嫌だ……! 母さんも、母さんも一緒じゃないと……!!」

 首をブンブンと振って、母の方へ手を伸ばす。お願いだから、一緒に逃げようと言ってほしかった。一人でなんて、絶対に逃げたくなかった。
 だけど、彼女は果敢にも魔物に立ち向かっていってしまった。恐れるものなどないかのように、巨体の片足にしがみついて、フレデリクの元へ向かわないよう離さない。

「逃げて……! 早く逃げるのよフレッド……っ!!」

 悲痛な叫びが辺りを響かせる。フレデリクの両足はブルブルと震え、今にも崩れ落ちそうだったが、その声に押されて後ずさりを始める。

「かっ、母さん……っ」

 母の傍にいたいという意思に反して、恐怖に支配された身体は素直だった。両親と同じ翠色の瞳から、大粒の雫が溢れて溢れて止まらない。
 母は懸命に踏ん張りながらも、薄く口角を上げ、祈るように呟く。

「フレッド……私達の、宝物……。貴方を絶対に、死なせたりなんか、しないわ……」

 フレデリクの小さな身体など、一瞬で握り潰されてしまいそうなくらい大きな魔物の掌が、母の胴を軽々と掴む。彼女の口元から、鮮血がゴフッと溢れ落ちる。

「逃げ、て……」

 絞り出すように囁かれた一言。
 だけどフレデリクを突き動かす威力としては、十分だった。

「うっ、あぁ……ああああああ!!!!」

 目の前の光景を振り切って、その場から駆け出す。視界はボヤけて、碌に前も見えなかったが、無我夢中で地面を蹴る。
 フレデリクは、生まれてこの方、一度も村を出たことがない。四方を森に囲まれたザリル村は、隣町まで歩いても数日は要してしまうからだ。
 それでも彼は走った。走って走って――木の根に引っ掛かって転んだって、フレデリクはひたすら走り続けた。

「ぁあぁあああ!!!」

 絶叫が木々を振動させる。
 擦りむけた膝の痛みも、頬に付いた泥も、全く気にならない。母の最期の姿が、脳裏に焼き付いたまま離れないのだ。目を瞑れば、ありありと思い浮かんでしまう。
 きっと、これ以上の悪夢を見ることは、もう二度だって訪れないだろう。
 齢9歳にして、フレデリクは大好きな両親と故郷を失くし、この上ない絶望を知ってしまった。
 
 ――それでも世界は関係なく周り、時間は否応なしに進む。太陽は何度も昇って、そして何度も地に沈む。

 一睡もしていない彼の身体は、限界を迎えるのも早かった。手足が鉛のように重たいし、瞳は死んだ魚のように、空っぽで虚ろだった。

(……助けてくれたのに、ごめんなさい……)

 引きずるように、前に前に動かしていた足が、ついに崩れ落ちて倒れ込む。もう一度立ち上がる気力は、どこにも残っていなかった。
 瞼も落ちてきて、意識が微睡みに溶け出す。
 生きるか、死ぬか――その瀬戸際だった。

「――うわ、死体?」

 聞こえてきた人の声に、フレデリクはピクリと身体を揺らす。

「いや、こいつ生きてんな。……おい、起きろ。それともここで野垂れ死にてえのか?」

 必死に瞼をこじ開ければ、紫紺色の瞳と視線が合う。ポケットに両手を突っ込んだまま、軽く屈んだ少年が、フレデリクを覗き込んでいた。

「……っ、ぁ………」

 喉はカラカラで、唇も碌に動かせなかった。
 しかし、フレデリクの奥底に眠る、死にたくないという想いが、最後の力を振り絞らせる。

「……たす……け……」

 何度も届かなかった手だった。伸ばした手は、誰も助けることなどできなかった。
 けれど少年の力強い掌が、それら一切合切を無視するかのように、そろそろと持ち上がるフレデリクの腕を掴み上げる。

「俺は滅多に人助けなんてしねえけど――」

 無我夢中で生を願うフレデリクを見て、小綺麗な顔をした少年――テオドアは口角を吊り上げる。
 
「お前のその目、気に入ったから助けてやるよ。俺とここで出会えたこと、精々感謝するんだな」

 良心なんて微塵も感じられない。

 だというのにフレデリクは、自分を見つめるその表情から、一瞬たりとも視線を逸らせなかった。ただただ焼きつけるように、テオドアだけを視界に映して、沸き上がる心臓の昂りにその身を委ねていた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした

BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。 実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。 オメガバースでオメガの立場が低い世界 こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです 強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です 主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です 倫理観もちょっと薄いです というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります ※この主人公は受けです

才色兼備の幼馴染♂に振り回されるくらいなら、いっそ赤い糸で縛って欲しい。

誉コウ
BL
才色兼備で『氷の王子』と呼ばれる幼なじみ、藍と俺は気づけばいつも一緒にいた。 その関係が当たり前すぎて、壊れるなんて思ってなかった——藍が「彼女作ってもいい?」なんて言い出すまでは。 胸の奥がざわつき、藍が他の誰かに取られる想像だけで苦しくなる。 それでも「友達」のままでいられるならと思っていたのに、藍の言葉に行動に振り回されていく。 運命の赤い糸が見えていれば、この関係を紐解けるのに。

お酒に酔って、うっかり幼馴染に告白したら

夏芽玉
BL
タイトルそのまんまのお話です。 テーマは『二行で結合』。三行目からずっとインしてます。 Twitterのお題で『お酒に酔ってうっかり告白しちゃった片想いくんの小説を書いて下さい』と出たので、勢いで書きました。 執着攻め(19大学生)×鈍感受け(20大学生)

新生活始まりました

たかさき
BL
コンビニで出会った金髪不良にいきなり家に押しかけられた平凡の話。

ノリで付き合っただけなのに、別れてくれなくて詰んでる

cheeery
BL
告白23連敗中の高校二年生・浅海凪。失恋のショックと友人たちの悪ノリから、クラス一のモテ男で親友、久遠碧斗に勢いで「付き合うか」と言ってしまう。冗談で済むと思いきや、碧斗は「いいよ」とあっさり承諾し本気で付き合うことになってしまった。 「付き合おうって言ったのは凪だよね」 あの流れで本気だとは思わないだろおおお。 凪はなんとか碧斗に愛想を尽かされようと、嫌われよう大作戦を実行するが……?

魔力提供者の僕は王子に焦がれる

夕月ねむ
BL
【3万字弱で完結保証】 僕はレジナルド・ミューア。国王陛下の孫であり王太子殿下の長子であるナサニエル殿下の魔力提供者だ。 ナサニエル殿下は生まれつき魔力を持たない。でも魔力を操作することはできたから、僕が魔力を譲渡することで魔法は使えるようになった。僕は転生者で、魔力量が馬鹿みたいに多いんだ。 ただ、魔力譲渡の手段が少しばかり問題で。僕は『王子の愛人』なんて噂されるようになってしまった。 僕はナサニエル殿下をお慕いしている。けれど、相手が王太子殿下の長子では、同性婚なんて無理だ。 このまま本当に愛人として日陰者になるのかと思うと気が重い。それでも、僕はナサニエル殿下から離れることもできないでいた。 *濃いめの性描写がある話には*を付けています。キスだけの回などには印がないのでご注意ください。 *他サイトにも投稿しています。

勇者様への片思いを拗らせていた僕は勇者様から溺愛される

八朔バニラ
BL
蓮とリアムは共に孤児院育ちの幼馴染。 蓮とリアムは切磋琢磨しながら成長し、リアムは村の勇者として祭り上げられた。 リアムは勇者として村に入ってくる魔物退治をしていたが、だんだんと疲れが見えてきた。 ある日、蓮は何者かに誘拐されてしまい…… スパダリ勇者×ツンデレ陰陽師(忘却の術熟練者)

陰キャな俺、人気者の幼馴染に溺愛されてます。

陽七 葵
BL
 主人公である佐倉 晴翔(さくら はると)は、顔がコンプレックスで、何をやらせてもダメダメな高校二年生。前髪で顔を隠し、目立たず平穏な高校ライフを望んでいる。  しかし、そんな晴翔の平穏な生活を脅かすのはこの男。幼馴染の葉山 蓮(はやま れん)。  蓮は、イケメンな上に人当たりも良く、勉強、スポーツ何でも出来る学校一の人気者。蓮と一緒にいれば、自ずと目立つ。  だから、晴翔は学校では極力蓮に近付きたくないのだが、避けているはずの蓮が晴翔にベッタリ構ってくる。  そして、ひょんなことから『恋人のフリ』を始める二人。  そこから物語は始まるのだが——。  実はこの二人、最初から両想いだったのにそれを拗らせまくり。蓮に新たな恋敵も現れ、蓮の執着心は過剰なモノへと変わっていく。  素直になれない主人公と人気者な幼馴染の恋の物語。どうぞお楽しみ下さい♪

処理中です...