この身を滅ぼすほど、狂った執着を君に。─隻眼の幼馴染が、突然別人に成り代わったみたいに、おれを溺愛し始めた─

髙槻 壬黎

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第一章 違和感の連続

いなくなった彼

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 じゃあ行ってくる――そう言って普段通りの様子で出掛けていったテオドアは、一週間経っても何の音沙汰もないまま、帰ってくることはなかった。
 フレデリクはいつも、彼の後をついてくように傍にいたから、こんなに長く離れたのは初めてだ。余計な考え事はしないように剣の手入れをしようとしても、妙な焦燥感と胸騒ぎで何も手につかなくなって、ひたすら心細い時間を過ごす毎日だった。
 本当なら今すぐ彼を探しにいきたいのに、外は先週から大嵐に見舞われている。窓を叩き割りそうなほど荒れた暴風と雨の中、人探しをするのは不可能にも近しいことであった。

 ――もしかして、魔物に襲われたんじゃないか。
 ――どこかで怪我をしたまま、倒れてるんじゃないか。

 そんな不安が付きまとって離れない。

 テオドアは片目を失ってもなお、持ち前の俊敏さとセンスで、人並み以上の戦闘力を有しているから、そこらの魔物にやられる筈はないのだ。

 だったら何故、彼は帰ってこないのか。
 その疑問は、考えても考えても答えが見つからない問いだったが、とにかくフレデリクはテオドアの無事を祈った。きっとこの天候のせいで帰れなくなっているだけだと、彼はどこかで元気にやっているはずだと――そう、信じることしか今は出来なかったのである。
 

***

 
 ようやく嵐が終わり、晴れ間が空一面に広がった今日。フレデリクは居ても立ってもいられず、町へと繰り出していた。
 サーティル王国の中央部に位置し、王都からもそう遠くないこのヴィザールという町は、地方からの商人や旅人も多く、常に賑わっているのが特徴的だ。
 フレデリクはこの活気がそれなりに好きで、いつも自然と元気を分け与えてもらっていたが、今はその華やぎもなんだか少し煩わしい。

(とりあえず、テオがいつも行く場所に行って……。いる可能性は低いと思うけど、いざとなれば聞き込みだってできるし……)

 フレデリクは思いつく場所へ手当たり次第、歩いて回った。テオドアの姿は予想通り見つけられなかったが、よく行くパン屋の夫人や受付嬢のレイラ、それから酒場の主人たちにさりげなく聞き込みをした。
 しかし、誰も彼もテオドアのことは見ていないようで、その足取りは全く掴めなかった。

「どこにいるんだよ……」

 探せば探すほど、焦りだけが募っていく。もしかしたらもう帰ってきてるかもしれない――そう思って、途中で家に戻ったりもしたが、部屋は依然として空っぽのままだった。

(こんなことになるんだったら、最初から行き先だけでも聞いておけばよかった)

 今さら後悔しても遅いが、何かのせいにしないともはや気は収まらなかった。

 フレデリクは首から下げている深緑色の丸い石を、すがるようにそっと触る。彼の瞳と同じ色をしたそれは、昔テオドアがくれたもので、フレデリクはどうしようもなく不安になった時、その石を握りしめる癖があった。

(思いつく所はもう全部行った……。あと行くとすれば、ユートリス家くらいか)

 テオドアの実家であり、フレデリクも長年過ごしたユートリス家は、ここから王都方面へ歩いて一時間程度の場所にある。往復時間を考えても、今から行ったって遅くはないだろう。
 まさか実家にいるとは考えづらいが、家族なら分かることがあるかもしれない。フレデリクは藁にもすがる想いで、ユートリス家へ向かうことにした。


***


「いらっしゃい、フレデリク。会いたかったわ」

 深紫の髪を一つに結い上げ、美しい面立ちをした女性がフレデリクに軽く抱擁する。
 彼女の名前はアシュトリア・ユートリス。テオドアの実母であり、フレデリクのことも我が子のように可愛がってくれた、大切な恩人の一人だ。

「お久しぶりです、アシュトリアさん。おれも会いたかったんですけど、なかなか帰ってこられずすみませんでした……」

 フレデリクは申し訳なさそうに眉を下げながら、上半身を屈め、アシュトリアを抱きしめ返す。

「本当に、薄情な息子達だわ。いつでも帰ってきてねって言ってるのに、この三年で顔を合わせたのはたったの数回よ。最後に会ったのは一体いつかしら?」
「うっ……」

 恐らく、半年前に行われた貴女の誕生パーティーの時です――そう、フレデリクは心の中で呟いた。不機嫌そうな女性を前にして、残念ながら口に出す勇気は持ち合わせていなかった。
 しかし、アシュトリアはフレデリクから身体を離すと、小さく微笑みを浮かべる。

「冗談よ。そんなに落ち込まないでちょうだい。どうせテオドアが無理を言って、貴方がそれに付き合ってあげてるんでしょう?」
「それは……」

 フレデリクは言いよどむ。実際アシュトリアの言っていることは事実なのだが、だからといってテオドア一人が悪いというわけでもない。何故ならフレデリクも好きで彼に付き合ってるところがあるからだ。

 テオドアは昔から、それこそフレデリクと出会う前から戦うことが好きだった。
 その好戦的な性格は現在も変わらず、暇さえあればギルドへ行き、討伐依頼をこなす。
 しかし、視界が半分塞がれた状態で戦うことは、誰であろうと相当な不利を強いられる。いくらテオドアが強いと言っても、フレデリクは彼のことが心配でならず、少しでもサポートできるよう一緒についていくのが常であった。

「実はその、テオドアについてなんですが……」

 当初の目的を思い出したフレデリクは、テオドアの行方を尋ねようと口を開く。

「――あれ、そこにいるのフレデリクか?」

 その時、頭上から自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきて、彼はぱっと顔を上げた。

「リッツ兄さん……!」

 中央階段を降りながらやってきたのは、長男のリッツ・ユートリス。母親似のテオドアとは違い、父親譲りの金髪が目に眩しい。

「久しぶりだな。元気にしてたか?」
「うっ、うん……!」

 がしがしと豪快に頭を撫でられ、フレデリクの首が前後に揺れる。

(目、目が回る!)

 テオドアに比べると、リッツはかなり気さくで人懐っこい。その上快活な性格は人から好かれやすく、フレデリクも三つ年上のリッツのことを、本当の兄のように慕っていた。

「ちょっと、リッツ。そんなに揺らしたら、フレデリクの首が痛むわ」
「おっと、悪い悪い。大丈夫か?」

 見かねたアシュトリアが助け船を出してくれたが、フレデリクの髪は既にボサボサだった。

「あはは……、おれは大丈夫。でも兄さんこそ、相変わらず元気そうで何よりだよ」

 フレデリクは右手で髪を落ち着かせながら、リッツを見やる。

(あれ……そういえば、兄さんがこの時間に家にいるの珍しいな。格好もいつも着てる騎士団のじゃなくて、私服だし……)

 リッツは国の治安維持を担う王宮騎士団の中でも、とりわけ優秀な人間だけで構成された第一騎士団に所属している。業務は多岐に渡り、王族の護衛から魔物討伐、それから王都の見回りといったところまで幅広い。
 だから休みも少なく、いつも見るリッツの姿は、特徴的な騎士団の隊服を着ていることが多かった。

「兄さん、今日仕事は?」
「ああ、今日から休みなんだ。しばらく働き詰めだったから、数日間羽を伸ばしてこいって王様から言われてな。本当は明日にでも、お前たちのところに遊びに行こうかと思ってたところなんだよ」
「あ……そうだったんだ。じゃあヴィックさんもいるの?」

 フレデリクはそわそわと周囲を見渡す。 
 父親のヴィックは王宮騎士団の団長を務めているから、さらに忙しい人だ。幼い頃も頻繁に会えるわけではなかったが、時々リッツやテオドアと共に、フレデリクも剣術を教えてもらうことがあった。
 両親の仇である魔物を討ちたいと願ったフレデリクを、養成学校に通わせるために支援してくれたのはヴィックだ。そんな彼のことがフレデリクは大好きだったし、休暇で帰ってきているのなら、会いたいのは当然だった。
 けれどリッツはフレデリクの問いかけを聞くと、困ったように眉を下げた。

「あー、悪い。父さんも一緒に帰ってきてたんだけど、実はついさっき急な呼び出しがあったみたいで、もういないんだよ」
「えっ……そっか……。なんだ、もう少し早く来ればよかったな……」

 フレデリクは肩を落とす。一瞬会えるかもと期待を持ったせいで、本来の目的とは関係ないダメージを受けてしまった。

「でもあの人も、貴方とテオドアに会えなくてすごく残念そうにしてたわ」
「……そうだったんですね。でもおれ、また会いにきます。今度はテオも連れて」

 アシュトリアの言葉に、フレデリクは落ち込みながらも背筋を伸ばして答える。

「そういえば、テオドアは今日はいないんだな」

 その時、フレデリクとアシュトリアを交互に見ながら、リッツが問いかけてきた。

「フレデリクは最初来た時から一人だったわよ。あの子はギルドにでも行ってるんじゃないの?」
「あ、実はそのことなんですけど……」

 ちょうど良いタイミングでリッツが気づいてくれたことに乗じて、フレデリクはここに来た目的を話すことにした。――テオドアが出掛けると言って出ていったっきり、一週間も戻ってこない。もし行き先を知ってるなら、ぜひ教えてほしい、と。

「テオドアがどこに行ったのかは知らねえけど……、アイツのことだから適当に狩りでもしてるんじゃねえか? それか女のとこ行ったとか。お前に用事隠すなんて、俺にはそんくらいしか思いつかねえな」

 腕を組み、首を傾げながらリッツが答える。

(女……。テオが?)

 ドクンと、フレデリクの心臓が音を立てた。首筋に嫌な汗が伝って、深い穴の底に突き落とされたみたいに、目の前が真っ暗になった。
 想像しなかったわけじゃない。当然フレデリクの中にも、その考えはあった。
 だけどこうして探しに来たのは、その考えがただの想像でしかないと証明したかったから。

(考えたくない、嫌だ……)

 フレデリクはテオドアに、恋をしていた。同性に抱く想いじゃないと知っていても、どうしようもなく好きで、どうしようもなく惚れていた。彼に触れられれば心臓は痛いくらいに高鳴るし、顔は燃えるように熱くなる。
 自覚した瞬間は明確にあるが、きっとそれよりも前からこの想いはフレデリクの胸にあって、彼は今日こんにちまでテオドアにバレないよう、一生懸命隠して生きてきた。
 知られたら、気持ち悪いと思われるかもしれない。これまでのように、隣にいさせてもらえないかもしれない。――そんな恐怖と、必死に戦いながら。

「テオドアにもようやく春が訪れたのかしらねえ」

 フレデリクの胸中など全く知らないアシュトリアが、頬に片手を当てて呟く。

「まあ、フレデリクも心配なのは分かるけど、そんなに気にするなよ。その内ひょっこり帰ってくるさ。アイツは一人でヤられるような質じゃないだろ?」
「……うん」

 元気づけようとリッツがフレデリクの背中を叩くが、こびりついた心の靄は全く晴れる気配を見せなかった。

(おれがテオのことを好きだから、気にしすぎてるだけ……? リッツ兄さんもアシュトリアさんも、そこまで重く捉えてないのに、あんまり悩みすぎてると変に思われるかも……)

 抱えた恋心が、フレデリクを惑わせる。友達として心配するのは当たり前のことなのに、それ以上の感情があるとバレそうで、物凄く怖かった。
 
「二人ともありがとう。不安だったけど、話聞いてもらえて落ち着いたよ」

 いつの間にか表情を取り繕うことに慣れきったフレデリクは、そっと微笑む。恋心がバレないよう、長年をかけ、培った代物だ。決して嬉しくもなんともない特技だが、こんな時には役に立つ。

「じゃあ、せっかくだから夕食も一緒にどう? 帰って一人で食べるのは寂しいでしょ?」
「お、確かにな。久しぶりだし、お前も食ってこうぜ」
「えっと……」

 用事はこれだけだったから、フレデリクはここで帰るつもりだった。テオドアも帰ってきてるかもしれないし、本当はさっさと戻りたかった。
 だけど二人の善意を断りたくもない彼は、悩みながらも頷くと、燻った痛みを微笑みの奥に潜ませて、その誘いに応えた。
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