この身を滅ぼすほど、狂った執着を君に。─隻眼の幼馴染が、突然別人に成り代わったみたいに、おれを溺愛し始めた─

髙槻 壬黎

文字の大きさ
15 / 30
第一章 違和感の連続

建国祭③

しおりを挟む
 ぼーっと道行く人々を眺めながら、突っ立っていた。不安を煽るようなことは考えたくないのに、何をする気にもなれなくて。フレデリクはただひたすら、テオドアの無事だけを祈って帰りを待っていた。

「フレデリク!」
「っ! ……えっ、兄さん!?」

 テオドアかと思いきや、人の波を掻き分けやってきたのは、騎士団の隊服を着たリッツだった。
 そういえば以前会った時に、建国祭中は見回りがある、と言っていたのを思い出す。ちらほらと騎士団の人がいるのは見かけていたが、途中から祭りを楽しみすぎてリッツのことは完全に忘れていた。

「ちょうど見回りの時間が交代になったからお前らのこと探してたんだ。でも全然いねえし、今日は来てねえのかと思ったぞ」

 リッツはそう言って穏やかに笑う。だが、その顔色は先日会った時よりも明らかに疲労感を増して、やつれているように見えた。

「兄さん、少し痩せた?」
「あー……いや、最近仕事が忙しくてよ。碌に休む暇もなくてこの有り様だ。フレデリクには心配かけさせたくなかったけど、流石にバレるよな」

 軽く笑い飛ばし、彼はいつも通り振る舞おうとするが、残念なことに目元の隈は隠しきれていなかった。

「休めないほど忙しいって、何かあったの? 確かこの間、緊急で呼び出されたって言ってたよね。もしかしてそれと何か関係あるんじゃ、」
「まあ、詳しいことは言えねえんだけど、そうだな……」
「無理したら駄目だよ。誰かを守るためには、まずは一番、自分が万全じゃないと」
「ああ……肝に銘じておく。休める時はきちんと休むよ。心配してくれてありがとうな」

 力の抜けた笑みと共に、ポンポンと優しく頭を撫でられる。親愛のこもった眼差しは、なんだか幼い子供をあやしているみたいだ。

「……絶対だよ。ヴィックさんにも言っておいて。きっとあの人も無理してるだろうから」
「フレデリクにそう言われちゃ父さんも休むしかねえな。――よし分かった、それも伝えとくぜ」
「……うん」

 リッツは口先だけの男じゃない。だから安心していいはずなのに、こんなにも胸がざわついてしまうのは、きっと家族を失った経験がフレデリクにはあるから。彼にとって、大切な人が奪われるのはもう二度と体験したくない出来事なのだ。

「ったく、そんな暗い顔するな。せっかくの可愛い顔が台無しだぞ」
「……可愛いって……ちょっと兄さん、思ってもないこと言うのやめてよ。おれの顔はどう見たって、100人見たら99人が忘れちゃうような、普通の顔だろ」
「いやいや、俺にとっちゃお前は可愛い弟にしか見えねえよ。それに一人でも覚えてくれるんなら十分だろ。俺はお前のその、見るとほっとするような、なんでもない顔が好きなんだ」
「それ、励ましてくれてるの……? なんか全然嬉しくないんだけど……」
「はははっ、いやまあ言いたいことは少しずれちまったけど、つまりはだな、いつもみたいに笑えってことだ。俺はお前たちの笑顔を守るために、こうして働いてるんだから」

 リッツと話していると、不思議と気分が上を向く。テオドアが一寸先も見えない闇を照らす月だとすれば、リッツは温かい日差しを降り注いでくれる太陽みたいな人だ。子供の頃、フレデリクはよくこうして元気づけられたものだった。

「ふっ……くくくっ。もう……言いたいことと言ってることが全然違うよ兄さん!」
「おっ、元気でたか?」
「うん……、ありがとう」

 もしかするとリッツは、初めからフレデリクの抱える不安に気づいていたのかもしれない。だけどそれを感じさせないところが、彼なりの気遣いであり、優しさでもあった。

(今リッツ兄さんに会えて良かった。テオドアとあのまま会ってたら、絶対まともに喋れなかっただろうから)

「……ところでさ、ずっと気になってたんだけど、お前今一人か? テオドアはどうした?」
「あっ、テオはいま目を洗いに行ってる。さっきゴミが入っちゃったみたいで」
「ゴミ? あいつ右目も見えない状態で行ったのか?」
「えっ、ううん、右は普通に開いてたけど」
「……ってことは左? 眼帯の下でゴミって入るもんなのか普通」

 首をかしげるリッツを見て、フレデリクは確かにその通りだ、と思い返す。あの時は気が動転していたせいで細かいところまで考えが至らなかったが、果たして目にゴミが入っただけであれほど痛むものだろうか。

「まあ眼帯つけたことねえから実際は分かんねえけど。まつげくらい入ったっておかしくねえし」
「そう……だね」
「あー、あと、この間会った時お前ら喧嘩でもしてた? あいつ俺と久しぶりに会ったってのに、すげえ冷たくて驚いたよ」
「いや……おれ達は喧嘩してないよ。むしろおれもびっくりして、兄さん達の方が喧嘩してたのかって疑ったくらいだ」
「ええっ、うーん、覚えはねえけどなあ。知らない間に俺なんかしたのかな」

 顎に手を当て、リッツは考え込む。しかしそれが無駄な行為であることは分かっていた。
 もし本当に怒るほど嫌なことをされたなら、テオドアは面と向かって口に出すから。彼は黙ってやり過ごすことはしない。

(兄さんも同じことを考えてた……。俺だけが変だと思ってるんじゃなかったんだ)
 
 それならこの違和感の原因はなんだろう。

「あの、兄さん。実は――」

 フレデリクは、ここ最近のテオドアについて、様子がおかしいことを話そうとした。だけどそれよりも早くリッツの名前を呼ぶ人がいて、意識がそちらに逸らされる。

「リッツ隊長! いた!」
「ん? あれ、マークか。どうした?」

 ドタドタと、リッツと同じ騎士団の隊服を着た男が慌てた様子で走ってくる。彼はフレデリクの存在に気がつくと、ペコリと丁寧に頭を下げたが、その後すぐリッツの耳元へ手を当てるとヒソヒソと何かを話し出す。

「はあ!? 見つかった!?」

 二人の話はフレデリクには聞こえなかった。ただ急にリッツが荒げた声を出したので、体がビクリと横に揺れた。
 顔色を一転させ、大きく目を見開いたリッツは、今までに見たことがないくらい怒りで拳を震わせていた。

「……兄さん?」
「悪い、フレデリク。俺もう行かないといけなくなった」
「あ、うん。仕事だよね。おれのことは気にしないで行ってきて」
「ああ……お前はテオドアが戻ってくるまで、絶対ここから離れるんじゃねえぞ。分かったな?」
「わ、分かった」

 いつもの元気で明るいリッツはいなかった。険しい顔つきで凄む彼に、フレデリクは息を飲んで頷く。

「……行くぞ、マーク」
「あっ、はい! すみません、失礼します!」

 再び一礼をしたマークを引き連れて、リッツは足早に離れていった。

(何があったんだろう。大丈夫かな……)

 もしかすると例の、ヴィックから緊急招集がかかった件の続きかもしれない。眠れないほど忙しく、リッツがあれほど怒りをあらわにする事件などフレデリクには想像もつかないことだが、せめて今の時間だけでも気を休めていてくれたらいいな、と人混みに消えゆく彼の背中を見て思う。

「――フレッド!」
「あ、テオ……。おかえり」

 テオドアはその後、数分もしない内に戻ってきた。別れる前のしんどそうな様子は無さそうだが、軽く息を切らしているあたり、相当急いで走ってきたに違いない。その上彼は申し訳なさそうに眉を下げると、フレデリクの左手を取って、両手で優しく包み込む。

「さっき……手をはたいて悪かった。痛かっただろ?」
「あ……ううん、おれは大丈夫。それよりテオの目は? もう平気なの?」
「ああ。少しすすいだら楽になった」 
「……そっか。それならよかった」

 本当は、ゴミじゃなくて昔の怪我が痛んだんじゃないか――そう、フレデリクは聞きたかった。だけど、忘れかけている嫌な記憶をわざわざ掘り起こしたくもなかった。
 テオドアは弱さを見せることを何よりも嫌うから。その話は避け続けてきたというのに、今ここでそれを蒸し返すのは野暮にも近しかった。

「じゃあ……帰ろっか。早くしないと、日が完全に暮れちゃう」

 だから、フレデリクは何事もなかったかのように、穏やかな笑みを浮かべて言う。
 辛い記憶など思い出さない方がいい。思い出さなければ、それは無かったことと同じなんだから。何重にも鎖を巻き付けた箱に閉じ込めて、とびっきりの鍵でフタをしてしまうのだ。

「フレッド。今日帰ったら、一緒に寝てもいいか?」

 再びフレデリクの手を絡め取ったテオドアが、僅かに緊張感を滲ませながら問いかける。

「もちろんいいよ。でも久しぶりだね、一緒に寝るの。子供の時以来かな」
「……そうだな」

 幼い頃を思い返し、懐かしい思い出に浸るフレデリクは気づかない。テオドアの眼差しの中に、確かな欲が混ざって、強まっていることに。

 夕焼けに侵食し尽くされた空が、段々と闇を覗かせ始める。細長く伸びた影は地面に溶け、次第に形を失くしていく。強く吹き始めた風は分厚い雲を呼び寄せ、今夜は星も見られなさそうだ。

(雨、降りそう……)

 どこか不吉めいた曇天が近づいていた。フレデリクは得体のしれない予感から逃げるように足を早めると、テオドアと二人、寄り添い合いながら帰ったのだった。








「……見つけた」
「チッ、あの糞野郎」

 帰路につくフレデリクとテオドアの背を、二つの人影が睨みつけていた。全身を包み込む黒いローブに、大きめのフードが彼らの顔をすっぽりと覆い隠している。

「早く、捕まえて――」
「おい待て。さっきアイツらに見つかったばっかりだろ。今ここで騒ぎを起こせば、捕まんのは俺らの方だ」
「……それはっ、元はと言えばお前が軽率な行動をするから……!」
「うるせえな。前見づらくてうざいんだよ、このフード」
「はあ!? 誰のおかげでここまで来れたと思ってるんだ!? そのローブ作るのだって苦労したのに……! ――クソッ、あの人を助けるためじゃなかったら、絶対お前と協力なんてしなかった……!」
「奇遇だな。俺も喚き散らかすガキとなんて組まねえよ」
「っ、同い年の癖に、ほんとムカつくヤツ……! そんなに憎まれ口叩けるなんて、よっぽど余裕があるみたいだな! 僕は今すぐにでもあの二人を引き剥がしたくてしょうがないってのに、お前のその落ち着きが羨ましいくらいだ!」
「……へえ。だったらお前も血が出るくらい、拳握ってみろよ。ブッ殺してやりてえって気持ちも痛みが止めてくれるから」

 長身の人影がそう言って、手のひらを見せる。くっきりとついた爪の痕から滲む真っ赤な血は、見るものをゾッとさせるくらい明確な殺意を含んでいた。
 ――相当な我慢を強いられていたのだろう。隣にいる小柄な人影も例外ではなく、青ざめた様子で唇を震わす。

「……あ、あの人を殺したら許さないから……っ」
「ならそうなる前にお前がどうにかしろ。俺もあんな奴のせいで罪なんか被りたくねえから」

 険悪な雰囲気を纏う二人の前を、平然と人が通りすぎていく。怪しい出で立ちであるにも関わらず、まるでそこには誰もいないかのように、誰一人として目をくれることはない。

「俺達の利害は一致してる。とっととこんな茶番、終わらせるぞ」
「……そんなこと、言われなくても分かってる」

 二人はそれだけ言葉を交わすと、後は何も言うことなく、ただじっとフレデリク達の背を見つめて、静かに後を追った。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした

BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。 実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。 オメガバースでオメガの立場が低い世界 こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです 強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です 主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です 倫理観もちょっと薄いです というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります ※この主人公は受けです

才色兼備の幼馴染♂に振り回されるくらいなら、いっそ赤い糸で縛って欲しい。

誉コウ
BL
才色兼備で『氷の王子』と呼ばれる幼なじみ、藍と俺は気づけばいつも一緒にいた。 その関係が当たり前すぎて、壊れるなんて思ってなかった——藍が「彼女作ってもいい?」なんて言い出すまでは。 胸の奥がざわつき、藍が他の誰かに取られる想像だけで苦しくなる。 それでも「友達」のままでいられるならと思っていたのに、藍の言葉に行動に振り回されていく。 運命の赤い糸が見えていれば、この関係を紐解けるのに。

お酒に酔って、うっかり幼馴染に告白したら

夏芽玉
BL
タイトルそのまんまのお話です。 テーマは『二行で結合』。三行目からずっとインしてます。 Twitterのお題で『お酒に酔ってうっかり告白しちゃった片想いくんの小説を書いて下さい』と出たので、勢いで書きました。 執着攻め(19大学生)×鈍感受け(20大学生)

新生活始まりました

たかさき
BL
コンビニで出会った金髪不良にいきなり家に押しかけられた平凡の話。

ノリで付き合っただけなのに、別れてくれなくて詰んでる

cheeery
BL
告白23連敗中の高校二年生・浅海凪。失恋のショックと友人たちの悪ノリから、クラス一のモテ男で親友、久遠碧斗に勢いで「付き合うか」と言ってしまう。冗談で済むと思いきや、碧斗は「いいよ」とあっさり承諾し本気で付き合うことになってしまった。 「付き合おうって言ったのは凪だよね」 あの流れで本気だとは思わないだろおおお。 凪はなんとか碧斗に愛想を尽かされようと、嫌われよう大作戦を実行するが……?

魔力提供者の僕は王子に焦がれる

夕月ねむ
BL
【3万字弱で完結保証】 僕はレジナルド・ミューア。国王陛下の孫であり王太子殿下の長子であるナサニエル殿下の魔力提供者だ。 ナサニエル殿下は生まれつき魔力を持たない。でも魔力を操作することはできたから、僕が魔力を譲渡することで魔法は使えるようになった。僕は転生者で、魔力量が馬鹿みたいに多いんだ。 ただ、魔力譲渡の手段が少しばかり問題で。僕は『王子の愛人』なんて噂されるようになってしまった。 僕はナサニエル殿下をお慕いしている。けれど、相手が王太子殿下の長子では、同性婚なんて無理だ。 このまま本当に愛人として日陰者になるのかと思うと気が重い。それでも、僕はナサニエル殿下から離れることもできないでいた。 *濃いめの性描写がある話には*を付けています。キスだけの回などには印がないのでご注意ください。 *他サイトにも投稿しています。

勇者様への片思いを拗らせていた僕は勇者様から溺愛される

八朔バニラ
BL
蓮とリアムは共に孤児院育ちの幼馴染。 蓮とリアムは切磋琢磨しながら成長し、リアムは村の勇者として祭り上げられた。 リアムは勇者として村に入ってくる魔物退治をしていたが、だんだんと疲れが見えてきた。 ある日、蓮は何者かに誘拐されてしまい…… スパダリ勇者×ツンデレ陰陽師(忘却の術熟練者)

陰キャな俺、人気者の幼馴染に溺愛されてます。

陽七 葵
BL
 主人公である佐倉 晴翔(さくら はると)は、顔がコンプレックスで、何をやらせてもダメダメな高校二年生。前髪で顔を隠し、目立たず平穏な高校ライフを望んでいる。  しかし、そんな晴翔の平穏な生活を脅かすのはこの男。幼馴染の葉山 蓮(はやま れん)。  蓮は、イケメンな上に人当たりも良く、勉強、スポーツ何でも出来る学校一の人気者。蓮と一緒にいれば、自ずと目立つ。  だから、晴翔は学校では極力蓮に近付きたくないのだが、避けているはずの蓮が晴翔にベッタリ構ってくる。  そして、ひょんなことから『恋人のフリ』を始める二人。  そこから物語は始まるのだが——。  実はこの二人、最初から両想いだったのにそれを拗らせまくり。蓮に新たな恋敵も現れ、蓮の執着心は過剰なモノへと変わっていく。  素直になれない主人公と人気者な幼馴染の恋の物語。どうぞお楽しみ下さい♪

処理中です...