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第一章 違和感の連続
偽物
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フレデリクとテオドアは無事、雨に降られず帰宅することができた。空はすっかり光を失くし、今はどんよりと灰色に陰っているが、なんとか持ちこたえてくれたようである。
とはいえ、雨音が聞こえ始めるのも時間の問題だろう。フレデリクは天気が荒れる前に風呂を沸かせようと、玄関を開けて素早く靴を脱ぐ。
「フレッド」
「うわっ!?」
部屋の中ほどまで進んだところ、突然、後ろからテオドアに抱き締められた。すりっ――と触れ合う頬と、背中に当たる熱が、フレデリクの心臓をこれでもかと高く跳ねさせる。
「な、なに? どうしたの?」
「……本当はずっと、こうしたかった。フレッドを独り占めしたくて、フレッドに触れたくて、たまらなかったんだ……」
テオドアの吐き出した息が首筋にかかり、小さくリップ音が鳴る。フレデリクは思わぬ接触に声が出そうになり慌てて口元を押さえようとしたが、先に顎を引き寄せられてキスをされる方が早かった。
「んっ、……ん゙ぅ、ふ……っ」
外でしてしまった時よりも、深く口内が犯される。テオドアなりに、あの時はセーブしていたのだろうと容易に分かるくらい、手加減がない。
「っは、……ぅん……っ」
必死にテオドアの腕を掴むフレデリクは、崩れ落ちそうになる体を支えることで精一杯だった。溢れた涎が顎を伝って、ひたすらに衝動をぶつけられる。もはや羞恥心よりも、快感が脳を侵食して、波に呑まれていくように溺れてしまう。
(クラクラ、する……)
酸素が行き届かない。踏ん張っていた足がずり落ちそうになる。だけどその瞬間――腹に回されたテオドアの腕がぎゅっと強まって、ゆっくりと唇が離れていった。
「駄目だ……我慢できない」
息も絶え絶えの中、堪えきれない激情が側で聞こえた。背中をテオドアに預けてもたれ掛かるフレデリクの耳元へ、熱い吐息混じりの懇願が響く。
「抱きたい……フレッドの全部が欲しい……」
「っ……!」
服の上から、情欲を掻き立てるような手つきで腰をなぞられる。
「フレッドも俺を求めてくれ。俺を欲してくれ。俺はフレッドと、愛し合いたいんだ……」
吐き出した息は震えていた。積年の想いを詰めた切実な声が、フレデリクの心の柔い部分へと突き刺さり、じんわりと全身に伝播していく。
恋人になってからというものの、当然フレデリク自身も、そう言うことを視野に入れていなかったわけじゃない。ただなんとなく、積極的にしたいと思わなかっただけで。今もキスだけでいっぱいいっぱいになっているのだから、その先のことを深く考えないようにしていた。
でも、テオドアにこんな風に求められて。苦しくなるくらいに抱き締められているのに、首を横に振ることなんてできるわけがない。
出会ってから、ずっとずっと大好きだったテオドア。そんな彼と、光栄なことに恋人関係になれたのだ。フレデリクは、ほんの少しの抵抗感に見て見ぬふりをすると、コクリと小さく頷いた。
「……! 本当か? 本当にいいんだな!?」
「う、頷いただろ! 恥ずかしいから、何回も聞かないで……」
「嬉しいんだ! ありがとう、フレッド……!」
こんなにはしゃいだ声は初めて聞く。まさか、断られるとでも思っていたのだろうか。
「……あ、でも、その前に風呂入りた――」
フレデリクが全て言いきる前に、問答無用で手を引かれた。手首を握るテオドアの力が、思わず眉をしかめてしまいそうなほど痛く、絶対に逃がさないという意思を感じる。
こうなったらこちらの意見は通用しない。
フレデリクは部屋に着くまでの僅かな間、はち切れんばかりに脈打つ心臓をなだめながら、ごくりと唾を飲み込んで覚悟を決めた。
***
連れてこられたのは、フレデリクの寝室。雲の隙間から差し込む僅かな月明かりだけが、睦み合う二人の姿を照らし出す。
「っふ……、んん……!」
フレデリクは枕とテオドアの板挟みになって、再び窒息しそうなくらい、執拗にキスをされていた。足に力が入らなくなっても、今は体を横たえているから、崩れ落ちる心配はない。
ただ見方を変えれば、強制的に止めさせることができないわけで――。
「はっ、ぅん、ん゙ん゙~~!!」
テオドアの背にしがみつき、なけなしの力で揺さぶる。上手く働かない頭で出来たのは、これくらいの意思表示だけだった。
「っん……はあっ、はあっ……」
「フレッド……」
何度目かの揺さぶりの後、ようやく顔を離したテオドアは、浮かれたように頬を赤らめて、瞳を潤ませていた。
「ちょっと、休憩させ――」
「はあ……好き、好きだ、フレッド……」
フレデリクの言葉は届いていないのか、顔中至るところにキスを贈られる。時折突き刺さる眼差しはゾクリと背筋が震えるほど強烈で、溢れる想いは蜜よりも甘い。
しかしその一方で、フレデリクは以前感じたような既視感を再び思い出していた。
(そうだ、おれ……初めてキスされた時、何かがフラッシュバックしそうになって……)
それ以来、キスする時は無意識にテオドアの顔を見ないよう避けていた気がする。何故だか、そうしないといけないと思ったから。
でも今は、雰囲気に呑まれているせいか、それとも緊張しすぎているせいか――ボーッとした頭ではそれ以上何も考えられない。加えて、いつの間にか潜り込んでいたテオドアの右手が腹周りを擦って、余所事を頭から追い出させる。
「っぁ、ま、待って……!」
覚悟していたはずなのに、どうやら心の準備は出来ていなかったらしい。フレデリクは腹から上がってこようとするテオドアの手を掴もうとしたものの、首筋を這い出した熱い舌に一瞬で気を取られた。
「はっ、ん……!」
恥ずかしい声が漏れ出そうになって、咄嗟に口元を押さえる。しかし、その間にも登り詰めたテオドアの右手が目的の場所へと辿り着いていた。薄く桃色に色づき、ピンと先端を尖らせた突起を、人差し指で柔く弾かれる。
「~~ッッ!」
「ん……、っはあ、フレデリク……」
「ぁ、だ、だめ……!」
男だから感じるわけがないのに。そう思う気持ちとは裏腹に、フレデリクの体は大げさなくらいにビクリと跳ねていた。
(へ、変だ! なんでこんな……!)
うっすらとあった抵抗感が、ここにきて段々と大きくなり始める。経験なんてないはずなのに、まるでそうなることが当然であるかのように、自分の意思と相反して反応してしまうのが怖い。
「やっ、やめ!」
一度落ち着こうと、テオドアの頭を上から両手で押さえた。何もかもが初めてだから、それで怖くなっているだけなのだ。時間を置いて、ゆっくりしてもらえれば、きっと大丈夫――
「っあ、ああ!?」
しかしながら、目の前の男が動きを止めることはなかった。
突起を思い切りつまみ上げられ、跡が残るように強く項を吸われる。拒否は許さないと言わんばかりに。まるで、フレデリクは永遠に自分のものだと、誰かに言い聞かせるかのように。何度も何度も、執念深く教え込んでくる。
「愛してる……俺の、俺だけのフレデリク……」
「はっ、待って……んっ、ぁ、い、いやだ……!」
フレデリクも流石に異常を感じ取り、形振り構わず逃げようと暴れ始めた。その途中でテオドアの耳に掛かった眼帯の紐を外してしまったが、恐怖に支配された彼は気づかない。とにかくこの場から離れたくて離れたくて、仕方がなかったのだ。
「テオッ、まってよテオ……っんぅ!」
叫ぶフレデリクの口元を、テオドアの手のひらが押さえつける。
「煩い……その名前で俺を呼ぶな……!」
そう言って顔を上げたテオドアの左目は、爛々と赤く、不気味に輝いていた。三年前、縦に切り裂かれた傷跡と共に、視力を失ったはずの左目が。月明かりの下に晒されて、右目の紫紺とは対照的に、燦然と赤く光っている。
「んんん!!!」
全身の産毛が総毛立つ。フレデリクは目を見張り、口を覆われたまま、嫌々と首を横に振る。耳鳴りが警笛のように脳を揺らして、頑丈に閉じ込めた記憶の箱を無理やりこじ開けてこようとする。
「あっ……違う。違う違う違う!!」
テオドアはフレデリクの青ざめた表情と、今しがた自分が発した言葉の可笑しさに気がついたようだった。汗を垂らして、フレデリク以上に取り乱し、露になった右目を必死に隠す。
「待ってくれフレデリク! お願いだ、俺を拒絶しないで……!」
「んっ……は、放せっ!!」
フレデリクは口を覆うテオドアの手を、無理やり剥がした。
「行かないで! あああ愛してるんだ……! この世の誰よりも、何よりもっ、君さえいてくれたら俺はっ!!」
「どけっ! 離れろ……!!」
「フレデリク!!」
「ッ! お前はテオじゃないっ……、お前は、お前は……!!」
これまで散々、おかしいことはあった。そのたびにありえないと、気のせいだと思うようにしていた。
だって、自分の命にも代え難いくらい大切な人が、深く傷付いた心を救ってくれた人が――別人になってしまっただなんて、どうして、誰が一体、そう思えるのだろう。違和感を深掘りしたら、知りたくもない真実に気づいてしまいそうで。もうテオドアに会えないかもしれないなんて、思いたくなくて。
「っ! どこ行くんだフレデリク!!」
引き留めようと伸ばしてくるテオドアの手を振り切って、寝室を飛び出す。
行き先なんて考えてない。ただ一人になりたかった。ぽっかりと空いた喪失感が、瞳の奥から雫となって頬を濡らして、床の木目に染みを作る。
「行くな! 頼むから、俺の傍にいてくれ……!」
後ろから抱き締めてくる男は、誰なんだろう。震える声で、願いを乞うこの男の正体は、一体、誰――
「もう君のいない人生なんて考えられない。俺を見て、俺を愛して、フレディ……」
(フレ、ディ?)
ガンガンと、鎖を打ち付けられる音がする。
(ああ……駄目だ。思い出したら、だめなのに……)
頭を抱えて、項垂れる。
無くしてしまいたい過去。消し去りたい記憶――フレデリク自身でさえも自覚のなかった、穴の空いた記憶を埋めるピースが、ギーッと蓋を開けた箱から飛び出してくる。
(嫌だ。嫌だ……)
「もう絶対に離さない。俺と一生、愛し合って生きていこう。大丈夫、あの時は時間が足りなかっただけだから。今はフレディの好きな顔と体があるし、きっと俺を好きになってくれる……」
フレデリクを腕の中に閉じ込めたまま、恍惚とした笑みを浮かべて、テオドアを形取る男が呟く。
僅かに見え隠れしていた月は姿を消した。地響きのように轟く稲妻が一瞬だけ空を明るく照らして、大粒の雨が地面を叩きつけ始めた。
――あの悲劇に至るまでの記憶を思い出すには、十分すぎるくらいの荒れた夜だった。
とはいえ、雨音が聞こえ始めるのも時間の問題だろう。フレデリクは天気が荒れる前に風呂を沸かせようと、玄関を開けて素早く靴を脱ぐ。
「フレッド」
「うわっ!?」
部屋の中ほどまで進んだところ、突然、後ろからテオドアに抱き締められた。すりっ――と触れ合う頬と、背中に当たる熱が、フレデリクの心臓をこれでもかと高く跳ねさせる。
「な、なに? どうしたの?」
「……本当はずっと、こうしたかった。フレッドを独り占めしたくて、フレッドに触れたくて、たまらなかったんだ……」
テオドアの吐き出した息が首筋にかかり、小さくリップ音が鳴る。フレデリクは思わぬ接触に声が出そうになり慌てて口元を押さえようとしたが、先に顎を引き寄せられてキスをされる方が早かった。
「んっ、……ん゙ぅ、ふ……っ」
外でしてしまった時よりも、深く口内が犯される。テオドアなりに、あの時はセーブしていたのだろうと容易に分かるくらい、手加減がない。
「っは、……ぅん……っ」
必死にテオドアの腕を掴むフレデリクは、崩れ落ちそうになる体を支えることで精一杯だった。溢れた涎が顎を伝って、ひたすらに衝動をぶつけられる。もはや羞恥心よりも、快感が脳を侵食して、波に呑まれていくように溺れてしまう。
(クラクラ、する……)
酸素が行き届かない。踏ん張っていた足がずり落ちそうになる。だけどその瞬間――腹に回されたテオドアの腕がぎゅっと強まって、ゆっくりと唇が離れていった。
「駄目だ……我慢できない」
息も絶え絶えの中、堪えきれない激情が側で聞こえた。背中をテオドアに預けてもたれ掛かるフレデリクの耳元へ、熱い吐息混じりの懇願が響く。
「抱きたい……フレッドの全部が欲しい……」
「っ……!」
服の上から、情欲を掻き立てるような手つきで腰をなぞられる。
「フレッドも俺を求めてくれ。俺を欲してくれ。俺はフレッドと、愛し合いたいんだ……」
吐き出した息は震えていた。積年の想いを詰めた切実な声が、フレデリクの心の柔い部分へと突き刺さり、じんわりと全身に伝播していく。
恋人になってからというものの、当然フレデリク自身も、そう言うことを視野に入れていなかったわけじゃない。ただなんとなく、積極的にしたいと思わなかっただけで。今もキスだけでいっぱいいっぱいになっているのだから、その先のことを深く考えないようにしていた。
でも、テオドアにこんな風に求められて。苦しくなるくらいに抱き締められているのに、首を横に振ることなんてできるわけがない。
出会ってから、ずっとずっと大好きだったテオドア。そんな彼と、光栄なことに恋人関係になれたのだ。フレデリクは、ほんの少しの抵抗感に見て見ぬふりをすると、コクリと小さく頷いた。
「……! 本当か? 本当にいいんだな!?」
「う、頷いただろ! 恥ずかしいから、何回も聞かないで……」
「嬉しいんだ! ありがとう、フレッド……!」
こんなにはしゃいだ声は初めて聞く。まさか、断られるとでも思っていたのだろうか。
「……あ、でも、その前に風呂入りた――」
フレデリクが全て言いきる前に、問答無用で手を引かれた。手首を握るテオドアの力が、思わず眉をしかめてしまいそうなほど痛く、絶対に逃がさないという意思を感じる。
こうなったらこちらの意見は通用しない。
フレデリクは部屋に着くまでの僅かな間、はち切れんばかりに脈打つ心臓をなだめながら、ごくりと唾を飲み込んで覚悟を決めた。
***
連れてこられたのは、フレデリクの寝室。雲の隙間から差し込む僅かな月明かりだけが、睦み合う二人の姿を照らし出す。
「っふ……、んん……!」
フレデリクは枕とテオドアの板挟みになって、再び窒息しそうなくらい、執拗にキスをされていた。足に力が入らなくなっても、今は体を横たえているから、崩れ落ちる心配はない。
ただ見方を変えれば、強制的に止めさせることができないわけで――。
「はっ、ぅん、ん゙ん゙~~!!」
テオドアの背にしがみつき、なけなしの力で揺さぶる。上手く働かない頭で出来たのは、これくらいの意思表示だけだった。
「っん……はあっ、はあっ……」
「フレッド……」
何度目かの揺さぶりの後、ようやく顔を離したテオドアは、浮かれたように頬を赤らめて、瞳を潤ませていた。
「ちょっと、休憩させ――」
「はあ……好き、好きだ、フレッド……」
フレデリクの言葉は届いていないのか、顔中至るところにキスを贈られる。時折突き刺さる眼差しはゾクリと背筋が震えるほど強烈で、溢れる想いは蜜よりも甘い。
しかしその一方で、フレデリクは以前感じたような既視感を再び思い出していた。
(そうだ、おれ……初めてキスされた時、何かがフラッシュバックしそうになって……)
それ以来、キスする時は無意識にテオドアの顔を見ないよう避けていた気がする。何故だか、そうしないといけないと思ったから。
でも今は、雰囲気に呑まれているせいか、それとも緊張しすぎているせいか――ボーッとした頭ではそれ以上何も考えられない。加えて、いつの間にか潜り込んでいたテオドアの右手が腹周りを擦って、余所事を頭から追い出させる。
「っぁ、ま、待って……!」
覚悟していたはずなのに、どうやら心の準備は出来ていなかったらしい。フレデリクは腹から上がってこようとするテオドアの手を掴もうとしたものの、首筋を這い出した熱い舌に一瞬で気を取られた。
「はっ、ん……!」
恥ずかしい声が漏れ出そうになって、咄嗟に口元を押さえる。しかし、その間にも登り詰めたテオドアの右手が目的の場所へと辿り着いていた。薄く桃色に色づき、ピンと先端を尖らせた突起を、人差し指で柔く弾かれる。
「~~ッッ!」
「ん……、っはあ、フレデリク……」
「ぁ、だ、だめ……!」
男だから感じるわけがないのに。そう思う気持ちとは裏腹に、フレデリクの体は大げさなくらいにビクリと跳ねていた。
(へ、変だ! なんでこんな……!)
うっすらとあった抵抗感が、ここにきて段々と大きくなり始める。経験なんてないはずなのに、まるでそうなることが当然であるかのように、自分の意思と相反して反応してしまうのが怖い。
「やっ、やめ!」
一度落ち着こうと、テオドアの頭を上から両手で押さえた。何もかもが初めてだから、それで怖くなっているだけなのだ。時間を置いて、ゆっくりしてもらえれば、きっと大丈夫――
「っあ、ああ!?」
しかしながら、目の前の男が動きを止めることはなかった。
突起を思い切りつまみ上げられ、跡が残るように強く項を吸われる。拒否は許さないと言わんばかりに。まるで、フレデリクは永遠に自分のものだと、誰かに言い聞かせるかのように。何度も何度も、執念深く教え込んでくる。
「愛してる……俺の、俺だけのフレデリク……」
「はっ、待って……んっ、ぁ、い、いやだ……!」
フレデリクも流石に異常を感じ取り、形振り構わず逃げようと暴れ始めた。その途中でテオドアの耳に掛かった眼帯の紐を外してしまったが、恐怖に支配された彼は気づかない。とにかくこの場から離れたくて離れたくて、仕方がなかったのだ。
「テオッ、まってよテオ……っんぅ!」
叫ぶフレデリクの口元を、テオドアの手のひらが押さえつける。
「煩い……その名前で俺を呼ぶな……!」
そう言って顔を上げたテオドアの左目は、爛々と赤く、不気味に輝いていた。三年前、縦に切り裂かれた傷跡と共に、視力を失ったはずの左目が。月明かりの下に晒されて、右目の紫紺とは対照的に、燦然と赤く光っている。
「んんん!!!」
全身の産毛が総毛立つ。フレデリクは目を見張り、口を覆われたまま、嫌々と首を横に振る。耳鳴りが警笛のように脳を揺らして、頑丈に閉じ込めた記憶の箱を無理やりこじ開けてこようとする。
「あっ……違う。違う違う違う!!」
テオドアはフレデリクの青ざめた表情と、今しがた自分が発した言葉の可笑しさに気がついたようだった。汗を垂らして、フレデリク以上に取り乱し、露になった右目を必死に隠す。
「待ってくれフレデリク! お願いだ、俺を拒絶しないで……!」
「んっ……は、放せっ!!」
フレデリクは口を覆うテオドアの手を、無理やり剥がした。
「行かないで! あああ愛してるんだ……! この世の誰よりも、何よりもっ、君さえいてくれたら俺はっ!!」
「どけっ! 離れろ……!!」
「フレデリク!!」
「ッ! お前はテオじゃないっ……、お前は、お前は……!!」
これまで散々、おかしいことはあった。そのたびにありえないと、気のせいだと思うようにしていた。
だって、自分の命にも代え難いくらい大切な人が、深く傷付いた心を救ってくれた人が――別人になってしまっただなんて、どうして、誰が一体、そう思えるのだろう。違和感を深掘りしたら、知りたくもない真実に気づいてしまいそうで。もうテオドアに会えないかもしれないなんて、思いたくなくて。
「っ! どこ行くんだフレデリク!!」
引き留めようと伸ばしてくるテオドアの手を振り切って、寝室を飛び出す。
行き先なんて考えてない。ただ一人になりたかった。ぽっかりと空いた喪失感が、瞳の奥から雫となって頬を濡らして、床の木目に染みを作る。
「行くな! 頼むから、俺の傍にいてくれ……!」
後ろから抱き締めてくる男は、誰なんだろう。震える声で、願いを乞うこの男の正体は、一体、誰――
「もう君のいない人生なんて考えられない。俺を見て、俺を愛して、フレディ……」
(フレ、ディ?)
ガンガンと、鎖を打ち付けられる音がする。
(ああ……駄目だ。思い出したら、だめなのに……)
頭を抱えて、項垂れる。
無くしてしまいたい過去。消し去りたい記憶――フレデリク自身でさえも自覚のなかった、穴の空いた記憶を埋めるピースが、ギーッと蓋を開けた箱から飛び出してくる。
(嫌だ。嫌だ……)
「もう絶対に離さない。俺と一生、愛し合って生きていこう。大丈夫、あの時は時間が足りなかっただけだから。今はフレディの好きな顔と体があるし、きっと俺を好きになってくれる……」
フレデリクを腕の中に閉じ込めたまま、恍惚とした笑みを浮かべて、テオドアを形取る男が呟く。
僅かに見え隠れしていた月は姿を消した。地響きのように轟く稲妻が一瞬だけ空を明るく照らして、大粒の雨が地面を叩きつけ始めた。
――あの悲劇に至るまでの記憶を思い出すには、十分すぎるくらいの荒れた夜だった。
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