この身を滅ぼすほど、狂った執着を君に。─隻眼の幼馴染が、突然別人に成り代わったみたいに、おれを溺愛し始めた─

髙槻 壬黎

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第二章 追憶と真実

王子殿下

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 あれから鍛練に行くこともなく、夕食だけ済まして帰されたフレデリクは、扉を開けてすぐ、同室者がいることに驚いた。

(どうしたんだろう、イアン殿下。いつもはもっと遅く帰ってくるのに……)

 イアンは普段、消灯時間ギリギリにならないと寮に帰ってこないため、この時間にいるのはかなり珍しい。いつもどこに行っているのかは知らないが、もしかすると何か問題でもあって、彼は帰ってきたのかもしれなかった。

「……おい」

 しかし驚くのも束の間。椅子に腰掛け、読書をしていたイアンに話しかけられる。本をパタンと閉じ、いつも以上に近寄りがたいオーラを放つ彼は、どこか神経を尖らせているようにも見えた。

「ど、どうしたの?」
「何故、あんな発言をした」
「……え? えっと……何のこと?」

 身に覚えのなさすぎる質問だが、フレデリクは知らぬ間に無礼を働いてしまったのかと思い、冷や汗を垂らす。

「……先程教室で、お前は言っていただろう」
「さっき……? って、おれはオーディスと話してたけど……。あれっ、ま、まさか聞いてたの!?」

 近くにイアンの姿はなかったはず。――いや、正確に言えばオーディスたちの話に気を取られて、周囲のことにまで注意を払えていなかった。テオドアが来たことにも気づけなかったくらいなので、あれほど大声で言い争いをしていれば、他に見ていた人がいたっておかしくはなかった。
 
「い、いつから? おれが教室入る時にはいなかったよね?」
「……俺が来た時、お前はちょうど入っていくところだった」
「じゃ、じゃあ思いっきり最初から……」

 特段悪いことをしたわけでもないのに、フレデリクは気まずさから目を伏せる。

(おれ、なんて言ったっけ。イアン殿下の話がきっかけで口論になったのは覚えてるけど、あの時は正直我を忘れてたから、あんまり覚えてない……)

 必死に数時間前の記憶を引っ張り出していれば、突然、目前のイアンから殺気立った気配を感じた。
 
「お前、あれで俺を庇ったつもりか?」
「えっ?」

 向けられたのは、強い怒気を含む声と、刺すような恐ろしい視線。気のせいか、壁が呼応するようにミシッと音を立て始め、フレデリクは思わず服の裾を握りしめる。

「下手な同情ならやめろ。迷惑だ」
「めっ、迷惑って……」
「俺が可哀相だから。いいように言われてるのが気の毒だから。──そんな同情はもう、聞き飽きたんだよ」

 人一人殺しそうなほど、憎悪に満ちた瞳だった。それはせっかく、昼と夜の狭間に輝く、あの美しい黄金色を宿しているのに。彼の強すぎる嫌悪が、その瞳を翳らせていて。
 イアンの口から次々と、フレデリクを拒絶する言葉の羅列が漏れ出してくる。

「──俺に関わるな」
「──俺は一人でいい。他人なんか必要ない」
「──その偽善を振りかざしたいなら、孤児院にでも行って奉仕していろ。お前の自己満足に俺を巻き込むな」

 だけど、どうしてだろう。聞けば聞くほど、怖くなくなっていくのは。イアンが自分自身を納得させるために、捲し立てているようにしか見えないのは。

(もしかして……寂しい、のかな……)

 フレデリクは、自然と行き着いた答えが妙に馴染んで、気づけばイアンの口を片手で覆っていた。

「っ! なにすっ……!」
「もういいよ。無理、しなくてもいいんだ。おれは絶対に、貴方を傷つけたりしないから」 
「や、やめろ……!」

 椅子をズルように引き、この場から逃げようと立ち上がったイアンは、フレデリクの透き通った緑の瞳に当てられて、立ち止まる。

「おれがオーディスにああやって言ったのは、許せなかったからだ。人を平気で傷つけることばかり言うあいつに、腹が立ったから」
「…………」
「でも、本当に怒りたかったのは、おれ自身に対してなのかもしれない。口ではそう言ってても、おれは行動に移せなかったから。イアン殿下と話す機会はたくさんあったのに、おれの中の弱い心がそれをできなくさせてたんだ」

 そしてフレデリクは、一つ瞬きをすると、想いが伝わるように真っ直ぐイアンを見つめる。

「遅くなってごめんなさい。イアン殿下は傷ついてたのに、おれは気づこうともしなくてごめんなさい」
「……っ!」
「でも、おれにできることがあるなら、全力で力になりたい。……だからおれに貴方のことを教えてよ。あんな噂におれは振り回されたくない。イアン殿下の口から直接聞いたことを、信じたいんだ」

 ふるふると首を横に振り、信じられないものでも見るかのような目で、イアンは耳を押さえた。そうすれば、聞きたくないことを、受け入れたくないものを、全て排除できるから。

「せっかくルームメイトになったんだ。おれはやっぱり仲良くしたいし、イアン殿下と友達になりたいよ」
「やめろ……もう何も言うな……」
「すぐには難しいと思うけど、少しずつ、」
「やめろって言ってるだろう! 気安く踏み込んでくるな! 俺は今まで通り一人で……っ、一人で十分なんだ……!」

 息を切らして叫ぶイアンの両手を、フレデリクは上から包み込むように優しく握る。
 逃げたいなら逃げてもいい。決して説き伏せることが目的じゃない。貴方の意思を尊重する――その心からの気持ちが、届くように。

「信じ、られない」
「じゃあ信じてもらえるように頑張るよ」
「どうせ、お前もあいつらと同じだ」
「あいつらってオーディス? おれ、オーディスと一緒にされるのは嫌だな」
「……っ、俺に良く思われようとしたところで、恩恵なんて何もない……。俺は王族の中でも除け者だからな。何か勘違いしてるんだったら、今すぐやめて――」
「そんなの目当てにしてないって。おれはイアン殿下のことが知りたいって言っただろ」
「……!!」

 ヒュッと息を飲み、顔を強ばらせたイアンは、次の瞬間――。前髪を垂らして隠すように俯いた。肩は微かに震え、触れる彼の手は恐れるように力が張っている。

「――もういい。手を……離してくれ」
「……分かった」

 これ以上我を通す訳にもいかず、フレデリクは告げられた言葉通りに離す。イアンはその横を、黙ったまま通り過ぎた。

「どこ行くの?」
「……しばらく一人になりたい」

 まるで行く宛のない子供のように、不安を染み込ませたような声。しかし、イアンは覚束ない足取りで扉まで歩いていくと、それ以降は何も言わず、力ない指先で取っ手を下ろして部屋を出ていった。

(おれの気持ち、少しでも伝わってるといいけど……)

 フレデリクは恐怖に戦くイアンの姿を脳裏に思い浮かべ、手のひらをギュッと固く閉じる。

 ──かつて、テオドアに命を救ってもらったように。フレデリクもまた、誰かの救いとなれる人でありたい。
 それは彼の核であり、信条であり、目指すべき指標。だからこそフレデリクはオーディスに反抗しようと思えたし、こんなにもイアンを放っておくことができなかった。


***


 寮を出たイアンは、日が沈んだ薄暗い空を見上げ、一人立ち尽くしていた。整理が追いつかないほど狼狽しっぱなしの心とは別に、雲一つない夜空には無数の星々が瞬いている。

(あんなもの、全部紛い物だ。俺と仲良くなりたいなんて、そんな言葉……本心から言ってるはずがない)

 そう考えながら息を深く吐き、だらんと俯く。
 思い出すのは、フレデリクがオーディスに啖呵を切る姿。あれを見た瞬間、イアンは無意識に呼吸を止めていた。フレデリクから目を離せなくなって、耳の奥でドクドクと鼓動が鳴り止まなくなっていた。
 だから彼に理由を聞いた。何故あんな馬鹿げたことをしたのかと。理由を聞けば、あの行動に納得がついて、頭の中からフレデリクを消せると思った。

(気に入らなかったから……? だから、俺を庇うようなことをしたのか……?)

 いや、それはありえない――。
 イアンは頭を抱えて、首を横に振る。

 しかし、心の中ではそう否定しながらも、正直な気持ちは身体に溢れ出てしまっていて。今にも飛んでいきそうなくらいに跳ねてやまない心臓が、歓喜に沸き立ってしょうがない。

(やめろ……信じるな。信じて、痛い目を見るのは俺なんだ……っ)

 鉄の味が口に広がっても、噛むのが止められないまま、胸元に皺を作る。力を込めすぎた拳は微かに震え、頭は沸騰するほどに熱く、制御できない感覚に髪の毛をかきむしる。
 
(騙されない。誰が騙されてやるものか。俺はずっと一人で生きていく。偽善にまみれたお前の施しなんか必要ないんだよ)

 得体のしれない感情は不快感へ。
 頭に居座り続ける男の顔は、嫌悪の対象へ。 

 不安に揺れるイアンの瞳に映っていたのは、ほんの少しの希望を覆い隠してしまうほどの、底知れない闇ばかりであった。
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