初夜に訪れたのは夫ではなくお義母様でした

わらびもち

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指導開始

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 キャサリンを預かって指導することになった翌朝の早く、彼女が目を覚ます前に扉が静かにノックされた。

「オニキス子爵令嬢、起きてください」

 張りのある冷ややかな声が響いた。声の主はガーネット侯爵家の侍女長である。
 情の感じられない冷淡な言葉遣いにキャサリンは眉をひそめ、枕に顔をうずめた。

「なに……?  まだ日も昇っていないわよ……」

 まだ空は鈍色の帳をまとい、窓の外には鳥の声ひとつない。
 「なんでこんな時間に起こすのよ」とキャサリンは不機嫌そうに返した。

「奥様のご命令です。つべこべ言わずに、さっさと起きてください」

 寝室の時計が静かに時を刻む中、扉がガチャリと開かれた。

「まだ顔も上げていないのですね。失礼いたします」

 言うが早いか、侍女長はすっとベッドに近づく。
 素早く毛布を剥ぐと、キャサリンが驚いてそれを掴むが侍女長の力には敵わなかった。

「……ッ、ちょっと!なにするのよ、寒いじゃない!」

「その寒い中、奥様は貴女様よりも早く起きていらっしゃるのです。教えを請う立場で文句を言うのはお止めくださいません」

 侍女長は容赦なくキャサリンの腕を引いて起こす。
 抵抗する彼女に構わず、枕元に置かれた水差しから冷水を手拭いに染み込ませ、ぴしゃりと頬をぬぐった。

「ひゃっ……!つ、冷たっ……!」

「目が覚めましたね。ならば次は着替えです」

 キャサリンが何か言うより早く、レオノーラは寝巻きの前紐をほどき始める。
 彼女の動きには一切の躊躇も迷いもない。
 羞恥心を訴える間もなく、キャサリンは半ば脱がされるようにして、冷たい空気の中で肌をさらす。
 侍女長は既に朝の衣装を準備し、袖を押し出すようにしてキャサリンの腕に通していく。
 やや乱暴に腰のコルセットをきゅっと締め上げた。

「ッ……ちょ、ちょっと苦しい……!」

「姿勢を保つにはこれが最適。背筋が曲がらぬよう、きちんと調整してあります」

 髪もまた容赦なく梳かされる。
 絡まれば引かれ、痛みにキャサリンは顔をしかめるが侍女長の手は止まらない。

「――支度、完了しました。朝食の時間まで移動を考慮すると、十分な余裕はありません。さ、参りましょう」

「え……まだお腹空いていない……」

「知りません。空腹の有無にかかわらず、朝食の時間からすでにレッスンは始まっているのです。無駄口を叩くのはお控えくださいませ」

 侍女長は一礼し、静かに扉を開けた。
 その「さっさと行け」と言わんばかりの圧がこもった動作に怯え、キャサリンは大人しくそれに従うのだった。


 キャサリンが食堂に足を踏み入れたとき、セシリアはすでに席に着いていた。
 姿勢は完璧。動きはなくとも、その存在感は部屋の空気をぴんと張り詰めさせている。

 キャサリンはまだ眠気の残る目をこすりながら、なんとなく一礼し、声をかける。

「おはよう、早いのね」

 その口調は軽く、言葉は流れるように早口。
 まるで友人に語りかけるような軽い口調に、セシリアは眉をひそめた。

「――その挨拶は、誰に向けてのものかしら?」

 キャサリンは思わず動きを止めた。心臓が一拍遅れて跳ねる。

「え……あなたにだけど?」

「まあ、私に? 子爵令嬢のあなたが、侯爵夫人の私に? そうは聞こえなかったわ。“敬意”というものをご存じないのかしら……」

 セシリアの厳しい言葉にキャサリンは「え? え?」と戸惑う。何が悪いか理解していない様子にセシリアは深く溜息をついた。

「あなたがどのような姿勢で、どのような言葉で挨拶をしたか――そのひとつひとつが、あなたの品格を語るのです。丁寧な挨拶ひとつまともに出来ないのなら、貴族などやめなさい。言葉が軽ければ、教養の軽さが透けて見える。あなたは今朝、その両方を私の前でさらしたのよ」

 キャサリンは耐えるように目を伏せた。
 どこかで言い返したい気持ちがあったが言葉が出ない。

「――さあ、もう一度やり直しなさい」

 厳しい叱責を受けたキャサリンは、不満げな様子で形式的に挨拶をした。

「おはようございます、侯爵夫人」

 セシリアはその様子をじっと見つめ、視線をテーブルへと向ける。

「……及第点です。席に着きなさい」

 その言葉は、ほとんど「許可」に等しかった。
 キャサリンはそっと椅子に腰を下ろすが、この後も食事の作法で散々叱責を受け、いつもより何倍も時間をかけて朝食を終えたのだった。

 その後の午前中は、歩き方と椅子の座り方についてみっちりと指導が行われた。
 午後にはテーブルマナーの訓練が始まる。ナイフとフォークの角度、パンの裂き方、会話を交えながらも決して音を立てぬ食事。

 そして、夕刻。
 一室にて、仮想の社交の場を想定した”対話の演習”が行われる。
 皮肉を滲ませた言い回しや、貴族に特有の婉曲な表現への対応力が試された。

 夜、今日一日を振り返ったセシリアのキャサリンへの評価は、実に散々なものだった。

「分かってはいたけど……ひどいわね。あなた、ご実家でどのような教育を受けてらしたの?」

 呆れた調子で言葉を投げるセシリアに、疲労困憊のキャサリンは怒りをにじませてキッと睨み返した。

「うちは子爵家だから仕方ないでしょう! 侯爵令嬢だったあなたと一緒にしないで!」

「……何を言っているの? あなた以外の子爵令嬢は私が知る限りだと皆基本的な礼儀作法は身についているわよ。散々甘やかされてきたのでしょうけど、侯爵家の女主人となるためにはこのままじゃ駄目。明日からもっと厳しくいくわよ」

「はあ!? これ以上厳しくなんて無理! 嫌よ!」

「あなたの意見など聞きません。それに仕方ないでしょう? 基本がなっていないのだから、その分厳しくするのは当然です。恨むのならあなたに基本の礼儀作法すら身に着けさせなかったご両親を恨むことね」

 一切譲る気のないセシリアを前に、キャサリンは怒りと絶望でわなわなと震えるのだった。
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