初夜に訪れたのは夫ではなくお義母様でした

わらびもち

文字の大きさ
71 / 165

無駄な反抗心

しおりを挟む
「もう嫌ッ!! こんなのいつまで続けるつもりよ!?」

 セシリアによる淑女教育が始まって数日、とうとうキャサリンの我慢が限界に達した。

「毎日毎日、笑い方がどうとか、言葉の選び方がどうとか、お辞儀の角度がどうとか……! そんなのばっかり! ちょっと違うだけで、全部“間違い”って言われて! そんなの、もう、うんざりなのよ!!」

 言葉が喉の奥からあふれ出す。声は震え、涙もこぼれた。だが、日々溜まりゆく鬱憤は限界に達し、もう止まらなかった。

「努力してるのに! 頑張ってるのに! 皆みたいになれないからって、私だけが“できてない”って顔して……そんなに私、失敗してる!? そんなにおかしいの!? 私の何が、そんなに駄目なのよ!!」

 息が切れるほど叫ぶキャサリンをセシリアはただじっと見つめていた。
 いつもの整った表情のまま、何も言わず、何も動かず。

 その沈黙がキャサリンの癇に障り、瞳から大粒の涙を溢れさせた。

「仕草に品がないだとか、声が通らないとか、もっと侯爵夫人の器足りえるようになれって……もう嫌! もう無理……」

 最後の言葉は涙にかき消された。キャサリンは唇を噛み締め、悔しそうにうつむき押し黙る。
 しばしの沈黙の後、セシリアは背後のメイドにそっと何かを命じた。 

「オニキス子爵令嬢、失礼いたします」

 おもむろにキャサリンの前に立ったメイドは、手を振りかぶって頬を打った。
 パンッ、と頬を打つ音が響き、部屋が一瞬静寂に包まれる。

「………………は?」

 一瞬、何が起きたのか分からず、キャサリンはポカンと口を開けたまま、目を見開いて固まった。
 遅れてやってきた頬の痛みに、キャサリンはようやく自分が目の前のメイドに叩かれたのだと理解した。

「は……はあああッ!? ちょっと! 何すんのよ!?」

「何って……メイドに命じて貴女の頬を打っただけですけど?」

「だけ? 何をふざけたことを言ってんのよ!? 暴力を振るうなんて信じられない!」

「あら、だって私が直接手出ししてしまうと貴女の可愛らしいお顔が歪んでしまいますもの。私、人より力が強いもので……」

 困ったように自分の頬へ手を添えるセシリアの仕草を見てキャサリンは思わずゾッとした。
 メイドに命じたとはいえ、人に暴力を振るっておいて動揺ひとつ見せない。
 悠然と立つその姿を前に、キャサリンは改めて悟った――この女は、まともではないと。

「それと、どうして頬を打ったかの質問の答えですが……」

 恐ろしいほど冷たい目でキャサリンをちらりと見たセシリアは、そのままゆっくりと話を続けた。

「貴女からを削ぐためです。厳しい指導に弱音を吐く気持ちは分かりますが、はっきり言ってそんなことに時間を割いている暇はないのですよ。残り三か月ほどで貴女には侯爵夫人として相応しい教養と知識を全て習得してもらわねばなりません。本来でしたら寝る間も惜しんで学んでいただきたいくらいです。ですが、それですと体調を崩しかねないので睡眠時間はしっかり確保しているのですよ? でしたら起きている時間はをたたかず真面目に教育を受けていただきたいわ」

 セシリアの氷のように冷えきった表情に、キャサリンは恐怖に凍りつき声ひとつ発せなかった。
 躾には暴力が効く、とでも言わんばかりの態度がとんでもなく恐ろしい。頬の痛みも重なり、キャサリンの体は完全にすくんでしまった。

「よろしいですね。それでは、レッスンを続けましょう」

 何事もなかったかのように指導を再開させようとするセシリアに、恐怖で固まっていたキャサリンは反射的に言い返した。

「む……無理! 私には無理! 出来ない! 出来ないのよッ……!!」

 それは、心の奥底からあふれ出た魂の叫びだった。
 甘やかされて育ったキャサリンにとって、セシリアの施す高位貴族の夫人教育はとても習得できるような代物ではない。数日間学んだだけで、キャサリンの心は折れた。これ以上続けることなど、自分には到底できない――そう、心の底から思ったのだ。

「出来ない、ではありません。出来るようになさい。エリオット様のことが好きなのでしょう? 妻の私から寝盗るほどに。だったら頑張れるはずでしょう?」

 蔑むような口調から彼女が怒っているのだと察し、キャサリンは気まずそうに目を逸らした。

「な、なによ……怒っているの? 仕方ないじゃない、エリオットは私を選んだのだから……」

「? 別にエリオット様が私よりも貴女を選んだことに怒っているのではありません。最初から貴女が余計なことを言わず彼と結婚していれば、私がこんな茶番のような結婚をせずにすんだのですよ。無駄に私を巻き込んだことに怒っています」

「え……余計なこと? 私が? 何のこと……?」

「あら、お義母様が邸にいるのが嫌だと騒いだせいで婚約が無くなったと聞きましたけど?」

「……ッ!? なんであなたがそれを……」

「誰に聞いたかは置いておくとして、貴女が余計なことさえ言わなければ私がエリオット様の妻になることも無かったし、何度も嫌な思いをせずに済んだのですよ。貴女だってそのまま結婚していれば、辛い教育を受けずに済んだ。つまりはご自分が招いた結果なのですから、無駄口叩かず、少しでも早く習得できるよう努力なさってください」

「それは……だって、仕方ないじゃない! 父親の後妻っていうからオバサンだと思っていたのに……あんな若くて綺麗な人だなんてッ!!」

「お義母様が若くて綺麗だからエリオット様が取られそうで怖かったらしいですね。だから遠ざけたかったと。そう思う気持ちは分からなくもないですが……そこで子供の癇癪のようにただ我儘をぶつけるのは感心しませんね。自分の願望を叶えたいのなら、もっと頭を使わなくては。貴女がとった方法は悪手でしかありませんから」

「は? 悪手? なによ、それ……どういう意味?」

「貴女はきっと今まで騒げば何でも願いが叶えられてきたのでしょう。貴女に甘いご両親によって。ですが、それが通じるのはご両親にだけ。他人には通じません。誰かに願いを叶えてもらうには、相手と交渉することが必要不可欠です」

「え……交渉?」

「ええ、交渉とは対話をしながら合意に至るという意味です」

「いや、それくらい知っているわよ、馬鹿にしないで!」

「ああ、そうですか。それで、貴女がしたことは対話ではなく一方的に相手に要求しただけ。それはただの我儘です。貴女がすべきだったのは、どうすれば穏便にお義母様と暮らさずにすむかを考え、それを上手くエリオット様へと伝え、上手く動いてもらうこと。つまりはエリオット様と交渉し、そしてお義母様にエリオット様が交渉してもらうようにすることです」

「は? なにそれ? なんでそんな回りくどいことをしなければいけないの! ただ、父親の後妻と暮らしたくないって言えば済む話じゃない!」

「済まなかったから、今こんなことになっているのではありませんか。貴女も貴族であるのなら、上手く相手と交渉する話法くらい身につけてください」

「……ッだから! 私には無理なの!」

「無理ではありません。この三か月の間にそれも身につけてもらいます。出来ないなどとは言わせません。出来るようになってもらいます。……力づくでも」

 最後の一言を聞いた瞬間、キャサリンの口から「ひっ……」とかすかな悲鳴が漏れた。
 今までこんな厳しい指導を受けたことはないし、ましてや暴力だって受けたことがない彼女にとって、先程の平手打ちはもはや恐怖でしかない。

 どれだけ弱音を吐いてもセシリアは一切の情けを見せず、冷淡なままだった。
 彼女の態度は微塵も揺らがない。そこに甘さの欠片すら存在しなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

なぜ、私に関係あるのかしら?

シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」 彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。 そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。 「…レオンハルト・トレヴァントだ」 非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。 そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。 「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」 この判断によって、どうなるかなども考えずに… ※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。 ※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、 ※ 画像はAIにて作成しております

無自覚人たらしマシュマロ令嬢、王宮で崇拝される ――見た目はぽっちゃり、中身は只者じゃない !

恋せよ恋
ファンタジー
 富豪にして美食家、オラニエ侯爵家の長女ステファニー。  もっちり体型から「マシュマロ令嬢」と陰口を叩かれる彼女だが、  本人は今日もご機嫌に美味しいものを食べている。  ――ただし、この令嬢、人のオーラが色で見える。  その力をひけらかすこともなく、ただ「気になるから」と忠告した結果、  不正商会が摘発され、運気が上がり、気づけば周囲には信奉者が増えていく。  十五歳で王妃に乞われ、王宮へ『なんでも顧問』として迎えられたステファニー。  美食を愛し、人を疑わず、誰にでも礼を尽くすその姿勢は、  いつの間にか貴族たちの心を掴み、王子たちまで惹きつけていく。  これは、  見た目はぽっちゃり、されど中身は只者ではないマシュマロ令嬢が、  無自覚のまま王宮を掌握していく、もっちり系・人たらし王宮譚。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 エール📣いいね❤️励みになります!

ローザリンデの第二の人生

梨丸
恋愛
伯爵令嬢、ローザリンデの夫はいつも彼女より仕事を優先させ、彼女を無碍にしている。 彼には今はもういない想い人がいた。 私と結婚したことにいい思いをしていないことは知っていた。 けれど、私の命が懸かっていた時でさえも、彼の精神は変わらなかった。 あなたが愛してくれないのなら、私は勝手に幸せになります。 吹っ切れたローザリンデは自分自身の幸せのために動くことにした。 ※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。) 1/10 HOTランキング1位、小説、恋愛3位ありがとうございます。

婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。

黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」 豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。 しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

《完結》金貨5000枚で売られた王太子妃

ぜらちん黒糖
恋愛
​「愛している。必ず迎えに行くから待っていてくれ」 ​甘い言葉を信じて、隣国へ「人質」となった王太子妃イザベラ。 旅立ちの前の晩、二人は愛し合い、イザベラのお腹には新しい命が宿った。すぐに夫に知らせた イザベラだったが、夫から届いた返信は、信じられない内容だった。 「それは本当に私の子供なのか?」

学園では婚約者に冷遇されていますが、有能なので全く気になりません。〜学園でお山の大将されてても、王宮では私の方が有能ですから〜

織り子
恋愛
王都カラディナにある国立魔術学園では、満十六歳の生徒たちの社交界デビューを兼ねた盛大なパーティーが開かれていた。 侯爵令嬢タレイア・オルトランは、婚約者である第二王子アスラン・オグセリアの迎えを待つも、結局ひとりで会場へ向かうことになる。 学園では身分の差がないとはいえ、アスランが公然とタレイアを侮辱し続けてきたことで、彼女は生徒たちから冷笑と蔑視の的となっていた。しかしタレイアは、王城で政務を担ってきた聡明さと矜持を失わず、毅然と振る舞う。

処理中です...