161 / 165
再びの王宮
しおりを挟む
朝靄の名残を帯びた王都の空の下、サフィー家の馬車が王宮の門前に到着した。
鈍く光る金の装飾を施された門がゆっくりと開かれ、石畳の奥に続く庭園の緑が目に映る。
セシリアはゆるやかにドレスの裾をつまみ、従者の手を借りて馬車から降り立つ。柔らかな風が裾を揺らし、草木の香りを運んできた。
「こちらでございます、レディ・サフィー」
出迎えた侍従が深く一礼し、静かに歩みを促す。
磨かれた大理石の回廊を進むたび、足音が柔らかく響く。壁に掛けられた王家の肖像画や、陽光を透かすステンドグラスがきらめきを返し、どこを見ても荘厳な静けさに満ちていた。
(王宮に来るのはあの時以来ね……)
前回訪れた時のことを思い出し、感慨深げに王宮の隅々へと目を巡らせた。
あの時のような緊張感はない。だから今は、ゆっくりと美しい宮殿の造りを眺めることができる。
やがて案内の侍従が足を止め、金糸の刺繍が施された扉の前で恭しく告げる。
「こちらで王太子妃殿下がお待ちでございます」
その言葉にセシリアは静かに頷く。
扉が開かれると、広間の奥に太子妃が立っていた。窓辺から差し込む朝の光が、金糸の衣の裾を淡く照らしている。彼女はその光を受けながら穏やかに微笑んだ。
「久しぶりにお目にかかれますこと、嬉しく思います。サフィー侯爵令嬢」
その声に広間の空気がやわらかく揺らめく。
セシリアは深く礼をとり、澄んだ声で応えた。
「再びこうしてお会いできる機会を賜り、身に余る思いでございます。お健やかにお過ごしのご様子、何よりに存じます」
セシリアの挨拶に王太子妃は小さく頷き、優雅な仕草で手を差し出した。
「どうぞお顔を上げて。お変わりないようで、安心いたしましたわ。こちらへどうぞ、おかけになって」
「ありがとうございます。では、失礼いたします」
王太子妃の穏やかな声に促され、セシリアは深く一礼して椅子に腰を下ろす。
椅子の背に手を添えた瞬間、心の中の張り詰めた糸が少しだけ緩んだ。
そのとき、背後に控えていた女官が恭しく一礼し、音もなく動いて茶器に手を伸ばす。
銀のポットが持ち上げられ、湯の落ちるかすかな音が広間の静寂に溶けていく。
細やかに立ちのぼる香りは、初夏の草原を思わせる若葉の香。
「本日は新しい茶葉を取り寄せましたの。気に入っていただけると嬉しいのですけれど」
「それは嬉しく存じます。お気遣いに心より感謝いたします」
女官は二人の前にお茶が満たされたカップを置き、再び一歩下がって静かに控えた。そうして広間には再び静寂が満ちる。王太子妃は手元の茶杯をそっと持ち上げ、白磁の薄い縁を唇に寄せた。その仕草はまるで儀式のように美しく整っている。
「いい香り……。さあ、あなたもどうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」
その言葉に促され、セシリアは静かにカップを持ち上げた。
一口含むと柔らかな香りが舌に広がり、静けさの中に微かな甘露が滲む。
「……本当に、素晴らしいお味でございます」
「お気に召して何よりですわ。……最近は、少し慌ただしい日々が続いておりますの。お茶をこうしてゆっくり味わうのは、実に久しぶりです」
穏やかな声の奥に、ほんのわずかな疲れが滲んでいる。それを聞いたセシリアは、その“忙しさ”が単なる宮中の行事や儀礼を指すものではないことを察した。
セシリアはわずかに眉を下げ、言葉を選ぶように慎重に口を開く。
「……殿下におかれましては、さぞご公務も多く、お心もお休めになるお暇もございませんことでしょう」
「ええ。でも、務めとは不思議なものですわね。心が追いつかぬほど動いているうちは、かえって立ち止まることが許されないのです」
その声音は疲れているようでいて、どこか喜びを感じさせるものだった。
王太子妃という立場にある者だけが抱く重責――。それは、近づく“その日”を静かに予感させるもの。
そう、王太子妃から国の母──王妃となる日を。
(巷で流れている、国王陛下の退位の噂は本当なのかもしれない……)
あの王女の事件以来、まことしやかに囁かれる国王の退位、そして王太子の即位。
この国が静かに新しい時代を迎えようとしている――そんな噂が密かに流れていた。
もしかすると、この茶会でそれが真実か否かを知ることが出来るかもしれない。
そう考え、セシリアはそっと息を呑んだ。
鈍く光る金の装飾を施された門がゆっくりと開かれ、石畳の奥に続く庭園の緑が目に映る。
セシリアはゆるやかにドレスの裾をつまみ、従者の手を借りて馬車から降り立つ。柔らかな風が裾を揺らし、草木の香りを運んできた。
「こちらでございます、レディ・サフィー」
出迎えた侍従が深く一礼し、静かに歩みを促す。
磨かれた大理石の回廊を進むたび、足音が柔らかく響く。壁に掛けられた王家の肖像画や、陽光を透かすステンドグラスがきらめきを返し、どこを見ても荘厳な静けさに満ちていた。
(王宮に来るのはあの時以来ね……)
前回訪れた時のことを思い出し、感慨深げに王宮の隅々へと目を巡らせた。
あの時のような緊張感はない。だから今は、ゆっくりと美しい宮殿の造りを眺めることができる。
やがて案内の侍従が足を止め、金糸の刺繍が施された扉の前で恭しく告げる。
「こちらで王太子妃殿下がお待ちでございます」
その言葉にセシリアは静かに頷く。
扉が開かれると、広間の奥に太子妃が立っていた。窓辺から差し込む朝の光が、金糸の衣の裾を淡く照らしている。彼女はその光を受けながら穏やかに微笑んだ。
「久しぶりにお目にかかれますこと、嬉しく思います。サフィー侯爵令嬢」
その声に広間の空気がやわらかく揺らめく。
セシリアは深く礼をとり、澄んだ声で応えた。
「再びこうしてお会いできる機会を賜り、身に余る思いでございます。お健やかにお過ごしのご様子、何よりに存じます」
セシリアの挨拶に王太子妃は小さく頷き、優雅な仕草で手を差し出した。
「どうぞお顔を上げて。お変わりないようで、安心いたしましたわ。こちらへどうぞ、おかけになって」
「ありがとうございます。では、失礼いたします」
王太子妃の穏やかな声に促され、セシリアは深く一礼して椅子に腰を下ろす。
椅子の背に手を添えた瞬間、心の中の張り詰めた糸が少しだけ緩んだ。
そのとき、背後に控えていた女官が恭しく一礼し、音もなく動いて茶器に手を伸ばす。
銀のポットが持ち上げられ、湯の落ちるかすかな音が広間の静寂に溶けていく。
細やかに立ちのぼる香りは、初夏の草原を思わせる若葉の香。
「本日は新しい茶葉を取り寄せましたの。気に入っていただけると嬉しいのですけれど」
「それは嬉しく存じます。お気遣いに心より感謝いたします」
女官は二人の前にお茶が満たされたカップを置き、再び一歩下がって静かに控えた。そうして広間には再び静寂が満ちる。王太子妃は手元の茶杯をそっと持ち上げ、白磁の薄い縁を唇に寄せた。その仕草はまるで儀式のように美しく整っている。
「いい香り……。さあ、あなたもどうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」
その言葉に促され、セシリアは静かにカップを持ち上げた。
一口含むと柔らかな香りが舌に広がり、静けさの中に微かな甘露が滲む。
「……本当に、素晴らしいお味でございます」
「お気に召して何よりですわ。……最近は、少し慌ただしい日々が続いておりますの。お茶をこうしてゆっくり味わうのは、実に久しぶりです」
穏やかな声の奥に、ほんのわずかな疲れが滲んでいる。それを聞いたセシリアは、その“忙しさ”が単なる宮中の行事や儀礼を指すものではないことを察した。
セシリアはわずかに眉を下げ、言葉を選ぶように慎重に口を開く。
「……殿下におかれましては、さぞご公務も多く、お心もお休めになるお暇もございませんことでしょう」
「ええ。でも、務めとは不思議なものですわね。心が追いつかぬほど動いているうちは、かえって立ち止まることが許されないのです」
その声音は疲れているようでいて、どこか喜びを感じさせるものだった。
王太子妃という立場にある者だけが抱く重責――。それは、近づく“その日”を静かに予感させるもの。
そう、王太子妃から国の母──王妃となる日を。
(巷で流れている、国王陛下の退位の噂は本当なのかもしれない……)
あの王女の事件以来、まことしやかに囁かれる国王の退位、そして王太子の即位。
この国が静かに新しい時代を迎えようとしている――そんな噂が密かに流れていた。
もしかすると、この茶会でそれが真実か否かを知ることが出来るかもしれない。
そう考え、セシリアはそっと息を呑んだ。
2,458
あなたにおすすめの小説
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
ローザリンデの第二の人生
梨丸
恋愛
伯爵令嬢、ローザリンデの夫はいつも彼女より仕事を優先させ、彼女を無碍にしている。
彼には今はもういない想い人がいた。
私と結婚したことにいい思いをしていないことは知っていた。
けれど、私の命が懸かっていた時でさえも、彼の精神は変わらなかった。
あなたが愛してくれないのなら、私は勝手に幸せになります。
吹っ切れたローザリンデは自分自身の幸せのために動くことにした。
※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。)
1/10 HOTランキング1位、小説、恋愛3位ありがとうございます。
【完結済】王女に夢中な婚約者様、さようなら 〜自分を取り戻したあとの学園生活は幸せです! 〜
鳴宮野々花@書籍4作品発売中
恋愛
王立学園への入学をきっかけに、領地の屋敷から王都のタウンハウスへと引っ越した、ハートリー伯爵家の令嬢ロザリンド。婚約者ルパートとともに始まるはずの学園生活を楽しみにしていた。
けれど現実は、王女殿下のご機嫌を取るための、ルパートからの理不尽な命令の連続。
「かつらと黒縁眼鏡の着用必須」「王女殿下より目立つな」「見目の良い男性、高位貴族の子息らと会話をするな」……。
ルパートから渡された「禁止事項一覧表」に縛られ、ロザリンドは期待とは真逆の、暗黒の学園生活を送ることに。
そんな日々の中での唯一の救いとなったのは、友人となってくれた冷静で聡明な公爵令嬢、ノエリスの存在だった。
学期末、ロザリンドはついにルパートの怒りを買い、婚約破棄を言い渡される。
けれど、深く傷つきながら長期休暇を迎えたロザリンドのもとに届いたのは、兄の友人であり王国騎士団に属する公爵令息クライヴからの婚約の申し出だった。
暗黒の一学期が嘘のように、幸せな長期休暇を過ごしたロザリンド。けれど新学期を迎えると、エメライン王女が接触してきて……。
※10万文字超えそうなので長編に変更します。
※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。
結婚しても別居して私は楽しくくらしたいので、どうぞ好きな女性を作ってください
シンさん
ファンタジー
サナス伯爵の娘、ニーナは隣国のアルデーテ王国の王太子との婚約が決まる。
国に行ったはいいけど、王都から程遠い別邸に放置され、1度も会いに来る事はない。
溺愛する女性がいるとの噂も!
それって最高!好きでもない男の子供をつくらなくていいかもしれないし。
それに私は、最初から別居して楽しく暮らしたかったんだから!
そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー
最後まで書きあがっていますので、随時更新します。
表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
さようなら、お別れしましょう
椿蛍
恋愛
「紹介しよう。新しい妻だ」――夫が『新しい妻』を連れてきた。
妻に新しいも古いもありますか?
愛人を通り越して、突然、夫が連れてきたのは『妻』!?
私に興味のない夫は、邪魔な私を遠ざけた。
――つまり、別居。
夫と父に命を握られた【契約】で縛られた政略結婚。
――あなたにお礼を言いますわ。
【契約】を無効にする方法を探し出し、夫と父から自由になってみせる!
※他サイトにも掲載しております。
※表紙はお借りしたものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる