初夜に訪れたのは夫ではなくお義母様でした

わらびもち

文字の大きさ
31 / 165

ピアノの音

しおりを挟む
 静まり返ったサロンに柔らかな陽の光がカーテンの隙間から差し込む。
 それが金の縁取りを施されたピアノの蓋に反射し、淡い輝きを放っていた。

 その前に腰掛けるのは、一人の貴婦人。先代ガーネット侯爵の寡婦、イザベラである。
 身に纏う絹のドレスが優雅に波打ち、薄手の手袋をはめた指が鍵盤にそっと触れた。
 肩を落とし、背筋をすっと伸ばして、まるで楽器と一体となったかのような佇まいである。

 やがて、指が静かに動き出す。最初の一音が空気を震わせると室内は一変する。
 彼女の瞳は遠くを見つめ、まるで過ぎ去った時代の記憶をたどるかのよう。
 旋律に乗せて、誰も知らぬ心の物語が語られていく。

 その姿は気品に満ち溢れ、誰もが言葉を失うほどに美しく、そして儚かった。
 静まり返った一室に、ピアノの音色が柔らかく響き渡る。貴婦人の指先が鍵盤の上を舞うたび、音は花のように咲いては消え、空気に香り立つようだった。

 最後の音が、そっと空中に溶けて消える。曲が終わると部屋には余韻と静けさが満ちた。
 ——その静けさを破ったのは控えめな拍手だった。

「……まあ、なんて、なんて素晴らしいのかしら」

 驚いて振り向くと、部屋の扉近くにうっとりとした顔のセシリアが佇んでいた。

「……驚いた。いつからそこにいたの?」

「少し前からですね。別邸から綺麗な演奏が聞こえてきたから、つい……」

「つい、じゃないでしょう……。約束の時間はまだ先だというのに……もう」

 窘める口調だが声には親しみが込められていた。
 出会ってからまだ数日しか経っていないにもかかわらず、既に二人の間には互いに気を許し合うような雰囲気が流れていた。

「約束より早くお邪魔してすみません。私のことは構わず、演奏を続けてください」

 イザベラとお茶の約束をしていたセシリアはまだ早い時間なのに彼女の家から聞こえてきたピアノの音に誘われ、ついそちらへ足を運んでしまった。音の聞こえる方へと向かい、そこにはピアノを演奏するイザベラの姿があった。陽の光を浴びて鍵盤を弾く姿は幻想的でとても美しく、彼女が奏でる音色は心が震えるほど素晴らしい。盗み聞きはお行儀が悪いが、声をかけてその演奏を止めてしまうのは忍びなかったのだ。

「いえ、いいわ。何かわたくしに用があったのでしょう?」

「用といいますか……お義母様とお話が出来れば、と」

 少し照れながら言うセシリアをイザベラは素直に“可愛い”と感じた。
 尊大で不遜、不屈とおよそ可愛いとは反対の性格をしている彼女だが、こうした女性らしい仕草がよく似合う。中身は覇王じみているが、外見はとびきり可憐だからだろう。

「いいわ。お茶を飲みながら話しましょう」

「ですが、お義母様の演奏がとても素晴らしかったので、もう少しだけ聞いていたいです」

「……ッ! そ、そう? また今度演奏してあげるわよ……」

 素直な賛辞にイザベラは照れるあまり耳まで真っ赤に染まった。
 その様を見てセシリアは「可愛い」と呟きニヤリと口角をあげる。

「もう! からかうんじゃないの! ……それより、エリオットと話は出来たの?」

 そう尋ねると、セシリアは顔を顰めた。それだけで何となく察してしまった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

なぜ、私に関係あるのかしら?

シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」 彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。 そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。 「…レオンハルト・トレヴァントだ」 非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。 そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。 「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」 この判断によって、どうなるかなども考えずに… ※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。 ※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、 ※ 画像はAIにて作成しております

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

ローザリンデの第二の人生

梨丸
恋愛
伯爵令嬢、ローザリンデの夫はいつも彼女より仕事を優先させ、彼女を無碍にしている。 彼には今はもういない想い人がいた。 私と結婚したことにいい思いをしていないことは知っていた。 けれど、私の命が懸かっていた時でさえも、彼の精神は変わらなかった。 あなたが愛してくれないのなら、私は勝手に幸せになります。 吹っ切れたローザリンデは自分自身の幸せのために動くことにした。 ※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。) 1/10 HOTランキング1位、小説、恋愛3位ありがとうございます。

結婚しても別居して私は楽しくくらしたいので、どうぞ好きな女性を作ってください

シンさん
ファンタジー
サナス伯爵の娘、ニーナは隣国のアルデーテ王国の王太子との婚約が決まる。 国に行ったはいいけど、王都から程遠い別邸に放置され、1度も会いに来る事はない。 溺愛する女性がいるとの噂も! それって最高!好きでもない男の子供をつくらなくていいかもしれないし。 それに私は、最初から別居して楽しく暮らしたかったんだから! そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー 最後まで書きあがっていますので、随時更新します。 表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。

【完結】これをもちまして、終了とさせていただきます

楽歩
恋愛
異世界から王宮に現れたという“女神の使徒”サラ。公爵令嬢のルシアーナの婚約者である王太子は、簡単に心奪われた。 伝承に語られる“女神の使徒”は時代ごとに現れ、国に奇跡をもたらす存在と言われている。婚約解消を告げる王、口々にルシアーナの処遇を言い合う重臣。 そんな混乱の中、ルシアーナは冷静に状況を見据えていた。 「王妃教育には、国の内部機密が含まれている。君がそれを知ったまま他家に嫁ぐことは……困難だ。女神アウレリア様を祀る神殿にて、王家の監視のもと、一生を女神に仕えて過ごすことになる」 神殿に閉じ込められて一生を過ごす? 冗談じゃないわ。 「お話はもうよろしいかしら?」 王族や重臣たち、誰もが自分の思惑通りに動くと考えている中で、ルシアーナは静かに、己の存在感を突きつける。 ※39話、約9万字で完結予定です。最後までお付き合いいただけると嬉しいですm(__)m

さようなら、お別れしましょう

椿蛍
恋愛
「紹介しよう。新しい妻だ」――夫が『新しい妻』を連れてきた。  妻に新しいも古いもありますか?  愛人を通り越して、突然、夫が連れてきたのは『妻』!?  私に興味のない夫は、邪魔な私を遠ざけた。  ――つまり、別居。 夫と父に命を握られた【契約】で縛られた政略結婚。  ――あなたにお礼を言いますわ。 【契約】を無効にする方法を探し出し、夫と父から自由になってみせる! ※他サイトにも掲載しております。 ※表紙はお借りしたものです。

【完結】無自覚人たらしマシュマロ令嬢、王宮で崇拝される ――見た目はぽっちゃり、中身は只者じゃない !

恋せよ恋
ファンタジー
 富豪にして美食家、オラニエ侯爵家の長女ステファニー。  もっちり体型から「マシュマロ令嬢」と陰口を叩かれる彼女だが、  本人は今日もご機嫌に美味しいものを食べている。  ――ただし、この令嬢、人のオーラが色で見える。  その力をひけらかすこともなく、ただ「気になるから」と忠告した結果、  不正商会が摘発され、運気が上がり、気づけば周囲には信奉者が増えていく。  十五歳で王妃に乞われ、王宮へ『なんでも顧問』として迎えられたステファニー。  美食を愛し、人を疑わず、誰にでも礼を尽くすその姿勢は、  いつの間にか貴族たちの心を掴み、王子たちまで惹きつけていく。  これは、  見た目はぽっちゃり、されど中身は只者ではないマシュマロ令嬢が、  無自覚のまま王宮を掌握していく、もっちり系・人たらし王宮譚。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 エール📣いいね❤️励みになります!

処理中です...