いいえ、望んでいません

彼女は”虐げられる妻”を演じる

「それではお嬢様、あの男伯爵が使用人に下した愚かな命令をご説明させていただきます。まず、お嬢様の食事は残飯を。風呂はお湯ではなく水、しかも汚れたものを。そして公爵家から持ってきたドレスや宝飾品は全て没収、だそうです」

「前半はまだ理解できるけど、後半は理解できないわ。公爵家から持ってきたものを没収って……彼はそんなに死に急ぎたいのかしら？」

　伯爵からの阿呆すぎる命令にジュリエッタは眉をしかめた。
　その命令を告げるリサの顔には侮蔑の表情が浮かぶ。

　事前情報で伯爵が愚者であることは承知の上だったが、予想を超える馬鹿ぶりに二人は驚きを隠せなかった。

「まともな頭ならまず考えられないことですよね。どうせ没収してあの愛人にあげるんでしょうけども、ドレスにも宝飾品にも公爵家の家紋が入っています。社交界で誰かの目に触れでもしたら破滅でしょうよ」

　おそらくは公爵もそれが狙いなのだろう。
　だからわざわざ家紋入りのドレスや宝飾品を仕立ててジュリエッタに持参させ、それがわざと愛人の目に触れるように仕向けた。

　伯爵家では到底手に入らないような贅を尽くした品々は、狙い通り愛人の物欲に火をつけたようだ。

「大人しく没収されるのと、何が何でも渡さないの、公爵様はどちらがお望みかしら？」

「旦那様のご意向はあの平民の愛人が公爵家の家紋の入ったものを身に着け、それを人の目に触れさせることです。なので大人しく没収されるが正解かと。それと食事もお風呂もこちらできちんとしたものをご用意させていただきますのでご安心ください。ただし外では先ほど言ったような扱いを受けていると演技してくださいね」

「分かったわ、ありがとう」

　リサのその言葉に安堵した。さすがに食べられないものを寄こされるのは辛い。

「いいえ、とんでもございません。旦那様の血を受け継ぐお嬢様を大切にするのは当然のことです。それと、旦那様から指示がありましたらその都度お伝えしますね」

「分かったわ。　あの男や愛人に対してはどういう態度をとればいいかしら？」

「ひたすら弱弱しく、惨めで何も出来ない悲劇の姫を装ってください。お嬢様がわざと惨めな姿を晒すことで周囲の同情を引けますので。こちらも社交界で『デューン伯爵は新妻を虐げている』との噂を流しますから」

　淑女教育で受けたように、虫も殺さないようなか弱い女性を演じればいい。
　ストレスは溜まるが公爵が望むように振る舞えなければ自分の命が危ない。

　優しく丁寧に自分を扱ってくれるリサも所詮は公爵の間者。
　彼女の主人は公爵であり、自分ではないことはジュリエッタも十分理解している。
　
　ここでもし、ジュリエッタが使えないと判断されたなら始末される恐れがある。

　だから決して逆らわない。公爵にも公爵の手の者にも。
　そうすれば母の元に帰れるのだから……。