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6章(3)
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「お前、なんでホテル予約してないんだよ!?」
夢見しずくのサイン会に参加するため、実家からやってきた妹に会った瞬間、旭陽は声を張り上げた。当の妹は旭陽の声に顔をしかめ、スマホに目を落とす。
「だってお金もったいないし。兄ちゃんの部屋泊めてよ」
「来客用の布団なんかない」
「いいよ、ベッドで寝るから」
「俺のこと追い出すつもりかよ」
そうだけど、と気のない返事が聞こえてくる。旭陽は頭を抱えたくなった。周りの友だちは実家暮らしか、学生寮を利用している人が多く、急に一晩泊めてくれるような状況ではない。ネットカフェで時間を潰すのも、それはそれで不服である。部屋の主は旭陽であって、妹ではないからだ。妹がホテルを予約していれば、こんなことで頭を悩ませることはなかったのに――。
サイン会の待機列に並んでいる人々は、女性と男性がちょうど半々くらいだった。妹のような、夢見しずくと同年代の若い女性たちがやや多く目につくが、女性に負けないくらい男性も並んでいる。並んでいる男性たちは旭陽より年上が多いようだ。「現役女子高生作家」という肩書きのせいだろうか。
「なんか、作家じゃなくてアイドルって勘違いしてるファンも多いんだよね」
それとなく妹に話題を振ると、彼女はスマホから目を離さず、さらりと言った。やっぱりそうなのか、という納得感と「夢見しずくは男」だという事実が同時に頭の中を飛び回る。ここに並んでいるファンたちは、夢見しずくが女子高生なんかじゃないことを知っているのだろうか?
妹は夢見しずくのデビュー作を、旭陽は妹から渡された夢見しずくの最新刊を持って列に並んでいた。列は順調に進み、どんどん自分たちの番が近くなってくる。
今日の夢見しずくは、黒いフリルがあしらわれたワンピースを着ていた。首筋に沿うように襟が高く、喉元を隠している。黒髪はハーフアップのツインテールで、毛先がゆるく巻かれている。しっかりと化粧が施された顔はやはり美しく、至近距離で見ても男だとは夢にも思わなさそうな造形だった。
スタッフの案内で、旭陽の前に並んでいた妹がサインをもらいに行く。妹は憧れの作家を前に興奮したようにあれこれ喋り倒しており、夢見しずくはすらすらとペンを動かしながら、時折うなずいて妹の話を聞いていた。
一分にも満たない時間だが、妹は満足したらしい。出口に向かいながら、旭陽に向かってもらったサインを掲げていた。
「次の方ー」
スタッフに呼ばれ、列から離れる。彼は自分のことを覚えているだろうか? あの日、アパートで会った男がこんなところにいたら驚くのではないか?
そんなふうに思ったが、結果から言うと夢見しずくは旭陽と会ったことを忘れていた。サインをもらうために最新刊を渡した時、目が合った。けれど夢見しずくは旭陽に気づくことなく、風鈴のような小さな声で「お名前は?」と尋ねてきた。
「あ、名前はいいです……サインだけで」
事前に妹に言われていたことを復唱する。兄の名前が入ったサインなどほしくない、というのが妹の言い分である。
「転売目的かしら?」
「いえ、妹の付き添いで……妹が二冊サイン本がほしいと言うので」
「前に並んでいた子?」
旭陽がうなずくと、夢見しずくはすこしだけ唇をほころばせて、するするとペンを動かした。
「質問したいことがあれば、どうぞ」
サインを書いている間の時間潰しなのか、ペンを動かしながらそんなことを言う。旭陽は迷ったが、待機列に並んでいた時に考えていたことを口にした。
「野々みどりについて、どう思いますか?」
夢見しずくが顔を上げる。目が合う。カラコンでも入れているのか、外国人のような緑色の目がきゅっと細くなる。
「そうね……」
ペンのインクを乾かすように二、三度手で本をあおいでから、彼は本を閉じてこちらに差し出してきた。受け取りながら、質問の答えを待つ。出口にいるスタッフが動かないところを見ると、まだ時間はあるのだろう。
夢見しずくは、旭陽の顔から視線を逸らすとペンをテーブルの上に転がした。
「孤独な人よね。まあ、この仕事をしている人は往々にして孤独なのかもしれないけれど」
すっと上がった手は指先まで綺麗だった。ペンより重いものを持ったことがないような、繊細な手だった。
緑色の目に見送られて、旭陽はサイン本を片手に出口へ向かう。振り返ると彼はすでに次のファンを前にサインを書き、にこやかに会話をしていた。
「兄ちゃん、なに話したの?」
出口で待っていた妹が、旭陽の手からサイン本を取り上げながら聞いてくる。
「……いや。特になにも」
「なにそれ。ファンです、の一言くらい言えばいいのに」
旭陽自身は別に夢見しずくのファンでもなんでもない。失礼なことだが、著作はほぼ読んでいないし、今回のサイン会も妹につれて来られたから来ただけだ。
けれど、旭陽の目的は達成された。会ったら聞きたかったことは、聞けたのだから。
夢見しずくと会って、旭陽は決心した。
これからも碧と向き合うことを。
何度、拒絶されたとしても、碧を独りにしないことを。
夢見しずくのサイン会に参加するため、実家からやってきた妹に会った瞬間、旭陽は声を張り上げた。当の妹は旭陽の声に顔をしかめ、スマホに目を落とす。
「だってお金もったいないし。兄ちゃんの部屋泊めてよ」
「来客用の布団なんかない」
「いいよ、ベッドで寝るから」
「俺のこと追い出すつもりかよ」
そうだけど、と気のない返事が聞こえてくる。旭陽は頭を抱えたくなった。周りの友だちは実家暮らしか、学生寮を利用している人が多く、急に一晩泊めてくれるような状況ではない。ネットカフェで時間を潰すのも、それはそれで不服である。部屋の主は旭陽であって、妹ではないからだ。妹がホテルを予約していれば、こんなことで頭を悩ませることはなかったのに――。
サイン会の待機列に並んでいる人々は、女性と男性がちょうど半々くらいだった。妹のような、夢見しずくと同年代の若い女性たちがやや多く目につくが、女性に負けないくらい男性も並んでいる。並んでいる男性たちは旭陽より年上が多いようだ。「現役女子高生作家」という肩書きのせいだろうか。
「なんか、作家じゃなくてアイドルって勘違いしてるファンも多いんだよね」
それとなく妹に話題を振ると、彼女はスマホから目を離さず、さらりと言った。やっぱりそうなのか、という納得感と「夢見しずくは男」だという事実が同時に頭の中を飛び回る。ここに並んでいるファンたちは、夢見しずくが女子高生なんかじゃないことを知っているのだろうか?
妹は夢見しずくのデビュー作を、旭陽は妹から渡された夢見しずくの最新刊を持って列に並んでいた。列は順調に進み、どんどん自分たちの番が近くなってくる。
今日の夢見しずくは、黒いフリルがあしらわれたワンピースを着ていた。首筋に沿うように襟が高く、喉元を隠している。黒髪はハーフアップのツインテールで、毛先がゆるく巻かれている。しっかりと化粧が施された顔はやはり美しく、至近距離で見ても男だとは夢にも思わなさそうな造形だった。
スタッフの案内で、旭陽の前に並んでいた妹がサインをもらいに行く。妹は憧れの作家を前に興奮したようにあれこれ喋り倒しており、夢見しずくはすらすらとペンを動かしながら、時折うなずいて妹の話を聞いていた。
一分にも満たない時間だが、妹は満足したらしい。出口に向かいながら、旭陽に向かってもらったサインを掲げていた。
「次の方ー」
スタッフに呼ばれ、列から離れる。彼は自分のことを覚えているだろうか? あの日、アパートで会った男がこんなところにいたら驚くのではないか?
そんなふうに思ったが、結果から言うと夢見しずくは旭陽と会ったことを忘れていた。サインをもらうために最新刊を渡した時、目が合った。けれど夢見しずくは旭陽に気づくことなく、風鈴のような小さな声で「お名前は?」と尋ねてきた。
「あ、名前はいいです……サインだけで」
事前に妹に言われていたことを復唱する。兄の名前が入ったサインなどほしくない、というのが妹の言い分である。
「転売目的かしら?」
「いえ、妹の付き添いで……妹が二冊サイン本がほしいと言うので」
「前に並んでいた子?」
旭陽がうなずくと、夢見しずくはすこしだけ唇をほころばせて、するするとペンを動かした。
「質問したいことがあれば、どうぞ」
サインを書いている間の時間潰しなのか、ペンを動かしながらそんなことを言う。旭陽は迷ったが、待機列に並んでいた時に考えていたことを口にした。
「野々みどりについて、どう思いますか?」
夢見しずくが顔を上げる。目が合う。カラコンでも入れているのか、外国人のような緑色の目がきゅっと細くなる。
「そうね……」
ペンのインクを乾かすように二、三度手で本をあおいでから、彼は本を閉じてこちらに差し出してきた。受け取りながら、質問の答えを待つ。出口にいるスタッフが動かないところを見ると、まだ時間はあるのだろう。
夢見しずくは、旭陽の顔から視線を逸らすとペンをテーブルの上に転がした。
「孤独な人よね。まあ、この仕事をしている人は往々にして孤独なのかもしれないけれど」
すっと上がった手は指先まで綺麗だった。ペンより重いものを持ったことがないような、繊細な手だった。
緑色の目に見送られて、旭陽はサイン本を片手に出口へ向かう。振り返ると彼はすでに次のファンを前にサインを書き、にこやかに会話をしていた。
「兄ちゃん、なに話したの?」
出口で待っていた妹が、旭陽の手からサイン本を取り上げながら聞いてくる。
「……いや。特になにも」
「なにそれ。ファンです、の一言くらい言えばいいのに」
旭陽自身は別に夢見しずくのファンでもなんでもない。失礼なことだが、著作はほぼ読んでいないし、今回のサイン会も妹につれて来られたから来ただけだ。
けれど、旭陽の目的は達成された。会ったら聞きたかったことは、聞けたのだから。
夢見しずくと会って、旭陽は決心した。
これからも碧と向き合うことを。
何度、拒絶されたとしても、碧を独りにしないことを。
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