魔物に嫌われる「レベル0」の魔物使い。命懸けで仔犬を助けたら―実は神域クラスしかテイムできない規格外でした

たつき

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第1章 

初めての名づけ

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「……ん」

頬に、温かくて柔らかい何かが触れる感覚。何度も何度も、優しく撫でるような感触に、僕はゆっくりと意識を浮上させた。 身体は、まるで鉛を詰め込まれたように重い。指先を動かそうとするだけで、全身の神経が悲鳴を上げる。魔力を最後の一滴まで使い果たした代償。重度の魔力枯渇が、僕の体からすべての自由を奪っていた。

「ここは……」

重い瞼をこじ開けると、そこはまだあの遺跡の隠し部屋だった。 崩落した天井の隙間から、冷たくも柔らかな月明かりが差し込んでいる。 視線を巡らせた瞬間、僕は自分の目が信じられず、息を呑んだ。

遺跡の床から石壁にかけて、おびただしい量の血が飛び散っていたのだ。 先ほどまで僕の命を狙っていた、あのビーストグリズリーの姿はどこにもない。だが、この凄まじい出血量からして、あの森の主(ぬし)が無傷で済んだはずがなかった。

「キュゥ!」

視界の端で、白い何かが動いた。 あの、仔犬だ。 僕が目覚めたことに気づいたのか、千切れんばかりに尻尾を振って喜んでいる。 だが、その白銀の毛並みを見て、僕は心臓が止まるかと思った。

「き、君! その血……どうしたんだ!? 怪我をしたのか!?」

仔犬の体には、あちこちに赤黒い返り血が付着していた。 僕は慌てふためき、震える手でその小さな体を抱き上げる。全魔力を譲渡して傷を癒やしたはずなのに、僕が倒れている間に、またあの化け物に酷い傷を負わされてしまったのか。そんな恐怖が頭をよぎり、心臓が早鐘を打つ。

「ごめん、僕が動けなかったから! どこが痛いんだ? どこをっ」

必死に傷口を探す僕の手を、仔犬はくすぐったそうに舐めた。そして、不思議そうに首を傾げた後、床の血溜まりと、グリズリーが逃げ去ったであろう破壊された出口を交互に指し示した。

(え…。これ、全部、あいつの血なの?)

その瞬間、僕の脳裏に不思議な感覚が流れ込んできた。 テイムした相手から伝わる、言葉にならない「感情」と「状況」の断片。 仔犬は、僕を守るために、あの巨獣を完膚なきまでに叩きのめし、追い払ったのだ。僕が気を失っている、ほんのわずかな時間の間に。

「君があいつを、一人で追い払ってくれたのか?」

信じられなかった。スライム一匹従えられず、ギルドの連中から「魔物に嫌われる無能」と蔑まれ続けた僕が、こんなにも強くて頼もしいパートナーと契約できたなんて。

いや、違う。これは僕が凄いんじゃない。

僕は自分の震える掌を見つめ、自嘲気味に笑った。 死を覚悟して、全魔力を注ぎ込んだからだ。あの一瞬だけ、魔物使いとしての才能が無理やり引き出されたんだ。この子犬も死ぬよりかは僕と契約することを受け入れてくれたに過ぎない。いわば、一度きりの奇跡だ


ただ、この小さな命を救えた。そして、この子に僕の命を救われた。 その事実だけが、氷のように冷え切っていた僕の心を、じんわりと温めてくれた。

「よかった。君が助かって」

僕は仔犬をそっと地面に下ろした。 危機は去った。出口は崩れているけれど、どこかから脱出できるはずだ。 僕みたいな「レベル0」と繋がったままでいるのは、この子も耐え難いだろう。

僕は、魔物に嫌われる魔物使いなのだから。

「……『契約解除(リリース)』」

僕は痛む身体を叱咤して、テイムの魔法を解こうとした。 魔力パスを断ち切り、この子を自由にしようとしたんだ。 けれど。

「――ッ!?」

解除の言葉を口にした瞬間、仔犬が僕の腕にガブリと噛みついた。痛いというよりは、鋭い拒絶だった。

「キュゥン!!」

仔犬は僕を睨みつけるように鳴き、首を激しく横に振った。 それだけじゃない。仔犬の方から、さらに強く、深く、僕の魂に魔力の楔を打ち込んできた。解除しようとしたパスを、今度は仔犬の側から、逃がさないと言わんばかりに補強してしまったんだ。

「ど、どうして。君なら、もっと凄いテイマーと契約できるはずだよ。僕なんかと一緒にいたら、またひどい目に合うかもしれないんだよ?」

僕の問いかけに、仔犬は呆れたように鼻を鳴らした。 そして、僕の胸元に潜り込み、ゴロゴロと喉を鳴らしながら甘えてくる。 その金色の瞳には、迷いなど微塵もなかった。 『お前がいいんだ』 言葉ではないけれど、はっきりとした意志が僕の中に流れ込んでくる。

「そうか。君が、いいって言うなら」

鼻の奥がツンとした。 三年間、誰にも必要とされなかった僕を、この子は選んでくれた。 だったら、僕ももう迷わない。この子が胸を張って僕のパートナーだと言えるように、全力で守り抜こう。

「ありがとう。じゃあ、改めてよろしくね。そうだ、名前をつけなきゃ」

僕は仔犬をそっと抱き上げた。 小さな体からは、とても森の主を追い払ったとは思えないほど、穏やかで清らかな鼓動が伝わってくる。

「僕の祖父がね、よく話してくれた物語があるんだ。暗い夜の海で迷った旅人を、空で一番明るい星が導いてくれるっていうお話」

僕は崩れた天井の向こう、群青色の夜空を見上げた。 そこには、どの星よりも強く、凛とした輝きを放つ星が一つ、僕たちを祝福するように瞬いていた。

「君の名前は『シリウス』。僕を導いてくれた、一番星の名前だ。どうかな?」

仔犬は一瞬、その名を確認するように静止した。 そして、その金色の瞳に知性的な光を宿すと、誇らしげに、かつ元気よく「ワン!」と短く鳴いた。

その瞬間だった。 僕とシリウスの間に繋がった魔力のパスを通じて、凄まじい熱量が逆流してきた。 魔力枯渇で空っぽになり、干からびた大地のようにひび割れていた僕の魔力回路に、シリウスの底知れない、どこまでも澄んだ魔力が満たされていく。

熱い。けれど、恐ろしいほどに心地いい。 身体中の細胞が一つずつ作り直されるような感覚。傷は瞬時に癒え、重かった身体が羽のように軽くなっていく。 足元に転がっていた、使い古された折れた木剣を拾い上げると、以前よりもずっと手の一部のように馴染んだ。

「シリウス。凄いよ、力が湧いてくる。これが、魔物と魂を繋ぐっていうことなんだね」

僕は立ち上がり、出口を塞ぐ瓦礫を見据えた。 今まで僕を縛り付けていた絶望も、孤独も、シリウスの温かさがすべて塗り替えてくれたような気がした。

「行こう、シリウス。僕たちを見捨てた人たちは、もうギルドに戻った頃かな。いや、もうどうでもいいか」

あそこに僕の居場所はなかった。あいつらも、僕を必要としていなかった。 なら、これからは自分のために、そして僕を選んでくれたこの子のために生きよう。

「まずは、この森を出よう。もう、あそこには戻らない」

シリウスは僕の足元にピタリと寄り添い、共に歩き出した。 遺跡の暗闇を抜け、月明かりの下へ。 レベル0の荷物持ちだった僕の、本当の意味での「第一歩」が、ここから始まった。
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