私が偽聖女ですって? そもそも聖女なんて名乗ってないわよ!

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私が偽聖女ですって? そもそも聖女なんて名乗ってないわよ!

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「偽聖女ミレイユ! 真の聖女が見つかった以上、貴様にもはや用はない! 私は貴様との婚約を、今ここで破棄する!」

 慰労会場に姿を現すなり声高らかに宣言したのは、私の婚約者であらせられた王子様。夜会服に身を包んだ貴族たちの視線が一斉にこちらへと注がれる。王子様の傍には、神妙な面持ちで佇む白髪混じりの神官長と――緊張で頬を紅潮させた若い娘がいた。

 ――やっと見つかったのか。
 最初に浮かんだのは、そんな感想だった。

 自分で言うのもなんだけど、私は昔から何かと情が移りやすい質だった。拾った犬や猫はきちんと育てたし、一度懐いてくれようものならなんだかんだ最後まで面倒を見てしまう。
 だからこそ、ズルズルと居残ってしまったのよねぇ。追い出されるのを待っていたのに、なかなか誰も言い出してくれないんだもの。ポリシーには反するけれどうっかり自分から逃げ出すところだったわ。

 偽聖女と断じられ、呆然としていると思われたのか。
 あるいは婚約を破棄されたことに打ちのめされていると思われたのか。
 沈黙を保つ私を見て王子様は気を良くしたらしい。若い娘をわざとらしく引き寄せ、見せつけるようにその肩を抱いた。

「皆の者、聞くがいい! つい先日、彼女こそが真に神に選ばれし『聖女』であると啓示を受けたそうだ! これまではこの女に頼らざるを得なかったが、それももはや不要と言えるだろう。これでようやく手が切れるというものだ!」

 貴族たちがざわつき、会場は一気に騒がしくなる。滑稽な茶番劇の渦中で、私は手にしたシャンパングラスをおいてぱちぱちと拍手を送った。

「良かったじゃない、真の聖女様が見つかって。本当におめでとう。心から祝福するわ」
「……貴様、馬鹿にしているな?」
「あらやだ、そんなことないわよ。ずっと望んでいたのでしょう? で、聖女様が現れたということは……私はもうお役御免でいいのよね? お嬢さん。この人たち、結構こき使ってくるけど大丈夫かしら?」

 私の一言に、若い聖女ちゃんは怯えたように目を見張った。やあねぇ。別に取って食ったりしないのに。そんな顔されるとさすがにちょっと傷つくんだけど。

「か、神は仰いました。不敬の輩がこの世界に紛れ込んだゆえ、私が人々を正しく導かねばならないと」
「あはは! 不敬の輩って、まさか私のことじゃないわよね?」
「どう考えても貴様のことだろう! これまで貴様が見せてきた『奇跡』と称する力も、すべては邪悪な魔の産物だったということだ! 真の聖女が現れた今、貴様は国の秩序を乱す存在でしかない。――衛兵、この女を捕らえよ! 魔女として裁かねばならん!」

 王子の号令を受けて衛兵たちが緊張を滲ませながら動き出す。じりじりと距離を詰めてくる様子から、怖がっているのがよくわかる。無理もないだろう。これまで散々、私の術を目の当たりにしてきたのだから。風で吹き飛ばされるのではないかとか、火に包まれるのではないかとか、そう思ってるんじゃないかしら。
 でもね、私にだって一応は良心というものがあるのだから。上の命令に逆らえない彼らを傷つけるはずがないでしょう?

 ちらりと王子様に肩を抱かれた聖女ちゃんへ視線を向ける。悪い子には見えないけど、神様の啓示とやらに気圧されてるのか肩に思いっきり力が入ってしまっている。
 ……ていうか神様、いたのならもっと早く出てきなさいよ。聖女の選出をのんびりやっているせいで、私が無駄に張り切る羽目になったじゃないの。

 でもそれももうおしまい。はい、お疲れ様でした。私は解任されたから、あとは皆さん頑張ってね。
 心の中でこっそりエールを送ってやって、特に抵抗らしいこともせず、私はそのまま地下牢へと連行された。

 *
 
 ――そもそもさ。そもそもよ。
 私はこの世界の住人じゃないのよ。
 魔術という異能が当たり前に存在する世界で、ちょっとした実験中にこの世界に飛ばされただけの、いわば事故みたいなもんだったの。

 ……まあ、ある意味成功といえば成功だけどね? 本当は"時"を渡るつもりだったのに、魔法陣の一部が使い魔の肉球模様とすり替わってた結果、こんな世界に飛ばされちゃっただけだから。これはこれで仲間にはウケそうだし、自慢してやってもいいくらい。

 ただ誤算だったのは――元の世界に戻るのに必要なエネルギーが、この世界では全く足りなかったこと。
 ……そんな恥ずかしいこと、誰にも言うつもりもないけれど。

 仕方がないからふらふらとこの世界をさまよって、「ああ、神信仰の強い土地なんだなぁ」とぼんやり思っているうちに。
 たどり着いた小さな村では、ちょっとした伝染病が流行っていた。

「……だれか……たすけて…………」
 
 放っておいてもよかったんだけどさ、さすがに死にかけの子どもに縋られたらね……。見捨てて死なれでもしたら寝覚めが悪いにも程があるでしょ。
 病気の正体なんて知らないけど、とりあえず体を蝕んでいた毒素か病原菌かを魔術で浄化して、ついでに村ごと清めてやって。水を出して、狩った獣をふるまって、なんとなく作物まで植えてみたら――いつの間にか病魔はどっかに逃げて、村はすっかり元気に栄えちゃったの。

「まさか死なずに済むなんて……。ありがとう。アンタは命の恩人だよ」
「はいはい、どーいたしまして。ていうかこの世界には治癒術師はいないの? 魔道具の類も無さそうだし……」
 
 目をキラキラ輝かせてすっかり顔色を取り戻したガキんちょから詳しく話を聞いてみたら、この世界には魔術という概念そのものがまるで無いんですって。
 だからかしら。ちょっと水を出したり火を起こしたりするだけで、まるで神の奇跡でも見たみたいに大騒ぎ。元の世界でしのぎを削ってた日々が、なんだか馬鹿らしくなっちゃったわよ。

 それでまあ、あんまりにもいい反応をしてくれるもんだからちょっとのつもりが居着いちゃったんだけど。
 村人は元気になったし、さすがに飽きてきたし、そろそろ潮時かなってバイバイしようとしたら――すごい勢いで引き止められちゃったのよ。最初に助けてあげた、あのガキんちょに。

「ひ、人助けが好きなんだろ? そんな力があるなら、他の人たちも助けてやれよ!」

 失礼ね、人助けが趣味なわけないじゃない。私が好きなのは魔術を披露することだけ。あんたたちみたいな下等生物がそれを見て目を丸くして、ありがたがってくれればそれで満足なのよ。感謝の涙でも流してくれたら、なお結構ってこと。
 
 何て言ってやろうかしらと考えていたら、何をどう勘違いしたのか村人たちまで私のことを「聖女様」なんて呼び出したの。うちの世界にはそんな概念なかったから、最初は魔族の『サキュバス性女』のことを言ってんのかと思って「馬鹿にしてるの!?」って思わず怒っちゃったわ。

「ち、違います! 聖女様とは、神の使いのことなのです! その証拠に、不思議な力をお持ちでしょう?」
「神様なんか関係ないわよ。これは魔術っていう、うちの世界じゃ一般的な技術で――」
「そちらの世界ではそうかもしれませんが、この世界では、そのような力を持つ方こそ『聖女』と呼ばれるのです! 長らくお姿を隠されていましたが、ようやく我らの地に降り立ってくださったのですね!」
「どうかこの世界をお導き下さいませ……!」
「いやいや、私もそのうち帰るつもりなんだけど……」

 ……とは言ったものの、元の世界に戻るにはそれなりにエネルギーが必要なのよねぇ。この世界にも魔素は一応あるみたいだから、それを各地で少しずつ集めて変換するしかないか。
 そんなことを考えていた矢先。またあのガキんちょが懲りもせずに生意気なことを言ってきたの。

「アンタ、長生きなんだろ? だったらもうちょっとくらいこの世界にいたっていいじゃんか」
「……お断りよ。この世界、なんか知らないけどどこ行っても臭いのよ。衛生観念って言葉、知らないでしょ? 一日も早く帰りたいの、私は」
「それは……この辺が田舎だからだよ。王都まで行けば印象も変わるって。せっかく来たのにすぐ帰っちゃうなんてもったいないよ。アンタの世界と比べたら色々と見劣りするかもだけど、少しくらい観光してみてもいいんじゃないか?」

 ……このガキ、やけに必死だけど口が達者なのよね。妙に説得力あるし。
 まあどうせ魔素も集めなきゃいけないし、各地で崇め奉られるのも悪くないか――なんて考え始めた時点で、私の負けだったのかもしれない。

 そうして、遠く離れた王都を目指す旅が始まったの。
 頼みもしないのに、ガキんちょが案内役を買って出たのには驚いたけど。

「……いいの? しばらく村には戻れないわよ?」
「別にいいよ。俺んちは教会だったんだけど、今回の件で神様なんていないって思い知ったし。いたとしても、助けてくれない神様なんて祈るだけ無駄だろ? ……それに、アンタについてった方が絶対面白いって思ったんだ」
「ふぅん。変なガキ。言っとくけど面倒見る気はないからね。足手まといになったら容赦なく置いてくから」

 するとガキんちょは、「それでいいよ」なんて嬉しそうに笑ってた。

 ――こうして、私たちの旅が始まった。

 思い返せば、まあいろいろあったわ。

 最初に辿り着いたのはちょっと大きな町だったかしら。こっちの世界のお金なんて知らないから細かいことはガキんちょに任せることにしたのよ。そうしたらもう張り切っちゃって。私のことを世間知らず過ぎるなんて言うけど、世界が違えば常識も違うんだから仕方なくない?

「ちょっ、アンタ! また気軽に手助けして……! 孤児に金までばらまいてんじゃねぇよ!」
「いいじゃない、こんなに必要ないんだし。たまたま野盗に襲われてた商人から巻き上げた泡銭なんだから、パーッと使うのが一番よ」
「あああ、もう! お前らも絶対にこのことは秘密にしとけよ……! ほんと、アンタは目を離したら何するか分かんねーな!」

 ……とまぁ、こんな感じでフォローしてくれるし気は利くし、交渉事も上手いから助かってるんだけどさ。
 でもね、なんか子どもに世話されるのって大魔女様みたいで居心地悪いのよねぇ。ま、別に契約で縛ってるわけじゃないし、好きにすればって感じだけど。

 ふらりと訪れた港町では、長らく雨が降らず水不足だって騒いでいたからちょっと空に魔力を走らせてみたのよ。
 そしたら滝のような豪雨になっちゃって。町中から「やりすぎです!」ってクレームの嵐よ。助けてやったのに、まったく恩知らずな連中よね。

「まあやりすぎには違いねぇけど……やっぱアンタ、すげーよ」
「そうやって素直に褒めてくれりゃいいのにねぇ。ほんと神経逆撫でるのが得意だわ、この世界の連中」
「……でも、アンタだって満更でも無さそうじゃん。居心地悪くないんじゃないのか?」
「はあ? そんなわけないでしょ。今は……そうね。ちょっと観光してるだけ。気が済んだらすぐ帰るわよ」
「ふーん、気が済んだら、ね。……ふーん」

 このガキ、最初は目をキラキラ輝かせて私を見上げてたくせに、最近じゃすっかりぞんざいな扱いじゃないの。
 ――そろそろ、どっちが上か思い出させてやらないとね。
 そう思って、空から雷を一本落としてやったわ。避けられたけど。ほんとクソガキ。

 雪深い北の村では、寒さで作物が育たないって聞いたから畑の下に火属性の術をちょいと仕込んでみたの。
 そしたら冬なのに野菜がわんさか採れて、村中が大騒ぎ。村長に「どうか永住を!」なんて頭下げられたけど、丁重にお断りしておいたわ。

 ――ああ、そうそう。あのガキんちょ、寒さにやられて風邪引いたのよね。
 とっとと悪い菌は浄化してやったけど、術をかけられるとそれなりに体力削られるみたいでさ。しばらく村の家で寝かせといてやったの。おかげで私、ひとりで暇になっちゃって。

 せっかくだから魔素集めがてら村の周りを散策してたんだけど――つい夢中になっちゃってね。
 だって雪なんて元の世界じゃほとんど見なかったんだもの。気がついたらけっこう時間が経ってたみたいね?
 戻ったらすっかり治ったはずのガキんちょが真っ青な顔で私を睨んでくるものだから、びっくりしたわよ。

「……もう、帰っちまったのかと思った」

 この世の終わりみたいな顔して真顔でそんなこと言うもんだから、思わず吹き出しちゃった。

「なによその顔。置いてかれたとでも思ったの?」
「十日も帰ってこなきゃそう思うに決まってんだろ……! 馬鹿! 何してたんだよ!」

 ……まさか熊と雪遊びしてたとは言えないわよね。威厳って大事だから。私はほら、年長者なんだし?

「ちょっと散歩してただけじゃない。たった十日くらい? でそんな喚くんじゃないわよ。……まったく、不安になって泣いちゃうなんて、いつまで経ってもお子様なんだから」
「喚いてねーし! 泣いてもねーし! だいたい俺もう、十五だぞ!」
「はいはい。じゃあ立派なお兄さんなんでしょうね。……さ、そろそろ次の町でも目指しましょ」
「次は、勝手にいなくなんなよ……」

 やあねぇ、そんなに寂しかったのかしら? それからしばらくの間、私の行動に逐一目を光らせてくるものだから、落ち着かないったらありゃしなかったわよ。

 たまたま行き着いた温泉地では、お祭りの日にぶつかったの。夜市には屋台が並んでいて、提灯の光が川沿いに揺れて、まあまあ綺麗だったわね。
 私は別に興味なかったけど、ガキんちょが「せっかくだから見て回ろうぜ」ってうるさいから仕方なくついてってあげたの。……私は別に興味ないわよ? 物珍しいものが並んでたから、ちょっと気になっただけなんだからね?

 で、ガキんちょが屋台に向かった隙に絡まれたのよ。酒臭い男に。

「へえ、綺麗な姉ちゃんじゃねぇか。この辺じゃ見たことないな? どうだい、俺と一緒に見て回らねぇか?」

 うざいって言って無視してたんだけど、相手が図に乗ってきてね。どうしようかと考えてたら――。

「……おい。誰に話しかけてんだよ。その人はな、お前なんかが話しかけていい相手じゃねぇんだよ」

 間に割って入ったのは、いつの間にか戻ってきたガキんちょだったの。連れがいるとは思わなかったのか男はそそくさと逃げてったわ。
 あんなガキがこんな場面で役に立つなんて思ってなかったから、ちょっとだけ意外だったのよ。
 声もいつの間にか低くなって、思ったよりしっかりしてきてたじゃないって……感心しちゃったわ。

「……ふーん。少しは頼りになるじゃない」
「おい、もっと素直に褒めろよ」
「はいはい。よく頑張ったわね。偉いわよ~」
「……頭撫でんな。ガキ扱いすんな」

 そうは言いつつもどこか嬉しそうにしてるくせに。本当に素直じゃないんだから。

 そんなことがあったからかしら。焚き火を囲んでの晩に、ぽつりとあのガキんちょが呟いたのよね。

「俺、もっとアンタの役に立てるようになるかな」

 ……かわいいこと言うじゃない。でもそんなこと言ったらまた怒りそうだから、「まずは魔法陣くらい読めるようになりなさい」とだけ言っておいたわ。

「……それがなんかの役に立つのか?」
「私の世界じゃ基礎だからねぇ。魔女の役に立ちたいなら、まずはそこからでしょ?」
「――は? アンタ……魔女だったのか?」
「そうだけど? ……知らなかったの?」
「知らねぇよ馬鹿っ! うわ、そんな大事なこともっと早く言えよ……! ……いいか、絶対に他の奴には言うんじゃねぇぞ!」
「なによ、言った方がいいの? 言わない方がいいの?」
「言うなってば!」

 ――それはお断り。私は大魔女になる女よ? それを隠すだなんて、自分を否定するのと同じじゃない。……まあ、あんまりにも必死に言うもんだから、聞かれなきゃ黙っておくくらいにはしておいてあげるけど。
 っていうかこいつ……私の役に立ちたいの? ……つまり、使い魔志望ってこと?
 あっちの世界じゃ人間を下僕にするのが流行ってたけど、あれって正直、あんまり趣味じゃないのよねぇ。

 それにまだまだ子どもなんだから、もっと現実的な将来設計を考えるべきでしょ。たとえば、そうね――神官とかどう? こっちの世界じゃなんだかんだで安定職なんでしょ?
 ……って、ちょっと。なによ、さっきから頭抱えちゃって。変なやつね、こっちが心配になってくるじゃない。

 そんなこんなで辿り着いた王都近郊の大聖堂では、大聖火が消えて信者たちが大混乱していたから、ちょいと魔力を灯して『ずっと消えない青い炎』にしてあげたのよ。
 そしたら信者たちが「これは神の新たなる啓示だ!」だなんてもう大騒ぎ。あれ、ただの蛍光エネルギーなんだけど?
 
 もちろん、ここでも「聖女様」なんて持ち上げられたわ。まったく、ここの人間ったらどれだけ聖女って響きが好きなのかしらね。
 そんな感じで何日か『奇跡』を披露していたら、大聖堂の人たちの顔がだんだん困ったような色に変わっていったの。
 ――どうやら私が本物の聖女じゃないと、都合が悪いみたいね。

 だからかしら。ある日突然、青臭い神官に糾弾されたのよ。
「邪悪なる力で人を惑わす魔女に違いない!」――って。

 そうなのよ! やっと分かる奴が出てきてくれたわね!
 咄嗟にガキんちょに口を塞がれたけど、私は本当は魔女なんだってば。聖女なんて柄じゃないのよ、こっちは。

 でもね、それをきっかけに場がざわついて、「聖女だ!」「いや魔女だ!」って、信者たちの間で言い争いが始まっちゃってね。
 面倒だから、いつものようにさっさと姿を消そうとした――そのとき。
 動いたのは、すっかり私の付き人気取りになってたガキんちょ。
 信者たちのあいだをするりとすり抜けて、混乱する人々に向かって堂々とこう言ったのよ。

「同胞たちよ、落ち着きたまえ! 確かに彼女は聖女ではないものの、真の聖女が現れるまで遣わされた使徒に違いない! これこそが、神が我々を見捨てていない証拠ではないか!」

 ……ねえ、あんたいつの間にそんな口上を覚えたの?
 あまりにも堂々と言うものだから、周囲の空気もだんだんと納得モードに変わっていったわ。ほんと、単純な連中ね。

「……なによ、遣わされた使徒って。私はそんなんじゃないわよ。魔女だってば、ま・じょ!」
「馬鹿っ! この世界じゃ魔女は異端で火あぶりなんだよ! ……アンタだったら火くらい平気かもしんないけどさ、敵は増やさないに越したことないだろ? ……こりゃ、本物の聖女もそろそろ探しといた方がいいかもしれないな……」

 そんなことを言ってたガキんちょは、大聖堂の書庫に出入りするようになった。元は教会の息子だし、私の付き人って立場もあって自由に調べさせてもらえてるらしいのよね。なんでも、大聖火が消えた原因とか聖女に関する記録を探しているんですって。
 
 ……やっぱり、あいつも本物の聖女が見つかってほしいのかしらね?

 
 そうして、街から街へ、国から国へ。
 私は奇跡をばらまく聖女もどきとして、あちこちを渡り歩いたわ。
 どこへ行っても歓迎されたし、有難がられたの。……そう、最初のうちはね。

 でも人間って、よくも悪くも慣れる生き物なのね。
 どんなに素晴らしい魔術を見せても、やってもらうのが当たり前になって反応も薄くなるんだから嫌になるわ。
 最初は畏敬の眼差しで迎えてくれたはずなのに。だんだんと「どうしてもっと早く来てくれなかったんだ」とか「前はもっと凄かった」とか、要求ばっかり口にするようになってさ。

「……もう、聖女ごっこも飽きたわね」

 馬車の中で窓の外をぼんやり眺めながらついボヤいちゃったけど、私は悪くないわよね?

「次で最後にしようかな。……今度こそ、元の世界に帰るわ」

 黙っていたガキんちょが、珍しくしょんぼりと俯いている。それでも見上げないといけないなんて――こいつ、いつの間に私の背を抜いてたのかしら。生意気ね。

「……そっか。いい加減、そう言うと思ってたよ」
「何よ、文句でもあるわけ?」
「いや、ないよ。ただ……」

 ガキんちょはちらと私を見て、いつもの調子で口元をゆがめた。それは何かをいいたくて仕方ないのに、別の言葉で上書きするときの顔だった。

「そうだ。どうせならよ、一番栄えてるところでド派手にやってから帰ったらどうだ? アンタもでっかい国は初めてだろ? なんか色々と問題抱えてるらしいから、きっと喜ばれるはずだぜ」
「ふうん……どんな問題があんのかしら?」
「干ばつで飢饉寸前なんだってさ。王都だってのに何百人も人が死んでるらしいぜ。……アンタなら簡単になんとかできんだろ? それとも、もう魔力は切れちまったか?」

 挑発的な言い方だこと。こいつ、長く一緒にいるせいか、すっかり私の性格が分かってるのよね。
 そう、別に人助けが好きなわけじゃない。ちやほやされるのが嫌いじゃないってだけ。
 少し迷って、私はゆっくりと笑った。

「……はいはい、分かったわよ。王都に行ってあげるわよ。最後の舞台にちょうどいいかもしれないわね」
「その意気だ。俺も全力でサポートするぜ、聖女様」
「……その呼び方。やめなさいって何度言ったら分かるのよ、クソガキ」
「おーこわ。でももうガキって歳じゃないんだけどな?」

 生意気に笑ったガキんちょ――ルフレの横顔が、ずいぶんと大人びて見えた気がした。

「……あんた、いくつになったんだっけ?」
「……二十だよ。すぐ忘れんだからな。痴呆でも始まってんじゃないのか?」
「あらやだ、もう立派な成人男子じゃないの。いつまでも私の脛齧ってんじゃないわよ」
「脛どころかアンタの問題の尻ぬぐいばっかりだよ。……まあ別に、こんな毎日も嫌いじゃねぇけどさ……」

 そう溜息を吐いたルフレのことは、まあ、置いておくとして。
 王都に行ったってやることは一つ。あと少しだけ魔素を集めて、さっさと奇跡を見せて、さっさと帰るだけ。
 
 それだけのつもりだった。――ほんとうに、そのつもりだったのよ。

 そして流れ流れてこの王国に辿り着いたわけだけど――。
 いやーーーーーー、本当にこいつら、人のことをよくもまあこき使ってくれたものよ。
 次々と「癒し」だの「奇跡」だのを求められて、いつもの調子で魔術を使って見せたのが悪かったのね。……いい反応してくれるもんだからまた調子に乗っちゃった私も、まあ悪いんだけどさ。
 
 干ばつには気象操作。農作物には成長促進。豪雪の時には火術で雪を溶かして回って、王家のために妙薬なんかも作ったわね。
 どれもこれも魔術の初歩。それでも人々は目を見張って、歓喜に沸いてこう言うの。

「これぞ神の奇跡……! まごうことなき聖女様だ!」

 だから魔女なんだってば!
 それはともかく、これまでの場所と違って美味しい食事とまあまあ清潔な住居も提供されたし、下等生物たちが涙を流して喜ぶ姿は何度見ても面白かったんだけどね。ふさふさ髪がやたら目に付く王様に乞われて宮廷付きになったあたりまでは、まあ良かったわ。

 でも、要求はどんどん増える一方だし、やれドレスを着ろだの、布オムツを巻いてた頃から知ってる王子様と婚約しろだの、うるさいったらありゃしない。いつの間にかルフレとも引き離されてたし、もううんざりしてたのよ。だから本当に、ちょうどよかったの。

 あの王子様も、産まれたばかりの頃はもっと素直でかわいかったのにね。私ばかり頼りにされるのが面白くなかったのかしら? 最初は懐いてきたくせに、反抗的な態度ばかり見せるようになって。
 
 いつの間にやら頭頂部が禿げ上がってた王様のほうは私を引き留めたかったのか、気づけば勝手に王子様の婚約者にしてきたけど……ようやく本物の聖女様が現れたんだから――私はもうこの世界には必要ないってことよね?

 *

 地下牢の中、ぼんやりと今後について考える。
 このまま私はどうなるのかしら。追放か、それとも処刑?
 まあ、いざとなったらいかようにも出来るし、いかなる経験も魔術の肥やしになるはずだけど……流石にこうなってくると、無駄に時間を浪費している気しかしないわね。

 だから、すべてを捨て置いてさっさと元の世界に帰ってもよかったはずなのに――。

「――よう、久しぶり。王都暮らしはどうだったよ、偽聖女様?」
「……最悪よ。見栄と虚飾と労働ばっかりで、つまらないったらありゃしない。あんたの言うことを信じた私が馬鹿だったわ」
「久しぶりに会ったってのにそれかよ。……まったく、アンタは変わんねぇな」

 じろりと睨んだその牢屋の向こう側に立っていたのは――あのパーティ会場で聖女ちゃんと一緒に現れた、神官服姿のクソ爺。
 私が宮中に囲われた際に「聖女様を一人占めする男」だとか言われて追い払われた……ルフレだった。
 
 どうやら神殿に神官として潜り込んでたらしいけど、今や聖女ちゃんの隣に立つ神官長。すっかり出世したものね。
 これまでにも何度か顔は合わせてたけど、見るたびに偉そうになっていくのがなんだか面白かったわ。だってあいつったら公式の場じゃ尊大な口調で話してるんだもの。私と二人きりの時は昔と同じガキんちょ仕様なのにね。
 今日だって随分と久しぶりな気もするし、つい昨日別れたばかりな気もするし――……いやね、年の取り方が違うのって。ほんと、やんなっちゃうわ。

「……で? あのお嬢さんが本物の聖女ってやつなの?」
「さあな。癒しの力が使えるってのは本当らしいし、多分そうなんだろ」
「なによそれ。啓示を受けたのはあんたなんじゃないの?」
「まさか。アンタに入れ込んでた俺に、啓示なんか降りるわけねぇだろ。癒しの力を持ってる娘を探してただけさ。ま、本当に神の声が聞こえてたとしても――正直、どうでもいいけどな」
「ふぅん。あんまり魔力があるようにも見えなかったけど……まあいいわ。これからはあの可愛らしいお嬢さんにでも頼ることね」
「なんだよ、まさか僻んでるわけじゃないよな? 安心しろよ、アンタほど綺麗な女なんて、この世界のどこ探したっていやしないんだから」

 あらやだ、いつもの軽口もすっかりおっさん臭くなっちゃって……ちょっと見ないうちに、口の利き方がやたらと小生意気になったんだから。

「それはありがと。……さてと。そろそろ潮時かしらね。あんたのお陰で、それなりに悪くない旅だったわ」
「そっか。そうだよな。……長いこと、この世界にいてくれたもんな」
「あら、殊勝な態度じゃないの。そうよ、感謝しなさいな。本当はいつ帰ったって良かったんだから」
「よく言うぜ。アンタみたいにお人好しで、付き合いのいい魔女様もそういないっての。……だからさ、本当に残念だよ。俺にはもう、あまり時間が残ってないからさ。――でも、せめて最後に見届けていってくれないか?」
「見届ける? ……なによ、まさか面白い出し物でも用意してるの?」

 私の問いに、ルフレはどこか寂しげに口角を上げた。

 何を企んでるのか知らないけど……急いで帰る理由もないし。
 私は牢獄をちょっと手直しして快適空間に変えて、彼の言うその時とやらを、のんびりと待つことにしたのだった。

 
 それからどれくらい経ったのかしら。
 なんだか来客は多かったからそれなりに退屈はしなかったけど――。 
 私の処遇は決まらないまま、季節が二度、三度と過ぎていった。
 
 そしてある日、ルフレがやってきて、さらっとこう言ったのよ。  
 王都が、見事に瓦解したって。

 本物の聖女様は、たしかに癒しの奇跡とやらは使えたらしい。病人の手を取れば熱が引き、体から悪しきものが祓われる。そういう類の力だったらしくて、神聖さの欠片も無かった私と比べて神官たちは狂喜乱舞だったそうよ。

 けれど、ただそれだけ。
 ……それだけって言ったって、この世界の水準で考えれば十分すぎるくらい凄いことのはずなんだけどね。
 一度『奇跡』以上の力を見せつけられてしまったせいで、彼らは物足りなく感じたらしいのよ。

 待望の聖女様なのに、どうしてそれしかできないのか――って。

 私が力を止めた途端に干ばつが始まり、畑は痩せ、井戸は枯れた。
 風は吹かず、雨も降らない。そんな中でも彼女はただ祈り続けていたそうよ。
 ……神に選ばれたにしては、やれることの範囲はお察しだったみたいね。

 手が回らないうちに疫病は再燃し、作物の不作は続き、ついには暴動すら囁かれ始める。
 ようやくそのときになって、王子様も、貴族たちも、そして国そのものが気づいたんですって。

 ――あれ? あの魔女、聖女じゃなかったけど手放したらまずかったんじゃね? って。

「……で、やっぱり戻ってきてほしいと?」

 牢獄の中をちょちょいと快適空間に変えた私は、涼しい顔で椅子に腰かけ、優雅に紅茶なんか啜っていた。
 これまでに何度かお偉いさん方が「どうかお許しを」なんて足を運んできたけど、みんなこの牢獄を目にするや驚愕に目を見開くもんだから、反応が面白くてついつい改造を重ねてしまったのよね。

 そしてついにご登場なさったのが――元・婚約者の王子様。
 あちこちで突き上げられちゃったのかしら。すっかりやつれた様子で目の前で見事な土下座まで披露してくれちゃって。
 やれ復職の打診だの恩赦の証書だの長々と並べ立てていたけれど、話が長いから右から左に聞き流して――。

「馬鹿みたい。ねぇ、あんた。こいつ、私に何て言ったのか忘れたのかしら」
「面の皮が厚いってのはまさにこのことだな。……殿下。愛しの聖女様はどうされたのですか」
「か、彼女は心身ともに疲労がたたって寝込んでいる……。あれしきの奇跡、貴様なら――」
「貴様、ですと?」
「い、偉大なるミレイユ様であれば、いとも容易くやっていたことであったはずのに……。……というか、なんでお前がしたり顔でそっちにいるんだ! お前が『ついに聖女を見つけました!』って言って彼女を連れて来たんじゃないか!」

 牢の中にちゃっかり入り込んでいたルフレが気に喰わないのか、王子様が指を差して喚き立てる。すっかり内装も整えた後だから、むしろあちらの方が貧相に見えてきたわね。

「この子のことは気にしないで頂戴。それで、私にどうして欲しいって?」
「これまでのように、我が国のために力を使っていただきたい。相応の立場はもちろん保証するし……望むのであれば、改めてこの国の王妃にも――」
「結構よ。まったく、親の教育が悪かったのかしら。長いものに巻かれてりゃ良かったのに、そんなに私と結婚したくなかったの?」
「したくないに決まってるだろ! 隙あらば妙なもん食わせようとしてきたくせに……もうイモリだのヤモリだのはごめんなんだ!」
「やあねぇ、身体が弱くて死にかけてたから助けてあげただけじゃない。妙薬口に苦し、って言うでしょ?」
「言わん! ……はあ、やっぱりもうたくさんだ! 貴様の力なんか借りなくても、この国は私がどうにかしてみせる! とっとと元の世界に帰ってしまえ!」
「はいはい、そうさせていただくわよ。あ、聖女ちゃんはちゃんと休ませてあげなさいよ? それと、大事にしてあげてね。あんなにいい子、あんたには勿体ないんだから」
「うるさい! 言われなくても分かってる!」

 王子様は顔を真っ赤に染めて、足音を鳴らして去っていった。「後悔しても知らないからな!」なんて捨て台詞もいただいたけれど……ふふ、鏡でも置いておけばよかったかしらね。

 重苦しい扉が閉まる音とともに、室内に静けさが戻ってきた。……あの様子だと、父王にしばかれて明日にはまた来るわね。泣きつかれても面倒だから、さっさとお暇することにしましょ。

「……さてと。とんだ茶番だったわね。もうお楽しみは終わりでしょ? それじゃあ……そろそろ帰るわね、私の世界に」

 私はゆっくりと立ち上がり、懐から魔導書を取り出して指を滑らせた。……うん、戻るための力は十分に集まっている。これなら、何の問題もなく帰れるはず。
 古語の呪文が室内に響く中、床にあらかじめ描いていた魔方陣が淡く光を帯び始める。

「……なんだよ。殿下には別れの挨拶まで交わしたのに、俺には何も無しなのかよ」

 背後から聞こえたルフレの声。その思いのほか真剣な調子に、詠唱を止めて思わず片眉を上げる。

「なによ。……あんた、もしかして寂しいの?」
「当たり前だろ」

 即答だった。いつもの軽口のつもりだったのに。真面目なトーンで返されたものだからこっちが驚いてしまう。
 ……なによ、もう。調子が狂っちゃうじゃない。
 そんな私の動揺も露知らず、ルフレは苦々しい表情でこちらを睨みつけてきた。

「何年一緒にいたと思ってるんだよ。四十年だぞ、四十年。すっかり俺も爺になっちまって、あとはもうくたばるだけじゃねぇか」
「そうねえ、すっかりしょぼくれちゃったわね。……あの手この手で私を帰すまいとしてたくせに、素直に諦めちゃうんだ?」
「うっせぇ。こんな身体じゃもう動くのもしんどいんだよ。……悪いかよ」

 唇を尖らせてぶー垂れている姿に、つい吹き出してしまう。こんなんで不貞腐れるなんて、ガキんちょだった頃と何も変わってないじゃない。

「そうねえ。でも、この世界にはもう本当に未練なんてないのよね。やり切った感すらあるわ」
「悪かったな、つまんねー世界で。あんだけ楽しそうにしてたくせに」
「そりゃあね。あんなんで喜んでくれるんだもの。やり甲斐はあったわよ。でも待望の聖女ちゃんが現れたんだから、もう私の役目も終わりでしょ?」
「……そーかよ。アンタがそう思うんなら、そうなんだろうよ」
「そんな顔しないの。……まったく、しょうがないわねぇ。それならいっそ……あんたがうちの世界に来る?」

 ルフレの目が、ぱちくりと瞬いた。

「……嘘だろ。行けんのかよ、俺も」
「そりゃ行けるわよ。別に定員が決まってるわけでもないし」
「……だから、そういう大事なことはもっと早く言えよ、馬鹿……」

 頭を抱えるルフレ。でも、顔を上げた彼の笑顔は皺こそ増えていたけれど、初めて魔術を見せてやったときとなんにも変わらないままだった。

「……行く。行かせろ。連れてけ」
「ちょっと、やだ、本気なの?」
「本気だよ。……なんだよ、アンタこそ冗談のつもりだったのかよ」
「だってまさか本当について来るって言うとは思わなかったのよ。……あっちの世界に行くってことは、私と契約するってことよ? 人間じゃなくなるわ。神に仕えし神官長様が、そんなんでいいの?」
「構わねぇよ。アンタの傍にいるために神殿に入っただけだし、出世したのだってアンタの手綱を握れるからって理由が大半だ。……必死で聖女を探したのだって、殿下にアンタを渡したくなかったからだ。……そっちこそ、いいのかよ? こんな爺を連れてったって、アンタのお仲間に笑われるんじゃねぇの?」

 あまりにもあんまりな言い方に、思わず吹き出してしまう。
 忠犬よろしく、この世界でずっと付き従ってくれたんですもの。クソガキだろうが、クソ爺だろうが、犬っころだろうが――あんたなら、なんでもいいわよ。契約を結べば私が死ぬまで死ねないんだから。いいじゃない。お望みどおり、最後まで一緒にいてあげる。

「むしろ自慢できるんじゃない? なにせ神に仕える坊やを誑かしたってことなんだから。ただ、覚悟しておきなさいよ。あっちには私よりも性格が捻くれてるのがたくさんいるんだから。……あ、美人も多いから、その点はまあいいかもしれないけど」
「そんな連中、どうでもいいよ。俺の目はアンタに助けられたあの日から、ずっとアンタのことしか見てないんだ。……アンタの傍にいられるなら、それでいい」

 あまりにも真っ直ぐなその瞳に、思わず私の方が照れてしまう。
 まんまるおめめが可愛かった、ただのガキんちょだったくせに。今やすっかりしょぼくれた爺になったっていうのに、目の奥には、あの頃と同じ光を宿しているんだから。

 忠実な使い魔を手に入れたと思うべきかしら。それとも、魔女の心を惑わす毒を身中に招き入れてしまったと思うべきかしら。逃がさないと言わんばかりにいつの間にか握られていたその手が、痛いくらいに熱を帯びていた。
 ……まあ、毒でもいいけどね。ひどく甘い毒なんだもの。たまには酔いしれてみるのも、悪くないかもしれないわ。
 
 再び詠唱を始めると、魔方陣が眩い光を放つ。風が舞い、空間がゆっくりと歪みはじめる。

 後に残されたこの世界がどうなろうと、正直どうでもいい。だって先に私を手放したのは、あっちの方なんだから。
 ……でもまあ、案外どうにかなるんじゃないかしら。あの聖女ちゃんは、わざわざ私のもとに日参して、「魔術の使い方を教えてくれ」って頭を下げてきたくらいだし。連中の目を覚まさせるためには、少しくらい休ませてやった方がいいでしょう?
 
 王子様だって自立しようとしてるんだし。目障りな魔女がいなくなるんだから、本命の聖女様を大事にして、ご機嫌でも取ってうまくやっていけばいいのよ。

 眩い光が世界を包む。
 隣にいるルフレの輪郭も、次第に曖昧になっていく。けれど、手に力を込めると強く握り返される。
 その温もりが、なんだかひどく心地よかった。

 
 どこからか、私たちを呼び止める声が聞こえたような気がした。

 ……そうね。気が向いたら、またルフレと一緒に様子を見に来てあげるわ。

 向こうの世界をルフレに案内してからだから――百年後くらいかしらね?
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