男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ

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第5章 母と息子

燕氏

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 七歳の時にはすでに、蔡華には味方というものがいなかった。
 一族を危険に晒した咎を受け、燕氏当主の父蔡倫さいりんは自害を迫られ、母は卑劣な暴力の末に亡くなっていた。
 幼い蔡華は生き残った。都落ちした一族のやるせなさの吐口として、使い勝手のいい奴隷として。

さい、薪を集めておいで。広場がいっぱいになるぐらいにね。そうでないと各家に薪が行き渡らないから」

 両親から与えられた名は蔡秀さいしゅう。だが、奴隷には過ぎた名だと言われ、「秀」の字は取り上げられた。

「さっさとおし!」

 かつての友だちの母親は、虫でも見るような目をして蔡を罵倒した。

 擦り切れて異臭を放つ粗末な衣服に、傷だらけの手、七歳になろうというのに、背格好は四歳の子どもと変わらない。そんな状態の子どもに、大人たちは容赦無く冷たく当たる。

「労働力は惜しいからな。殺すよりも有効活用したほうがいい。親の業を償わせながら、民のために働いてもらう」

 新たな燕氏の長はそう言って、蔡に雑用を命じる。朝から晩まで休みなく働き通し。
 腹が減っても、誰も蔡に飯など用意してくれない。民家のゴミ箱を漁り、カビの生えた麵麭パンを食べる。泥水をすすり、腹を下しながらも生きながらえた。

「おなか、すいたな」

 林に向かう道中、転んで擦りむいた膝をさすりながら、蔡は呟く。

 異国と通じ、大麻の販路を拡大させ、私腹を肥やした罪で燕一族は皆処刑される運命にあった。

 父は燕族の繁栄のため、皆を指揮してきた。だが眞国と禹国の国境に位置する燕氏の土地は、度々侵略の脅威に脅かされた。国に出仕する官としての立場と、一族の土地を守ることを天秤にかけた結果。父は眞国の手をとり、大麻事業に手を出した。
国に摘発され一族滅亡の危機に瀕したものの、御史台の動きをいち早く察知し、逃げる手筈を整えた。
それ故に、今一族は生き延びることができているのだが。

 高慢ちきな燕族は、命が助かっただけでよしとせず、一度栄華を極めた燕氏を凋落させた父を許せなかった。

 悴む手を擦り合わせて温めながら、蔡は薪を拾う。
 働けども働けども仕事は終わらない。

 また一つ枝を手にしたとき、蹄の音が迫ってくるのが聞こえた。
 何頭いるのだろう。蔡は音のする方をじっと見つめた。

「軍……?」

 現れたのは、立派な蒼い旗を掲げた軍勢だった。
 黒い塊となった騎兵たちが、こちらに迫ってくる。

 その中に、一躍輝く人間がいた。髭を蓄え、鷹のような鋭い瞳を持った若い男。自信に満ち溢れ、堂々と軍を率いる姿はまるで絵画のようだった。

 
 まだ十代と思われる青年将軍の、猛禽のような瞳が蔡華を捉える。
 天敵に狙われた栗鼠りすのように、蔡は動けなくなった。

「少年、ここで何をしている」

「……薪を拾っています」

「一人でか」

「はい」

 蔡は馬に乗った殿上人を前に、ほとんど働かなくなった頭を巡らせた。

 きっとこの人は、ぼくらをつかまえにきたんだ。
 だってぼくたちは、わるいことをしたんだもの。

 青年将軍は目を細めて蔡を凝視すると、片方の口元を吊り上げた。

「お前、蔡倫の息子だな?」

 鷹は馬から降り、蔡の前に立つ。

 ああ、ぼくはこのひととあったことがある。

 都で父が出仕していたとき、蔡は父と共に園遊会に出席したことがあった。その時に拝謁したことがある。この人物は、禹国の東宮、蒼徳だ。禁軍の一部隊を率いていると聞いた。そしてそんな彼がここにいると言えば、国を騒がせた「例の件」の後始末に違いない。

「燕一族の隠れ里を探している。命が惜しくば案内しろ」

 喉元には横刀が押し当てられていた。

「ぼくたちをころしにきたんですね」

「おとなしく案内すれば、お前の命は助けてやろう」

「ごあんないします」

 蔡の言葉に、蒼徳は片眉をあげた。

「当主の息子のくせに、自分の命可愛さに、ずいぶん簡単に仲間を売るのだな」

 侮蔑を込めた蒼徳の言葉にも動じず、蔡は口を開く。

「いえ、ぼくはいのちごいはしません」

「なんだと」

 蔡はニコリと笑う。自然に溢れた笑みだった。

「かくれざとにあんないしたら、ぼくをいちばんにころしてください」

 心からの安堵と共に、蔡は言う。

「だって、わるいことだとわかっていて、ちちうえがはじめたことだもの。ぼくはとうしゅの子だから。せきにんはぼくがとらないといけないでしょう? そのかわり、ほかの人たちのつみをかるくしてください」

 父は幼い蔡に、いつも言っていた。自分の尻は自分で拭えと。当主たるもの、その覚悟がなければ一族を率いることなどできないと。
 卑怯者になるな、自分が始めたことを、人に押し付けて逃げる奴にはなるな、と。
 初めは何のことだかわからなかった。でも父が死んで、ようやく意味がわかった。

「なぜ、笑う」

「やっとおわりにできるからかなぁ」

 殴られても、唾を吐かれても、苦しくても、寂しくても。
 責任を取らなきゃいけないから、生きてきた。
 来るべき日、父の代わりに命を差し出すために。

 気づけば涙が溢れていた。やっと役目を果たせるのに。これでようやく、家族の元に行けるのに。

「なんで、ぼく、泣いて」

 蒼徳は蔡の頭に手を置いた。

「蒼の君、そのような汚い子供に触れてはなりません。どんな病気を持っているか」

「黙れ」

 部下に向かって、唸るようにそう言った蒼徳は蔡の頭を撫ででくれる。久しぶりの人のぬくもり、優しい手のひらに蔡は驚く。

「燕蔡倫の息子。名を何と言ったか」

「蔡です」

「そうか。お前は今日から、蔡華と名乗れ」

 そう言うと蒼徳は、ニヤリと笑う。

「皆の者! 余が先導する。ついて参れ」

 蔡華は馬上に引っ張り上げられ、蒼徳の前に乗せられた。

「なかなか見どころのあるやつだ。気に入ったぞ」


 その後の光景を、蔡華は忘れることができない。
 蒼徳率いる禁軍は、とてつもなく強かった。隠れ里にいた燕の男たちの中には、元々は兵部にいたものもいる。だが誰もが一刀の元に沈み、次々と血の海が作り上げられていった。

 蔡華にとって真っ黒だった世界は、粉々に打ち砕かれ、無に期した。
 そして真っ白になった世界に残ったのは、ただ一人。
 猛禽の瞳をもつ男だった。

「燕の血を残すことはできない。お前は宦官になれ。さすれば余の小間使いとして使ってやる」

 一も二もなく蔡華は頷いた。
 命を賭して行う宮刑しゅじゅつなど、怖くない。この男のそばにいるためならば。
 もう蔡華の世界の全ては、蒼の色に染まっていたから。
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