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第十七話 原本奪還!契約市へ(追跡先が“口約束も印になる街”)
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王都の地下深くに広がる、巨大な鍾乳洞。 そこには、地上の法が及ばないもう一つの都市が存在する。
通称『契約市(コントラクト・シティ)』。 あらゆる非合法な取引が行われ、金貨よりも「誓い」が重んじられる、混沌と欲望の街だ。
「……酷い場所だ」
隣を歩く男が、顔をしかめて呟いた。 着古した革のコートに、無造作に下ろした銀髪。いつもの宰相服ではなく、どこか危険な香りを漂わせる傭兵風のスタイル。 アシュ様だ。 眼鏡を外し、前髪を下ろしているだけで、あの氷の宰相が「色気のあるワル」に大変身している。正直、直視するのが辛いくらい似合っている。
「我慢してください、アシュ様。ここは貴族の常識が通じない場所です。あまりキョロキョロなさらないで」
私はフードを目深に被り、アシュ様の腕にしっかりと捕まりながら忠告した。 周囲を見渡せば、怪しげな露店が並び、紫色の煙が立ち込めている。 そして何より特徴的なのは、街の至る所で飛び交う『光の鎖』だ。
「おい、この剣を金貨十枚で買うと言ったな!」 「言ったぜ!」
路地裏で男たちが叫ぶと、その言葉が金色の光となり、互いの手首を鎖のように結びつけた。 これが、契約市の特殊魔術『即時強制誓約(インスタント・ゲッシュ)』。 この空間では、口約束一つでさえ強力な魔法契約となり、破れば即座に『呪い』となって制裁が下る。
だからこそ、ここでは詐欺師も嘘をつけない――わけではない。 彼らは『嘘をつかずに相手を騙す』プロフェッショナルなのだ。
「らっしゃい! ここにあるのは『竜の卵』だ! 孵化すれば一攫千金だぞ!」
露店の男が声を張り上げる。 アシュ様が冷めた目で見やった。
「……あれはただの巨大なトカゲの卵だ。魔力波長が爬虫類科イグアナ属と一致する」
「シッ! 声が大きいですわ!」
私は慌ててアシュ様の口を塞いだ。 『嘘がつけない契約』中の彼がここで喋ると、あらゆる商売のネタ晴らしをしてしまい、暴動が起きかねない。
「アシュ様は黙っていてください。交渉は私がやります」
「……承知した。しかし、この非衛生的な環境はなんとかならないのか。細菌の温床だ」
「潔癖症も封印してくださいまし!」
私たちは人混みをかき分け、街の深部へと進んだ。 目指すは、あの手帳を盗んだ『金色の目の男』の行方だ。
薄暗い路地裏にある、一軒の酒場。 看板には『沈黙のカナリア亭』と書かれている。 ここは契約市一番の情報屋がたむろする場所だ。
ギィィ……と重い扉を開けると、紫煙と酒の匂いが鼻をついた。 荒くれ者たちの視線が一斉に私たちに突き刺さる。
「……見ない顔だな」 「迷い込んだ貴族のお遊びか?」
下卑た笑い声が上がる。 アシュ様が一歩前に出ようとして、私が手で制した。 ここで暴力に訴えるのは三流だ。
私はフードを払い、カツカツとヒールを鳴らしてカウンターへと歩み寄った。 バーテンダーが大げさに眉を上げる。
「お嬢ちゃん、ミルクでも飲みに来たのか?」
「いいえ。最高級の情報をいただきに来ましたの」
私は扇子を開き、カウンターの上に一枚のコインを置いた。 ただの金貨ではない。 エルヴァイン侯爵家の紋章が入った、純金製の記念メダルだ。
「……ほう」
バーテンダーの目が光った。
「探しているのは『手癖の悪いヤモリ』です。昨日、王宮で大きな獲物を掠め取った男の居場所を知りたいの」
「ヤモリ、か」
バーテンダーはグラスを磨きながら、声を潜めた。
「そいつの情報は高いぜ。金貨じゃ買えない。……ここでの通貨は『リスク』だ」
彼はカウンターの下から、毒々しい色の液体が入ったグラスを取り出した。
「『真実の酒(ヴェリタス・リキュール)』だ。これを飲み干して、あんたの一番恥ずかしい秘密を一つ暴露できたら、教えてやる」
店内の客たちがはやし立てる。 なるほど、新入りいびりの通過儀礼というわけね。
「やめておけ、リディア。その液体には自白剤と微量の麻痺毒が含まれている」
アシュ様が背後から警告する。 でも、私はニヤリと笑った。
「あら、秘密の暴露? そんな簡単な支払いでいいんですの?」
私はグラスを手に取り、一気に煽った。 喉が焼けるような熱さが広がる。 ふう、と息を吐き、私は艶然と微笑んだ。
「私の秘密、それはね……」
店中が静まり返る。
「実は私、今ここにいる連れ――アシュ・ヴァレンシュタイン宰相のことが、最近ちょっとだけ『可愛い』と思い始めていますの。あんなに冷徹で合理的なくせに、耳が赤くなるところとか、無自覚に嫉妬するところとか……本当に、どうしてやろうかと思うくらい!」
ドッ、と店内が爆笑に包まれた。 口笛が飛び交う。
「おいおい、聞いたかよ! 氷の宰相が可愛いだと!」 「姉ちゃん、いい度胸だ!」
私は真っ赤になって硬直しているアシュ様を振り返り、ウィンクしてみせた。 『嘘がつけない契約』があるから、これは紛れもない真実。自白剤なんて飲むまでもないのだ。
バーテンダーも腹を抱えて笑っている。
「くっくっく……! 気に入った! あんた、最高だ!」
彼は涙を拭いながら、一枚の地図をカウンターに滑らせた。
「その『ヤモリ』の名はザック。誓約院の元エージェントだが、今は組織を抜けて『賭博場(カジノ)・運命の輪』に入り浸っている。……奴は盗品を賭けのチップにするのが趣味でな」
「感謝しますわ」
私は地図を受け取り、呆然としているアシュ様の手を引いて店を出た。
外に出ると、アシュ様が壁に手をついて深呼吸をしていた。
「……リディア」
「はい?」
「今の発言は、戦略的ブラフ(はったり)か? それとも……」
「さあ、どうでしょう? 自白剤のせいかもしれませんわね」
私はとぼけて歩き出した。 耳まで真っ赤にして「合理的説明を求める」とブツブツ言っている宰相様を放置して。
◇
情報の通り、『賭博場・運命の輪』は街の一番奥にあった。 巨大なルーレットの看板が回る、毒々しい建物だ。
中に入ると、熱気と叫び声が渦巻いていた。 カードゲーム、ダイス、ルーレット。 人々が目の色を変えて、金や宝石、時には『寿命』や『魂』らしきものを賭けている。
その最奥のVIP席に、奴はいた。 黒い装束を脱ぎ、派手なスーツを着崩した小柄な男。 爬虫類のような金色の目。 手元には、山積みのチップと共に、あの『黒い手帳』が無造作に置かれている。
「……見つけた」
アシュ様の目が鋭くなる。 私たちは男のテーブルへと近づいた。
「おや? 誰かと思えば……昨日の『負け犬』のお二人さんじゃないか」
男――ザックは、手元のカードを弄びながらニヤニヤと笑った。
「ようこそ、俺の城へ。手帳を取り返しに来たのかい?」
「その通りだ。返してもらおう」
アシュ様が冷たく告げる。
「国家機密窃盗および公務執行妨害だ。今すぐ返還すれば、情状酌量の余地はある」
「ハッ! ここは契約市だぜ、宰相の旦那。地上の法律なんて紙切れ以下だ」
ザックは手帳を指先で弾いた。
「返してほしけりゃ、この街のルールに従いな。『賭け』で奪い返すんだよ」
彼はテーブルを叩いた。
「勝負はブラックジャック。俺が勝てば、あんたらの『全財産』と『身分』をいただく。あんたが勝てば、この手帳を返してやる。……どうだ?」
挑発的な視線。 アシュ様は眉をひそめた。
「私はギャンブルをしない。不確定要素(運)に依存する行為は非合理的だ」
「あら、そうですか? 私は嫌いじゃありませんわよ」
私はアシュ様を押しのけ、ザックの向かいの席に座った。
「リディア!?」
「アシュ様は下がっていてください。……私、数字には強いんです」
私は扇子を閉じ、ザックを真っ直ぐに見据えた。
「その勝負、受けましょう。ただし、賭け金(レート)を吊り上げさせていただきます」
「ほう?」
「私が勝ったら、手帳だけでなく……『あなたを雇った黒幕の名前』も吐いていただきます。もちろん、この街の『絶対誓約』付きでね」
ザックの目が細められた。 一瞬、その爬虫類のような瞳に動揺が走ったのを、私は見逃さなかった。
「……へえ。強気だねえ、お嬢ちゃん。いいぜ、乗ってやるよ!」
ザックが指を鳴らすと、空中に光の文字が浮かび上がり、契約が成立した。 ディーラーがカードを配り始める。
私の手札は、ハートのQと、ダイヤの7。合計17。 微妙な数字だ。 対するザックの手札は、一枚がオープンされており、スペードのA。 強い。
「どうする? もう一枚引くか?」
ザックが嘲笑う。 アシュ様が私の肩越しに囁いた。
「……リディア。確率論から言えば、ここで引くのはリスクが高すぎる(バーストする)。ステイが定石だ」
「いいえ、アシュ様」
私はカードを見つめ、静かに言った。
「この男は、イカサマをしています」
「なっ!?」
「カードの配り方、そしてシャッフルの癖。……私の目は誤魔化せませんわ」
私はザックを睨んだ。 彼は余裕の笑みを崩さないが、額に汗が滲んでいる。
「言いがかりはよせよ。証拠はあるのか?」
「証拠? ええ、これから作りますわ」
私はディーラーに向かって指を突きつけた。
「もう一枚(ヒット)!」
会場がどよめく。17から引くなんて自殺行為だ。 ディーラーが震える手でカードをめくる。 出たのは――クラブの4。 合計21。ブラックジャックだ。
「な、バカな!」
ザックが椅子を蹴って立ち上がった。
「どうして……そのカードは俺のところに回るはずじゃ……!」
失言。 ザックがハッとして口を押さえるが、もう遅い。
「あら。やっぱり積み込み(イカサマ)をしていましたのね?」
私はカードを表向きに叩きつけた。
「私が『ヒット』しなければ、あなたがこの4を引いてブラックジャックになる予定だった。……残念でしたわね。あなたの指先の微細な魔力操作、アシュ様の『解析』の前では丸見えでしたわよ」
私がアシュ様を見ると、彼は片眼鏡を光らせて頷いた。
「その通りだ。先ほどから空間の魔素配列に不自然な歪みがあった。……イカサマを見抜いた上で、あえてその流れを利用するとは。恐ろしい妻だ」
ザックの顔色が青ざめる。 契約市のルールにおいて、イカサマの発覚は「敗北」以上の意味を持つ。 周囲の客たちが、殺気立った目でザックを睨み始めた。
「てめぇ、この神聖な場でイカサマしやがったな!」 「俺たちの金を返せ!」
暴動寸前の空気。 ザックは舌打ちをし、手帳を放り投げた。
「……チッ! わかったよ、俺の負けだ!」
アシュ様が空中で手帳をキャッチする。 原本奪還。 そして、契約の履行だ。
「さあ、吐いてもらいましょうか。黒幕の名前を」
私が詰め寄ると、ザックは観念したように両手を上げた。
「……ヴァルガス公爵じゃねえよ」
「え?」
「公爵も関わっちゃいるが、あんな爺さんに俺たち『誓約院』は動かせねえ。……俺たちに指示を出したのは、もっと『上』だ」
ザックの声が震えた。
「誓約院の長官……いや、『沈黙の賢者』と呼ばれる男だ。奴は、この国の契約魔法そのものを書き換えようとしてる。……公爵の洗脳実験も、そのためのデータ収集に過ぎねえ」
衝撃の事実。 公爵の上に、さらに黒幕がいた? しかも、国の根幹である誓約魔法の管理者が?
「……なるほど。道理で、証拠隠滅の手際が良すぎるわけだ」
アシュ様が手帳を懐にしまい、冷徹な目でザックを見下ろした。
「取引成立だ。その情報、確かに受け取った。……行くぞ、リディア」
「ええ」
私たちは騒然とする賭博場を後にした。 背後でザックが客たちに揉みくちゃにされているのが見えたが、自業自得だ。
外に出ると、契約市の空には偽物の月が怪しく輝いていた。 事件は終わるどころか、さらに深い闇へと繋がっていた。 でも、手元には決定的な証拠がある。
これでようやく、反撃の準備は整った。 待っていなさい、公爵。そして、その裏にいる『賢者』とやら。 私の「愛さない契約婚」を邪魔した罪、たっぷりと償わせてあげるから!
通称『契約市(コントラクト・シティ)』。 あらゆる非合法な取引が行われ、金貨よりも「誓い」が重んじられる、混沌と欲望の街だ。
「……酷い場所だ」
隣を歩く男が、顔をしかめて呟いた。 着古した革のコートに、無造作に下ろした銀髪。いつもの宰相服ではなく、どこか危険な香りを漂わせる傭兵風のスタイル。 アシュ様だ。 眼鏡を外し、前髪を下ろしているだけで、あの氷の宰相が「色気のあるワル」に大変身している。正直、直視するのが辛いくらい似合っている。
「我慢してください、アシュ様。ここは貴族の常識が通じない場所です。あまりキョロキョロなさらないで」
私はフードを目深に被り、アシュ様の腕にしっかりと捕まりながら忠告した。 周囲を見渡せば、怪しげな露店が並び、紫色の煙が立ち込めている。 そして何より特徴的なのは、街の至る所で飛び交う『光の鎖』だ。
「おい、この剣を金貨十枚で買うと言ったな!」 「言ったぜ!」
路地裏で男たちが叫ぶと、その言葉が金色の光となり、互いの手首を鎖のように結びつけた。 これが、契約市の特殊魔術『即時強制誓約(インスタント・ゲッシュ)』。 この空間では、口約束一つでさえ強力な魔法契約となり、破れば即座に『呪い』となって制裁が下る。
だからこそ、ここでは詐欺師も嘘をつけない――わけではない。 彼らは『嘘をつかずに相手を騙す』プロフェッショナルなのだ。
「らっしゃい! ここにあるのは『竜の卵』だ! 孵化すれば一攫千金だぞ!」
露店の男が声を張り上げる。 アシュ様が冷めた目で見やった。
「……あれはただの巨大なトカゲの卵だ。魔力波長が爬虫類科イグアナ属と一致する」
「シッ! 声が大きいですわ!」
私は慌ててアシュ様の口を塞いだ。 『嘘がつけない契約』中の彼がここで喋ると、あらゆる商売のネタ晴らしをしてしまい、暴動が起きかねない。
「アシュ様は黙っていてください。交渉は私がやります」
「……承知した。しかし、この非衛生的な環境はなんとかならないのか。細菌の温床だ」
「潔癖症も封印してくださいまし!」
私たちは人混みをかき分け、街の深部へと進んだ。 目指すは、あの手帳を盗んだ『金色の目の男』の行方だ。
薄暗い路地裏にある、一軒の酒場。 看板には『沈黙のカナリア亭』と書かれている。 ここは契約市一番の情報屋がたむろする場所だ。
ギィィ……と重い扉を開けると、紫煙と酒の匂いが鼻をついた。 荒くれ者たちの視線が一斉に私たちに突き刺さる。
「……見ない顔だな」 「迷い込んだ貴族のお遊びか?」
下卑た笑い声が上がる。 アシュ様が一歩前に出ようとして、私が手で制した。 ここで暴力に訴えるのは三流だ。
私はフードを払い、カツカツとヒールを鳴らしてカウンターへと歩み寄った。 バーテンダーが大げさに眉を上げる。
「お嬢ちゃん、ミルクでも飲みに来たのか?」
「いいえ。最高級の情報をいただきに来ましたの」
私は扇子を開き、カウンターの上に一枚のコインを置いた。 ただの金貨ではない。 エルヴァイン侯爵家の紋章が入った、純金製の記念メダルだ。
「……ほう」
バーテンダーの目が光った。
「探しているのは『手癖の悪いヤモリ』です。昨日、王宮で大きな獲物を掠め取った男の居場所を知りたいの」
「ヤモリ、か」
バーテンダーはグラスを磨きながら、声を潜めた。
「そいつの情報は高いぜ。金貨じゃ買えない。……ここでの通貨は『リスク』だ」
彼はカウンターの下から、毒々しい色の液体が入ったグラスを取り出した。
「『真実の酒(ヴェリタス・リキュール)』だ。これを飲み干して、あんたの一番恥ずかしい秘密を一つ暴露できたら、教えてやる」
店内の客たちがはやし立てる。 なるほど、新入りいびりの通過儀礼というわけね。
「やめておけ、リディア。その液体には自白剤と微量の麻痺毒が含まれている」
アシュ様が背後から警告する。 でも、私はニヤリと笑った。
「あら、秘密の暴露? そんな簡単な支払いでいいんですの?」
私はグラスを手に取り、一気に煽った。 喉が焼けるような熱さが広がる。 ふう、と息を吐き、私は艶然と微笑んだ。
「私の秘密、それはね……」
店中が静まり返る。
「実は私、今ここにいる連れ――アシュ・ヴァレンシュタイン宰相のことが、最近ちょっとだけ『可愛い』と思い始めていますの。あんなに冷徹で合理的なくせに、耳が赤くなるところとか、無自覚に嫉妬するところとか……本当に、どうしてやろうかと思うくらい!」
ドッ、と店内が爆笑に包まれた。 口笛が飛び交う。
「おいおい、聞いたかよ! 氷の宰相が可愛いだと!」 「姉ちゃん、いい度胸だ!」
私は真っ赤になって硬直しているアシュ様を振り返り、ウィンクしてみせた。 『嘘がつけない契約』があるから、これは紛れもない真実。自白剤なんて飲むまでもないのだ。
バーテンダーも腹を抱えて笑っている。
「くっくっく……! 気に入った! あんた、最高だ!」
彼は涙を拭いながら、一枚の地図をカウンターに滑らせた。
「その『ヤモリ』の名はザック。誓約院の元エージェントだが、今は組織を抜けて『賭博場(カジノ)・運命の輪』に入り浸っている。……奴は盗品を賭けのチップにするのが趣味でな」
「感謝しますわ」
私は地図を受け取り、呆然としているアシュ様の手を引いて店を出た。
外に出ると、アシュ様が壁に手をついて深呼吸をしていた。
「……リディア」
「はい?」
「今の発言は、戦略的ブラフ(はったり)か? それとも……」
「さあ、どうでしょう? 自白剤のせいかもしれませんわね」
私はとぼけて歩き出した。 耳まで真っ赤にして「合理的説明を求める」とブツブツ言っている宰相様を放置して。
◇
情報の通り、『賭博場・運命の輪』は街の一番奥にあった。 巨大なルーレットの看板が回る、毒々しい建物だ。
中に入ると、熱気と叫び声が渦巻いていた。 カードゲーム、ダイス、ルーレット。 人々が目の色を変えて、金や宝石、時には『寿命』や『魂』らしきものを賭けている。
その最奥のVIP席に、奴はいた。 黒い装束を脱ぎ、派手なスーツを着崩した小柄な男。 爬虫類のような金色の目。 手元には、山積みのチップと共に、あの『黒い手帳』が無造作に置かれている。
「……見つけた」
アシュ様の目が鋭くなる。 私たちは男のテーブルへと近づいた。
「おや? 誰かと思えば……昨日の『負け犬』のお二人さんじゃないか」
男――ザックは、手元のカードを弄びながらニヤニヤと笑った。
「ようこそ、俺の城へ。手帳を取り返しに来たのかい?」
「その通りだ。返してもらおう」
アシュ様が冷たく告げる。
「国家機密窃盗および公務執行妨害だ。今すぐ返還すれば、情状酌量の余地はある」
「ハッ! ここは契約市だぜ、宰相の旦那。地上の法律なんて紙切れ以下だ」
ザックは手帳を指先で弾いた。
「返してほしけりゃ、この街のルールに従いな。『賭け』で奪い返すんだよ」
彼はテーブルを叩いた。
「勝負はブラックジャック。俺が勝てば、あんたらの『全財産』と『身分』をいただく。あんたが勝てば、この手帳を返してやる。……どうだ?」
挑発的な視線。 アシュ様は眉をひそめた。
「私はギャンブルをしない。不確定要素(運)に依存する行為は非合理的だ」
「あら、そうですか? 私は嫌いじゃありませんわよ」
私はアシュ様を押しのけ、ザックの向かいの席に座った。
「リディア!?」
「アシュ様は下がっていてください。……私、数字には強いんです」
私は扇子を閉じ、ザックを真っ直ぐに見据えた。
「その勝負、受けましょう。ただし、賭け金(レート)を吊り上げさせていただきます」
「ほう?」
「私が勝ったら、手帳だけでなく……『あなたを雇った黒幕の名前』も吐いていただきます。もちろん、この街の『絶対誓約』付きでね」
ザックの目が細められた。 一瞬、その爬虫類のような瞳に動揺が走ったのを、私は見逃さなかった。
「……へえ。強気だねえ、お嬢ちゃん。いいぜ、乗ってやるよ!」
ザックが指を鳴らすと、空中に光の文字が浮かび上がり、契約が成立した。 ディーラーがカードを配り始める。
私の手札は、ハートのQと、ダイヤの7。合計17。 微妙な数字だ。 対するザックの手札は、一枚がオープンされており、スペードのA。 強い。
「どうする? もう一枚引くか?」
ザックが嘲笑う。 アシュ様が私の肩越しに囁いた。
「……リディア。確率論から言えば、ここで引くのはリスクが高すぎる(バーストする)。ステイが定石だ」
「いいえ、アシュ様」
私はカードを見つめ、静かに言った。
「この男は、イカサマをしています」
「なっ!?」
「カードの配り方、そしてシャッフルの癖。……私の目は誤魔化せませんわ」
私はザックを睨んだ。 彼は余裕の笑みを崩さないが、額に汗が滲んでいる。
「言いがかりはよせよ。証拠はあるのか?」
「証拠? ええ、これから作りますわ」
私はディーラーに向かって指を突きつけた。
「もう一枚(ヒット)!」
会場がどよめく。17から引くなんて自殺行為だ。 ディーラーが震える手でカードをめくる。 出たのは――クラブの4。 合計21。ブラックジャックだ。
「な、バカな!」
ザックが椅子を蹴って立ち上がった。
「どうして……そのカードは俺のところに回るはずじゃ……!」
失言。 ザックがハッとして口を押さえるが、もう遅い。
「あら。やっぱり積み込み(イカサマ)をしていましたのね?」
私はカードを表向きに叩きつけた。
「私が『ヒット』しなければ、あなたがこの4を引いてブラックジャックになる予定だった。……残念でしたわね。あなたの指先の微細な魔力操作、アシュ様の『解析』の前では丸見えでしたわよ」
私がアシュ様を見ると、彼は片眼鏡を光らせて頷いた。
「その通りだ。先ほどから空間の魔素配列に不自然な歪みがあった。……イカサマを見抜いた上で、あえてその流れを利用するとは。恐ろしい妻だ」
ザックの顔色が青ざめる。 契約市のルールにおいて、イカサマの発覚は「敗北」以上の意味を持つ。 周囲の客たちが、殺気立った目でザックを睨み始めた。
「てめぇ、この神聖な場でイカサマしやがったな!」 「俺たちの金を返せ!」
暴動寸前の空気。 ザックは舌打ちをし、手帳を放り投げた。
「……チッ! わかったよ、俺の負けだ!」
アシュ様が空中で手帳をキャッチする。 原本奪還。 そして、契約の履行だ。
「さあ、吐いてもらいましょうか。黒幕の名前を」
私が詰め寄ると、ザックは観念したように両手を上げた。
「……ヴァルガス公爵じゃねえよ」
「え?」
「公爵も関わっちゃいるが、あんな爺さんに俺たち『誓約院』は動かせねえ。……俺たちに指示を出したのは、もっと『上』だ」
ザックの声が震えた。
「誓約院の長官……いや、『沈黙の賢者』と呼ばれる男だ。奴は、この国の契約魔法そのものを書き換えようとしてる。……公爵の洗脳実験も、そのためのデータ収集に過ぎねえ」
衝撃の事実。 公爵の上に、さらに黒幕がいた? しかも、国の根幹である誓約魔法の管理者が?
「……なるほど。道理で、証拠隠滅の手際が良すぎるわけだ」
アシュ様が手帳を懐にしまい、冷徹な目でザックを見下ろした。
「取引成立だ。その情報、確かに受け取った。……行くぞ、リディア」
「ええ」
私たちは騒然とする賭博場を後にした。 背後でザックが客たちに揉みくちゃにされているのが見えたが、自業自得だ。
外に出ると、契約市の空には偽物の月が怪しく輝いていた。 事件は終わるどころか、さらに深い闇へと繋がっていた。 でも、手元には決定的な証拠がある。
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