「君を愛することはない」と言われたので、私も愛しません。次いきます。 〜婚約破棄はご褒美です!

放浪人

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第二十話 婚姻無効?無理です。だって私たち、契約のプロですから

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 王都大法廷は、まさにハチの巣をつついたような騒ぎになっていた。

 ヴァルガス公爵が去り際に投下した『法的爆弾』。  ――王太子の婚約破棄は洗脳下での行為ゆえ無効。よってリディアは依然として王太子の婚約者であり、宰相との結婚は重婚で無効である。

 この屁理屈とも言える、しかし法的には無視できない主張に、傍聴席の貴族たちや教会関係者がざわめき立っていた。

「そ、そうだ! 公爵の言う通りだ!」

 息を吹き返したのは、先ほどまで青ざめていた教会の神官たちだった。  彼らはここぞとばかりに声を張り上げた。

「教義において、重婚は最大の罪! 神聖なる婚姻の冒涜だ!」 「宰相閣下といえど、法の抜け穴を通ることは許されん!」 「直ちに婚姻を無効とし、リディア嬢を王太子殿下の元へ返還せよ!」

 勢いづく神官たち。  彼らにとって、これは起死回生の一手なのだ。私とアシュ様の結婚さえ潰せれば、教会の権威を取り戻せると思っているのだろう。

 壇上で、私はアシュ様を見上げた。  彼は眉間に深い皺を寄せ、腕組みをして沈黙している。  ……まずい。  さすがの「契約のプロ」も、この展開は想定外だったのか?

「……アシュ様」

 私が不安げに声をかけると、彼はハッと顔を上げた。  そして、私に向かって小さく、しかし力強く頷いた。

「大丈夫だ。……計算は終了した」

 アシュ様は眼鏡の位置をクイッと直し、冷徹な光を宿した瞳で神官たちを見下ろした。

「静粛に」

 その一言には、魔力が込められていたわけではない。  けれど、彼の放つ圧倒的な「支配者」のオーラに、騒いでいた神官たちがピタリと口を閉ざした。

「重婚による婚姻無効、か。……なるほど、教会法第百三条に基づく主張だな?」

 アシュ様は懐から六法全書を取り出し――いや、取り出すまでもなく、空中に条文を投影魔法で表示させた。

「確かに、教会法では『既存の婚約関係にある者の、他者との婚姻』を禁じている。だが……」

 アシュ様はニヤリと笑った。  それは獲物を追い詰めた肉食獣の笑みだった。

「貴殿らは一つ、致命的な勘違いをしている」

「な、なんだと?」 「勘違いだと?」

「そもそも、私とリディアの結婚は『教会法』に基づくものではない」

 アシュ様が指を鳴らすと、空中の条文が切り替わった。  表示されたのは、『ルミナリア王国特別行政契約法』。  なんともお堅い、そして誰も読まないようなマニアックな法律だ。

「我々の婚姻は、私が宰相権限で制定した『特別行政契約』に基づく『国法婚』だ。これは教会の管轄外であり、教会法の制約を受けない」

「なっ、馬鹿な! そんな勝手な法律が……!」

「勝手? いいや、正規の手続きを経て三ヶ月前に施行されている。……もっとも、官報の隅に小さく載せただけだから、貴殿らのような怠惰な者たちは見落としたのだろうが」

 アシュ様は涼しい顔で言い放った。  ……えっ、アシュ様?  三ヶ月前って、私たちが結婚するずっと前ですわよね?  まさか、その頃から「教会の干渉を受けずに結婚するルート」を準備していたの?  だとしたら、用意周到すぎて怖いですわ!

「さらに」

 アシュ様は畳み掛ける。

「仮に王太子の婚約破棄が無効だとしても、現状において王太子は『有責』だ。洗脳下とはいえ、リディアに対し公衆の面前で侮辱を与え、信頼関係を完全に破壊した。……民法第七百九条『修復不可能な婚姻関係の破綻』が適用される」

 アシュ様は私の方を向き、優しく問いかけた。

「リディア・エルヴァイン。君に、レオンハルト王太子との関係を修復する意志はあるか?」

 私は即座に、全力で首を横に振った。

「ありません! 一ミリも、一ミクロンも、未来永劫ありません!」

 私の薬指の『真実の誓約印』が、ピカーッ!と強烈な光を放つ。  完全なる真実証明だ。

「……だ、そうだ」

 アシュ様は神官たちに向き直った。

「当事者の一方が完全な拒絶を示し、かつ正当な理由がある場合、過去の婚約はいかなる事情があろうと『自然消滅』とみなされる。……これが王国の法だ。教会の古い教義など、最新の判例の前では無力だ」

 ぐうの音も出ない論破。  神官たちはパクパクと口を開閉させ、顔を真っ赤にして震えている。

「そ、それでも! 教会の権威にかけて、このような異端の結婚は認めん! 神が許さない!」 「そうだ! 王太子殿下も望んでおられるはずだ!」

 彼らは最後の頼みの綱として、うなだれているレオンハルト殿下に縋り付いた。

「殿下! 言ってやってください! リディア嬢を取り戻したいと! 洗脳が解けた今こそ、真実の愛を!」

 会場の視線が、再び殿下に集まる。  殿下はゆっくりと顔を上げた。  その目は赤く腫れ、憑き物が落ちたように澄んでいたが、同時に深い後悔の色に沈んでいた。

「……いや」

 殿下は力なく首を振った。

「私は……リディアを愛する資格などない」

「で、殿下!?」

「公爵に操られていたとはいえ、私は彼女を傷つけた。罵倒し、切り捨て、他の女性に現を抜かした。……その事実は消えない」

 殿下は私を見た。  その瞳に、かつてのような傲慢さはなかった。

「リディア。すまなかった。……そして、アシュ宰相。彼女を幸せにしてやってくれ。私にはできなかったことを、あなたならできるはずだ」

 それは、レオンハルト王太子が初めて見せた、王族としての矜持だったのかもしれない。  彼なりの、精一杯の幕引き。

 神官たちは梯子を外され、呆然と立ち尽くすしかなかった。  アシュ様は静かに頷き、殿下に一礼した。

「承知した。……その言葉、契約として受理する」

 そして、アシュ様は私に向き直り、手を差し出した。

「行こう、リディア。これでもう、我々を阻むものは何もない」

 私は彼の手を取り、ニッコリと微笑んだ。

「はい、旦那様。……完全勝利ですわね!」

 裁判長の木槌が鳴り、閉廷が宣言される。  私たちは割れんばかりの拍手と歓声の中、堂々と法廷を後にした。  教会の面目は丸つぶれ、公爵は逮捕、そして私たちの結婚は鉄壁の法的保護の下で確定した。    ざまぁ、とはまさにこのことだ。  胸がすくような大逆転劇だった。

 ◇

 帰りの馬車の中。  興奮が冷めやらない私は、アシュ様に抱きつかんばかりの勢いで話しかけていた。

「凄かったですわ、アシュ様! あの『特別行政契約』って何ですの? いつの間にあんな法律を?」

「……ああ。あれか」

 アシュ様は窓の外を見ながら、少し気まずそうに目を逸らした。

「実は、あれを作ったのは君が婚約破棄される三ヶ月前ではない。……もっと前だ」

「へ?」

「一年前。……君が王太子との婚約に悩み、ため息をついているのを夜会で見かけた時だ」

 一年前?  私がまだ、殿下の浮気性や取り巻きのいじめに一人で耐えていた頃だ。  アシュ様は、そんな時から私を見ていたの?

「君のような有能な人間が、旧態依然とした制度に縛られて疲弊しているのは、国家的損失だと思った。だから……もし君が望むなら、いつでも教会を介さずに逃げ込める『法的避難所(シェルター)』を作っておこうと」

 アシュ様はボソボソと語る。

「まさか、それを私自身が使うことになるとは思わなかったがな」

 ……えっ。  それって、つまり。  アシュ様はずっと前から、私のことを気にかけてくれていたということ?  ただの「有能な人材」として?  それとも……?

 ドクン、と心臓が跳ねる。

「アシュ様。それ、本当ですの?」

「契約上、私は嘘をつけない。事実だ」

 彼は私の方を向き、真剣な眼差しで見つめてきた。  夕日が差し込む車内で、その青い瞳が宝石のように輝いている。

「リディア。今日、法廷で公爵に『重婚だ』と言われた時……私は焦った」

「……ええ、そうでしょうね。私も驚きました」

「違う。法的リスクに焦ったのではない」

 アシュ様の手が、私の頬に触れた。  冷たいはずの指先が、今は熱い。

「君を失うかもしれないという可能性に、思考が停止したんだ」

「え……」

「君がいない未来をシミュレートしようとしたが、エラーが出た。真っ暗で、何も見えなかった」

 アシュ様は、自分の胸を押さえるようにして言った。

「君を失うのは非合理だ。……いや、訂正する。君を失いたくない。たとえ世界中の法を敵に回しても、私は君を手放さない」

 !!!    時が止まった。  これ、もう愛の告白ですよね?  『愛さない契約』はどうなったんですか?    でも、『嘘がつけない契約』がある以上、これが彼の一点の曇りもない本音なのだ。  彼は合理性の仮面の下で、こんなにも熱烈に、私を求めてくれている。

 胸の奥が、キュンと音を立てて締め付けられる。  今までの「ドキドキ」とは違う。もっと深くて、甘くて、切ない痛み。

 ……あ。  私、気づいちゃったかもしれない。

 この『契約結婚』。  もうとっくに、私にとってもただの契約じゃなくなっているってことに。

「……アシュ様」

 私は潤んだ瞳で彼を見上げた。  何か言わなきゃ。  でも、なんて言えばいいの?  『私もです』なんて言ったら、契約違反になっちゃう?

 その時、馬車がガタリと揺れた。  私たちはハッとして体を離した。

「……と、とりあえず、屋敷に戻って祝杯だ」

 アシュ様が慌てて咳払いをする。  耳が茹でダコみたいに赤い。

「そ、そうですね! 今日は最高級のワインを開けましょう!」

 私も顔を扇ぎながら同意した。
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