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第19話:初めての「言葉」
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王宮の玉座の間を、轟音が揺るがした。 ズズズズズ……! 床がひび割れ、地下から巨大な岩の塊がせり上がってくる。
古代兵器「巨人(ゴーレム)」。 それは、人の形をした岩の城塞だった。 身長は五メートル優にあり、全身には不気味な魔術文字が赤く明滅している。 モルガン公爵が握りしめる黒水晶に呼応するように、ゴーレムはうなり声を上げ――いや、岩同士が擦れ合うような不快な音を立てて、その巨腕を振り上げた。
「ハハハハ! 見ろ、この圧倒的な力を! 古代の叡智が生み出した破壊の化身だ!」
モルガン公爵が狂ったように叫ぶ。 ミリアはゴーレムの足元に隠れながら、勝ち誇った顔で私を見下ろしていた。
「さあ、潰してしまいなさい! 生意気な聖女も、邪魔な宰相も、みんなぺちゃんこよ!」
ブンッ!! 丸太のような腕が薙ぎ払われる。 ドガァァァン!! 石柱が一本、飴細工のようにへし折られ、砕け散った。
「ひぃぃっ!!」
私は音にならない悲鳴を上げた。 無理。 絶対無理。 あんなのに勝てるわけがない。 近衛騎士たちの剣なんて、爪楊枝みたいなものだ。
「総員、散開せよ! 正面から受けるな!」
クラウス様が叫ぶ。 騎士たちが四方八方に散らばり、ゴーレムの足元を切りつける。 ガキン! キンッ! しかし、刃は硬い岩肌に弾かれ、傷一つつかない。
「無駄だ無駄だぁ! この巨人は魔法障壁を纏っている! 貴様らの剣など通じぬわ!」
モルガン公爵が黒水晶を掲げる。 ゴーレムが次なる標的を定めた。 その視線の先には――私とクラウス様がいる。
「エリス、逃げろ!」 クラウス様が私を突き飛ばす。
直後、ゴーレムの拳が私たちのいた場所に叩きつけられた。 ズドォォォン!! 床が爆発したように砕け、衝撃波で私たちは吹き飛ばされた。
「きゃあっ!」 私は床を転がり、壁際まで飛ばされた。 ドレスはもうボロボロで、全身が痛い。 砂埃で前が見えない。
「エリス!」 クラウス様の声が聞こえるが、姿が見えない。
私は咳き込みながら顔を上げた。 目の前には、巨大な岩の足があった。 ゴーレムだ。 私を追いかけてきたのだ。
見上げると、岩塊の顔にある赤い二つの光(目?)が、私を見下ろしていた。 殺される。 踏み潰される。
私は恐怖で腰が抜けて、立ち上がることができなかった。 逃げなきゃいけないのに、足が動かない。 私は反射的に、近くにあった瓦礫――玉座の間を飾っていた美しい壺の破片を拾い上げ、盾にするように構えた。 こんなもので防げるわけがないのに。
ゴーレムが足を上げる。 死の影が私を覆う。
「やめろぉぉぉ!!」 アデルの声が聞こえる。 彼が捨て身で飛びかかろうとしているが、距離が遠すぎる。
もうダメだ。 私はギュッと目を閉じた。 ごめんなさい、お父様、お母様。 ごめんなさい、クラウス様。 私の人生、結局ビビリ通して終わりでした。
その時。 私の手の中で、カチリ、と音がした。 壺の破片だと思っていたもの。 それは、ただの瓦礫ではなかった。 何かの装置の一部?
ピカーッ!!
手の中の物体が、強烈な光を放った。 ま、眩しい! 私は驚いて手を離そうとしたが、光は収まるどころか、レーザービームのように真っ直ぐに伸び、ゴーレムの胸部にある赤い紋章を直撃した。
ズキュゥゥン!!
ゴーレムの動きがピタリと止まった。 振り上げられた足が、空中で静止する。
「な、なんだ!?」 モルガン公爵が叫ぶ。 「水晶が……制御できない!? なんだあの光は!」
私はおそるおそる目を開けた。 私が持っていたのは、破壊された女神像の「目」の部分にはめ込まれていた宝石だった。 それは王家の守護石であり、古代の魔力を中和する力を持っていたのだ――なんてことは、当然知らない。 ただ、キラキラして綺麗だったから、無意識に握りしめていただけだ。
しかし、その光を受けたゴーレムは、苦しむように身をよじり始めた。 身体中の赤い光が、不規則に明滅する。
チャンスだ。 誰が見ても、今が攻撃のチャンスだ。
クラウス様が叫んだ。 「エリスが動きを止めたぞ! 今だ! 胸の紋章を砕けぇぇ!!」
「うおおおおっ!!」 ガルド団長が跳躍する。 アデルも続く。 二人の剣が、光に導かれるようにゴーレムの胸へと突き立てられた。
ガギィィィン!!
硬質な音が響き、赤い紋章が砕け散った。 同時に、ゴーレムから力が抜ける。 ズズズ……ドォォォン……。 巨大な岩の塊は、崩れ落ちるようにしてその場に倒れ込んだ。 土煙が舞い上がる。
静寂。 そして、爆発的な歓声。
「やったぞ! 巨人を倒した!」 「エリス様が! 聖なる光で動きを封じたんだ!」 「女神の加護だ!」
私は瓦礫の中で、ポカンとしていた。 手の中の宝石は、すでに光を失いただの石ころに戻っている。 またやっちゃった。 偶然拾った石が、古代兵器の弱点特攻アイテムだったなんて。 私の悪運もここまできたら才能かもしれない。
◇
ゴーレムが倒されたことで、勝負は決した。 モルガン公爵は腰を抜かし、這いずって逃げようとしたところを騎士たちに取り押さえられた。 「放せ! 私は公爵だぞ! 帝国軍が黙っていないぞ!」と喚いていたが、誰も聞く耳を持たなかった。
そして、ミリア。 彼女は倒れたゴーレムの陰で、震えていた。 もはや逃げ場はない。 騎士たちに囲まれ、剣を突きつけられている。
「……嫌よ。なんで……」
彼女は髪を振り乱し、ブツブツと呟いていた。
「私が主役なのに。転生特典とかないの? なんであの女ばっかり……!」
私はクラウス様に支えられて立ち上がり、ミリアの前に進んだ。 彼女を見下ろす。 かつて私を見下し、嘲笑っていた彼女は、今は小さく、哀れに見えた。
ミリアが顔を上げ、私を睨みつけた。
「笑えばいいじゃない! 勝ったんでしょ!? 『ざまぁみろ』って言いなさいよ!」
彼女は最後まで、私に罵声を期待していた。 同じ土俵に立ち、泥仕合を演じることを望んでいた。 それが、彼女なりの「物語」だったのだろう。
でも。 私は何も言わなかった。 言うべき言葉が見つからなかった。 怒りよりも、哀れみが勝ってしまったのだ。 物語の主役になりたくて、周りを傷つけ、国を売り、最後は自分自身さえも見失ってしまった少女。
私は静かに目を伏せ、ため息を一つついた。 そして、くるりと背を向けた。 (もう、いいでしょう) (貴女との物語は、これでおしまいです)
その無関心な態度が、ミリアにとっては最大の「罰」だったようだ。
「……っ!! 無視しないでよぉぉぉ!!」
彼女の絶叫が響き渡る。 しかし、私は一度も振り返らなかった。 彼女は騎士たちに引き立てられ、連行されていった。 その声が遠ざかるにつれて、私の心の中にあった長い長い「悪役令嬢」としての呪縛も、消えていく気がした。
◇
夜明け。 戦いは終わった。
王宮の外にいた帝国軍本隊は、ゴーレムの敗北と、近衛騎士団の復活を知り、撤退を開始していた。 彼らはあくまで「内乱に乗じて」利益を得ようとしていただけだ。 本気になった王国軍と正面から戦うリスクは冒さない。 隣国の脅威は去った。
そして、戦後処理が始まった。 玉座の間には、解放された国王陛下と王妃陛下が座っている。 その前には、後ろ手に縛られたモルガン公爵とミリア。 そして、アデル王太子が跪いていた。
アデルは、自ら王位継承権の返上を申し出た。
「全ての責任は私にあります。私の愚かさが、ミリアという怪物を招き入れ、国を滅亡の淵に追いやりました。……もはや、王太子の資格などありません」
彼は床に頭を擦り付けた。 国王陛下は沈痛な面持ちで頷いた。
「よかろう。アデル、そなたを廃嫡とする。……辺境の修道院にて、一生をかけて罪を償うがよい」 「はっ……! ありがたき幸せにございます」
アデルは立ち上がり、私の方を見た。 その目は晴れやかだった。
「エリス。……すまなかった。そして、ありがとう」
彼は深く一礼した。 もう未練がましい目ではない。 憑き物が落ちたような、清々しい顔だった。
「幸せになれよ。……いや、アイゼンベルク宰相となら、間違いなく幸せになれるな」
彼は寂しげに笑うと、騎士に連れられて去っていった。 幼馴染との、本当の別れ。 少しだけ胸がチクリとしたが、私はもう涙を流さなかった。
次に、国王陛下が私とクラウス様を見た。
「クラウスよ。そなたの働き、見事であった。そしてエリス嬢。……そなたこそが、この国を救った最大の功労者である」
陛下が立ち上がり、私に歩み寄る。
「そなたの沈黙は、雄弁な言葉よりも強く、人々の心を動かした。そなたの指先一つが、絶望を希望へと変えた。……余は、そなたのような女性が我が国にいることを誇りに思う」
全騎士団が、一斉に剣を掲げ、私に敬礼する。 「沈黙の聖女に栄光あれ!」 その声が、王宮中に響き渡った。
私はクラウス様の隣で、ただ静かに微笑んでいた。 今度は、引きつった笑いではない。 安堵と、少しの気恥ずかしさと、そして大きな喜びに満ちた、自然な微笑みだった。
◇
その夜。 王宮では勝利を祝う宴が開かれていたが、私たちはこっそりと抜け出していた。 向かったのは、王宮で一番高い塔のバルコニー。 かつて、アデルに絡まれ、クラウス様に助けられた、あの場所だ。
夜風が心地よい。 眼下には、平和を取り戻した王都の灯りが広がっている。 空には満天の星。 全てが美しく、穏やかだった。
「……終わったな」
クラウス様が手すりにもたれかかり、呟いた。 彼はまだ包帯だらけだが、その表情は今まで見た中で一番穏やかだった。
「長い戦いだった。……君を巻き込んでしまい、本当にすまなかった」
彼は私に向き直り、真剣な眼差しで見つめてきた。
「エリス。君に言わなければならないことがある」
ドキッとした。 改まって、何だろう。
「私は今まで、君の『沈黙』に甘えてきた。君が何も言わないのをいいことに、自分勝手な解釈を押し付け、君を理想の聖女に仕立て上げてしまったかもしれない」
彼は苦笑した。
「本当の君は、もっと普通の……もしかしたら、少し怖がりで、お腹が空いたら不機嫌になって、イモを焼くのが好きな、可愛らしい女性なのかもしれない」
バレてる。 薄々感づかれていた。 でも、彼の目は優しかった。
「だが、それでも構わない。……いや、むしろそんな君だからこそ、私は愛したんだ」
クラウス様は一歩近づき、私の手を取った。 あの、冷たくて大きな手が、今はとても温かい。
「聖女としての君も、普通の少女としての君も、全てひっくるめて愛している。言葉なんていらないと言ったが、あれは嘘だ。……本当は、君の声が聞きたい」
彼は私の瞳を覗き込んだ。
「君の言葉で、君の本当の気持ちを聞かせてほしい。……私と、結婚してくれるか?」
プロポーズ。 二度目の求婚。 最初は、書類仕事の合間に、半ば強引に決められた婚約だった。 でも、今回は違う。 彼が私の全てを受け入れ、改めて求めてくれている。
私は胸がいっぱいになった。 喉の奥が熱くなる。 今まで、ずっと怖くて閉じ込めてきた言葉たちが、溢れ出しそうになる。
『処刑されたくない』という一心で閉ざした口。 『余計なことは喋らない』と誓った心。 でも、もうその必要はない。 彼は、私のどんな言葉も、きっと受け止めてくれる。
私は深呼吸をした。 震える唇を開く。 喉がヒューヒューと鳴る。 声を出すのは、こんなにも勇気がいることだったのか。
でも、言わなきゃ。 彼にだけは、私の「一番大切な言葉」を。
「……は、い」
掠れた、小さな声だった。 風に吹けば消えてしまいそうなほど、頼りない音。
でも、クラウス様は目を見開いた。 世界で一番美しい音楽を聴いたかのように、その表情が輝いた。
「エリス……?」
私はもう一度、力を込めて言った。 今度は、はっきりと。
「はい……! 喜んで……!」
涙が溢れた。 声に出してしまった。 私の「無言の誓い」は、ここで破られた。 でも、それは敗北ではない。新しい始まりのための、幸せな敗北だ。
クラウス様は感極まったように私を抱きしめた。 「ありがとう……! ありがとう、エリス!」 彼は何度も私の名前を呼び、私の髪に、頬に、唇にキスをした。
「君の声は、どんな詩よりも美しい。……一生、私の側でその声を聞かせてくれ」 「……はい、クラウス様。大好きです」
私は彼の胸に顔を埋め、ボロボロと泣きながら、堰を切ったように言葉を紡いだ。 「怖かった」「足が痛い」「お腹すいた」「もう戦いたくない」 今まで言えなかった本音を、全部。
彼はそれを全て、「うん、うん」と優しく聞いてくれた。 私の愚痴も、弱音も、全てが彼にとっては愛の囁きのように響いているようだった。
夜空に流星が流れた。 私たちの長い長い「沈黙の物語」は、ここで幕を下ろす。 そして明日からは、少しだけ騒がしくて、とびきり甘い、新しい物語が始まるのだ。
◇
後日談。 王都の広場には、新しい銅像が建てられた。 『沈黙の聖女エリス像』。 指を口元に当て、静かに微笑む女神の像だ。 その台座には、こんな言葉が刻まれている。
『沈黙は金なり。されど、愛は雄弁なり』
私はその像を見るたびに、顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしている。 「撤去してください!」とクラウス様に頼んでも、「いや、国の宝だ」と却下されるのが、最近の悩みだ。
でもまあ、悪くない。 隣には愛する人がいて、毎日美味しいお茶が飲めて、たまに焼き芋ができる平和な日々。 転生して二度目の人生、最初はハードモードだったけれど、結果的にはハッピーエンドと言えるだろう。
私はクラウス様の腕に抱かれながら、今日も幸せなため息(もちろん無言ではない)をつくのだった。
古代兵器「巨人(ゴーレム)」。 それは、人の形をした岩の城塞だった。 身長は五メートル優にあり、全身には不気味な魔術文字が赤く明滅している。 モルガン公爵が握りしめる黒水晶に呼応するように、ゴーレムはうなり声を上げ――いや、岩同士が擦れ合うような不快な音を立てて、その巨腕を振り上げた。
「ハハハハ! 見ろ、この圧倒的な力を! 古代の叡智が生み出した破壊の化身だ!」
モルガン公爵が狂ったように叫ぶ。 ミリアはゴーレムの足元に隠れながら、勝ち誇った顔で私を見下ろしていた。
「さあ、潰してしまいなさい! 生意気な聖女も、邪魔な宰相も、みんなぺちゃんこよ!」
ブンッ!! 丸太のような腕が薙ぎ払われる。 ドガァァァン!! 石柱が一本、飴細工のようにへし折られ、砕け散った。
「ひぃぃっ!!」
私は音にならない悲鳴を上げた。 無理。 絶対無理。 あんなのに勝てるわけがない。 近衛騎士たちの剣なんて、爪楊枝みたいなものだ。
「総員、散開せよ! 正面から受けるな!」
クラウス様が叫ぶ。 騎士たちが四方八方に散らばり、ゴーレムの足元を切りつける。 ガキン! キンッ! しかし、刃は硬い岩肌に弾かれ、傷一つつかない。
「無駄だ無駄だぁ! この巨人は魔法障壁を纏っている! 貴様らの剣など通じぬわ!」
モルガン公爵が黒水晶を掲げる。 ゴーレムが次なる標的を定めた。 その視線の先には――私とクラウス様がいる。
「エリス、逃げろ!」 クラウス様が私を突き飛ばす。
直後、ゴーレムの拳が私たちのいた場所に叩きつけられた。 ズドォォォン!! 床が爆発したように砕け、衝撃波で私たちは吹き飛ばされた。
「きゃあっ!」 私は床を転がり、壁際まで飛ばされた。 ドレスはもうボロボロで、全身が痛い。 砂埃で前が見えない。
「エリス!」 クラウス様の声が聞こえるが、姿が見えない。
私は咳き込みながら顔を上げた。 目の前には、巨大な岩の足があった。 ゴーレムだ。 私を追いかけてきたのだ。
見上げると、岩塊の顔にある赤い二つの光(目?)が、私を見下ろしていた。 殺される。 踏み潰される。
私は恐怖で腰が抜けて、立ち上がることができなかった。 逃げなきゃいけないのに、足が動かない。 私は反射的に、近くにあった瓦礫――玉座の間を飾っていた美しい壺の破片を拾い上げ、盾にするように構えた。 こんなもので防げるわけがないのに。
ゴーレムが足を上げる。 死の影が私を覆う。
「やめろぉぉぉ!!」 アデルの声が聞こえる。 彼が捨て身で飛びかかろうとしているが、距離が遠すぎる。
もうダメだ。 私はギュッと目を閉じた。 ごめんなさい、お父様、お母様。 ごめんなさい、クラウス様。 私の人生、結局ビビリ通して終わりでした。
その時。 私の手の中で、カチリ、と音がした。 壺の破片だと思っていたもの。 それは、ただの瓦礫ではなかった。 何かの装置の一部?
ピカーッ!!
手の中の物体が、強烈な光を放った。 ま、眩しい! 私は驚いて手を離そうとしたが、光は収まるどころか、レーザービームのように真っ直ぐに伸び、ゴーレムの胸部にある赤い紋章を直撃した。
ズキュゥゥン!!
ゴーレムの動きがピタリと止まった。 振り上げられた足が、空中で静止する。
「な、なんだ!?」 モルガン公爵が叫ぶ。 「水晶が……制御できない!? なんだあの光は!」
私はおそるおそる目を開けた。 私が持っていたのは、破壊された女神像の「目」の部分にはめ込まれていた宝石だった。 それは王家の守護石であり、古代の魔力を中和する力を持っていたのだ――なんてことは、当然知らない。 ただ、キラキラして綺麗だったから、無意識に握りしめていただけだ。
しかし、その光を受けたゴーレムは、苦しむように身をよじり始めた。 身体中の赤い光が、不規則に明滅する。
チャンスだ。 誰が見ても、今が攻撃のチャンスだ。
クラウス様が叫んだ。 「エリスが動きを止めたぞ! 今だ! 胸の紋章を砕けぇぇ!!」
「うおおおおっ!!」 ガルド団長が跳躍する。 アデルも続く。 二人の剣が、光に導かれるようにゴーレムの胸へと突き立てられた。
ガギィィィン!!
硬質な音が響き、赤い紋章が砕け散った。 同時に、ゴーレムから力が抜ける。 ズズズ……ドォォォン……。 巨大な岩の塊は、崩れ落ちるようにしてその場に倒れ込んだ。 土煙が舞い上がる。
静寂。 そして、爆発的な歓声。
「やったぞ! 巨人を倒した!」 「エリス様が! 聖なる光で動きを封じたんだ!」 「女神の加護だ!」
私は瓦礫の中で、ポカンとしていた。 手の中の宝石は、すでに光を失いただの石ころに戻っている。 またやっちゃった。 偶然拾った石が、古代兵器の弱点特攻アイテムだったなんて。 私の悪運もここまできたら才能かもしれない。
◇
ゴーレムが倒されたことで、勝負は決した。 モルガン公爵は腰を抜かし、這いずって逃げようとしたところを騎士たちに取り押さえられた。 「放せ! 私は公爵だぞ! 帝国軍が黙っていないぞ!」と喚いていたが、誰も聞く耳を持たなかった。
そして、ミリア。 彼女は倒れたゴーレムの陰で、震えていた。 もはや逃げ場はない。 騎士たちに囲まれ、剣を突きつけられている。
「……嫌よ。なんで……」
彼女は髪を振り乱し、ブツブツと呟いていた。
「私が主役なのに。転生特典とかないの? なんであの女ばっかり……!」
私はクラウス様に支えられて立ち上がり、ミリアの前に進んだ。 彼女を見下ろす。 かつて私を見下し、嘲笑っていた彼女は、今は小さく、哀れに見えた。
ミリアが顔を上げ、私を睨みつけた。
「笑えばいいじゃない! 勝ったんでしょ!? 『ざまぁみろ』って言いなさいよ!」
彼女は最後まで、私に罵声を期待していた。 同じ土俵に立ち、泥仕合を演じることを望んでいた。 それが、彼女なりの「物語」だったのだろう。
でも。 私は何も言わなかった。 言うべき言葉が見つからなかった。 怒りよりも、哀れみが勝ってしまったのだ。 物語の主役になりたくて、周りを傷つけ、国を売り、最後は自分自身さえも見失ってしまった少女。
私は静かに目を伏せ、ため息を一つついた。 そして、くるりと背を向けた。 (もう、いいでしょう) (貴女との物語は、これでおしまいです)
その無関心な態度が、ミリアにとっては最大の「罰」だったようだ。
「……っ!! 無視しないでよぉぉぉ!!」
彼女の絶叫が響き渡る。 しかし、私は一度も振り返らなかった。 彼女は騎士たちに引き立てられ、連行されていった。 その声が遠ざかるにつれて、私の心の中にあった長い長い「悪役令嬢」としての呪縛も、消えていく気がした。
◇
夜明け。 戦いは終わった。
王宮の外にいた帝国軍本隊は、ゴーレムの敗北と、近衛騎士団の復活を知り、撤退を開始していた。 彼らはあくまで「内乱に乗じて」利益を得ようとしていただけだ。 本気になった王国軍と正面から戦うリスクは冒さない。 隣国の脅威は去った。
そして、戦後処理が始まった。 玉座の間には、解放された国王陛下と王妃陛下が座っている。 その前には、後ろ手に縛られたモルガン公爵とミリア。 そして、アデル王太子が跪いていた。
アデルは、自ら王位継承権の返上を申し出た。
「全ての責任は私にあります。私の愚かさが、ミリアという怪物を招き入れ、国を滅亡の淵に追いやりました。……もはや、王太子の資格などありません」
彼は床に頭を擦り付けた。 国王陛下は沈痛な面持ちで頷いた。
「よかろう。アデル、そなたを廃嫡とする。……辺境の修道院にて、一生をかけて罪を償うがよい」 「はっ……! ありがたき幸せにございます」
アデルは立ち上がり、私の方を見た。 その目は晴れやかだった。
「エリス。……すまなかった。そして、ありがとう」
彼は深く一礼した。 もう未練がましい目ではない。 憑き物が落ちたような、清々しい顔だった。
「幸せになれよ。……いや、アイゼンベルク宰相となら、間違いなく幸せになれるな」
彼は寂しげに笑うと、騎士に連れられて去っていった。 幼馴染との、本当の別れ。 少しだけ胸がチクリとしたが、私はもう涙を流さなかった。
次に、国王陛下が私とクラウス様を見た。
「クラウスよ。そなたの働き、見事であった。そしてエリス嬢。……そなたこそが、この国を救った最大の功労者である」
陛下が立ち上がり、私に歩み寄る。
「そなたの沈黙は、雄弁な言葉よりも強く、人々の心を動かした。そなたの指先一つが、絶望を希望へと変えた。……余は、そなたのような女性が我が国にいることを誇りに思う」
全騎士団が、一斉に剣を掲げ、私に敬礼する。 「沈黙の聖女に栄光あれ!」 その声が、王宮中に響き渡った。
私はクラウス様の隣で、ただ静かに微笑んでいた。 今度は、引きつった笑いではない。 安堵と、少しの気恥ずかしさと、そして大きな喜びに満ちた、自然な微笑みだった。
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夜風が心地よい。 眼下には、平和を取り戻した王都の灯りが広がっている。 空には満天の星。 全てが美しく、穏やかだった。
「……終わったな」
クラウス様が手すりにもたれかかり、呟いた。 彼はまだ包帯だらけだが、その表情は今まで見た中で一番穏やかだった。
「長い戦いだった。……君を巻き込んでしまい、本当にすまなかった」
彼は私に向き直り、真剣な眼差しで見つめてきた。
「エリス。君に言わなければならないことがある」
ドキッとした。 改まって、何だろう。
「私は今まで、君の『沈黙』に甘えてきた。君が何も言わないのをいいことに、自分勝手な解釈を押し付け、君を理想の聖女に仕立て上げてしまったかもしれない」
彼は苦笑した。
「本当の君は、もっと普通の……もしかしたら、少し怖がりで、お腹が空いたら不機嫌になって、イモを焼くのが好きな、可愛らしい女性なのかもしれない」
バレてる。 薄々感づかれていた。 でも、彼の目は優しかった。
「だが、それでも構わない。……いや、むしろそんな君だからこそ、私は愛したんだ」
クラウス様は一歩近づき、私の手を取った。 あの、冷たくて大きな手が、今はとても温かい。
「聖女としての君も、普通の少女としての君も、全てひっくるめて愛している。言葉なんていらないと言ったが、あれは嘘だ。……本当は、君の声が聞きたい」
彼は私の瞳を覗き込んだ。
「君の言葉で、君の本当の気持ちを聞かせてほしい。……私と、結婚してくれるか?」
プロポーズ。 二度目の求婚。 最初は、書類仕事の合間に、半ば強引に決められた婚約だった。 でも、今回は違う。 彼が私の全てを受け入れ、改めて求めてくれている。
私は胸がいっぱいになった。 喉の奥が熱くなる。 今まで、ずっと怖くて閉じ込めてきた言葉たちが、溢れ出しそうになる。
『処刑されたくない』という一心で閉ざした口。 『余計なことは喋らない』と誓った心。 でも、もうその必要はない。 彼は、私のどんな言葉も、きっと受け止めてくれる。
私は深呼吸をした。 震える唇を開く。 喉がヒューヒューと鳴る。 声を出すのは、こんなにも勇気がいることだったのか。
でも、言わなきゃ。 彼にだけは、私の「一番大切な言葉」を。
「……は、い」
掠れた、小さな声だった。 風に吹けば消えてしまいそうなほど、頼りない音。
でも、クラウス様は目を見開いた。 世界で一番美しい音楽を聴いたかのように、その表情が輝いた。
「エリス……?」
私はもう一度、力を込めて言った。 今度は、はっきりと。
「はい……! 喜んで……!」
涙が溢れた。 声に出してしまった。 私の「無言の誓い」は、ここで破られた。 でも、それは敗北ではない。新しい始まりのための、幸せな敗北だ。
クラウス様は感極まったように私を抱きしめた。 「ありがとう……! ありがとう、エリス!」 彼は何度も私の名前を呼び、私の髪に、頬に、唇にキスをした。
「君の声は、どんな詩よりも美しい。……一生、私の側でその声を聞かせてくれ」 「……はい、クラウス様。大好きです」
私は彼の胸に顔を埋め、ボロボロと泣きながら、堰を切ったように言葉を紡いだ。 「怖かった」「足が痛い」「お腹すいた」「もう戦いたくない」 今まで言えなかった本音を、全部。
彼はそれを全て、「うん、うん」と優しく聞いてくれた。 私の愚痴も、弱音も、全てが彼にとっては愛の囁きのように響いているようだった。
夜空に流星が流れた。 私たちの長い長い「沈黙の物語」は、ここで幕を下ろす。 そして明日からは、少しだけ騒がしくて、とびきり甘い、新しい物語が始まるのだ。
◇
後日談。 王都の広場には、新しい銅像が建てられた。 『沈黙の聖女エリス像』。 指を口元に当て、静かに微笑む女神の像だ。 その台座には、こんな言葉が刻まれている。
『沈黙は金なり。されど、愛は雄弁なり』
私はその像を見るたびに、顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしている。 「撤去してください!」とクラウス様に頼んでも、「いや、国の宝だ」と却下されるのが、最近の悩みだ。
でもまあ、悪くない。 隣には愛する人がいて、毎日美味しいお茶が飲めて、たまに焼き芋ができる平和な日々。 転生して二度目の人生、最初はハードモードだったけれど、結果的にはハッピーエンドと言えるだろう。
私はクラウス様の腕に抱かれながら、今日も幸せなため息(もちろん無言ではない)をつくのだった。
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恥ずかしさのあまり、本当に死にそうなティナ。
けれど、グランディアの気持ちが少しずつ分かり……?
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