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第18話:エリスの「演説」
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夜明け前。 世界で一番暗く、そして冷たい時間が流れていた。
王都の地下水路を抜け出した私たちが辿り着いたのは、王都の北外れにある「古城の砦」だった。 かつては防衛の要所として使われていたが、現在は廃墟となり、近衛騎士団の極秘の訓練場兼、緊急時の隠れ家として使われている場所だ。
雪は止んでいたが、凍てつくような寒さが肌を刺す。 泥と煤にまみれたドレスを引きずりながら、私は瀕死のクラウス様を支えて門を叩いた。
「開けて! 誰か!」
声が出た。 火事場の馬鹿力ならぬ、火事場の声量だ。 重い扉が軋みながら開き、松明を持った騎士が顔を覗かせる。
「誰だ! ここは……ああっ! 宰相閣下!? それにローゼン公爵令嬢!」
騎士が血相を変えて駆け寄ってくる。 私たちは崩れ落ちるようにして、砦の中へと保護された。
◇
砦の大広間には、王宮から命からがら逃げ延びてきた騎士たちが集まっていた。 その数、およそ五百。 本来の近衛騎士団の総数は三千を超えるはずだから、ここにいるのはほんの一握りの残党だ。 残りの仲間は捕らえられたか、あるいは……。
広間の空気は、墓場のように重かった。 誰もがうつむき、傷の手当てを受けながら、絶望に沈んでいる。 王宮が陥落したという事実は、彼らの誇りと戦意を粉々に打ち砕いていた。
「……閣下! ご無事でしたか!」
人混みをかき分けて現れたのは、近衛騎士団長のガルドだった。 彼もまた、鎧はボロボロで、左腕を吊っている。 その背後には、しょぼくれた顔をしたアデル王太子の姿もあった。
「ガルド……。状況は?」 クラウス様が簡易ベッドに横たわりながら問う。 応急処置を受けたものの、顔色は紙のように白い。失血が酷すぎる。
ガルド団長は悔しげに拳を握りしめた。
「惨敗です。……我々が突入した時、すでに王宮の要所は帝国兵に制圧されていました。モルガン公爵の私兵と、ミリアの手引きで入り込んだ工作員たちによって、内側から食い荒らされたのです」
「父上と母上は……?」 アデルが震える声で尋ねる。
「……人質として塔に幽閉されました。我々は殿下をお逃がしするのが精一杯で……不甲斐ありません!」
ガルド団長が男泣きする。 騎士たちが呻く。 「もう終わりだ」「国は滅びた」「我々には何もできない」
負の感情が連鎖し、広間を支配していく。 無理もない。 国王夫妻は人質。王都は敵の手に落ちた。 敵の数は三万とも言われる帝国軍本隊に加え、モルガン公爵の反乱軍。 対するこちらは、傷ついた五百の敗残兵。 そして指揮官であるクラウス様は重傷で動けない。
詰んでいる。 誰の目にも明らかだった。
アデルが頭を抱えて座り込んだ。 「俺のせいだ……。俺がミリアなんかに現を抜かしていなければ……こんなことには……」 今さら後悔しても遅い。彼の懺悔は、ただ周囲の士気を下げるだけの雑音だった。
クラウス様が、苦しげに息を吐きながら私を見た。 その手がおずおずと伸びて、私の指を掴む。
「エリス……。すまない。私が不甲斐ないばかりに、君をこんな絶望の淵に……」
私は首を横に振った。 貴方は戦った。 最後まで私を守ってくれた。 だから、謝らないで。
でも、どうすればいい? このままでは、夜明けと共に帝国軍がここへ押し寄せてくる。 そうなれば全滅だ。 逃げるか? いや、これだけの怪我人を連れて逃げ切れるわけがない。 戦うか? 無謀だ。自殺行為だ。
誰もが言葉を失い、沈黙が広間を包み込む。 死を待つだけの、重苦しい沈黙。
その時。
カツン。
私が一歩、前に進み出た音だけが響いた。 え? 私、なんで動いた?
自分でもわからなかった。 ただ、このお通夜のような空気に耐えられなかったのかもしれない。 あるいは、前世の記憶――悲劇的なバッドエンドを回避したいという生存本能が、私の足を動かしたのかもしれない。
私が動いたことで、五百人の視線が一斉に私に集まった。 「沈黙の聖女」。 「予知能力を持つ奇跡の令嬢」。 彼らの瞳に、すがるような色が浮かぶ。 「聖女様なら、何か打開策を知っているのではないか?」という期待。
待って。 見ないで。 策なんてないです。 ただ足が痺れて動いただけなんです。
しかし、もう引き下がれない。 ガルド団長が進み出て、私の前に跪いた。
「エリス様。……我々は、どうすればよいのでしょうか。神は、我々を見放したのでしょうか」
重い問いかけ。 私に神の代弁者になれと言うのか。
私は冷や汗をかいた。 何か言わなきゃ。 「逃げましょう」か? いや、そんなことを言えば総崩れになる。 「戦いましょう」か? 私が言っても説得力がないし、無責任だ。
言葉が出てこない。 喉が詰まる。 恐怖とプレッシャーで、視界が歪む。
(誰か……誰か、なんとかしてよ!) (貴方たちは騎士でしょう? 国の剣でしょう? なんでこんなところで膝をついて泣いてるのよ!) (武器があるじゃない! まだ手足は動くじゃない!)
私の心の中で、庶民的な怒りと焦りが爆発した。 泣いてる暇があったら動け。 諦める前にあがけ。 私は死にたくないんだ!
私はその焦燥感をぶつけるように、無言で右手を突き出した。 ビシッ! 指差した先。 そこには、ガルド団長の腰にある剣があった。 王家から賜った、立派な装飾の施された剣だ。
ガルド団長がハッとして自分の腰を見る。 「こ、これは……?」
私は次に、くるりと回れ右をして、窓の外を指差した。 夜明け前の薄暗い空。 その向こうには、黒煙を上げる王宮の影が見える。
それだけ。 剣を指差し、王宮を指差した。 私の意図はこうだ。 『その剣は飾りですか?(早くなんとかして)』 『王宮があんなことになってるんですよ!(怖いから火を消して)』
極めて他力本願で、利己的なメッセージ。 しかし。 この極限状態において、私の「無言のジェスチャー」は、またしても奇跡的な化学反応(超解釈)を引き起こした。
ガルド団長の瞳が、カッと見開かれた。 彼は震える手で、自分の剣の柄を握りしめた。
「……そうか」
彼が低く呟く。
「エリス様は……問うておられるのだ」
騎士たちがざわめく。 「何を?」「どういう意味だ?」
ガルド団長が立ち上がり、剣を鞘から引き抜いた。 ジャリッ! 鋼の音が広間に響き渡る。 彼はその切っ先を天に向け、雷に打たれたような顔で叫んだ。
「その剣は、何のためにあるのか! と!」
えっ。
「我々は嘆いていた。負けたと、終わったと、膝を屈していた。……だが、エリス様は指し示された! 『剣』と『王宮』を!」
団長の熱弁が始まる。
「この剣は、己の身を守るためのものではない! 王家を守り、国を守り、民を守るために、我々の魂として授けられたものだ! 王宮が燃えている今、なぜその剣を鞘に納めているのか! なぜ戦おうとしないのか! ……そう叱責されたのだ!」
騎士たちの顔色が変わる。 絶望の色が消え、恥辱と、そして新たな闘志が灯り始める。
「そうだ……。俺たちは近衛騎士だ」 「王宮を守る盾だ」 「まだ命がある。剣がある。……なのに、ここで死を待つなど、騎士の恥だ!」
空気が変わった。 重苦しい停滞した空気が、熱を帯びた「殺気」へと変わっていく。
ガルド団長が私を見る。 その目は、もはや迷いなき戦士の目だった。
「エリス様。貴女の沈黙は、千の言葉よりも重い鞭でした。……我々は忘れていたのです。勝算があるから戦うのではない。守るべきものがあるから、戦うのだということを!」
いや、勝算は大事ですよ? 無策で突っ込んだら死にますよ?
しかし、私の心配をよそに、クラウス様がベッドから身を起こした。 彼もまた、私の行動を見て、何かを感じ取ったようだ。 痛む体を押して立ち上がり、ガルド団長の横に並ぶ。
「……エリスの言う通りだ」
クラウス様の声は、負傷しているとは思えないほど力強かった。
「敵は三万。我々は五百。……だが、敵は油断している。勝利に酔いしれ、酒盛りをしている最中だろう。さらに、彼らは急造の混成部隊だ。指揮系統は混乱しているはず」
彼の「氷の頭脳」が高速回転を始める。
「王宮の構造を知り尽くしているのは、我々だ。隠し通路、抜け道、防衛設備……全てを利用すれば、少数でも勝機はある」
彼は地図を広げた。
「ガルド、精鋭五十名を選抜しろ。地下水路を使って玉座の間へ逆侵攻する。残りの部隊は正門と陽動だ。……狙うは敵将モルガンの首ただ一つ!」
「おおおおっ!!」 騎士たちが咆哮する。 死に体だった軍団が、一瞬にして修羅の軍勢へと変貌した。
その中心にいるのは、私だ。 「沈黙の聖女」が、奇跡の演説(無言)で軍を蘇らせた。 もはや誰も、私をただの令嬢とは見ていない。 勝利の女神。 ジャンヌ・ダルク。
私は……帰りたかった。 (なんでこうなるの……) 士気が上がりすぎて、逆に引けない状況になってしまった。 こうなったら、勝つしかない。 勝って、平和な引きこもりライフを取り戻すしかない。
私は引きつった顔で、無言でコククリと頷いた。 (頑張ってください、期待してます)
◇
作戦は、夜明けと共に決行されることになった。 「暁の逆襲作戦」。 クラウス様が命名した。
出撃の直前。 騎士たちが装備を整える中、クラウス様が私の元へ来た。 彼は足に包帯を巻き直し、痛み止めを大量に飲んで無理やり立っていた。
「エリス。君はここに残れ」
彼は真剣な目で言った。
「これからの戦いは、修羅場になる。君を巻き込むわけにはいかない。……この砦の地下室に隠れていれば、万が一我々が全滅しても、君だけは逃げ延びられるかもしれない」
優しい提案だ。 でも、私は首を横に振った。
ここに残る? 一人で? 暗い地下室で、貴方たちが死ぬかもしれないのを震えて待てと? それに、もし負けたら、結局私は見つかって殺される。 だったら、一緒にいたほうがマシだ。 それに……。
私は彼の服の袖を掴んだ。 (私は「王城の抜け道」を知っています。私の記憶力が、きっと役に立ちます)
クラウス様は私の目を見て、ため息をついた。
「……君には敵わないな。わかった。私の背中から離れるなよ」
彼は私の手を握り、キスをした。 誓いのキス。
「必ず勝つ。そして、君に平和な朝をプレゼントする」
◇
作戦開始。 私たちは再び、あの地下水路へと潜った。 今度は逃げるためではない。 奪われたものを取り返すために。
先頭を行くのはガルド団長率いる決死隊。 中央にクラウス様と私。 最後尾をアデルが守る(彼は「今度こそ役に立つ」と意気込んでいる)。
水路を進むこと一時間。 私たちは玉座の間の真下、あの隠し通路の入り口まで戻ってきた。 上からは、ドシドシという足音と、下品な笑い声が聞こえる。 宴会の真っ最中だ。
クラウス様が合図を送る。 騎士たちが音もなく配置につく。 隠し扉のレバーに手をかける。
3、2、1……。
ガコンッ!!
隠し扉が開いた。 同時に、騎士たちが飛び出す。
「ラングハイムに栄光あれ!!」 「逆賊を討てぇぇぇ!!」
奇襲は完璧だった。 油断して酒を飲んでいた帝国兵と反乱軍は、虚を突かれて大混乱に陥った。 「な、なんだ!?」「どこから湧いてきた!?」 鎧も着けていない彼らは、怒れる近衛騎士たちの剣の前に次々と倒れていく。
私はクラウス様に守られながら、玉座の間へと踏み込んだ。 そこは、数時間前とは一変し、戦場と化していた。
玉座にふんぞり返っていたモルガン公爵が、ワイングラスを取り落として立ち上がる。 「馬鹿な! 生きていたのか!」
その隣にいたミリアが、悲鳴を上げる。 「嘘よ! 地下で死んだはずでしょう!?」
クラウス様が剣を突きつける。 その姿は、血と泥にまみれていても、誰よりも気高く、美しかった。
「地獄の底から戻ってきたぞ、モルガン。……貴様らに引導を渡すためにな」
そして、私の出番だ。 私はミリアを見据えた。 無言で。 冷ややかに。
ミリアが後退る。 「ひっ……! こないで……!」
彼女は見たのだ。 私の背後に立つ「何か」を。 それは五百人の騎士たちの士気を爆上げし、死の淵から蘇らせた「沈黙のカリスマ」のオーラ(という名の錯覚)。
戦況は、一気にこちらへと傾いた。 しかし、敵もさるもの。 モルガン公爵が懐から取り出したのは、不気味な黒い水晶だった。
「おのれ……! こうなれば道連れだ! 古代兵器『巨人(ゴーレム)』を起動する!」
ズズズズ……! 王宮の地下から、地響きが聞こえてくる。 最後の切り札。 まだ試練は終わらない。 でも、今の私たちには恐れるものはなかった。
だって、私には「最強の騎士団」と「無敵の婚約者」がいるのだから。 さあ、クライマックスだ。 全部まとめて片付けて、美味しい朝ごはんを食べるんだ!
王都の地下水路を抜け出した私たちが辿り着いたのは、王都の北外れにある「古城の砦」だった。 かつては防衛の要所として使われていたが、現在は廃墟となり、近衛騎士団の極秘の訓練場兼、緊急時の隠れ家として使われている場所だ。
雪は止んでいたが、凍てつくような寒さが肌を刺す。 泥と煤にまみれたドレスを引きずりながら、私は瀕死のクラウス様を支えて門を叩いた。
「開けて! 誰か!」
声が出た。 火事場の馬鹿力ならぬ、火事場の声量だ。 重い扉が軋みながら開き、松明を持った騎士が顔を覗かせる。
「誰だ! ここは……ああっ! 宰相閣下!? それにローゼン公爵令嬢!」
騎士が血相を変えて駆け寄ってくる。 私たちは崩れ落ちるようにして、砦の中へと保護された。
◇
砦の大広間には、王宮から命からがら逃げ延びてきた騎士たちが集まっていた。 その数、およそ五百。 本来の近衛騎士団の総数は三千を超えるはずだから、ここにいるのはほんの一握りの残党だ。 残りの仲間は捕らえられたか、あるいは……。
広間の空気は、墓場のように重かった。 誰もがうつむき、傷の手当てを受けながら、絶望に沈んでいる。 王宮が陥落したという事実は、彼らの誇りと戦意を粉々に打ち砕いていた。
「……閣下! ご無事でしたか!」
人混みをかき分けて現れたのは、近衛騎士団長のガルドだった。 彼もまた、鎧はボロボロで、左腕を吊っている。 その背後には、しょぼくれた顔をしたアデル王太子の姿もあった。
「ガルド……。状況は?」 クラウス様が簡易ベッドに横たわりながら問う。 応急処置を受けたものの、顔色は紙のように白い。失血が酷すぎる。
ガルド団長は悔しげに拳を握りしめた。
「惨敗です。……我々が突入した時、すでに王宮の要所は帝国兵に制圧されていました。モルガン公爵の私兵と、ミリアの手引きで入り込んだ工作員たちによって、内側から食い荒らされたのです」
「父上と母上は……?」 アデルが震える声で尋ねる。
「……人質として塔に幽閉されました。我々は殿下をお逃がしするのが精一杯で……不甲斐ありません!」
ガルド団長が男泣きする。 騎士たちが呻く。 「もう終わりだ」「国は滅びた」「我々には何もできない」
負の感情が連鎖し、広間を支配していく。 無理もない。 国王夫妻は人質。王都は敵の手に落ちた。 敵の数は三万とも言われる帝国軍本隊に加え、モルガン公爵の反乱軍。 対するこちらは、傷ついた五百の敗残兵。 そして指揮官であるクラウス様は重傷で動けない。
詰んでいる。 誰の目にも明らかだった。
アデルが頭を抱えて座り込んだ。 「俺のせいだ……。俺がミリアなんかに現を抜かしていなければ……こんなことには……」 今さら後悔しても遅い。彼の懺悔は、ただ周囲の士気を下げるだけの雑音だった。
クラウス様が、苦しげに息を吐きながら私を見た。 その手がおずおずと伸びて、私の指を掴む。
「エリス……。すまない。私が不甲斐ないばかりに、君をこんな絶望の淵に……」
私は首を横に振った。 貴方は戦った。 最後まで私を守ってくれた。 だから、謝らないで。
でも、どうすればいい? このままでは、夜明けと共に帝国軍がここへ押し寄せてくる。 そうなれば全滅だ。 逃げるか? いや、これだけの怪我人を連れて逃げ切れるわけがない。 戦うか? 無謀だ。自殺行為だ。
誰もが言葉を失い、沈黙が広間を包み込む。 死を待つだけの、重苦しい沈黙。
その時。
カツン。
私が一歩、前に進み出た音だけが響いた。 え? 私、なんで動いた?
自分でもわからなかった。 ただ、このお通夜のような空気に耐えられなかったのかもしれない。 あるいは、前世の記憶――悲劇的なバッドエンドを回避したいという生存本能が、私の足を動かしたのかもしれない。
私が動いたことで、五百人の視線が一斉に私に集まった。 「沈黙の聖女」。 「予知能力を持つ奇跡の令嬢」。 彼らの瞳に、すがるような色が浮かぶ。 「聖女様なら、何か打開策を知っているのではないか?」という期待。
待って。 見ないで。 策なんてないです。 ただ足が痺れて動いただけなんです。
しかし、もう引き下がれない。 ガルド団長が進み出て、私の前に跪いた。
「エリス様。……我々は、どうすればよいのでしょうか。神は、我々を見放したのでしょうか」
重い問いかけ。 私に神の代弁者になれと言うのか。
私は冷や汗をかいた。 何か言わなきゃ。 「逃げましょう」か? いや、そんなことを言えば総崩れになる。 「戦いましょう」か? 私が言っても説得力がないし、無責任だ。
言葉が出てこない。 喉が詰まる。 恐怖とプレッシャーで、視界が歪む。
(誰か……誰か、なんとかしてよ!) (貴方たちは騎士でしょう? 国の剣でしょう? なんでこんなところで膝をついて泣いてるのよ!) (武器があるじゃない! まだ手足は動くじゃない!)
私の心の中で、庶民的な怒りと焦りが爆発した。 泣いてる暇があったら動け。 諦める前にあがけ。 私は死にたくないんだ!
私はその焦燥感をぶつけるように、無言で右手を突き出した。 ビシッ! 指差した先。 そこには、ガルド団長の腰にある剣があった。 王家から賜った、立派な装飾の施された剣だ。
ガルド団長がハッとして自分の腰を見る。 「こ、これは……?」
私は次に、くるりと回れ右をして、窓の外を指差した。 夜明け前の薄暗い空。 その向こうには、黒煙を上げる王宮の影が見える。
それだけ。 剣を指差し、王宮を指差した。 私の意図はこうだ。 『その剣は飾りですか?(早くなんとかして)』 『王宮があんなことになってるんですよ!(怖いから火を消して)』
極めて他力本願で、利己的なメッセージ。 しかし。 この極限状態において、私の「無言のジェスチャー」は、またしても奇跡的な化学反応(超解釈)を引き起こした。
ガルド団長の瞳が、カッと見開かれた。 彼は震える手で、自分の剣の柄を握りしめた。
「……そうか」
彼が低く呟く。
「エリス様は……問うておられるのだ」
騎士たちがざわめく。 「何を?」「どういう意味だ?」
ガルド団長が立ち上がり、剣を鞘から引き抜いた。 ジャリッ! 鋼の音が広間に響き渡る。 彼はその切っ先を天に向け、雷に打たれたような顔で叫んだ。
「その剣は、何のためにあるのか! と!」
えっ。
「我々は嘆いていた。負けたと、終わったと、膝を屈していた。……だが、エリス様は指し示された! 『剣』と『王宮』を!」
団長の熱弁が始まる。
「この剣は、己の身を守るためのものではない! 王家を守り、国を守り、民を守るために、我々の魂として授けられたものだ! 王宮が燃えている今、なぜその剣を鞘に納めているのか! なぜ戦おうとしないのか! ……そう叱責されたのだ!」
騎士たちの顔色が変わる。 絶望の色が消え、恥辱と、そして新たな闘志が灯り始める。
「そうだ……。俺たちは近衛騎士だ」 「王宮を守る盾だ」 「まだ命がある。剣がある。……なのに、ここで死を待つなど、騎士の恥だ!」
空気が変わった。 重苦しい停滞した空気が、熱を帯びた「殺気」へと変わっていく。
ガルド団長が私を見る。 その目は、もはや迷いなき戦士の目だった。
「エリス様。貴女の沈黙は、千の言葉よりも重い鞭でした。……我々は忘れていたのです。勝算があるから戦うのではない。守るべきものがあるから、戦うのだということを!」
いや、勝算は大事ですよ? 無策で突っ込んだら死にますよ?
しかし、私の心配をよそに、クラウス様がベッドから身を起こした。 彼もまた、私の行動を見て、何かを感じ取ったようだ。 痛む体を押して立ち上がり、ガルド団長の横に並ぶ。
「……エリスの言う通りだ」
クラウス様の声は、負傷しているとは思えないほど力強かった。
「敵は三万。我々は五百。……だが、敵は油断している。勝利に酔いしれ、酒盛りをしている最中だろう。さらに、彼らは急造の混成部隊だ。指揮系統は混乱しているはず」
彼の「氷の頭脳」が高速回転を始める。
「王宮の構造を知り尽くしているのは、我々だ。隠し通路、抜け道、防衛設備……全てを利用すれば、少数でも勝機はある」
彼は地図を広げた。
「ガルド、精鋭五十名を選抜しろ。地下水路を使って玉座の間へ逆侵攻する。残りの部隊は正門と陽動だ。……狙うは敵将モルガンの首ただ一つ!」
「おおおおっ!!」 騎士たちが咆哮する。 死に体だった軍団が、一瞬にして修羅の軍勢へと変貌した。
その中心にいるのは、私だ。 「沈黙の聖女」が、奇跡の演説(無言)で軍を蘇らせた。 もはや誰も、私をただの令嬢とは見ていない。 勝利の女神。 ジャンヌ・ダルク。
私は……帰りたかった。 (なんでこうなるの……) 士気が上がりすぎて、逆に引けない状況になってしまった。 こうなったら、勝つしかない。 勝って、平和な引きこもりライフを取り戻すしかない。
私は引きつった顔で、無言でコククリと頷いた。 (頑張ってください、期待してます)
◇
作戦は、夜明けと共に決行されることになった。 「暁の逆襲作戦」。 クラウス様が命名した。
出撃の直前。 騎士たちが装備を整える中、クラウス様が私の元へ来た。 彼は足に包帯を巻き直し、痛み止めを大量に飲んで無理やり立っていた。
「エリス。君はここに残れ」
彼は真剣な目で言った。
「これからの戦いは、修羅場になる。君を巻き込むわけにはいかない。……この砦の地下室に隠れていれば、万が一我々が全滅しても、君だけは逃げ延びられるかもしれない」
優しい提案だ。 でも、私は首を横に振った。
ここに残る? 一人で? 暗い地下室で、貴方たちが死ぬかもしれないのを震えて待てと? それに、もし負けたら、結局私は見つかって殺される。 だったら、一緒にいたほうがマシだ。 それに……。
私は彼の服の袖を掴んだ。 (私は「王城の抜け道」を知っています。私の記憶力が、きっと役に立ちます)
クラウス様は私の目を見て、ため息をついた。
「……君には敵わないな。わかった。私の背中から離れるなよ」
彼は私の手を握り、キスをした。 誓いのキス。
「必ず勝つ。そして、君に平和な朝をプレゼントする」
◇
作戦開始。 私たちは再び、あの地下水路へと潜った。 今度は逃げるためではない。 奪われたものを取り返すために。
先頭を行くのはガルド団長率いる決死隊。 中央にクラウス様と私。 最後尾をアデルが守る(彼は「今度こそ役に立つ」と意気込んでいる)。
水路を進むこと一時間。 私たちは玉座の間の真下、あの隠し通路の入り口まで戻ってきた。 上からは、ドシドシという足音と、下品な笑い声が聞こえる。 宴会の真っ最中だ。
クラウス様が合図を送る。 騎士たちが音もなく配置につく。 隠し扉のレバーに手をかける。
3、2、1……。
ガコンッ!!
隠し扉が開いた。 同時に、騎士たちが飛び出す。
「ラングハイムに栄光あれ!!」 「逆賊を討てぇぇぇ!!」
奇襲は完璧だった。 油断して酒を飲んでいた帝国兵と反乱軍は、虚を突かれて大混乱に陥った。 「な、なんだ!?」「どこから湧いてきた!?」 鎧も着けていない彼らは、怒れる近衛騎士たちの剣の前に次々と倒れていく。
私はクラウス様に守られながら、玉座の間へと踏み込んだ。 そこは、数時間前とは一変し、戦場と化していた。
玉座にふんぞり返っていたモルガン公爵が、ワイングラスを取り落として立ち上がる。 「馬鹿な! 生きていたのか!」
その隣にいたミリアが、悲鳴を上げる。 「嘘よ! 地下で死んだはずでしょう!?」
クラウス様が剣を突きつける。 その姿は、血と泥にまみれていても、誰よりも気高く、美しかった。
「地獄の底から戻ってきたぞ、モルガン。……貴様らに引導を渡すためにな」
そして、私の出番だ。 私はミリアを見据えた。 無言で。 冷ややかに。
ミリアが後退る。 「ひっ……! こないで……!」
彼女は見たのだ。 私の背後に立つ「何か」を。 それは五百人の騎士たちの士気を爆上げし、死の淵から蘇らせた「沈黙のカリスマ」のオーラ(という名の錯覚)。
戦況は、一気にこちらへと傾いた。 しかし、敵もさるもの。 モルガン公爵が懐から取り出したのは、不気味な黒い水晶だった。
「おのれ……! こうなれば道連れだ! 古代兵器『巨人(ゴーレム)』を起動する!」
ズズズズ……! 王宮の地下から、地響きが聞こえてくる。 最後の切り札。 まだ試練は終わらない。 でも、今の私たちには恐れるものはなかった。
だって、私には「最強の騎士団」と「無敵の婚約者」がいるのだから。 さあ、クライマックスだ。 全部まとめて片付けて、美味しい朝ごはんを食べるんだ!
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