『悪役令嬢は、二度目の人生で無言を貫く。~処刑回避のために黙っていただけなのに、なぜか冷徹宰相様から「君こそ運命の人だ」と溺愛さています~』

放浪人

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第18話:エリスの「演説」

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 夜明け前。  世界で一番暗く、そして冷たい時間が流れていた。

 王都の地下水路を抜け出した私たちが辿り着いたのは、王都の北外れにある「古城の砦」だった。  かつては防衛の要所として使われていたが、現在は廃墟となり、近衛騎士団の極秘の訓練場兼、緊急時の隠れ家として使われている場所だ。

 雪は止んでいたが、凍てつくような寒さが肌を刺す。  泥と煤にまみれたドレスを引きずりながら、私は瀕死のクラウス様を支えて門を叩いた。

「開けて! 誰か!」

 声が出た。  火事場の馬鹿力ならぬ、火事場の声量だ。  重い扉が軋みながら開き、松明を持った騎士が顔を覗かせる。

「誰だ! ここは……ああっ! 宰相閣下!? それにローゼン公爵令嬢!」

 騎士が血相を変えて駆け寄ってくる。  私たちは崩れ落ちるようにして、砦の中へと保護された。

          ◇

 砦の大広間には、王宮から命からがら逃げ延びてきた騎士たちが集まっていた。  その数、およそ五百。  本来の近衛騎士団の総数は三千を超えるはずだから、ここにいるのはほんの一握りの残党だ。  残りの仲間は捕らえられたか、あるいは……。

 広間の空気は、墓場のように重かった。  誰もがうつむき、傷の手当てを受けながら、絶望に沈んでいる。  王宮が陥落したという事実は、彼らの誇りと戦意を粉々に打ち砕いていた。

「……閣下! ご無事でしたか!」

 人混みをかき分けて現れたのは、近衛騎士団長のガルドだった。  彼もまた、鎧はボロボロで、左腕を吊っている。  その背後には、しょぼくれた顔をしたアデル王太子の姿もあった。

「ガルド……。状況は?」  クラウス様が簡易ベッドに横たわりながら問う。  応急処置を受けたものの、顔色は紙のように白い。失血が酷すぎる。

 ガルド団長は悔しげに拳を握りしめた。

「惨敗です。……我々が突入した時、すでに王宮の要所は帝国兵に制圧されていました。モルガン公爵の私兵と、ミリアの手引きで入り込んだ工作員たちによって、内側から食い荒らされたのです」

「父上と母上は……?」  アデルが震える声で尋ねる。

「……人質として塔に幽閉されました。我々は殿下をお逃がしするのが精一杯で……不甲斐ありません!」

 ガルド団長が男泣きする。  騎士たちが呻く。  「もう終わりだ」「国は滅びた」「我々には何もできない」

 負の感情が連鎖し、広間を支配していく。  無理もない。  国王夫妻は人質。王都は敵の手に落ちた。  敵の数は三万とも言われる帝国軍本隊に加え、モルガン公爵の反乱軍。  対するこちらは、傷ついた五百の敗残兵。  そして指揮官であるクラウス様は重傷で動けない。

 詰んでいる。  誰の目にも明らかだった。

 アデルが頭を抱えて座り込んだ。  「俺のせいだ……。俺がミリアなんかに現を抜かしていなければ……こんなことには……」  今さら後悔しても遅い。彼の懺悔は、ただ周囲の士気を下げるだけの雑音だった。

 クラウス様が、苦しげに息を吐きながら私を見た。  その手がおずおずと伸びて、私の指を掴む。

「エリス……。すまない。私が不甲斐ないばかりに、君をこんな絶望の淵に……」

 私は首を横に振った。  貴方は戦った。  最後まで私を守ってくれた。  だから、謝らないで。

 でも、どうすればいい?  このままでは、夜明けと共に帝国軍がここへ押し寄せてくる。  そうなれば全滅だ。  逃げるか?  いや、これだけの怪我人を連れて逃げ切れるわけがない。  戦うか?  無謀だ。自殺行為だ。

 誰もが言葉を失い、沈黙が広間を包み込む。  死を待つだけの、重苦しい沈黙。

 その時。

 カツン。

 私が一歩、前に進み出た音だけが響いた。  え?  私、なんで動いた?

 自分でもわからなかった。  ただ、このお通夜のような空気に耐えられなかったのかもしれない。  あるいは、前世の記憶――悲劇的なバッドエンドを回避したいという生存本能が、私の足を動かしたのかもしれない。

 私が動いたことで、五百人の視線が一斉に私に集まった。  「沈黙の聖女」。  「予知能力を持つ奇跡の令嬢」。  彼らの瞳に、すがるような色が浮かぶ。  「聖女様なら、何か打開策を知っているのではないか?」という期待。

 待って。  見ないで。  策なんてないです。  ただ足が痺れて動いただけなんです。

 しかし、もう引き下がれない。  ガルド団長が進み出て、私の前に跪いた。

「エリス様。……我々は、どうすればよいのでしょうか。神は、我々を見放したのでしょうか」

 重い問いかけ。  私に神の代弁者になれと言うのか。

 私は冷や汗をかいた。  何か言わなきゃ。  「逃げましょう」か?  いや、そんなことを言えば総崩れになる。  「戦いましょう」か?  私が言っても説得力がないし、無責任だ。

 言葉が出てこない。  喉が詰まる。  恐怖とプレッシャーで、視界が歪む。

(誰か……誰か、なんとかしてよ!) (貴方たちは騎士でしょう? 国の剣でしょう? なんでこんなところで膝をついて泣いてるのよ!) (武器があるじゃない! まだ手足は動くじゃない!)

 私の心の中で、庶民的な怒りと焦りが爆発した。  泣いてる暇があったら動け。  諦める前にあがけ。  私は死にたくないんだ!

 私はその焦燥感をぶつけるように、無言で右手を突き出した。  ビシッ!  指差した先。  そこには、ガルド団長の腰にある剣があった。  王家から賜った、立派な装飾の施された剣だ。

 ガルド団長がハッとして自分の腰を見る。  「こ、これは……?」

 私は次に、くるりと回れ右をして、窓の外を指差した。  夜明け前の薄暗い空。  その向こうには、黒煙を上げる王宮の影が見える。

 それだけ。  剣を指差し、王宮を指差した。  私の意図はこうだ。  『その剣は飾りですか?(早くなんとかして)』  『王宮があんなことになってるんですよ!(怖いから火を消して)』

 極めて他力本願で、利己的なメッセージ。  しかし。  この極限状態において、私の「無言のジェスチャー」は、またしても奇跡的な化学反応(超解釈)を引き起こした。

 ガルド団長の瞳が、カッと見開かれた。  彼は震える手で、自分の剣の柄を握りしめた。

「……そうか」

 彼が低く呟く。

「エリス様は……問うておられるのだ」

 騎士たちがざわめく。  「何を?」「どういう意味だ?」

 ガルド団長が立ち上がり、剣を鞘から引き抜いた。  ジャリッ!  鋼の音が広間に響き渡る。  彼はその切っ先を天に向け、雷に打たれたような顔で叫んだ。

「その剣は、何のためにあるのか! と!」

 えっ。

「我々は嘆いていた。負けたと、終わったと、膝を屈していた。……だが、エリス様は指し示された! 『剣』と『王宮』を!」

 団長の熱弁が始まる。

「この剣は、己の身を守るためのものではない! 王家を守り、国を守り、民を守るために、我々の魂として授けられたものだ! 王宮が燃えている今、なぜその剣を鞘に納めているのか! なぜ戦おうとしないのか! ……そう叱責されたのだ!」

 騎士たちの顔色が変わる。  絶望の色が消え、恥辱と、そして新たな闘志が灯り始める。

「そうだ……。俺たちは近衛騎士だ」 「王宮を守る盾だ」 「まだ命がある。剣がある。……なのに、ここで死を待つなど、騎士の恥だ!」

 空気が変わった。  重苦しい停滞した空気が、熱を帯びた「殺気」へと変わっていく。

 ガルド団長が私を見る。  その目は、もはや迷いなき戦士の目だった。

「エリス様。貴女の沈黙は、千の言葉よりも重い鞭でした。……我々は忘れていたのです。勝算があるから戦うのではない。守るべきものがあるから、戦うのだということを!」

 いや、勝算は大事ですよ?  無策で突っ込んだら死にますよ?

 しかし、私の心配をよそに、クラウス様がベッドから身を起こした。  彼もまた、私の行動を見て、何かを感じ取ったようだ。  痛む体を押して立ち上がり、ガルド団長の横に並ぶ。

「……エリスの言う通りだ」

 クラウス様の声は、負傷しているとは思えないほど力強かった。

「敵は三万。我々は五百。……だが、敵は油断している。勝利に酔いしれ、酒盛りをしている最中だろう。さらに、彼らは急造の混成部隊だ。指揮系統は混乱しているはず」

 彼の「氷の頭脳」が高速回転を始める。

「王宮の構造を知り尽くしているのは、我々だ。隠し通路、抜け道、防衛設備……全てを利用すれば、少数でも勝機はある」

 彼は地図を広げた。

「ガルド、精鋭五十名を選抜しろ。地下水路を使って玉座の間へ逆侵攻する。残りの部隊は正門と陽動だ。……狙うは敵将モルガンの首ただ一つ!」

「おおおおっ!!」  騎士たちが咆哮する。  死に体だった軍団が、一瞬にして修羅の軍勢へと変貌した。

 その中心にいるのは、私だ。  「沈黙の聖女」が、奇跡の演説(無言)で軍を蘇らせた。  もはや誰も、私をただの令嬢とは見ていない。  勝利の女神。  ジャンヌ・ダルク。

 私は……帰りたかった。  (なんでこうなるの……)  士気が上がりすぎて、逆に引けない状況になってしまった。  こうなったら、勝つしかない。  勝って、平和な引きこもりライフを取り戻すしかない。

 私は引きつった顔で、無言でコククリと頷いた。  (頑張ってください、期待してます)

          ◇

 作戦は、夜明けと共に決行されることになった。  「暁の逆襲作戦」。  クラウス様が命名した。

 出撃の直前。  騎士たちが装備を整える中、クラウス様が私の元へ来た。  彼は足に包帯を巻き直し、痛み止めを大量に飲んで無理やり立っていた。

「エリス。君はここに残れ」

 彼は真剣な目で言った。

「これからの戦いは、修羅場になる。君を巻き込むわけにはいかない。……この砦の地下室に隠れていれば、万が一我々が全滅しても、君だけは逃げ延びられるかもしれない」

 優しい提案だ。  でも、私は首を横に振った。

 ここに残る?  一人で?  暗い地下室で、貴方たちが死ぬかもしれないのを震えて待てと?  それに、もし負けたら、結局私は見つかって殺される。  だったら、一緒にいたほうがマシだ。  それに……。

 私は彼の服の袖を掴んだ。  (私は「王城の抜け道」を知っています。私の記憶力が、きっと役に立ちます)

 クラウス様は私の目を見て、ため息をついた。

「……君には敵わないな。わかった。私の背中から離れるなよ」

 彼は私の手を握り、キスをした。  誓いのキス。

「必ず勝つ。そして、君に平和な朝をプレゼントする」

          ◇

 作戦開始。  私たちは再び、あの地下水路へと潜った。  今度は逃げるためではない。  奪われたものを取り返すために。

 先頭を行くのはガルド団長率いる決死隊。  中央にクラウス様と私。  最後尾をアデルが守る(彼は「今度こそ役に立つ」と意気込んでいる)。

 水路を進むこと一時間。  私たちは玉座の間の真下、あの隠し通路の入り口まで戻ってきた。  上からは、ドシドシという足音と、下品な笑い声が聞こえる。  宴会の真っ最中だ。

 クラウス様が合図を送る。  騎士たちが音もなく配置につく。  隠し扉のレバーに手をかける。

 3、2、1……。

 ガコンッ!!

 隠し扉が開いた。  同時に、騎士たちが飛び出す。

「ラングハイムに栄光あれ!!」 「逆賊を討てぇぇぇ!!」

 奇襲は完璧だった。  油断して酒を飲んでいた帝国兵と反乱軍は、虚を突かれて大混乱に陥った。  「な、なんだ!?」「どこから湧いてきた!?」  鎧も着けていない彼らは、怒れる近衛騎士たちの剣の前に次々と倒れていく。

 私はクラウス様に守られながら、玉座の間へと踏み込んだ。  そこは、数時間前とは一変し、戦場と化していた。

 玉座にふんぞり返っていたモルガン公爵が、ワイングラスを取り落として立ち上がる。  「馬鹿な! 生きていたのか!」

 その隣にいたミリアが、悲鳴を上げる。  「嘘よ! 地下で死んだはずでしょう!?」

 クラウス様が剣を突きつける。  その姿は、血と泥にまみれていても、誰よりも気高く、美しかった。

「地獄の底から戻ってきたぞ、モルガン。……貴様らに引導を渡すためにな」

 そして、私の出番だ。  私はミリアを見据えた。  無言で。  冷ややかに。

 ミリアが後退る。  「ひっ……! こないで……!」

 彼女は見たのだ。  私の背後に立つ「何か」を。  それは五百人の騎士たちの士気を爆上げし、死の淵から蘇らせた「沈黙のカリスマ」のオーラ(という名の錯覚)。

 戦況は、一気にこちらへと傾いた。  しかし、敵もさるもの。  モルガン公爵が懐から取り出したのは、不気味な黒い水晶だった。

「おのれ……! こうなれば道連れだ! 古代兵器『巨人(ゴーレム)』を起動する!」

 ズズズズ……!  王宮の地下から、地響きが聞こえてくる。  最後の切り札。  まだ試練は終わらない。  でも、今の私たちには恐れるものはなかった。

 だって、私には「最強の騎士団」と「無敵の婚約者」がいるのだから。  さあ、クライマックスだ。  全部まとめて片付けて、美味しい朝ごはんを食べるんだ!
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