『悪役令嬢は、二度目の人生で無言を貫く。~処刑回避のために黙っていただけなのに、なぜか冷徹宰相様から「君こそ運命の人だ」と溺愛さています~』

放浪人

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第20話(最終話):エピローグ・お喋りな幸福

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 ミリアとの決戦、そしてクーデターの鎮圧から、半年が過ぎた。  王都には、再び平和な日常が戻っていた。

 季節は巡り、初夏。  抜けるような青空の下、王都の大通りは、かつてないほどの熱気と祝祭ムードに包まれていた。  街路樹には紅白のリボンが結ばれ、建物の窓からは色とりどりの花吹雪が舞っている。  沿道を埋め尽くす民衆たちは、皆一様に興奮し、ある「パレード」の到着を今か今かと待ちわびていた。

 そう。  今日は、この国を救った英雄たちの結婚式。  「氷の宰相」ことクラウス・ヴァン・アイゼンベルク侯爵と、「沈黙の聖女」ことエリス・フォン・ローゼン公爵令嬢の、世紀のロイヤルウェディング当日である。

          ◇

「……き、緊張で吐きそうです」

 王宮の控え室。  私は純白のウェディングドレスに身を包み、鏡の前でガタガタと震えていた。

 今日のドレスは、王室御用達の職人が総力を挙げて仕立てた最高傑作だ。  シルクの生地には銀糸で細やかな刺繍が施され、無数の小粒なダイヤモンドが散りばめられている。動くたびにキラキラと光を反射し、まるで天の川を纏っているようだ。  綺麗だ。  信じられないくらい綺麗だけれど、重い。  物理的にも重いし、精神的なプレッシャーが半端ない。

 私の専属メイド、アンナが涙目で化粧の仕上げをしている。

「お嬢様……本当にお綺麗です。あの日、処刑台から戻ってこられた時は、まさかこんな晴れの日が来るなんて夢にも思いませんでした」 「……(コクッ)」

 私は無言で頷いた。  私も思っていなかった。  あの日、「とにかく処刑されたくない」「目立たず生きよう」と決意して、ひたすら黙り込んでいた私が、まさか国の英雄となり、宰相閣下の妻になるなんて。  人生、何が起こるかわからない。

 コンコン。  ノックの音がして、扉が開いた。  入ってきたのは、今日の主役である新郎、クラウス様だ。

 私は息を呑んだ。  いつもの黒いフロックコートではない。  今日は純白のタキシード姿だ。  漆黒の髪を整え、精悍な顔立ちが一層際立っている。  その姿は、童話に出てくる王子様そのもの――いや、それ以上に気品と色気が漂っていて、直視するのが眩しいくらいだ。

 クラウス様は私を見ると、動きを止め、ほうっと深いため息をついた。

「……美しい」

 彼はゆっくりと歩み寄り、私の手を取った。

「言葉にならないな。君の美しさを表現するには、この世の辞書にある賛辞をすべて並べても足りない」 「……(照)」

 私は顔を赤くして俯いた。  半年経っても、この人のストレートな愛情表現には慣れない。  心臓が保たない。

「準備はいいか、エリス? 外では国民たちが、君の姿を一目見ようと待ち構えているよ」

 うっ。  胃が痛い。  「沈黙の聖女」ファンの皆様の期待に応えられるだろうか。  もし私が転んでドレスを破いたり、緊張で変な顔をしたりしたら、幻滅されるのではないか。

 私が不安げに眉を寄せると、クラウス様は私の頬を優しく撫でた。

「大丈夫だ。君はただ、私の隣で微笑んでいればいい。……もし転びそうになったら、私が必ず支える。もし世界中が君を笑っても、私だけは君を世界一可愛いと思う自信がある」

 甘い。  砂糖菓子より甘い。  でも、その言葉のおかげで、強張っていた肩の力が少し抜けた。

 私は深呼吸をして、彼の腕に手を添えた。  行きましょう。  私たちの、新しい人生の始まりへ。

          ◇

 王宮から大聖堂へと向かうパレードは、壮絶な盛り上がりを見せていた。

 オープン仕様の馬車に乗った私たちに、沿道から割れんばかりの歓声が浴びせられる。  「聖女様ー!」「宰相閣下ー!」「おめでとうございますー!」  花吹雪が舞う。  人々が手を振り、涙を流して祝福してくれている。

 私は、あの「処刑の日」を思い出していた。  あの日、この同じ通りを、私は罪人として引き回されていた。  飛んでくるのは石礫と罵声。  向けられるのは憎悪の視線。

 それが今は、どうだ。  石礫は花びらに変わり、罵声は祝福に変わった。  世界が反転したのだ。  たった一つの武器――「沈黙」によって。

(……不思議だなぁ)

 私は民衆に手を振り返しながら、心の中で呟いた。  私は何も変わっていない。  中身は相変わらずビビリで、小心者で、普通のエリスだ。  変わったのは、周囲の目と、そして隣にいるパートナーだ。

 クラウス様が、私の手をギュッと握った。  人前でもお構いなしだ。  彼は民衆に向かって、誇らしげに私の手を掲げて見せた。  「見ろ、これが私の妻だ」と言わんばかりに。

 その堂々とした姿に、民衆はさらに熱狂する。  「ヒューッ!」「アツアツだぞ!」「お幸せに!」

 私は恥ずかしさで爆発しそうになりながら、それでも精一杯の「聖女スマイル(引きつり気味)」をキープし続けた。

          ◇

 大聖堂での挙式は、厳かに行われた。  ステンドグラスから差し込む七色の光。  パイプオルガンの荘厳な響き。  参列席には、国王陛下、王妃陛下をはじめ、近衛騎士団の面々(ガルド団長は号泣している)、そして私の両親が座っている。

 祭壇の前。  神父様が、誓いの言葉を問いかける。

「新郎、クラウス・ヴァン・アイゼンベルク。汝、この者を妻とし、病める時も健やかなる時も、これを愛し、敬い、慰め、助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓うか?」

「誓います」  クラウス様の声は、力強く、迷いがなかった。  大聖堂に響き渡る、確信に満ちた低音。

「新婦、エリス・フォン・ローゼン。汝、この者を夫とし……誓うか?」

 私の番だ。  一瞬、静寂が訪れる。  参列者たちが固唾を飲んで見守っている。  「沈黙の聖女」である私が、この場でどう答えるのか。  無言で頷くのか?  それとも……?

 私は、クラウス様の目を見た。  灰色の瞳が、優しく私を見つめている。  『無理しなくていい』と言っている。  『頷くだけでもいいんだよ』と。

 でも。  私は決めていた。  この大切な誓いだけは、ちゃんと自分の声で伝えたいと。  誰のためでもない、彼のためだけに。

 私は大きく息を吸い込んだ。  そして、震える唇を開いた。

「……はい。誓います」

 私の声は、小さかったかもしれない。  でも、静まり返った大聖堂の中では、澄み渡る鈴の音のように響いた。

 どよめきが起きた。  「喋った……!」  「聖女様の声だ……」  「なんて美しい声なんだ」

 クラウス様が、破顔した。  あんなに嬉しそうな、少年のようなくしゃくしゃの笑顔を、私は初めて見た。  彼は誓いのキスをするために、ベールを持ち上げた。  至近距離で目が合う。

「……ありがとう、エリス」  彼が囁く。

「……愛しています」  私も囁き返した。  彼だけに聞こえる音量で。

 唇が重なる。  長い、長いキス。  拍手喝采が巻き起こる中、私は幸福感で目眩がしそうだった。

          ◇

 式の後は、王宮の大広間で盛大な披露宴が行われた。  美味しい料理が次々と運ばれてくる。  フォアグラのテリーヌ、伊勢海老のスープ、最高級牛のロースト……。

 しかし。  私は食べられなかった。

 理由は二つ。  一つは、ドレスのコルセットがきつすぎて、胃が圧迫されていること。  もう一つは、ひっきりなしに挨拶に来る貴族たちの対応に追われていることだ。

「本日はおめでとうございます!」 「あやかりたいものです」 「聖女様の加護を!」

 私はグラス片手に、無言で微笑み、頷き続けるマシーンと化していた。  お腹すいた。  目の前でステーキのいい匂いがしているのに、一口も食べられないなんて拷問だ。  グゥ~……。  お腹の虫が鳴いた。  まずい。バレたか?  周りの音楽がかき消してくれたことを祈る。

 その時、隣に座るクラウス様が、私の耳元に顔を寄せた。

「……お腹が空いたのか?」

 地獄耳だ。  私は恥ずかしくて顔を真っ赤にし、小さくコクンと頷いた。

 クラウス様は口元を手で隠し、クスクスと笑った。

「可哀想に。……私の可愛いリスさんは、木の実が足りていないようだ」

 リス扱い、まだ継続中ですか。

「あとで部屋に戻ったら、二人きりで祝杯をあげよう。君の好きなものを、山ほど用意させてある」 「!!」

 私は目を輝かせた。  本当ですか!  焼き芋ありますか!  プリンはありますか!

 私の「食欲」という名の欲望がだだ漏れになっている顔を見て、クラウス様はさらに愛おしそうに目を細めた。

「君のそういうところが好きだ。……聖女の仮面の下にある、食いしん坊で人間くさい素顔がね」

 彼はテーブルの下で、私の手をこっそりと握った。  誰にも見えない場所で繋がる手。  それが、私たちだけの秘密の共有のようで、ドキドキした。

 披露宴の途中、話題は自然と「あの事件」のその後へと移った。

 ミリア・ベルガー。  彼女は裁判の結果、国家反逆罪で終身刑となり、北の果てにある監獄塔へ送られた。  二度とシャバの空気を吸うことはない。  彼女が最後に叫んだ言葉は、「私は悪くない! シナリオが間違ってたのよ!」だったらしい。  彼女は最後まで、自分の物語の檻から出られなかったのだ。

 そして、アデル元王太子。  彼は廃嫡となり、平民として辺境の修道院に入った。  風の噂では、畑仕事に精を出し、村の子供たちに勉強を教えながら、静かに暮らしているという。  「今の生活のほうが、王宮にいた頃より自分らしい」と手紙(今度はポエムではない、普通の近況報告)が届いたこともあった。  彼もまた、彼なりの幸せを見つけたのかもしれない。

 全てが終わった。  私の平穏を脅かすものは、もういない。

          ◇

 長い長い披露宴が終わり、夜になった。  私たちはアイゼンベルク侯爵邸(今日からは私たちの愛の巣)へと戻ってきた。

 使用人たちが下がると、広い寝室には二人きり。  私は重たいドレスを脱ぎ捨て、楽なネグリジェに着替えた。  やっと解放された!

「ふあぁ……疲れたぁ……」

 私はベッドに大の字になって、思い切り伸びをした。  聖女の仮面、オフモード。  これが私の素の姿だ。  人前では絶対に見せられない、だらけた姿。

 でも、クラウス様はそれを見て、嬉しそうに笑っている。  彼はネクタイを緩め、ベッドの端に腰掛けた。

「お疲れ様、エリス。……よく頑張ったね」 「足が棒のようです……。もう一歩も歩けません」

 私はボソボソと文句を言った。  以前なら、こんなことを言ったら幻滅されるんじゃないかと怖かった。  でも今は違う。

 クラウス様は私の足を手に取り、優しくマッサージを始めた。

「今日は一日中立ちっぱなしだったからな。……ここか? 痛いのは」 「あ、そこです。……うぅ、気持ちいい……」 「明日は一日中寝ていていいよ。誰にも邪魔させない」

 優しい。  スパダリすぎる。  宰相閣下に足を揉ませるなんて、不敬罪で斬首ものだが、夫としては最高だ。

「ねえ、クラウス様」 「ん?」 「お腹すきました」

 色気もへったくれもない発言。  しかし、クラウス様は「待ってました」とばかりに、サイドテーブルから銀のワゴンを引き寄せた。  カバーを開けると、そこには一口サイズのサンドイッチ、キッシュ、フルーツ、そして特製の焼きプリンが並んでいた。

「わぁ……!」  私は起き上がり、目を輝かせた。

「さあ、召し上がれ。私の可愛いお姫様」

 私はパクついた。  美味しい。  空っぽの胃袋に染み渡る。

「ん~! 生き返ります!」 「ふふ。……君が美味しそうに食べる音は、私にとって天使のさえずりだよ」

 フィルターが分厚い。  咀嚼音が天使のさえずりって、どういう聴覚構造をしているのか。  でも、彼が幸せそうだから、まあいいか。

 一通り食べて満足すると、今度は猛烈な睡魔が襲ってきた。  お腹がいっぱいで、暖かくて、安心したら、もうまぶたが開かない。

「……眠い?」  クラウス様が顔を覗き込む。

「はい……。もう、目が……」 「寝ていいよ。今日は特別な夜だけど……続きは、また明日以降のお楽しみだ」

 彼は私を抱き寄せ、布団をかけてくれた。  私は彼の胸に頭を擦り付けた。  トクトクと聞こえる心臓の音。  一番落ち着く音。

「クラウス様……」 「なんだい?」 「……幸せです」

 私はウトウトしながら、本音を漏らした。

「私、ずっと喋るのが怖かったんです。言葉で失敗して、また嫌われるのが怖くて……。でも、貴方は私の沈黙も、こうして喋る私も、全部受け入れてくれた」

 クラウス様の手が止まる。  そして、優しく髪を撫でてくれた。

「当たり前だ。……君が黙っていても、喋っていても、君は君だ。私の唯一無二の愛しい人だ」

 彼は私の額にキスをした。

「おやすみ、エリス。愛している」 「……私も……愛して……」

 最後まで言えず、私は深い眠りの底へと落ちていった。  夢も見ないほどの、安らかな眠りへ。

          ◇

 翌朝。  窓から差し込む朝日で目が覚めた。  隣を見ると、クラウス様がまだ眠っている。  整った寝顔。  長いまつ毛。  無防備な表情。

 私はこっそりと、彼に内緒で彼の頬にキスをした。  「おはようございます、旦那様」

 これから先も、きっと色々なことがあるだろう。  宰相夫人の務めは大変だろうし、時にはまた「沈黙の聖女」を演じなければならない場面もあるかもしれない。  でも、この家の中では、私はただの「お喋りで食いしん坊なエリス」でいられる。  彼がそれを許してくれる限り、私は無敵だ。

 私はベッドから抜け出し、窓を開けた。  爽やかな朝の風が吹き込んでくる。  遠くの広場に、新しく建てられた私の銅像がキラリと光っているのが見えた。  うわ、やっぱり恥ずかしい。  あんなポーズ、一生の黒歴史だ。

 でも。  あの銅像の台座に刻まれた言葉を思い出す。  『沈黙は金なり』。

 確かに、沈黙は私を救ってくれた。  多くの誤解と幸運を呼び込み、私をここまで連れてきてくれた。  沈黙は、金(ゴールド)のように価値あるものだった。

 けれど。

 私は振り返り、寝息を立てる最愛の夫を見た。  胸の奥から、温かいものが込み上げてくる。  叫びたいほどの幸福感。  誰かに伝えたくてたまらない愛おしさ。

『沈黙は金と言うけれど、この幸せだけは、誰かに叫びたい気分だわ』

 私は窓の外に向かって、音のない声で叫んだ。  「私は今、世界一幸せです!」と。

 そして、私はニッコリと微笑んだ。  誰のためでもない、私自身のための、最高の笑顔で。

 私の物語は、これでおしまい。  でも、私たちの「お喋りな幸福」の日々は、まだ始まったばかりだ。

 ――Fin.
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