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第4話:氷の公爵様の、小さな綻び
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あの中庭での出来事から数日後。
私はアレクシス様に、彼の執務室へと呼び出された。
古城の中でも、ひときわ重厚な扉の前で、私は一度深呼吸をする。
(何を、言われるんだろう……)
緊張で早鐘を打つ心臓を抑えながら、控えめに扉をノックした。
「失礼します、公爵様」
「……入れ」
中から聞こえたのは、相変わらずの、感情の読めない低い声。
おずおずと扉を開けると、彼は山のように積まれた書類の山から、静かに顔を上げた。
相変わらずの完璧な無表情。
でも、以前のような、全てを拒絶するような突き放す冷たさは、少しだけ和らいでいる気がする。
そう思うのは、私のただの願望だろうか。
促されるまま、彼の大きな執務机の前まで進み出る。
彼はじっと私の顔を見つめ、やがて、重々しく口を開いた。
「あの中庭……」
「は、はい」
「……好きに使うことを許可する」
「……え?」
予想だにしなかった言葉に、私は思わず目を丸くした。
「あの中庭を、ですか? 私が、使っていいのですか?」
「ああ。君の好きにするといい。必要な道具があれば、執事に申し付けろ。人手が必要なら、それも手配しよう」
淡々と、しかしはっきりと彼は告げる。
その蒼い瞳には、ほんの少しだけ、何かを期待するような色が宿っているように見えた。
それは、私に対する信頼の証のように思えて、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「あ、ありがとうございます……! 嬉しいです、本当に!」
思わず、満面の笑みでそう答えていた。
すると、アレクシス様の蒼い瞳が、ほんのわずかに揺らめいた。
彼は何かを堪えるように、ふいっと素早く視線を書類に戻してしまう。
その仕草が、なぜだかとても人間らしく感じられて、私の心はさらに温かくなった。
(もしかして、今の笑顔、見てくれたのかな……?)
彼の些細な反応の一つ一つが、私の心を明るく照らしてくれる。
その日から、私の本格的な庭造りが始まった。
アレクシス様が手配してくれた数人の無口な庭師たちは、最初こそ、こんな小娘に何ができるのかと訝しげな目を向けていた。
けれど、私が力を使うと、枯れた植物がみるみるうちに息を吹き返すのを目の当たりにして、次第にその態度は驚きへ、そして尊敬の念へと変わっていった。
「リリアーナ様は……本当に、聖女様だったんだな……」
庭師の一人が、畏敬の念を込めて呟く。
「いいえ、そんなことはありません。私にできるのは、これだけですから」
私は微笑んで答える。
王都では偽物と蔑まれ、石もて追われるように追い出されたこの力が、ここではこんなにも喜ばれる。
その事実が、傷ついていた私の心を、何よりも優しく癒してくれた。
私はまず、土壌の浄化から始めた。
呪いに蝕まれ、黒く変色した土に両手を当て、全身全霊で力を注ぎ込む。
それは体力をひどく消耗する作業だったけれど、少しずつ、少しずつ、土の色が本来の生命力あふれる黒褐色に戻っていくのを見ると、疲れもどこかへ吹き飛んでしまう。
私が庭仕事に精を出すようになってから、不思議なことが起こった。
アレクシス様が、執務の合間に、中庭の見える窓辺に立つようになったのだ。
彼は何も言わず、ただ静かに、私が土にまみれて働く姿を眺めている。
私が彼の視線に気づいて、ぱっと笑顔で手を振ると、彼はいつも、慌てたようにカーテンの陰に姿を隠してしまうけれど。
(見ていてくれるんだ……)
その事実が、私にさらなる力を与えてくれた。
彼のために、この凍てついたお城に、温かい彩りを取り戻したい。
その一心で、私は毎日、夢中で土と向き合った。
そして、私自身にも、一つの大きな変化が訪れていた。
この土地に来てから、私の力が以前よりも格段に強くなっている気がするのだ。
王都にいた頃は、一輪の花を咲かせるのがやっとだったのに、今では庭の一角をまるごと蘇らせることができる。
もしかしたら、この土地の強力な呪いが、反発するように、逆に私の生命力を引き出してくれているのかもしれない。
そんなある日の午後。
私がハーブの苗を植えていると、ふいに影が差した。
見上げると、そこにアレクシス様が立っていた。
いつもは執務室に籠りきりの時間なのに、珍しい。
「公爵様、どうかなさいましたか?」
「……いや」
彼は短く答えると、私の隣に植えられた、小さな青い花に視線を落とした。
それは、私が昨日咲かせたばかりの、空色のネモフィラだった。
「…………綺麗だ」
ぽつりと、彼が呟いた。
その声は、まるで独り言のようだった。
風に消えてしまいそうなほど、か細く、儚い声。
「え……?」
「この土地で、花を見たのは……何年ぶりだろうな」
彼の横顔は、どこか寂しげで、遠い昔を懐かしんでいるように見えた。
氷の仮面の下に隠された、彼の本当の心に、ほんの少しだけ触れたような気がした。
その時、私はあることに気づく。
彼が近くにいると、私の身体から溢れる生命の力が、彼の方へと穏やかに、引き寄せられるように流れていくような感覚があるのだ。
そして、彼が常に纏っている、あの人を寄せ付けない凍てつくようなオーラが、少しだけ和らいでいるように感じる。
(もしかして、私の力は……植物だけじゃなくて、公爵様にも、何か影響を……?)
そんな考えが頭をよぎった、その瞬間。
アレクシス様が、不意に私の手を取ろうと、素肌のまま手を伸ばした。
いつも彼の手を覆っている、あの白い手袋をしていない、彼の手。
「あっ……!」
しかし、彼の白い指先が私の汚れた肌に触れる寸前、彼はハッとしたように、まるで感電したかのように、勢いよく手を引っ込めた。
その顔には、今まで見たことのないほどの、激しい焦りと、深い苦悩の色が浮かんでいた。
「……すまない」
彼はそれだけを絞り出すように言うと、まるで恐ろしい何かから逃げるように、足早にその場を去ってしまった。
残された私は、彼の不可解な行動に、ただただ戸惑うばかりだった。
どうして彼は、あんなに苦しそうな顔をしていたのだろう。
そして、なぜ彼は、決して素肌で誰かに触れようとしないのだろうか。
彼の抱える、暗く、そして深い秘密の断片に、触れてしまったような気がして。
私の胸は、言いようのない不安と、そして、彼をもっと知りたいという抗いがたい強い想いで、大きく、大きく、揺さぶられるのだった。
私はアレクシス様に、彼の執務室へと呼び出された。
古城の中でも、ひときわ重厚な扉の前で、私は一度深呼吸をする。
(何を、言われるんだろう……)
緊張で早鐘を打つ心臓を抑えながら、控えめに扉をノックした。
「失礼します、公爵様」
「……入れ」
中から聞こえたのは、相変わらずの、感情の読めない低い声。
おずおずと扉を開けると、彼は山のように積まれた書類の山から、静かに顔を上げた。
相変わらずの完璧な無表情。
でも、以前のような、全てを拒絶するような突き放す冷たさは、少しだけ和らいでいる気がする。
そう思うのは、私のただの願望だろうか。
促されるまま、彼の大きな執務机の前まで進み出る。
彼はじっと私の顔を見つめ、やがて、重々しく口を開いた。
「あの中庭……」
「は、はい」
「……好きに使うことを許可する」
「……え?」
予想だにしなかった言葉に、私は思わず目を丸くした。
「あの中庭を、ですか? 私が、使っていいのですか?」
「ああ。君の好きにするといい。必要な道具があれば、執事に申し付けろ。人手が必要なら、それも手配しよう」
淡々と、しかしはっきりと彼は告げる。
その蒼い瞳には、ほんの少しだけ、何かを期待するような色が宿っているように見えた。
それは、私に対する信頼の証のように思えて、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「あ、ありがとうございます……! 嬉しいです、本当に!」
思わず、満面の笑みでそう答えていた。
すると、アレクシス様の蒼い瞳が、ほんのわずかに揺らめいた。
彼は何かを堪えるように、ふいっと素早く視線を書類に戻してしまう。
その仕草が、なぜだかとても人間らしく感じられて、私の心はさらに温かくなった。
(もしかして、今の笑顔、見てくれたのかな……?)
彼の些細な反応の一つ一つが、私の心を明るく照らしてくれる。
その日から、私の本格的な庭造りが始まった。
アレクシス様が手配してくれた数人の無口な庭師たちは、最初こそ、こんな小娘に何ができるのかと訝しげな目を向けていた。
けれど、私が力を使うと、枯れた植物がみるみるうちに息を吹き返すのを目の当たりにして、次第にその態度は驚きへ、そして尊敬の念へと変わっていった。
「リリアーナ様は……本当に、聖女様だったんだな……」
庭師の一人が、畏敬の念を込めて呟く。
「いいえ、そんなことはありません。私にできるのは、これだけですから」
私は微笑んで答える。
王都では偽物と蔑まれ、石もて追われるように追い出されたこの力が、ここではこんなにも喜ばれる。
その事実が、傷ついていた私の心を、何よりも優しく癒してくれた。
私はまず、土壌の浄化から始めた。
呪いに蝕まれ、黒く変色した土に両手を当て、全身全霊で力を注ぎ込む。
それは体力をひどく消耗する作業だったけれど、少しずつ、少しずつ、土の色が本来の生命力あふれる黒褐色に戻っていくのを見ると、疲れもどこかへ吹き飛んでしまう。
私が庭仕事に精を出すようになってから、不思議なことが起こった。
アレクシス様が、執務の合間に、中庭の見える窓辺に立つようになったのだ。
彼は何も言わず、ただ静かに、私が土にまみれて働く姿を眺めている。
私が彼の視線に気づいて、ぱっと笑顔で手を振ると、彼はいつも、慌てたようにカーテンの陰に姿を隠してしまうけれど。
(見ていてくれるんだ……)
その事実が、私にさらなる力を与えてくれた。
彼のために、この凍てついたお城に、温かい彩りを取り戻したい。
その一心で、私は毎日、夢中で土と向き合った。
そして、私自身にも、一つの大きな変化が訪れていた。
この土地に来てから、私の力が以前よりも格段に強くなっている気がするのだ。
王都にいた頃は、一輪の花を咲かせるのがやっとだったのに、今では庭の一角をまるごと蘇らせることができる。
もしかしたら、この土地の強力な呪いが、反発するように、逆に私の生命力を引き出してくれているのかもしれない。
そんなある日の午後。
私がハーブの苗を植えていると、ふいに影が差した。
見上げると、そこにアレクシス様が立っていた。
いつもは執務室に籠りきりの時間なのに、珍しい。
「公爵様、どうかなさいましたか?」
「……いや」
彼は短く答えると、私の隣に植えられた、小さな青い花に視線を落とした。
それは、私が昨日咲かせたばかりの、空色のネモフィラだった。
「…………綺麗だ」
ぽつりと、彼が呟いた。
その声は、まるで独り言のようだった。
風に消えてしまいそうなほど、か細く、儚い声。
「え……?」
「この土地で、花を見たのは……何年ぶりだろうな」
彼の横顔は、どこか寂しげで、遠い昔を懐かしんでいるように見えた。
氷の仮面の下に隠された、彼の本当の心に、ほんの少しだけ触れたような気がした。
その時、私はあることに気づく。
彼が近くにいると、私の身体から溢れる生命の力が、彼の方へと穏やかに、引き寄せられるように流れていくような感覚があるのだ。
そして、彼が常に纏っている、あの人を寄せ付けない凍てつくようなオーラが、少しだけ和らいでいるように感じる。
(もしかして、私の力は……植物だけじゃなくて、公爵様にも、何か影響を……?)
そんな考えが頭をよぎった、その瞬間。
アレクシス様が、不意に私の手を取ろうと、素肌のまま手を伸ばした。
いつも彼の手を覆っている、あの白い手袋をしていない、彼の手。
「あっ……!」
しかし、彼の白い指先が私の汚れた肌に触れる寸前、彼はハッとしたように、まるで感電したかのように、勢いよく手を引っ込めた。
その顔には、今まで見たことのないほどの、激しい焦りと、深い苦悩の色が浮かんでいた。
「……すまない」
彼はそれだけを絞り出すように言うと、まるで恐ろしい何かから逃げるように、足早にその場を去ってしまった。
残された私は、彼の不可解な行動に、ただただ戸惑うばかりだった。
どうして彼は、あんなに苦しそうな顔をしていたのだろう。
そして、なぜ彼は、決して素肌で誰かに触れようとしないのだろうか。
彼の抱える、暗く、そして深い秘密の断片に、触れてしまったような気がして。
私の胸は、言いようのない不安と、そして、彼をもっと知りたいという抗いがたい強い想いで、大きく、大きく、揺さぶられるのだった。
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