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第十三話「手袋と、初めての嫉妬」
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王都への出発を明日に控えた日、屋敷は戦場のような慌ただしさに包まれていた。 衣装部屋には、色とりどりのドレスや子供たちの晴れ着が並べられ、侍女たちが忙しなく動き回っている。
「奥様、こちらのドレスはいかがでしょう。流行のペールブルーですが」
「いいえ。淡い色は舐められますわ」
私は即座に却下し、ラックにかかったドレスを指先で弾いた。
「もっと濃い色を。そうね、このミッドナイトブルーのベルベットになさい。装飾は最小限に、でも宝石は最高級のものを」
「は、はい!」
鏡の前に立ち、私は自分の顔を確認した。 連日の薬草作りと、領地経営の激務で少し痩せたかもしれない。 でも、その分だけ瞳の光は強くなっている。 「可哀想な被害者」ではなく、「誇り高き公爵夫人」として王都に乗り込むのだ。弱々しさなど、欠片も見せてはならない。
「……クラリス様」
控えめな声に振り返ると、ミレイユ様が立っていた。 手には、お気に入りの青いリボンを持っている。
「どうしました、ミレイユ様?」
「あのね……これ、明日つけていってもいい?」
「もちろんです。とてもよくお似合いですよ」
私が微笑むと、ミレイユ様は嬉しそうにしつつ、ふと私の手元を見て表情を曇らせた。
「……手、赤くなってる」
指摘されて、私は反射的に手を隠そうとした。 薬草の汁による染みと、冷たい水仕事でできたあかぎれ。 毎晩ケアはしているけれど、貴族の令嬢にあるまじき、荒れた指先になってしまっている。
「……汚いですね。ごめんなさい」
「ううん! 違うの!」
ミレイユ様が慌てて首を振った。 そして、私の手をそっと両手で包み込んだ。
「これ、私たちの薬を作ってくれたからでしょ? ……汚くなんてないわ。すごい手よ」
小さな掌の温かさに、胸が詰まる。 この手荒れは、私がこの家を守ろうとした証だ。 それを、この子はちゃんと見ていてくれた。
「ありがとう、ミレイユ様。……でも、王都の方々はそうは思わないかもしれませんね」
私は苦笑した。 社交界の貴婦人たちにとって、荒れた手は「生活苦」か「手入れ不足」の象徴でしかない。 手袋で隠せばいいことだけれど、ふとした瞬間に見られれば、また格好の噂の種になるだろう。
「奥様」
侍女長のセレスが入室してきた。 その手には、泥で汚れた革袋が握られている。
「前線から、伝令の騎士が戻りました。旦那様から、奥様への個人的なお荷物だと」
「え……?」
レオンハルト様から? 私は驚き、そしてすぐにその革袋を受け取った。 ずしりと重い。 かすかに、硝煙と鉄の匂いがする気がした。
私は子供たちと侍女を下がらせ、部屋で一人、包みを開けた。 中から出てきたのは、一通の手紙と、細長い木箱だった。
まずは手紙を開く。 無骨で、勢いのある筆跡。戦場のテントの中で、急いで書いたものだろう。
『クラリスへ。 王都から招待状が届いたと聞いた。 この時期に、君と子供たちをあのような古狸どもの巣窟へ行かせなければならないこと、断腸の思いだ。 俺が戻るまで待てと言いたいところだが、王命を無視すれば君たちの立場が悪くなることも分かっている』
紙面から、彼の悔しさが滲み出ているようだった。 補給部隊の騎士から、事情を聞いたのだろう。
『騎士たちから聞いた。君が自ら薬草を育て、薬を作り、補給を支えてくれていると。 その献身に、心から感謝する。部下たちも、君の作った薬で命を拾ったと涙を流していた』
文字が少し滲んでいるのは、インクのせいか、それとも。
『だが、一つだけ言わせてくれ。 君の手が、薬作りで荒れてしまったと聞いた』
ドキリとした。 そんな些細なことまで報告されていたなんて。
私は木箱に手を伸ばした。 蓋を開けると、そこには艶やかな光沢を放つ、最高級の黒革の手袋が入っていた。 内側には柔らかな白テンの毛皮が張られ、手首の部分には小さな魔石が縫い込まれている。 保温と、皮膚の治癒を促す魔法が付与された特注品だ。
手紙の続きを目で追う。
『君の手は、俺たちを守るための名誉の負傷だ。恥じることなど何もない。 だが、俺は……君のその美しい手が傷つくのを見るのが、辛い』
不器用な言葉の羅列。 でも、その行間から溢れ出る感情の熱量に、顔が熱くなる。
『王都の連中に、君のその手を見せる必要はない。 その手袋をつけていけ。 それはただの手荒れ隠しではない。 君の手を握れない俺の代わりに、君を守るためのものだ』
そして、追伸として、筆圧強くこう書かれていた。
『P.S. 王太子には気をつけろ。 奴が君に近づき、その手に触れようとするなど、想像するだけで腹が立つ。 君はグレイフ公爵の妻だ。 他の男に、指一本たりとも触れさせるな。 ……たとえそれが、元婚約者であってもだ』
「……ふふっ」
私は思わず笑ってしまった。 嫉妬だ。 あの「氷の公爵」が、戦場の只中にいながら、遠く離れた王都の夜会でのことを想像して、嫉妬している。 「触れさせるな」だなんて、まるで子供のような独占欲。
でも、それが無性に嬉しかった。 愛されている、という実感が、じわりと心に染み渡る。
私は手袋を手に取った。 手を通すと、吸い付くようにフィットした。 内側の毛皮が優しく肌を包み込み、魔石からじんわりと温かい魔力が伝わってくる。 まるで、彼に手を握られているような感覚。
「……分かりましたわ、旦那様」
私は手袋をした手を胸に当て、手紙に向かって呟いた。
「この手はあなただけのもの。……誰にも触れさせません」
不安は消えた。 私の背後には、最強の騎士がいる。 姿は見えなくとも、この手袋が、彼との繋がりを証明している。
「よし」
私は立ち上がり、鏡の中の自分に微笑みかけた。 手には、夫からの愛(と嫉妬)の証。 心には、子供たちからの信頼。 武器は揃った。
◇
翌朝。 グレイフ公爵家の馬車は、護衛の騎士たちに守られながら、王都へと向けて出発した。 数日間の旅路。 馬車の中で、子供たちは緊張と興奮がない交ぜになった様子だった。
「王都の夜会……初めてだ」
アルフォンス様が、仕立てたばかりの服の袖を気にしながら言う。
「大丈夫ですよ、アルフォンス様。あなたはただ、胸を張っていればいいのです。グレイフ家の次期当主として、堂々と」
「……はい。母上の……いえ、クラリス様の名に泥を塗らぬよう、努めます」
言い直したことに、私は小さく苦笑した。 まだ「母上」とは呼んでくれない。 でも、その呼び間違いが増えてきているのは、良い兆候だ。
ミレイユ様は、窓の外を流れる景色を見ながら、ずっと私の腕にしがみついている。 ノア様は、私の膝の上で、夫から贈られた手袋の感触を楽しんでいた。
「ふわふわ……」
「ええ。パパがくれた魔法の手袋ですよ」
「パパのにおい、する?」
「……ええ、少しだけ」
鉄と、革と、冬の風の匂い。 それは確かに、あの人の匂いだった。
やがて、遠くに王都の城壁が見えてきた。 高くそびえる塔。華やかな旗。 かつて私が生まれ育ち、そして「悪役令嬢」として追放された場所。
「……着きましたね」
私は手袋をはめ直し、背筋を伸ばした。 馬車が門をくぐる。 石畳を弾く蹄の音が、これから始まる戦いの合図のように響く。
「さあ、行きましょうか」
私は子供たちを見回し、不敵に微笑んだ。 悪役令嬢の帰還だ。 せいぜい派手に、驚いてもらおうじゃないの。
「奥様、こちらのドレスはいかがでしょう。流行のペールブルーですが」
「いいえ。淡い色は舐められますわ」
私は即座に却下し、ラックにかかったドレスを指先で弾いた。
「もっと濃い色を。そうね、このミッドナイトブルーのベルベットになさい。装飾は最小限に、でも宝石は最高級のものを」
「は、はい!」
鏡の前に立ち、私は自分の顔を確認した。 連日の薬草作りと、領地経営の激務で少し痩せたかもしれない。 でも、その分だけ瞳の光は強くなっている。 「可哀想な被害者」ではなく、「誇り高き公爵夫人」として王都に乗り込むのだ。弱々しさなど、欠片も見せてはならない。
「……クラリス様」
控えめな声に振り返ると、ミレイユ様が立っていた。 手には、お気に入りの青いリボンを持っている。
「どうしました、ミレイユ様?」
「あのね……これ、明日つけていってもいい?」
「もちろんです。とてもよくお似合いですよ」
私が微笑むと、ミレイユ様は嬉しそうにしつつ、ふと私の手元を見て表情を曇らせた。
「……手、赤くなってる」
指摘されて、私は反射的に手を隠そうとした。 薬草の汁による染みと、冷たい水仕事でできたあかぎれ。 毎晩ケアはしているけれど、貴族の令嬢にあるまじき、荒れた指先になってしまっている。
「……汚いですね。ごめんなさい」
「ううん! 違うの!」
ミレイユ様が慌てて首を振った。 そして、私の手をそっと両手で包み込んだ。
「これ、私たちの薬を作ってくれたからでしょ? ……汚くなんてないわ。すごい手よ」
小さな掌の温かさに、胸が詰まる。 この手荒れは、私がこの家を守ろうとした証だ。 それを、この子はちゃんと見ていてくれた。
「ありがとう、ミレイユ様。……でも、王都の方々はそうは思わないかもしれませんね」
私は苦笑した。 社交界の貴婦人たちにとって、荒れた手は「生活苦」か「手入れ不足」の象徴でしかない。 手袋で隠せばいいことだけれど、ふとした瞬間に見られれば、また格好の噂の種になるだろう。
「奥様」
侍女長のセレスが入室してきた。 その手には、泥で汚れた革袋が握られている。
「前線から、伝令の騎士が戻りました。旦那様から、奥様への個人的なお荷物だと」
「え……?」
レオンハルト様から? 私は驚き、そしてすぐにその革袋を受け取った。 ずしりと重い。 かすかに、硝煙と鉄の匂いがする気がした。
私は子供たちと侍女を下がらせ、部屋で一人、包みを開けた。 中から出てきたのは、一通の手紙と、細長い木箱だった。
まずは手紙を開く。 無骨で、勢いのある筆跡。戦場のテントの中で、急いで書いたものだろう。
『クラリスへ。 王都から招待状が届いたと聞いた。 この時期に、君と子供たちをあのような古狸どもの巣窟へ行かせなければならないこと、断腸の思いだ。 俺が戻るまで待てと言いたいところだが、王命を無視すれば君たちの立場が悪くなることも分かっている』
紙面から、彼の悔しさが滲み出ているようだった。 補給部隊の騎士から、事情を聞いたのだろう。
『騎士たちから聞いた。君が自ら薬草を育て、薬を作り、補給を支えてくれていると。 その献身に、心から感謝する。部下たちも、君の作った薬で命を拾ったと涙を流していた』
文字が少し滲んでいるのは、インクのせいか、それとも。
『だが、一つだけ言わせてくれ。 君の手が、薬作りで荒れてしまったと聞いた』
ドキリとした。 そんな些細なことまで報告されていたなんて。
私は木箱に手を伸ばした。 蓋を開けると、そこには艶やかな光沢を放つ、最高級の黒革の手袋が入っていた。 内側には柔らかな白テンの毛皮が張られ、手首の部分には小さな魔石が縫い込まれている。 保温と、皮膚の治癒を促す魔法が付与された特注品だ。
手紙の続きを目で追う。
『君の手は、俺たちを守るための名誉の負傷だ。恥じることなど何もない。 だが、俺は……君のその美しい手が傷つくのを見るのが、辛い』
不器用な言葉の羅列。 でも、その行間から溢れ出る感情の熱量に、顔が熱くなる。
『王都の連中に、君のその手を見せる必要はない。 その手袋をつけていけ。 それはただの手荒れ隠しではない。 君の手を握れない俺の代わりに、君を守るためのものだ』
そして、追伸として、筆圧強くこう書かれていた。
『P.S. 王太子には気をつけろ。 奴が君に近づき、その手に触れようとするなど、想像するだけで腹が立つ。 君はグレイフ公爵の妻だ。 他の男に、指一本たりとも触れさせるな。 ……たとえそれが、元婚約者であってもだ』
「……ふふっ」
私は思わず笑ってしまった。 嫉妬だ。 あの「氷の公爵」が、戦場の只中にいながら、遠く離れた王都の夜会でのことを想像して、嫉妬している。 「触れさせるな」だなんて、まるで子供のような独占欲。
でも、それが無性に嬉しかった。 愛されている、という実感が、じわりと心に染み渡る。
私は手袋を手に取った。 手を通すと、吸い付くようにフィットした。 内側の毛皮が優しく肌を包み込み、魔石からじんわりと温かい魔力が伝わってくる。 まるで、彼に手を握られているような感覚。
「……分かりましたわ、旦那様」
私は手袋をした手を胸に当て、手紙に向かって呟いた。
「この手はあなただけのもの。……誰にも触れさせません」
不安は消えた。 私の背後には、最強の騎士がいる。 姿は見えなくとも、この手袋が、彼との繋がりを証明している。
「よし」
私は立ち上がり、鏡の中の自分に微笑みかけた。 手には、夫からの愛(と嫉妬)の証。 心には、子供たちからの信頼。 武器は揃った。
◇
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「大丈夫ですよ、アルフォンス様。あなたはただ、胸を張っていればいいのです。グレイフ家の次期当主として、堂々と」
「……はい。母上の……いえ、クラリス様の名に泥を塗らぬよう、努めます」
言い直したことに、私は小さく苦笑した。 まだ「母上」とは呼んでくれない。 でも、その呼び間違いが増えてきているのは、良い兆候だ。
ミレイユ様は、窓の外を流れる景色を見ながら、ずっと私の腕にしがみついている。 ノア様は、私の膝の上で、夫から贈られた手袋の感触を楽しんでいた。
「ふわふわ……」
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「……ええ、少しだけ」
鉄と、革と、冬の風の匂い。 それは確かに、あの人の匂いだった。
やがて、遠くに王都の城壁が見えてきた。 高くそびえる塔。華やかな旗。 かつて私が生まれ育ち、そして「悪役令嬢」として追放された場所。
「……着きましたね」
私は手袋をはめ直し、背筋を伸ばした。 馬車が門をくぐる。 石畳を弾く蹄の音が、これから始まる戦いの合図のように響く。
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