『婚約破棄された悪役令嬢ですが、嫁ぎ先で“連れ子三人”の母になりました ~三人の「ママ」が聞けるまで、私は絶対に逃げません~』

放浪人

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第十五話「母の証明:子どもは嘘をつけない」

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「……公爵家の内輪揉めに、王家が介入する。いささか品位に欠けるのではありませんか」

その老婆の声は、決して大きくはなかった。 しかし、大広間の喧騒を一瞬にして鎮めるだけの、圧倒的な重みを持っていた。

ヴィルヘルミナ・フォン・グレイフ。 レオンハルト様の父方の伯母であり、先代公爵の姉。 王宮のご意見番として知られ、その厳格さと鋭い慧眼から「氷の女帝」と恐れられる人物だ。

彼女は杖をつきながら、ゆっくりと、しかし確かな足取りでこちらへ歩み寄ってきた。 モーゼが海を割るように、貴族たちが慌てて道を開ける。

「ヴィ、ヴィルヘルミナ夫人……」

さしものルドルフ殿下も、この老婦人には一目置かざるを得ないらしい。 彼は一瞬だけ怯んだ表情を見せたが、すぐに味方を得たかのように表情を明るくした。

「おお、夫人! ちょうど良いところへ! 貴女もご存知でしょう、この女の悪行を! 貴女の可愛い甥っ子の留守に、子供たちを虐げ、あまつさえ王家の威光に魔法で逆らうなど……!」

殿下は私のことを指差し、唾を飛ばして訴えた。

「グレイフ家の名誉を守るためにも、この毒婦を排除せねばなりません! ご安心ください、子供たちは私が保護しますから」

殿下の言葉に、ヴィルヘルミナ夫人は無表情のまま、私と子供たちへ視線を向けた。 その瞳は、深海のように暗く、感情を読み取れない。 彼女は私の左手――レオンハルト様から贈られた黒革の手袋――を一瞥し、それから子供たちの顔を順に見つめた。

「……ふむ」

短く鼻を鳴らす。 そして、殿下に向き直り、冷ややかに告げた。

「殿下のおっしゃる通り、グレイフ家の名誉は守らねばなりません。ですが、一方的な断罪は我が家の流儀ではありませんわ」

「な、なんだと?」

「真実を確かめるのに、最も確実な証人がいるではありませんか」

夫人は杖の先で、私の背後を指した。 そこには、私のドレスを掴んで震えている、三人の子供たちがいる。

「子供は嘘をつきません。彼らの言葉こそが、何よりの証拠となりましょう」

夫人の提案に、会場がざわめいた。 リディア様が焦ったように声を上げる。

「夫、夫人! 無理ですわ! あの子たちは怯えているのです。この悪女に脅されて、本当のことなんて言えるはずが……」

「お黙りなさい」

夫人の鋭い一喝が、リディア様の言葉を封じた。

「私が聞くと言っているのです。外野の雑音は不要です」

夫人は私に近づき、至近距離で私を見上げた。 身長は私より低いはずなのに、見下ろされているような錯覚を覚えるほどの威圧感だ。

「クラリスとやら。……子供たちを前に出しなさい。それとも、やましいことがあるから出せないのかしら?」

試されている。 彼女は味方ではない。ただの公平な審判者だ。 もしここで私が躊躇えば、それは「やましい」と認めたことになる。

私は深呼吸をし、背中の子供たちを振り返った。

「アルフォンス様、ミレイユ様、ノア様」

私は膝をつき、彼らと目線を合わせた。

「大丈夫です。あなたたちの思うまま、本当のことを話しなさい。誰もあなたたちを傷つけさせません」

「……クラリス様」

アルフォンス様が不安げに私を見る。 私は彼の手をぎゅっと握り、そして背中をポンと押した。

「行きなさい。グレイフ家の子として、胸を張って」

私の言葉に、アルフォンス様は意を決したように頷いた。 そして、弟と妹の手を引き、ヴィルヘルミナ夫人の前へと進み出た。

会場中の視線が、三人の小さな体に注がれる。 そのプレッシャーは計り知れないはずだ。 けれど、彼らは逃げなかった。

「……アルフォンス・フォン・グレイフです」

長男のアルフォンス様が、震える声を必死に抑えて名乗った。 夫人は厳めしい顔で彼を見下ろす。

「アルフォンス。久しぶりだね。ずいぶんと……顔色が良くなったようだが?」

「は、はい。……以前は、食事も喉を通らず、眠れない日々が続いておりました」

「ほう? それはなぜ?」

「母上……亡き母上の影を追い、父上の期待に応えようと、一人で全てを背負い込んでいたからです」

アルフォンス様は、そこで一度言葉を切り、私の方を振り返った。 その瞳には、確かな信頼の光が宿っていた。

「ですが、クラリス様が来られてから、変わりました。彼女は僕に『子供でいていい』と教えてくれました。無理に食べなくてもいい、眠れないならそばにいると。……そして、父上との間を取り持ち、僕を孤独から救ってくれました」

彼は前を向き、はっきりと言い切った。

「彼女は、僕たちを虐げてなどいません。むしろ、僕たちの命と心を救ってくれた恩人です」

会場から、ほうっ、と感嘆のため息が漏れる。 十歳の少年の、あまりに理路整然とした、そして情熱的な弁明。 それは、どんな大人の嘘よりも胸を打つものだった。

「う、嘘よ!」

リディア様が悲鳴のように叫んだ。

「騙されないで! それは言わされているのよ! あんなにスラスラと……きっと、台本があるのよ!」

「台本などありません!」

次に声を上げたのは、ミレイユ様だった。 彼女はスカートの裾を握りしめ、リディア様を睨みつけた。

「お兄様は本当のことを言っただけよ! あなたたちこそ、何も知らないくせに勝手なことを言わないで!」

「な、生意気な……!」

「クラリス様はね、私の髪を梳かす時、絶対に痛くしないの! 私がスープをこぼしても、怒らないで『怪我はない?』って聞いてくれたの!」

ミレイユ様は自分の頭の青いリボンを指差した。

「このリボンも、クラリス様が選んでくれたの。私が『可愛い』って言ったら、嬉しそうに結んでくれたわ。……虐める人が、こんなに優しくしてくれるわけないじゃない!」

彼女の言葉は、感情が溢れすぎて、少し支離滅裂だったかもしれない。 でも、だからこそ「本物」だった。 日々の生活の中で積み重ねられた、些細な、しかし決定的な愛情の記憶。

最後に、ノア様が動いた。 彼はトテトテとヴィルヘルミナ夫人の足元まで歩み寄ると、そのドレスの裾をくいっと引っ張った。

「……おばあさま」

「……なんだい、ノア」

夫人が少しだけ目元を緩める。

「クラリスさまは、こわくないよ」

ノア様は一生懸命に言葉を紡いだ。

「よる、こわいゆめ、みたとき……ずっと、トントンしてくれた。お歌、うたってくれた。……とっても、いいにおいがするの」

そして、彼は振り返り、私の元へ駆け戻ってくると、私の足にぎゅっと抱きついた。

「ぼく、クラリスさま、だいすき」

その行動が、すべての答えだった。 「洗脳」でも「脅迫」でもない。 幼子が本能で選び取った、安心できる場所。それが私の隣なのだ。

会場の空気が変わった。 嘲笑や好奇の目は消え、代わりに同情と、感動の色が広がっていく。 「あんなに懐いているじゃないか」「虐待なんて嘘だったのか」「王太子殿下は、なぜあんな嘘を?」

形勢逆転。 ルドルフ殿下の顔色が、青から赤へ、そして土気色へと変わっていく。

「ば、馬鹿な……! 子供たちよ、騙されるな! その女は演技をしているだけだ! お前たちの母親の座を奪った泥棒猫だぞ!」

殿下はなりふり構わず喚き散らした。 その醜態に、貴族たちが冷ややかな視線を向ける。

「……いい加減になさいませ」

ヴィルヘルミナ夫人が、氷のような声で告げた。 彼女は私の方へ歩み寄ると、私の前に立ち塞がり、殿下と対峙した。

「子供たちの言葉、そしてこの様子。これ以上の証拠が必要ですか? 殿下」

「ぐ、ぬ……しかし、リディアが睨まれたと……!」

「リディア嬢の被害妄想でしょう。あるいは、子供に恐怖心を抱かせるような何かを、彼女自身がしたのではないですか?」

「なっ……!?」

リディア様が絶句する。 夫人の指摘は図星だったのだろう。

「グレイフ公爵家は、北方の要。その当主の留守に、妻と子を辱め、あまつさえ罪人に仕立て上げようとするなど……王家の恥です」

夫人は杖を床に強く突き立てた。 ドンッ! という音が、判決の小槌のように響いた。

「これ以上、我が一族を愚弄するなら、私も黙ってはおりませんよ。……陛下にご報告申し上げてもよろしいのですか?」

陛下。すなわち国王陛下。 王太子といえど、絶対権力者である父王には頭が上がらない。 特に、理不尽な理由で有力貴族を敵に回したとなれば、廃嫡の可能性すら出てくる。

「……くっ……!」

殿下は唇を噛み切りそうなほど強く噛み締め、私と子供たちを睨みつけた。

「……覚えていろ。このままでは済まさんぞ」

捨て台詞を吐き、殿下はマントを翻して会場を去っていった。 リディア様も、慌ててその後を追う。 「ま、待ってくださませ殿下! 私は悪くありませんわ!」

嵐が去った。 会場には、奇妙な静寂が残された。

私は大きく息を吐き、全身の力が抜けるのを感じた。 勝った。 子供たちが、守ってくれたのだ。

「……ふん」

ヴィルヘルミナ夫人が、私に向き直った。 その表情は相変わらず厳めしいが、瞳の奥の鋭さは少しだけ和らいでいるように見えた。

「見事だったわね。……子供たちにあそこまで言わせるとは」

「私は何もしておりません。あの子たちが、勇気を出してくれただけです」

私が子供たちの頭を撫でると、三人は照れくさそうに、でも誇らしげに微笑んだ。

「それにしても」

夫人はミレイユ様を見つめた。

「ミレイユ。お前、さっき……言いかけてやめなかったかい?」

「え?」

ミレイユ様がきょとんとする。

「『虐める人が、こんなに優しくしてくれるわけない』と言ったあと。……何か、別の言葉を飲み込んだように見えたけれど」

さすがは「氷の女帝」。 子供の些細な言葉の綾も見逃さない。

ミレイユ様の顔が、みるみるうちに赤くなった。 彼女はモジモジと指を組み合わせ、チラリと私を見た。

「……う、うるさいわね! おばあさまには関係ないでしょ!」

「ほう? 関係ないとは聞き捨てならないね」

「い、いいから! あーもう、知らないっ!」

ミレイユ様は顔を真っ赤にして、私のスカートの後ろに隠れてしまった。 私はその様子を見て、思わずクスリと笑ってしまった。 彼女が何を言いかけたのか、私にはなんとなく分かったからだ。

『ママ』。 あるいは、『私のお母様』。 そう言いかけて、公衆の面前であることに気づき、そしてまだ素直になりきれない自分のプライドが邪魔をして、飲み込んだのだろう。

(……可愛いらしい未遂ね)

まだ言葉にはならなくても、その気持ちだけで十分だ。

「……まあ、いいでしょう」

ヴィルヘルミナ夫人は、それ以上追求しなかった。 彼女は私に近づき、小声で囁いた。

「勘違いしないでちょうだい。私はあなたのことを認めたわけではありませんよ」

「ええ、存じております」

「ですが……少なくとも、あの子たちにとって『害』ではないことは分かりました。しばらくは、様子を見てあげましょう」

それは、彼女なりの停戦協定であり、合格の印だった。 グレイフ家の重鎮である彼女が「様子を見る」と言った以上、他の貴族たちが表立って私を攻撃することはできなくなる。 最強の盾を手に入れたも同然だ。

「感謝いたします、お義母(おば)様」

私が深くカーテシーをすると、夫人は「ふん」と鼻を鳴らし、杖をついて去っていった。 その背中は、来た時よりも少しだけ温かく見えた。

音楽が再び流れ始める。 貴族たちが、今度は称賛と媚びを含んだ笑顔で近寄ってくる。 「素晴らしい家族愛ですわね」「誤解が解けて何よりです」 掌を返したような態度。 けれど、今の私にはそれすらも心地よいBGMにしか聞こえなかった。

私は三人の子供たちを抱き寄せた。

「ありがとう。……あなたたちは、私の自慢の子供たちです」

「……えへへ」 「……別に、普通のことしただけだし」 「ぼくも、じまん?」

「ええ、もちろん」

私たちは笑い合った。 王都の煌びやかなシャンデリアの下、私たちは本物の「家族」として輝いていた。

けれど。 この時の私はまだ知らなかった。 プライドをズタズタにされた王太子ルドルフが、このまま引き下がるような男ではないことを。 そして、彼が次に狙うのが、私ではなく、もっと別の――グレイフ家そのものを崩壊させるような「急所」であることを。

会場の隅で、一人の男が私たちをじっと見つめていた。 それは、先ほどヴィルヘルミナ夫人の後ろに控えていた従者の一人。 しかし、その目は不自然に虚ろで、口元には歪んだ笑みが張り付いていた。

その夜。 宿に戻ったミレイユ様が、着替えながらポツリと言った。

「……ねえ。さっき、言いかけたことなんだけど」

「はい?」

「……なんでもない。いつか、ちゃんと言うから。……待ってて」

彼女はそう言って、布団に潜り込んだ。 その耳は、やはり真っ赤だった。

私は心の中でガッツポーズをした。 あと一歩。 あと一歩で、彼女の心の扉は完全に開く。 その日が来るのを、私はいつまでだって待つ覚悟だ。
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