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第二十一話「長女の涙と、縫い直したドレス」
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王城での「継嗣保護審問会」の朝が来た。 空は抜けるような青空だが、屋敷の中には張り詰めた緊張感が漂っていた。
今日こそが、正念場だ。 王太子ルドルフと、リディア男爵令嬢。 彼らが仕掛けた理不尽な罠を打ち破り、私たちが正真正銘の「家族」であることを証明する日。
「……奥様。馬車の準備が整いました」
「ええ、ありがとう」
私は鏡の前で、最後の身支度を整えていた。 今日の装いは、華美さを抑えた深紅のドレス。 グレイフ公爵家の紋章色であり、戦いに臨む決意の色だ。 左手には、レオンハルト様から贈られた黒革の手袋。 首元には、実家から持参した真珠のネックレス。
「完璧ですわ、奥様」
セレスが誇らしげに頷く。 私は小さく息を吐き、自らを鼓舞するように微笑んだ。
「さあ、子供たちの様子を見てきましょう」
◇
アルフォンス様とノア様の部屋を回り、準備万端な二人を褒めてから、私は最後にミレイユ様の部屋へ向かった。 一番のお洒落好きで、しっかり者の彼女のことだ。きっと誰よりも早く準備を終え、鏡の前でポーズでも決めているに違いない。
そう思って、ドアをノックしようとした時だった。
「……う、うぅ……っ!」
部屋の中から、押し殺したような嗚咽が聞こえた。 さらに、ガサガサと布が擦れる音。何かが床に落ちる音。
「ミレイユ様?」
返事がない。 ただ、しゃくり上げる声だけが続く。 私は胸騒ぎを覚え、ノックもそこそこにドアを開けた。
「失礼します、ミレイユ様!」
部屋の中は、惨状だった。 クローゼットの中身がひっくり返され、リボンや靴が散乱している。 そして、部屋の中央で、ミレイユ様が座り込み、顔を覆って泣いていた。 その膝の上には――無惨に引き裂かれた、青いドレスがあった。
「……ミレイユ様!」
私は駆け寄り、彼女の肩を抱いた。
「どうしたのですか!? 怪我は!?」
「クラリス、さま……う、うわぁぁぁぁん!」
私の顔を見た途端、ミレイユ様は私にしがみつき、激しく泣きじゃくった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……! 私、私……っ!」
「落ち着いて。まずは深呼吸をして」
私は彼女の背中をさすりながら、状況を確認した。 膝の上の青いドレス。 これは、王都に来る時に彼女が着ていたものであり、今日の審問会でも着る予定だった「勝負服」だ。 そのスカートの裾が、何か鋭利なものに引っ掛けたように、大きく裂けていた。 そして、レースの一部がちぎれかけている。
「……何があったのですか?」
「……き、緊張して……」
ミレイユ様はしゃくり上げながら、途切れ途切れに話した。
「今日、絶対に変なこと言っちゃいけないって……失敗したら、みんなと離れ離れになっちゃうって思ったら……手が震えて……」
彼女は震える手を見つめた。
「リボンを結ぼうとしたら、上手くいかなくて……焦って、ハサミを使ったら……手が滑って……っ」
事故だ。 極度のプレッシャーが生んだ、悲しい事故。 七歳の少女が背負うには、今日の審問会はあまりに重すぎたのだ。 「失敗できない」という思いが、逆に彼女の手元を狂わせた。
「どうしよう……これしか、着ていく服がないのに……! こんなボロボロの格好じゃ、またリディアに笑われる……! クラリス様の恥になっちゃう……!」
ミレイユ様はパニックに陥っていた。 彼女にとって、お洒落は鎧だ。 一番お気に入りの、私が選んだこの青いドレスを着ることで、彼女は自分を奮い立たせようとしていたのだ。 それが破れてしまった今、彼女の心もまた、引き裂かれてしまっている。
「……もうダメだ……私、行けない……」
絶望に染まる瞳。 このままでは、彼女は自信を喪失し、審問会の場で一言も発せなくなってしまうだろう。 それは、敵の思う壺だ。
「……泣かないで、ミレイユ様」
私は静かに、しかし力強く言った。
「まだ時間はあります。私が直します」
「え……で、でも、こんなに大きく破れて……」
「魔法と、私の腕を信じなさい」
私は立ち上がり、散らばった裁縫道具箱から針と糸を取り出した。 そして、ミレイユ様を椅子に座らせ、破れたドレスを広げた。
裂け目は大きい。普通に縫い合わせれば、どうしても縫い目が目立ってしまう。 「つぎはぎ」のドレスで王城に行けば、嘲笑の的だ。
(……考えなさい、クラリス)
私は目を閉じ、集中した。 ただ直すだけでは足りない。 彼女の傷ついた心を癒やし、さらに自信を与えるような、「魔法」が必要だ。
「――『綴(つづり)』よ、繊維の記憶を呼び覚まし、再び結びつけよ」
私は指先に魔力を込め、裂けた布の端をなぞった。 『綴』の魔法。契約や記録に使われるこの魔法は、物質の結合を強める効果もある。 光の糸が走り、裂け目が仮留めされる。
でも、これだけでは跡が残る。 私は針に銀色の糸を通した。
「ミレイユ様。この破れた場所を、新しいデザインに変えてしまいましょう」
「え……?」
「ただ直すのではありません。もっと素敵にするのです」
私は猛スピードで針を動かし始めた。 裂け目を隠すように、銀糸で刺繍を施していく。 モチーフは、雪の結晶。 北方のグレイフ公爵家を象徴する意匠だ。
チク、チク、チク。 静寂の中に、針が進む音だけが響く。 ミレイユ様は、涙を拭うのも忘れて、私の手元を食い入るように見つめている。
「……どうして?」
彼女がぽつりと呟いた。
「どうして、怒らないの? 大事なドレスを破いちゃったのに。……前の人たちは、私が服を汚すと『だらしない』って怒ったわ」
「怒る理由がありません」
私は手を止めずに答えた。
「あなたは遊んでいて破いたのではありません。家族のために、立派に振る舞おうとして、焦ってしまっただけでしょう? その気持ちは、とても尊いものです」
私は顔を上げ、彼女に微笑みかけた。
「失敗は誰にでもあります。大切なのは、それをどうリカバリーするかです。……見てごらんなさい」
私は最後のひと針を縫い終え、糸を切った。
「できました」
ドレスを持ち上げて見せる。 大きく裂けていたスカートの裾には、今や美しい銀色の雪の結晶が咲き誇っていた。 それは傷跡を隠すだけでなく、ドレス全体に高貴な輝きを与えていた。 まるで、最初からそういうデザインであったかのように。
「わあ……っ」
ミレイユ様が息を呑む。
「きれい……。前より、ずっときれい……」
「この雪の結晶は、北方の厳しい冬の象徴です。でも同時に、春を待つ強さの証でもあります」
私はドレスを彼女に手渡した。
「この傷は、あなたの弱さではありません。プレッシャーと戦った勲章です。これを着て、堂々と胸を張りなさい。あなたはグレイフ公爵家の、誇り高き長女なのですから」
ミレイユ様はドレスを抱きしめ、そして私を見上げた。 その瞳から、新しい涙が溢れ出した。 今度は、悲しみの涙ではない。
「……クラリス様」
彼女は小さな声で呼んだ。 そして、私の腰にギュッと抱きついた。
「ありがとう……。私、私……」
彼女は顔を埋め、何かを言いかけた。
「……大好き。……マ……」
唇が動く。 あと少し。 あと一文字で、あの言葉になる。
けれど、部屋の外からノックの音が響いた。
「ミレイユ、まだか? 父上がお待ちだぞ」
アルフォンス様の声だ。 ミレイユ様はハッとして、慌てて私から離れた。 顔を真っ赤にして、涙を乱暴に拭う。
「……す、すぐ行くわよ!」
彼女は振り返り、私を見て、照れ隠しのように舌を出した。
「……まだ、言わないから。全部終わって、勝ってから言うんだから」
それは、彼女なりの勝利への誓いだった。 勝って、笑顔で、その言葉を呼ぶために。
「ええ。楽しみに待っていますよ」
私は優しく頷いた。
着替えを終えたミレイユ様は、それはそれは美しかった。 深紅の私と、紺碧のアルフォンス様、そして雪と青空を纏ったミレイユ様。 私たちは最強の布陣で、部屋を出た。
◇
玄関ホールでは、正装したレオンハルト様が待っていた。 黒の軍礼服に身を包み、腰には儀礼用の剣ではなく、実戦用の長剣を帯びている。 その表情は、まさに「氷の公爵」。 しかし、私たちを見るなり、その瞳がふわりと緩んだ。
「……待たせたな。行くぞ」
「はい、あなた」
レオンハルト様が私の手を取り、エスコートする。 その手は大きく、温かく、頼もしい。 後ろには、三人の子供たちが続く。
馬車に乗り込み、王城へと向かう道中。 車内は静かだったが、重苦しさはなかった。 誰もが、これからの戦いに向けて心を研ぎ澄ませている。
「……絶対に、渡さない」
アルフォンス様が、膝の上で拳を握りしめて呟いた。
「僕たちの居場所は、ここしかないんだ」
「うん。……ぼく、パパとママといっしょがいい」
ノア様が、私の手袋を触りながら言う。
「当たり前でしょ。あんな意地悪な王子様のところなんか、死んでも御免よ」
ミレイユ様が、直したばかりのドレスの裾を撫でながら、強気に言い放つ。
レオンハルト様と私は顔を見合わせ、小さく頷き合った。 これだけの覚悟を持った子供たちがいる。 負ける要素など、どこにもない。
やがて、王城の巨大な門が見えてきた。 冷たい石造りの城壁。 その奥にある「審問の間」が、今日の戦場だ。
馬車が止まる。 扉が開く。 眩しい光と共に、私たちは戦いの場へと足を踏み出した。
「グレイフ公爵、入城!」
衛兵の声が響く。 長い廊下を進む私たちの足音は、一つに重なり、力強いリズムを刻んでいた。
審問の間の扉の前に立つ。 中からは、すでに多くの貴族たちのざわめきが聞こえてくる。 王太子ルドルフ、リディア男爵令嬢、そしてもしかすると国王陛下も。 敵は多い。
レオンハルト様が、扉に手をかけた。 そして、振り返り、私たち家族全員を見渡して言った。
「恐れるな。……俺たちは、グレイフだ」
その一言で十分だった。 重い扉が、轟音と共に開かれる。
そこには、数百人の貴族たちの視線と、壇上から見下ろす王太子の歪んだ笑みがあった。
「遅かったな、被告人たちよ」
ルドルフ殿下の嘲るような声。 しかし、私たちは誰一人として目を逸らさなかった。 被告人? いいえ。 私たちは、勝利者としてここを出るために来たのだ。
私はミレイユ様の肩に手を置き、アルフォンス様の背中を押し、ノア様の手を引いて、堂々と中央へと進み出た。 さあ、始めましょうか。 最後の戦いを。
今日こそが、正念場だ。 王太子ルドルフと、リディア男爵令嬢。 彼らが仕掛けた理不尽な罠を打ち破り、私たちが正真正銘の「家族」であることを証明する日。
「……奥様。馬車の準備が整いました」
「ええ、ありがとう」
私は鏡の前で、最後の身支度を整えていた。 今日の装いは、華美さを抑えた深紅のドレス。 グレイフ公爵家の紋章色であり、戦いに臨む決意の色だ。 左手には、レオンハルト様から贈られた黒革の手袋。 首元には、実家から持参した真珠のネックレス。
「完璧ですわ、奥様」
セレスが誇らしげに頷く。 私は小さく息を吐き、自らを鼓舞するように微笑んだ。
「さあ、子供たちの様子を見てきましょう」
◇
アルフォンス様とノア様の部屋を回り、準備万端な二人を褒めてから、私は最後にミレイユ様の部屋へ向かった。 一番のお洒落好きで、しっかり者の彼女のことだ。きっと誰よりも早く準備を終え、鏡の前でポーズでも決めているに違いない。
そう思って、ドアをノックしようとした時だった。
「……う、うぅ……っ!」
部屋の中から、押し殺したような嗚咽が聞こえた。 さらに、ガサガサと布が擦れる音。何かが床に落ちる音。
「ミレイユ様?」
返事がない。 ただ、しゃくり上げる声だけが続く。 私は胸騒ぎを覚え、ノックもそこそこにドアを開けた。
「失礼します、ミレイユ様!」
部屋の中は、惨状だった。 クローゼットの中身がひっくり返され、リボンや靴が散乱している。 そして、部屋の中央で、ミレイユ様が座り込み、顔を覆って泣いていた。 その膝の上には――無惨に引き裂かれた、青いドレスがあった。
「……ミレイユ様!」
私は駆け寄り、彼女の肩を抱いた。
「どうしたのですか!? 怪我は!?」
「クラリス、さま……う、うわぁぁぁぁん!」
私の顔を見た途端、ミレイユ様は私にしがみつき、激しく泣きじゃくった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……! 私、私……っ!」
「落ち着いて。まずは深呼吸をして」
私は彼女の背中をさすりながら、状況を確認した。 膝の上の青いドレス。 これは、王都に来る時に彼女が着ていたものであり、今日の審問会でも着る予定だった「勝負服」だ。 そのスカートの裾が、何か鋭利なものに引っ掛けたように、大きく裂けていた。 そして、レースの一部がちぎれかけている。
「……何があったのですか?」
「……き、緊張して……」
ミレイユ様はしゃくり上げながら、途切れ途切れに話した。
「今日、絶対に変なこと言っちゃいけないって……失敗したら、みんなと離れ離れになっちゃうって思ったら……手が震えて……」
彼女は震える手を見つめた。
「リボンを結ぼうとしたら、上手くいかなくて……焦って、ハサミを使ったら……手が滑って……っ」
事故だ。 極度のプレッシャーが生んだ、悲しい事故。 七歳の少女が背負うには、今日の審問会はあまりに重すぎたのだ。 「失敗できない」という思いが、逆に彼女の手元を狂わせた。
「どうしよう……これしか、着ていく服がないのに……! こんなボロボロの格好じゃ、またリディアに笑われる……! クラリス様の恥になっちゃう……!」
ミレイユ様はパニックに陥っていた。 彼女にとって、お洒落は鎧だ。 一番お気に入りの、私が選んだこの青いドレスを着ることで、彼女は自分を奮い立たせようとしていたのだ。 それが破れてしまった今、彼女の心もまた、引き裂かれてしまっている。
「……もうダメだ……私、行けない……」
絶望に染まる瞳。 このままでは、彼女は自信を喪失し、審問会の場で一言も発せなくなってしまうだろう。 それは、敵の思う壺だ。
「……泣かないで、ミレイユ様」
私は静かに、しかし力強く言った。
「まだ時間はあります。私が直します」
「え……で、でも、こんなに大きく破れて……」
「魔法と、私の腕を信じなさい」
私は立ち上がり、散らばった裁縫道具箱から針と糸を取り出した。 そして、ミレイユ様を椅子に座らせ、破れたドレスを広げた。
裂け目は大きい。普通に縫い合わせれば、どうしても縫い目が目立ってしまう。 「つぎはぎ」のドレスで王城に行けば、嘲笑の的だ。
(……考えなさい、クラリス)
私は目を閉じ、集中した。 ただ直すだけでは足りない。 彼女の傷ついた心を癒やし、さらに自信を与えるような、「魔法」が必要だ。
「――『綴(つづり)』よ、繊維の記憶を呼び覚まし、再び結びつけよ」
私は指先に魔力を込め、裂けた布の端をなぞった。 『綴』の魔法。契約や記録に使われるこの魔法は、物質の結合を強める効果もある。 光の糸が走り、裂け目が仮留めされる。
でも、これだけでは跡が残る。 私は針に銀色の糸を通した。
「ミレイユ様。この破れた場所を、新しいデザインに変えてしまいましょう」
「え……?」
「ただ直すのではありません。もっと素敵にするのです」
私は猛スピードで針を動かし始めた。 裂け目を隠すように、銀糸で刺繍を施していく。 モチーフは、雪の結晶。 北方のグレイフ公爵家を象徴する意匠だ。
チク、チク、チク。 静寂の中に、針が進む音だけが響く。 ミレイユ様は、涙を拭うのも忘れて、私の手元を食い入るように見つめている。
「……どうして?」
彼女がぽつりと呟いた。
「どうして、怒らないの? 大事なドレスを破いちゃったのに。……前の人たちは、私が服を汚すと『だらしない』って怒ったわ」
「怒る理由がありません」
私は手を止めずに答えた。
「あなたは遊んでいて破いたのではありません。家族のために、立派に振る舞おうとして、焦ってしまっただけでしょう? その気持ちは、とても尊いものです」
私は顔を上げ、彼女に微笑みかけた。
「失敗は誰にでもあります。大切なのは、それをどうリカバリーするかです。……見てごらんなさい」
私は最後のひと針を縫い終え、糸を切った。
「できました」
ドレスを持ち上げて見せる。 大きく裂けていたスカートの裾には、今や美しい銀色の雪の結晶が咲き誇っていた。 それは傷跡を隠すだけでなく、ドレス全体に高貴な輝きを与えていた。 まるで、最初からそういうデザインであったかのように。
「わあ……っ」
ミレイユ様が息を呑む。
「きれい……。前より、ずっときれい……」
「この雪の結晶は、北方の厳しい冬の象徴です。でも同時に、春を待つ強さの証でもあります」
私はドレスを彼女に手渡した。
「この傷は、あなたの弱さではありません。プレッシャーと戦った勲章です。これを着て、堂々と胸を張りなさい。あなたはグレイフ公爵家の、誇り高き長女なのですから」
ミレイユ様はドレスを抱きしめ、そして私を見上げた。 その瞳から、新しい涙が溢れ出した。 今度は、悲しみの涙ではない。
「……クラリス様」
彼女は小さな声で呼んだ。 そして、私の腰にギュッと抱きついた。
「ありがとう……。私、私……」
彼女は顔を埋め、何かを言いかけた。
「……大好き。……マ……」
唇が動く。 あと少し。 あと一文字で、あの言葉になる。
けれど、部屋の外からノックの音が響いた。
「ミレイユ、まだか? 父上がお待ちだぞ」
アルフォンス様の声だ。 ミレイユ様はハッとして、慌てて私から離れた。 顔を真っ赤にして、涙を乱暴に拭う。
「……す、すぐ行くわよ!」
彼女は振り返り、私を見て、照れ隠しのように舌を出した。
「……まだ、言わないから。全部終わって、勝ってから言うんだから」
それは、彼女なりの勝利への誓いだった。 勝って、笑顔で、その言葉を呼ぶために。
「ええ。楽しみに待っていますよ」
私は優しく頷いた。
着替えを終えたミレイユ様は、それはそれは美しかった。 深紅の私と、紺碧のアルフォンス様、そして雪と青空を纏ったミレイユ様。 私たちは最強の布陣で、部屋を出た。
◇
玄関ホールでは、正装したレオンハルト様が待っていた。 黒の軍礼服に身を包み、腰には儀礼用の剣ではなく、実戦用の長剣を帯びている。 その表情は、まさに「氷の公爵」。 しかし、私たちを見るなり、その瞳がふわりと緩んだ。
「……待たせたな。行くぞ」
「はい、あなた」
レオンハルト様が私の手を取り、エスコートする。 その手は大きく、温かく、頼もしい。 後ろには、三人の子供たちが続く。
馬車に乗り込み、王城へと向かう道中。 車内は静かだったが、重苦しさはなかった。 誰もが、これからの戦いに向けて心を研ぎ澄ませている。
「……絶対に、渡さない」
アルフォンス様が、膝の上で拳を握りしめて呟いた。
「僕たちの居場所は、ここしかないんだ」
「うん。……ぼく、パパとママといっしょがいい」
ノア様が、私の手袋を触りながら言う。
「当たり前でしょ。あんな意地悪な王子様のところなんか、死んでも御免よ」
ミレイユ様が、直したばかりのドレスの裾を撫でながら、強気に言い放つ。
レオンハルト様と私は顔を見合わせ、小さく頷き合った。 これだけの覚悟を持った子供たちがいる。 負ける要素など、どこにもない。
やがて、王城の巨大な門が見えてきた。 冷たい石造りの城壁。 その奥にある「審問の間」が、今日の戦場だ。
馬車が止まる。 扉が開く。 眩しい光と共に、私たちは戦いの場へと足を踏み出した。
「グレイフ公爵、入城!」
衛兵の声が響く。 長い廊下を進む私たちの足音は、一つに重なり、力強いリズムを刻んでいた。
審問の間の扉の前に立つ。 中からは、すでに多くの貴族たちのざわめきが聞こえてくる。 王太子ルドルフ、リディア男爵令嬢、そしてもしかすると国王陛下も。 敵は多い。
レオンハルト様が、扉に手をかけた。 そして、振り返り、私たち家族全員を見渡して言った。
「恐れるな。……俺たちは、グレイフだ」
その一言で十分だった。 重い扉が、轟音と共に開かれる。
そこには、数百人の貴族たちの視線と、壇上から見下ろす王太子の歪んだ笑みがあった。
「遅かったな、被告人たちよ」
ルドルフ殿下の嘲るような声。 しかし、私たちは誰一人として目を逸らさなかった。 被告人? いいえ。 私たちは、勝利者としてここを出るために来たのだ。
私はミレイユ様の肩に手を置き、アルフォンス様の背中を押し、ノア様の手を引いて、堂々と中央へと進み出た。 さあ、始めましょうか。 最後の戦いを。
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