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第二十七話「ミレイユの決断」
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長い夜が明け、北方の空に朝日が昇った。 不気味な紫色の雲は消え去り、澄み渡るような青空が広がっている。 屋敷の庭には、昨夜の激闘の爪痕――砕けた石畳や、焼け焦げた芝生――が残っていたが、不思議と空気は清々しかった。
「……終わったんですね」
テラスに出て、私は眩しい光に目を細めた。 隣には、傷の手当を終えたレオンハルト様が立っている。 包帯姿が痛々しいが、その横顔は穏やかだった。
「ああ。裂け目は完全に塞がった。当分は開くこともないだろう」
「よかったです。……本当に」
安堵と共に、全身の力が抜けていく。 私たちは生き残った。 家族全員で、あの絶望的な夜を越えたのだ。
庭では、子供たちがはしゃいでいた。 ノア様は、すっかり元気を取り戻し、アルフォンス様と雪玉を作っている。 そしてミレイユ様は……瓦礫の山となった花壇の前で、何かを探すようにしゃがみ込んでいた。
「ミレイユ様?」
私が声をかけると、彼女はビクリと肩を震わせ、何かを背中に隠した。
「な、なんでもないわよ!」
強がりな声。でも、その目は少し赤かった。 彼女が隠そうとしたのは、たぶん、昨夜の戦闘で泥だらけになった、あのお気に入りの青いリボンだろう。
◇
午後になり、王都からの援軍が到着した。 国王陛下の命を受けた近衛騎士団と、救援物資を積んだ馬車列だ。 もっとも、戦いはすでに終わっていたため、彼らの主な任務は事後処理と被害状況の確認となった。
その一団の中に、見覚えのある豪奢な馬車があった。 扉が開き、コツ、コツという杖の音が響く。
「……やはり、いらっしゃいましたか」
私は小さく溜息をつき、姿勢を正した。 現れたのは、ヴィルヘルミナ伯母様だ。 「氷の女帝」は、瓦礫の山となった屋敷の前庭を見渡し、眉をひそめた。
「なんと無様な。グレイフ公爵家の庭が、まるで戦場跡のようではないか」
厳しい第一声。 出迎えたレオンハルト様が、一歩前に出る。
「伯母上。これは名誉ある傷跡です。家族と領民を守り抜いた証ですから」
「ふん。守り抜いた、か。……結果オーライという顔をしているね、レオンハルト」
伯母様は冷ややかに鼻を鳴らし、私の方へと向き直った。
「クラリス。あなたに預けておいて、この惨状ですか。子供たちを危険に晒し、屋敷を半壊させ……それでもまだ、『母親』を名乗るつもり?」
刺すような言葉。 周囲の騎士たちが息を呑む。 けれど、私は動じなかった。
「ええ、名乗ります。屋敷は直せますが、失われた命は戻りません。私は子供たちの命を守り抜きました。その一点において、私は胸を張れます」
私が言い切ると、伯母様は目を細め、値踏みするように私を見た。 そして、視線を子供たちへと移した。
「……ミレイユ。こちらへおいで」
名を呼ばれたミレイユ様が、ビクリと身を強張らせた。 彼女はおずおずと進み出た。 その手には、泥だらけになったリボンが握りしめられている。
「久しぶりだね。……ずいぶんと汚れた格好をして」
伯母様は、ミレイユ様の煤けたドレスと、乱れた髪を見下ろした。 王都での夜会の時のような、着飾った美しい姿ではない。
「怖かっただろう? あんな怪物が空を飛び、轟音が響く夜など」
「……うん、怖かった」
「そうだろうね。……やはり、継母など当てにならなかったのではないかい?」
伯母様は、意地悪く、そして試すように囁いた。
「所詮は他人だよ。いざとなれば、自分の命が惜しくなる。昨夜も、本当はあなたたちを置いて逃げたかったのかもしれないよ?」
「……っ」
「可哀想に。実の母なら、もっと優しく、もっと安全に守ってくれただろうに。……やはり、この女では役不足だったのさ」
それは、ミレイユ様の心の奥底にある、一番柔らかくて脆い部分を突く言葉だった。 実母への憧れと、継母への不信感。 その隙間に、冷たい楔を打ち込むような問いかけ。
ミレイユ様が俯く。 握りしめたリボンがくしゃくしゃになる。 私は口を挟みそうになったが、レオンハルト様が私の腕を掴んで止めた。 首を横に振る。 (信じて待て)と、その目は言っていた。
沈黙が続く。 風が吹き抜け、伯母様が「やはりね」と吐き捨てようとした、その時。
「……ちがう」
ミレイユ様が顔を上げた。 その瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちていた。
「違う……! クラリス様は、逃げなかった!」
「ミレイユ?」
「一番怖かったはずなのに……私たちが泣いてる時、ずっと前に立っててくれた! 怪獣の炎が来た時も、抱きしめてくれた! 『家には入れない』って、叫んでくれた!」
ミレイユ様は叫んだ。 昨夜の記憶。黄金の光の中で、私たちがどうやって生き延びたか。 その熱さを、彼女は肌で覚えていた。
「実のお母様のこと、私はよく覚えてない。……でも」
彼女は私の方を振り返った。 その顔は涙でぐしゃぐしゃだったけれど、今まで見たどの表情よりも美しく、愛おしかった。
「髪を梳かしてくれる手も、作ってくれるクッキーの味も、破れたドレスを直してくれる魔法も……全部、全部、温かかったもん!」
「ミレイユ様……」
「役不足なんかじゃない! 他人なんかじゃない!」
彼女は伯母様に向き直り、小さな足で地面をダンッ! と踏み鳴らした。
「この人がいいの! クラリス様じゃなきゃ、イヤなの!」
そして、彼女は息を吸い込み、ありったけの声で宣言した。
「だって……だって、クラリス様は、私のママだもん!!」
「――っ」
時が止まった。 王都の夜会では言い淀み、昨夜のベッドの中では「まだ言わない」と強がっていた言葉。 それを、彼女は今、誰に強制されるでもなく、自分の意志で叫んだ。
「ママは、ママよ! 誰がなんと言おうと、私の大好きなママなんだからぁぁぁ!!」
わぁぁぁん、と子供らしい泣き声を上げ、ミレイユ様は私の方へ駆け出してきた。 私は膝をつき、飛び込んできた彼女を全力で受け止めた。
「……ママぁ……!」
「はい。……はい、ミレイユ」
私は彼女を抱きしめ、背中を撫でた。 温かい涙が、私の肩を濡らす。 ああ、やっと。 あの一番強がりで、一番寂しがり屋だった長女が、心の鎧を脱ぎ捨ててくれた。
「ありがとう。……呼んでくれて、ありがとう」
私も泣いていた。 三人の子供たちからの拒絶で始まった日々。 「母はいりません」と言われたあの日から、どれだけの道のりだったろう。 今、その答えがこの腕の中にある。
レオンハルト様が、目を潤ませて私たちを見守っていた。 アルフォンス様も、ノア様も、もらい泣きをしている。
しばらくして。 感動的な抱擁を見せつけられたヴィルヘルミナ伯母様は、ふう、と深いため息をついた。 しかし、その表情からは、先ほどまでの険しさが消えていた。
「……完敗だね」
彼女は杖をつき、ゆっくりと私たちに近づいてきた。
「ここまで言われては、意地悪な伯母役も続けられないよ。……認めよう、クラリス」
伯母様は、私の肩にそっと手を置いた。
「あなたは、グレイフ家の嫁として……いいえ、この子たちの母親として、合格だ」
「……お義母様」
「よくやった。本当に、よく守り抜いた」
その言葉は、初めて聞く、心からの労いだった。 彼女はずっと、私を試していたのだ。 グレイフ家という重圧に耐え、子供たちの心を救えるだけの強さと愛情があるかどうかを。
「さて、感動の対面はこれくらいにして」
伯母様は表情を引き締め、懐から一枚の書状を取り出した。 その瞬間、場の空気がピリリと変わる。
「私がここに来たのは、ただの視察ではない。……王都で捕縛されたリディア・バーンズの証言から、ある事実が判明してね」
「事実?」
「ああ。今回の裂け目の崩壊……あれを手引きした『内通者』についてだ」
内通者。 王都で術式を干渉させ、魔獣を呼び寄せた実行犯。 王太子ルドルフとリディアは黒幕だったが、彼らの手足となって動いていた術者がいるはずだ。
「その名は……カイル・フォン・ホルスタイン」
伯母様が告げた名前に、レオンハルト様が息を呑んだ。
「カイル……? まさか、あのカイルか?」
「知っているのですか?」
私が尋ねると、レオンハルト様は苦渋の表情で頷いた。
「ああ。……かつて、俺と共に剣を学んだ親友だ。今は王宮魔術師団の副団長を務めているはずだが」
親友。 その言葉の重みに、胸がざわついた。
「彼は今回の騒動の混乱に乗じて姿を消した。だが、痕跡は残っている」
伯母様は北の方角、境界のさらに奥を指差した。
「彼は北へ逃げた。……おそらく、まだ何かを企んでいる」
裂け目は塞がったはずだ。 だが、それをこじ開ける技術を持つ術者が、まだ野放しになっている。 そして彼は、レオンハルト様の親友であり、このグレイフ領の地理にも詳しいはずだ。
「……決着をつけねばなるまい」
レオンハルト様が呟く。 その瞳には、親友に裏切られた悲しみよりも、家族を脅かした者への静かな怒りが燃えていた。
「待ってください、パパ」
私の腕の中で、ミレイユ様が顔を上げた。 彼女は涙を拭い、キッと父を見上げた。
「行くなら、私も行く」
「なっ……馬鹿を言うな。危険だ」
「危険だからよ! パパ一人で行かせたら、また無茶するでしょ? ママを心配させるでしょ?」
ミレイユ様は私の手を握り、そしてアルフォンス様とノア様の手も取った。
「私たちも家族だもん。……もう、パパを一人にはさせない」
「ミレイユ……」
「それに、私、言いたいことがあるの。そのカイルって人に」
彼女は小さな拳を握りしめた。
「『私の家族に手を出したら、許さないんだから!』って、言ってやるの!」
その剣幕に、レオンハルト様は呆気に取られ、そして吹き出した。
「ははは! そうか。……頼もしいな」
彼はしゃがみ込み、娘の頬についた泥を指で拭った。
「だが、戦場には連れて行けん。……その代わり、家を守っていてくれ。帰る場所があるから、俺は強くなれる」
「……むぅ。分かった。じゃあ、絶対に勝ってきてよね」
「約束する」
指切り。 父と娘の、新しい約束。
これで、長女ミレイユ様の心も完全に解けた。 「ママ」という言葉は、私たち家族を繋ぐ最強の魔法となった。
残るは一人。 長男、アルフォンス様。 彼は今、静かに父の背中を見つめている。 その瞳には、十歳の少年とは思えないほどの、強い決意の光が宿っていた。
「……父上」
彼が口を開く。
「カイル・ホルスタイン討伐……僕も、同行させていただけませんか?」
「……終わったんですね」
テラスに出て、私は眩しい光に目を細めた。 隣には、傷の手当を終えたレオンハルト様が立っている。 包帯姿が痛々しいが、その横顔は穏やかだった。
「ああ。裂け目は完全に塞がった。当分は開くこともないだろう」
「よかったです。……本当に」
安堵と共に、全身の力が抜けていく。 私たちは生き残った。 家族全員で、あの絶望的な夜を越えたのだ。
庭では、子供たちがはしゃいでいた。 ノア様は、すっかり元気を取り戻し、アルフォンス様と雪玉を作っている。 そしてミレイユ様は……瓦礫の山となった花壇の前で、何かを探すようにしゃがみ込んでいた。
「ミレイユ様?」
私が声をかけると、彼女はビクリと肩を震わせ、何かを背中に隠した。
「な、なんでもないわよ!」
強がりな声。でも、その目は少し赤かった。 彼女が隠そうとしたのは、たぶん、昨夜の戦闘で泥だらけになった、あのお気に入りの青いリボンだろう。
◇
午後になり、王都からの援軍が到着した。 国王陛下の命を受けた近衛騎士団と、救援物資を積んだ馬車列だ。 もっとも、戦いはすでに終わっていたため、彼らの主な任務は事後処理と被害状況の確認となった。
その一団の中に、見覚えのある豪奢な馬車があった。 扉が開き、コツ、コツという杖の音が響く。
「……やはり、いらっしゃいましたか」
私は小さく溜息をつき、姿勢を正した。 現れたのは、ヴィルヘルミナ伯母様だ。 「氷の女帝」は、瓦礫の山となった屋敷の前庭を見渡し、眉をひそめた。
「なんと無様な。グレイフ公爵家の庭が、まるで戦場跡のようではないか」
厳しい第一声。 出迎えたレオンハルト様が、一歩前に出る。
「伯母上。これは名誉ある傷跡です。家族と領民を守り抜いた証ですから」
「ふん。守り抜いた、か。……結果オーライという顔をしているね、レオンハルト」
伯母様は冷ややかに鼻を鳴らし、私の方へと向き直った。
「クラリス。あなたに預けておいて、この惨状ですか。子供たちを危険に晒し、屋敷を半壊させ……それでもまだ、『母親』を名乗るつもり?」
刺すような言葉。 周囲の騎士たちが息を呑む。 けれど、私は動じなかった。
「ええ、名乗ります。屋敷は直せますが、失われた命は戻りません。私は子供たちの命を守り抜きました。その一点において、私は胸を張れます」
私が言い切ると、伯母様は目を細め、値踏みするように私を見た。 そして、視線を子供たちへと移した。
「……ミレイユ。こちらへおいで」
名を呼ばれたミレイユ様が、ビクリと身を強張らせた。 彼女はおずおずと進み出た。 その手には、泥だらけになったリボンが握りしめられている。
「久しぶりだね。……ずいぶんと汚れた格好をして」
伯母様は、ミレイユ様の煤けたドレスと、乱れた髪を見下ろした。 王都での夜会の時のような、着飾った美しい姿ではない。
「怖かっただろう? あんな怪物が空を飛び、轟音が響く夜など」
「……うん、怖かった」
「そうだろうね。……やはり、継母など当てにならなかったのではないかい?」
伯母様は、意地悪く、そして試すように囁いた。
「所詮は他人だよ。いざとなれば、自分の命が惜しくなる。昨夜も、本当はあなたたちを置いて逃げたかったのかもしれないよ?」
「……っ」
「可哀想に。実の母なら、もっと優しく、もっと安全に守ってくれただろうに。……やはり、この女では役不足だったのさ」
それは、ミレイユ様の心の奥底にある、一番柔らかくて脆い部分を突く言葉だった。 実母への憧れと、継母への不信感。 その隙間に、冷たい楔を打ち込むような問いかけ。
ミレイユ様が俯く。 握りしめたリボンがくしゃくしゃになる。 私は口を挟みそうになったが、レオンハルト様が私の腕を掴んで止めた。 首を横に振る。 (信じて待て)と、その目は言っていた。
沈黙が続く。 風が吹き抜け、伯母様が「やはりね」と吐き捨てようとした、その時。
「……ちがう」
ミレイユ様が顔を上げた。 その瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちていた。
「違う……! クラリス様は、逃げなかった!」
「ミレイユ?」
「一番怖かったはずなのに……私たちが泣いてる時、ずっと前に立っててくれた! 怪獣の炎が来た時も、抱きしめてくれた! 『家には入れない』って、叫んでくれた!」
ミレイユ様は叫んだ。 昨夜の記憶。黄金の光の中で、私たちがどうやって生き延びたか。 その熱さを、彼女は肌で覚えていた。
「実のお母様のこと、私はよく覚えてない。……でも」
彼女は私の方を振り返った。 その顔は涙でぐしゃぐしゃだったけれど、今まで見たどの表情よりも美しく、愛おしかった。
「髪を梳かしてくれる手も、作ってくれるクッキーの味も、破れたドレスを直してくれる魔法も……全部、全部、温かかったもん!」
「ミレイユ様……」
「役不足なんかじゃない! 他人なんかじゃない!」
彼女は伯母様に向き直り、小さな足で地面をダンッ! と踏み鳴らした。
「この人がいいの! クラリス様じゃなきゃ、イヤなの!」
そして、彼女は息を吸い込み、ありったけの声で宣言した。
「だって……だって、クラリス様は、私のママだもん!!」
「――っ」
時が止まった。 王都の夜会では言い淀み、昨夜のベッドの中では「まだ言わない」と強がっていた言葉。 それを、彼女は今、誰に強制されるでもなく、自分の意志で叫んだ。
「ママは、ママよ! 誰がなんと言おうと、私の大好きなママなんだからぁぁぁ!!」
わぁぁぁん、と子供らしい泣き声を上げ、ミレイユ様は私の方へ駆け出してきた。 私は膝をつき、飛び込んできた彼女を全力で受け止めた。
「……ママぁ……!」
「はい。……はい、ミレイユ」
私は彼女を抱きしめ、背中を撫でた。 温かい涙が、私の肩を濡らす。 ああ、やっと。 あの一番強がりで、一番寂しがり屋だった長女が、心の鎧を脱ぎ捨ててくれた。
「ありがとう。……呼んでくれて、ありがとう」
私も泣いていた。 三人の子供たちからの拒絶で始まった日々。 「母はいりません」と言われたあの日から、どれだけの道のりだったろう。 今、その答えがこの腕の中にある。
レオンハルト様が、目を潤ませて私たちを見守っていた。 アルフォンス様も、ノア様も、もらい泣きをしている。
しばらくして。 感動的な抱擁を見せつけられたヴィルヘルミナ伯母様は、ふう、と深いため息をついた。 しかし、その表情からは、先ほどまでの険しさが消えていた。
「……完敗だね」
彼女は杖をつき、ゆっくりと私たちに近づいてきた。
「ここまで言われては、意地悪な伯母役も続けられないよ。……認めよう、クラリス」
伯母様は、私の肩にそっと手を置いた。
「あなたは、グレイフ家の嫁として……いいえ、この子たちの母親として、合格だ」
「……お義母様」
「よくやった。本当に、よく守り抜いた」
その言葉は、初めて聞く、心からの労いだった。 彼女はずっと、私を試していたのだ。 グレイフ家という重圧に耐え、子供たちの心を救えるだけの強さと愛情があるかどうかを。
「さて、感動の対面はこれくらいにして」
伯母様は表情を引き締め、懐から一枚の書状を取り出した。 その瞬間、場の空気がピリリと変わる。
「私がここに来たのは、ただの視察ではない。……王都で捕縛されたリディア・バーンズの証言から、ある事実が判明してね」
「事実?」
「ああ。今回の裂け目の崩壊……あれを手引きした『内通者』についてだ」
内通者。 王都で術式を干渉させ、魔獣を呼び寄せた実行犯。 王太子ルドルフとリディアは黒幕だったが、彼らの手足となって動いていた術者がいるはずだ。
「その名は……カイル・フォン・ホルスタイン」
伯母様が告げた名前に、レオンハルト様が息を呑んだ。
「カイル……? まさか、あのカイルか?」
「知っているのですか?」
私が尋ねると、レオンハルト様は苦渋の表情で頷いた。
「ああ。……かつて、俺と共に剣を学んだ親友だ。今は王宮魔術師団の副団長を務めているはずだが」
親友。 その言葉の重みに、胸がざわついた。
「彼は今回の騒動の混乱に乗じて姿を消した。だが、痕跡は残っている」
伯母様は北の方角、境界のさらに奥を指差した。
「彼は北へ逃げた。……おそらく、まだ何かを企んでいる」
裂け目は塞がったはずだ。 だが、それをこじ開ける技術を持つ術者が、まだ野放しになっている。 そして彼は、レオンハルト様の親友であり、このグレイフ領の地理にも詳しいはずだ。
「……決着をつけねばなるまい」
レオンハルト様が呟く。 その瞳には、親友に裏切られた悲しみよりも、家族を脅かした者への静かな怒りが燃えていた。
「待ってください、パパ」
私の腕の中で、ミレイユ様が顔を上げた。 彼女は涙を拭い、キッと父を見上げた。
「行くなら、私も行く」
「なっ……馬鹿を言うな。危険だ」
「危険だからよ! パパ一人で行かせたら、また無茶するでしょ? ママを心配させるでしょ?」
ミレイユ様は私の手を握り、そしてアルフォンス様とノア様の手も取った。
「私たちも家族だもん。……もう、パパを一人にはさせない」
「ミレイユ……」
「それに、私、言いたいことがあるの。そのカイルって人に」
彼女は小さな拳を握りしめた。
「『私の家族に手を出したら、許さないんだから!』って、言ってやるの!」
その剣幕に、レオンハルト様は呆気に取られ、そして吹き出した。
「ははは! そうか。……頼もしいな」
彼はしゃがみ込み、娘の頬についた泥を指で拭った。
「だが、戦場には連れて行けん。……その代わり、家を守っていてくれ。帰る場所があるから、俺は強くなれる」
「……むぅ。分かった。じゃあ、絶対に勝ってきてよね」
「約束する」
指切り。 父と娘の、新しい約束。
これで、長女ミレイユ様の心も完全に解けた。 「ママ」という言葉は、私たち家族を繋ぐ最強の魔法となった。
残るは一人。 長男、アルフォンス様。 彼は今、静かに父の背中を見つめている。 その瞳には、十歳の少年とは思えないほどの、強い決意の光が宿っていた。
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